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和を以て明王を制す  作者: ラー油


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8.

 盤面は進んでお互いに角を交換し、飛車をどうやって成らせるか。という戦いにシフトしていた。

 囲いが中途半端なため桂馬と銀を前で構えて補強している。

 恐らく戦局は僕が微有利。このまま有利を広げたいところだ。

 「……ん?」

 現在は47手目、響也が指した手の意図が分からずに手が止まる。

 意図が分からないどころか悪手のように思える。

 僕はしばらく考え、悪手という結論を出し攻め始める。

 響也の実力は相当なもので予選で戦った二人とは一線を画す。

 受けの一つ一つが効果的で、変に攻めると痛いしっぺ返しをもらう。

 それでも僕は桂馬を効果的に使って駒の差を作った。

 勝てる。と思った瞬間僕は見えない何かに殴られたような感覚に襲われる。

 さっきまで悪手だった手が最悪の位置にいる。

 崖に追い詰めていたつもりが反対に僕が崖を背負っている。

 いや、そもそも悪手だったのだろうか?

 今になって思えば、僕はこう攻める以外の選択肢がなかった。

 それ以外のパターンを考えても失速する。

 この悪手と思われた一手は攻防においてキーパーツで、ここまでの展開を全て読み切った一手なのだ。

 それを理解した僕は響也の顔を見る。

 響也の表情は安心したような、高揚したようなものだった。振り絞った一手だったことが察せられる。

 僕は攻めから一転して受けにまわる。ギリギリまで耐え忍び反撃の糸口を探す。

 だがことごとく潰される。張り巡らされた蜘蛛の糸が僕を絡めとっていく。

 「……負けました」

 103手目で僕は敗北を宣言した。

 悔しい、脱帽、嫉妬といった感情が内側から破裂するように広まっている。

 「ごめん、少しトイレ」

 僕は響也にそう言って逃げるように部屋を出ていく。

 本当なら今すぐに感情を爆発させたいところだったが、予選の一局目で将太に泣かれた時は凄く困った。

 だからせめて響也のいない所に行く。

 トイレの個室に入った僕は瞳から涙を滝のように流す。

 「勝ちたかった」

 僕は小さくそう呟く。対局の内容は悪くなかったし全力を出せた。

 ただ純粋な実力の差が出ただけだ。

 勝ちたい。響也に勝ちたい。このままじゃ終われない。

 「次は勝つ!」

 僕はそう誓う。そして涙を出し切った。

 

