第二十八話
『お待たせしてしまいましたか?』
「いいえ、ちょうど準備が整ったところです」
相変わらず突然現れるピシュル様に内心驚きながらも、平静を装って返答した。精霊という存在はいつだって気まぐれなのだ。
「すぐに始めますか?」
『いいえ、その前に。ノーランとステラ、おふたりに説明しておかなければならないことがあります。少しこちらへ』
何やら僕抜きで話したいことがあるらしく、ピシュル様と2人は隣の部屋へと消えていった。あらかじめ側近をはじめとする僕たち以外の人間の立ち入りを禁じていたので、今この部屋には僕とリアの2人だけ。
「やっと、リアを助けに行ける。長かった、長かったな…」
これまでの人生の中で、1番長く感じた1年だった。
リアの側を離れたこと、すぐに戻らなかったことを後悔した。自分の努力や犠牲でどうにもできないことを嘆いた。私利私欲のために人を殺め、リアから笑顔を奪った教団を憎んだ。
それも全部、全部これから終わらせる。いくら教団の罪を暴いて裁きを与えても、リアが笑ってくれなければ意味がないのだから。
「ジェフ、そろそろ始めるってさ」
「あぁ、わかった」
戻ってきたノーランたちに促されるがままにベッドに横になって、少しばかり残っていた緊張を吹き飛ばすつもりで息を吐いた。
これから、僕の体と魂は分離され、精霊界へと行くことになる。その道中が安全である保証も、リアを助けられる保証も、無事に帰って来れる保証もない。それでも僕は、怖くない。これから先の人生に、リアがいないことの方がずっとずっと怖いから。
『準備はいいですか?』
「はい。ノーラン、ステラ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「帰りを待ってる」
2人に向かって軽く頷いて、リアの眠るベッドをチラリと見てから目を閉じた。
ピシュル様がそれでは、といってすぐ内臓が全て浮いたかのような感覚になり、そのまま果てしなく昇っていったような気がした。
夢を見た。幼い頃の夢だ。
『君がエライユ公爵令嬢かね』
『フェリシア、ご挨拶を』
『はい、お初にお目にかかります。フェリシア・エライユと申します』
その所作に、令嬢らしいオーラに、圧倒されたことを覚えている。彼女とその父親が現れるまで、この部屋は、ただ子供と大人が集まって紹介しあっているだけの空間だった。それを彼女は一瞬で変え、支配した。以前軽く挨拶をした時とは違う、エライユ公爵令嬢らしさに溢れていたのだ。
今思えば僕は、この時からリアを特別な存在として見ていた。決して恋愛対象としてではなく、他の令嬢たちとは違う、特別な何かを持っている人間として一目置いていたとでも言うべきか。
『改めまして、フェリシア・エライユと申します。第1王子殿下ならびにジェフリー・アーヴァイン様、ステラ・アメトリン様、不束者ではございますがどうぞよろしくお願い致します』
彼女は普通ではなかったのだ。謙遜がかえっておかしく聞こえるほどに。
「ジェフー!」
「おーきーてー!!」
「そんなに急かさなくても、そのうち目覚めますよ」
すぐ側で、ピシュル様たちの声が聞こえる。聞こえてはいるが、反応をすることはできないというなんとももどかしい時間。
「リアもなかなか起きなかったよねー」
「人間はよく眠るのかなぁ」
「私たちとは全然違うよね」
どうやら精霊たちも近くにいるようなので、僕がいるのはピシュル様の聖堂だろう。ひとまず、無事に精霊界へやってくることができたということだ。
それからどれほどの時間が経ったのか正確には分からないが、体感としては数時間後、僕はようやく目を覚ました。
「起きたぁー!」
「ピシュル様、ジェフが起きたよ!」
「分かっていますよ。ジェフリー、気分はいかがですか?」
体を起こすとそこは、森の中にある教会のような場所だった。僕は植物でできたベッドに横たわっていたらしく、僕が降りようとすればそれを補助するかのように草木が動いた。
「特に悪くはありません。ここが精霊界、ですか」
「はい、その通りです。リアはあちらに」
ピシュル様が指した方向にも、同じような植物のベッドが。駆け寄って覗くと、そこには蜂蜜色の髪を緩く編み、今にも起き出してきそうな表情で眠るリアがいた。
「これから僕はどうすれば良いのですか?」
「まずは、私がリアを眠りから解きます。その後軽く事情を説明し、人間界へと戻ってもらいます。ただ、リアが起きる以上、私たち精霊が帰路を共にすることはできません。2人で帰ってもらう必要があります」
「我々は帰る方法も道もわからないのですが…」
「それは大丈夫です。この子が案内してくれますから」
ピシュル様の手には1羽の鳥。詳しくはないが、鳩のように見える。
「この子は私の力で創造された存在です。もっと簡単に言えば、私の力の一部です。この子の案内にしたがっていけば人間界に戻れるでしょう」
「分かりました」
ピシュル様はうっすらと微笑んで、何か古語のようなものを呟いた。
「しばらくすれば、リアも目を覚まします。覚醒には時間がかかるでしょうが」
「ずっと眠っていたリアの魂には問題ないのですか?」
「全くないとは言い切れませんよ。ただ、眠りについている方が私をはじめとする精霊たちの力の影響を受けにくいですから、人間である彼女にとっては心地いいはずです」
人間界で経過した時間で言うと1年間、リアは精霊界で眠っていたのだ。全くの無影響であるはずがない。
それからリアが目覚めるまで、僕はずっと側について過ごした。
反応はなかったが、聞こえているかもしれないと思いながら話しかけ続ける時間は決して苦痛ではなかった。こちらにくる前も、暇さえあればリアのところへ行き、進捗を報告したり他愛もない話をしたりしていたから。
目を覚ましてくれたら、ついに面と向かって話をすることができるのだと期待する気持ちも持ちながら、時には精霊たちも輪に加わって。




