第三話
それからの私たちはというと、特に大きな変化もなく過ごしていた。学園に通い、社交界に顔を出す、いつもと変わらない日常。相変わらず忙しいが、私は忙しくしている方が楽しいと感じるタイプなので全く苦には思わない。
しかし、ノーランとステラの婚約が国民に発表されてからはそうはいかなかった。直接2人に聞くのは失礼だと思った令息令嬢たちが、仲の良い私たちに聞いてくるようになったからだ。
「いつからご存じでしたの?」
「エライユ様はいかがなさるのですか?」
という具合に。
学園や社交界はその話題一色となり、私とジェフは気疲れする日々となったのだった。そして、忙しさのあまり社交界に顔を出す余裕は無くなり、私たちは本格的に補佐としての仕事に力を入れるようになった。
王城のある一室。ここでは多くの文官がノーランとステラの結婚に向けて忙しく働いている。
「「はぁ…」」
思いがけず、ジェフとため息が被ってしまった。貴族令嬢として、人前でため息をつくなど褒められた行為ではないが、ジェフにしか聞こえていないと思うので良しとする。
「お疲れ様、リア」
「ジェフこそね」
ジェフが淹れてくれた紅茶を手に、驚くほどびっしりと詰まっている予定表を眺める。ノーラン、ステラ、ジェフ、私の4人分の予定が書き込まれている機密性の高い書類だ。2人の補佐役を務めるようになってから、こういった類の重い責任が私の両肩にのしかかっている。
「疲れているようなら明日の顔合わせ、僕が代わろうか?」
「ううん、ジェフは警備の打ち合わせがあるでしょう。大丈夫、これくらいは任せて」
「そう?」
「私には警備のことはわからないもの」
各国大使との顔合わせは語学が得意な私が、警備の打ち合わせは騎士団と関わりがあるジェフが。適材適所というものだ。それに、これくらいで疲れたと音をあげているようでは、補佐役は務まらない。私としても、精一杯2人のために頑張りたいと思っているのだ。
『クロサイト王国へようこそ、本日の会談を担当いたします、フェリシア・エライユと申します』
『私はルピナス王国の大使で、補佐として彼も出席させていただきます。よろしくお願いします』
『まさかまだお若いエライユ公爵令嬢様が担当されるとは思いませんでした』
『私はルピナス語を学んだことがありまして。ぜひ大使様とお会いしたいと思ってもおりましたので、若輩者ながら担当させて頂くことになりました』
『そうでしたか、さぞ優秀な方なのでしょう。ルピナス語も堪能であられる』
『まぁ、ありがとうございます』
ルピナスとの会談は、滞りなく進んだ。元より友好国であるし、クロサイトの方が圧倒的に大国であるため、話は有利に進むのだ。もちろん、通訳を挟む必要がない分早く終わることは言うまでもない。
『王太子殿下の結婚式には、我らの王も参加される予定です』
『承知致しました。後日正式に書簡にてご連絡差し上げます』
国王が他国の王族の結婚式に出向くということは珍しい。大抵は王位継承権を持つ者のうち1人が代表として参列することが多いのだ。つまり、自国を空けてまで参列することはその国との関係を重要視していることを示す。
他の数カ国も、ルピナスと同じように国王の参列を表明した。それほど、ノーランとステラの結婚式が重要な政治的意味を持っているということだ。
こうして、忙しく過ごす日々というものはあっという間に過ぎ去っていく。
立太子し、正式に王太子となったノーランと、その婚約者として花嫁教育を受けているステラと一緒に作り上げた結婚式当日。
私は新婦であるステラの控室の扉を叩いた。
「ステラ、フェリシアよ」
「どうぞ」
侍女によって開かれた扉の先には、真っ白なドレスを身に纏ったステラの姿が。準備の段階で1度その姿を見たにも関わらず、息を呑むほどに美しいステラを褒めずにはいられない。
「本当に綺麗ね。とても良く似合っているわ!」
「ありがとう。リアがそう言ってくれるなら間違いないわね。ごめんね、準備をしながらお話しすることになるけれど」
「いいえ、こちらこそ忙しい時に押しかけて申し訳ないわ」
あまり時間もないので、早速私はここに来た目的を果たすことにした。
「はい、頼まれていたものよ」
「ありがとう!とっても素敵だわ!」
頼まれていたものとは、1枚のハンカチーフだ。
この国には、ある言い伝えがある。新婦が心から幸せになってほしいと願う人を選び、その人が刺繍を施したハンカチーフを持って結婚の誓いをすると、その願いが叶うというものだ。
ステラが選んだのは私だった。1ヶ月前、式の打ち合わせをしていた時に頼まれ、ステラの頼みなら、ということで何とか時間を見つけて完成させたのだ。元々刺繍は不得意ではないが、得意なステラに渡すとなるとハードルが高い。
刺したのはガーベラとポピー。どちらもこの国では結婚式に相応しい花言葉を持つ花だ。ステラが幸せな結婚生活を送れるように、という願いを込めて、私なりに考えてみた結果だ。
「ステラにそう言ってもらえて嬉しいわ」
「忙しかったのに無理を言ってしまった分、幸せになれるように願うわね」
「ふふっ、ありがとう。ステラが願ってくれるならきっと叶うわね」
忙しい新婦の控室にいつまでも居座るわけにもいかないし、そろそろノーランがお迎えに来るかもしれないので、このあたりで退散する。
部屋を出ると、正装をしたジェフと出会った。
「ステラに何か用?」
「いや、リアにね」
「私に?」
もうすぐ式が始まるが、何か出来ていないことでもあっただろうか。
「聖堂に移動するでしょう?」
「えぇ、そのつもりにしていたけれど…」
「お迎えにあがりました、レディ」
ジェフは恭しく私の手を取って紳士の礼をした。
「ふふっ、ありがとう、来てくれて」
「どう致しまして」
私はジェフの腕を取り、式の会場である聖堂へと歩いて行った。
私たちが聖堂に入ってしばらくすると、開式の鐘が鳴った。後方の扉が開き、その奥にはノーランとステラが見える。
「わぁぁっ!」と歓声が上がり、会場中に祝福の拍手が響く。
前方の式段までたどり着いた2人はゆっくりと礼をして、聖職者に向き合った。
聖職者は分厚い本を開き、長い祝いの言葉を述べる。古語で書かれたものなので、ほとんどの人は意味を理解していないと思うが、要するに末長く幸せに生きなさい、ということだ。
それが終わると、2人の誓いが始まる。
「ノーラン・クロサイトは、ステラ・アメトリンを守り慈しみ、一生を共にすることを誓いますか?」
「はい、誓います」
「ステラ・アメトリンは、ノーラン・クロサイトを支え慈しみ、一生を共にすることを誓いますか?」
「はい、誓います」
再び会場は祝福の拍手に包まれた。私もそれに負けじと友人たちの新しい門出に目一杯の拍手を送る。その瞬間、聖堂には輝く光の粒が降り注いだ。
「何だ!?」
見慣れぬ光景に、場はざわつく。
「…精霊の祝福、ね」
「うん、久しぶりに見たよ」
「ありがとう、フィア、ルリ」
私とジェフに加護を与えている精霊のフィアとルリはキラキラと笑って姿を消した。彼らに限らず、精霊は非常に気まぐれなので、こちらから呼びかけても応答しないことが多い。今日のように自ら姿を現すことも珍しい。
ノーランとステラの頭上にも精霊の姿が見えるので、おそらく2人に加護を与えている大精霊ピシュル様とリトフも祝福に来たのだろう。
世にも珍しい精霊の祝福が降り注いだ結婚式は、つつがなく幕を閉じた。