第一話
「リア!!」
「ステラは…?」
「大丈夫だ。それよりもリアが!」
「ふふっ、そんなに焦った顔、初めて見たわ」
「そんなこと言っている場合じゃな…い、リア!リア!?フェリシア!!」
約3年前、当時はこんなことになろうとは思ってもいなかったのに。
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大昔、ある青年が森で出会った少女を助けた。その青年と少女は力を合わせ、戦乱の世を収めた。その少女は青年に加護を与え、大精霊となった。
これがクロサイト王国の建国史である。以来数百年、クロサイトは、世界でも数カ国しかない、精霊の住む国として栄えてきた。
大精霊の加護を受ける王家を筆頭に、武のアーヴァイン、聖のエライユ、知のアメトリンという3大公爵家が国を導いてきた。精霊の加護を受ける公爵家と、それ以下の貴族家は大きな差を持った。
そんな聖のエライユ公爵家長女として生を受けた私、フェリシア。リアという愛称で呼ばれ、優しい家族と優秀な使用人たちに囲まれて育った。
お父様譲りの蜂蜜色の髪と、お母様譲りの若草色の瞳を持つ私は、エライユ公爵令嬢の名に恥じぬよう、教育を受けてきた。礼儀作法やダンスのレッスン、歴史や算術の勉強など。
中でも、私は語学に適性があったようで、幼い頃からいくつもの言語を操っていた。護身術は苦手な一方、俊敏さには少しばかり自信があった。
そんな私が5歳の時、お父様に手を引かれて登城し、出会ったのがノーラン第1王子殿下だった。
第1王子殿下は、国王陛下と王妃殿下の間にお生まれになり、ちょうど私と同じ年齢で在らせられる。幼いながらも智勇兼備で、将来の君主としての期待を一身に背負うお方だ。
私と同様に呼び出されていたのが、ステラ・アメトリン公爵令嬢とジェフリー・アーヴァイン公爵令息。3大公爵家の令息令嬢同士として、挨拶くらいはしたことがある。
幼かった私は状況を上手く飲み込むことができなかったけれど、子どもながらに黙っていなければならないことだけは分かった。なぜなら、目の前には立派な髭を蓄えたおじさまと、お母様と同じくらいの年齢であろう美しい女性が座っておられたからだ。歴史書で何度も肖像画を目にしたこの方達は、おそらく国王陛下と王妃殿下だ。
そして、髭を蓄えたおじさま、改め国王陛下は、私を見据えて言った。
「君がエライユ公爵令嬢かね」
「フェリシア、ご挨拶を」
お父様が私をフェリシアと呼ぶ時、それはエライユ公爵令嬢としての振る舞いを求めている時だ。
私はそっと息を吐き、今までの教育で培った全てを出し切るつもりで最恵のご挨拶をした。
「はい、お初にお目にかかります。フェリシア・エライユと申します」
「そうか、しっかりした子だ。畏まらなくても良い、と言っても聡いと高名なエライユ嬢には効かぬだろうな」
陛下は、はははっと笑い、お父様は、もったいなきお言葉でございます、と頭を下げた。
「エライユ公爵よ、良いのだな?」
「もちろんでございます」
この、陛下とお父様のやりとりで、私の人生は大きく変わった。
その日、私を含む3人は、殿下の友人として、学友として、そして将来の臣下として過ごすことが決まったのだ。
私たちは共に、長い長い時間を過ごすこととなった。
「…リーア!」
「わあっ!…もう、驚かさないでっていつも言っているでしょう」
「ふふっ、ごめんなさーい」
彼女はステラ・アメトリン。知のアメトリン公爵家の長女である。礼儀作法や教養は完璧で令嬢として非の打ち所がないと言われる一方、人気の少ないところでは明るくていたずら好きという性格を持っている。
「ほどほどにしておきなよ、ステラ」
「ノーラン!」
貴平問わず、たくさんの人が通うこの学園で、第1王子である彼をノーランと呼ぶのは3人だけだ。私、ステラ、そして彼。
「リアもそろそろ怒った方がいいよ」
武のアーヴァイン公爵家長男のジェフリーだ。初めて王城で出会ったあの日は、まだ私やステラよりもずっと背が低かったのに、ここ数年ですっかり追い抜かれてしまった。
「ジェフ、私は怒っていますけれど?」
「それは失礼致しました、エライユ公爵令嬢様」
こんな軽口を叩いて笑いが起きる、この4人が大好きなのだ。
「リアも次は移動よね?」
「えぇ、途中まで一緒に行きましょう」
「やった!」
この学園では、生徒それぞれが自分で受ける授業を選んでいるので、私たち4人が同じ授業を受ける機会はそう多くない。
「さ、女性陣も行くことだし、僕たちも移動しようか」
「あぁ、そうだな」
私は言語学、ステラは自国史学を受けに、ノーランとジェフは剣術の授業に向かうようだ。
渡り廊下を歩いて、隣の棟まで移動する。何気ない会話をしながら。
「ねぇ、リア」
「なぁに?」
「リアって、気になる人とかいないの?」
今日は何気ない会話ではなかったようだ。いつもなら、家の温室の花が咲いて綺麗だから次の休みに見に来て、くらいの内容なのに。
「えっ、そうね…」
「いないの?」
「特定の誰かをお慕いしているわけではないわね」
「そっか…」
正直なところ、生まれてこの方特定の誰かを好きになる、という感情が分からないのだ。家族や使用人たちが好きというものも、ステラやノーラン、ジェフが好きというものも同じ「好き」であって、他の誰かのことを好きと思うこともない。
それに、私の婚約者はお父様が適する人を選んでくださることになっているし、私がエライユ公爵令嬢である以上、自分の恋愛感情だけを優先できないことも理解している。
だから、特定の誰かに恋愛的な「好き」という感情を抱いたことがないのかもしれないし、もしも抱いていたとしても他の「好き」と同じ種類にカテゴライズされていて気がついていないのかもしれない。
ステラが期待するような回答ではなかったためか、残念だけど仕方がないよね、と言って少し曇った笑顔を見せた。いつも私たちの前では明るいステラにしては珍しい。
「そういうステラはどうなの?」
「私?…うーん、いないかな」
「それならどうして私に聞いたの?」
てっきり、ステラが恋愛の相談に乗って欲しいがために私に話を振ってきたのだと思ったのだが。
「えっ、えぇーっと、ふと気になったから?」
そうではなかったようだ。
ステラは横髪を指でくるくると触り、答えた。
なるほど、何か隠し事をしているのだ、と気がついたが、本人は話す気がなさそうだし、隠しているつもりのようなので今日のところは気にしないことにした。