 「あ、母さん戻ってきてたんだ」

 トイレから響也の元に戻ると母さんと響也が話していた。

 「うん、トイレから出てくる響也君にバッタリ会ってね。多めにケーキを買ってきたからお礼しようと思って」

 「トイレ?」

 僕がそう聞くと響也は気まずそうに視線を逸らす。

 「盗み聞きとは感心しませんね」

 どういうリアクションをするか迷った結果、和奏が説明する時のような口調が出てしまった。

 「ご、ごめん」

 「まあ、いいや。次は勝つよ」

 「次も負けないよ楓真君」

 響也は僕を認めてくれたのか名前で読んだ。

 それが嬉しいと思ったのが少し悔しい。

 「とりあえず、ケーキ食べちゃいな」

 母さんがそう言うと響也は遠慮しようとしたが僕が強引に一つ渡す。

 「ケーキでも食べながら感想戦をしよう。僕が二度と負けないために」

 僕がそう言うと響也は感心したような顔をする。

 それから僕達は自分の指した手の意図を話しながら反省していく。

 感想戦をすると、どっちの手も危なっかしくて未熟だということが分かる。

 46手目に響也の指した手だけは光輝いていた。

 これ以上の手はないと思った。だが突破できそうとも感じる。

 いろんな角度の攻めを考えるが、どれも通用しそうにない。

 どうにかして攻められないか考えるが思いつかない。何か手があるはずだ。

 「そろそろ時間だね」

 響也にそう言われて時計を見ると決勝トーナメントが始まる五分前になっていた。

 思ったより時間が経っていた。

 「楓真君は奨励会試験受けるよね?」

 「受けるよ」

 「そっか、それなら楓真君が奨励会に入ったら対局しよう」

 「うん、約束ね」

 響也は頷くと鞄を手に取り出口の方に行く。

 「帰るの?」

 「うん、もう見たいものは見れたからね」

 「じゃあ、また」

 「うん、また」

 僕は響也と別れた後、対局会場に戻る。予選を突破した人は28人。

 四回勝てば全国大会に出場。五回勝てば優勝だ。

 僕の一回戦の相手は五年生の男の子だった。

 振り駒を行うと僕が後手になる。

 相手は居飛車の矢倉で僕は居飛車党に分類される右四間飛車で対応する。

 だが頭の中は響也との対局で支配されていた。

 対局時計を押し忘れたり、盤面も凡ミスが目立つ。

 目の前の対局に集中出来ていない。

 「……負けました」

 矢倉が崩せずに攻めを失敗した僕は敗北する。

 集中すれば勝てる試合だったが響也との対局が尾を引いてしまった。

 響也の放った46手目に頭が支配されていた。

 「はぁ、やっちゃった」

 優勝を目指していたのに決勝トーナメントの一回戦で負けてしまった。

 今になってこの状況の情けなさを自覚する。

 後藤先生や和奏に結果を報告したくなかった。

 こんな価値の無い敗北をしたのは初めてだった。

 落ち込んだ気分のまま家に帰るとスマホを睨む。

 「すみません。負けちゃいました」

 僕は悩んだ結果、先に後藤先生に報告をする。

 すると既読がすぐに着いて電話がかかってくる。

 僕は判決を言い渡される直前の犯罪者の気分になった。

 「もしもし、天宮楓真です」

 「もしもし、どうだった初めての大会は?」

 「えっと、みんな本気で今までにない緊張感がありました。もっと上手く指せたと思います」

 「とりあえず引きずらないようにね。覚えているなら棋譜を書いとくこと、反省は予定通り明後日しよう」

 「はい、分かりました」

 「もう一度言うけど、あまり引きずらないようにね」

 後藤先生は特別落胆したような様子はなく、僕を気遣ってくれた。それが僕をさらに申し訳なくさせる。

 怒るか落胆された方がマシだった。

 「はぁ、次は和奏か」

 僕は後藤先生にラインを送った時以上の憂鬱とした気持ちになる。

 今すぐこの世界から消えてしまいたかった。

 「ごめん、負けちゃった」

 この短い文章を和奏に送るのに二十分はかかった。

 後藤先生とは異なり、既読はなかなか着かなかった。

 モヤモヤしたままお風呂と夕食を済ませると、和奏から返信が返ってくる。

 「負ける日もあるよ、奨励会試験までに切り替えていこう!」

 和奏から励ますメッセージが届き、申し訳ない気持ちが強くなる。

 「ごめん、優勝出来なくて」

 「気にしないの!これからでしょ!」

 和奏は即座にそう返信する。

 それを見てもう一度謝ろうと思ったがやめた。

 これでは僕が和奏に慰めの言葉を求めているみたいで気持ち悪かった。

 自己嫌悪に陥った僕は何も思考することが出来なくなった。

 ベットに寝転がって呆然と天井を眺めていると、スマホが通知を伝える音を出す。

 ナマケモノのようにゆっくりとした動きでスマホを見ると和奏からメッセージが来ていた。

 「明日の10時からって暇?」

 「うん、暇だよ」

 「じゃあ、迎えに行くから起きといて」

 「分かった」

 僕がそう返信すると、可愛いイラストのウサギがグッドをしているスタンプが送られてくる。

 和奏とのやり取りが終わると僕はいつの間にか眠っていた。

 深い深い眠りだった。まるで深い海にゆっくりと沈んでいくような感覚だった。

 冷たさは感じずに身体に纏わりつく水は衣のようで暖かい。

 このままどこまでも沈んでいけたらいいのに。

 そう思ったのも束の間、ドタドタと階段を上がる音が聞こえると部屋の扉が勢いよく開かれる。

 「楓真!起きなさい!」

 「……どうしたの?」

 怒ったような母さんの声に起こされ目を開けると着替えを渡される。

 「友達と遊ぶなら時間を守りなさい!」

 「そうだった!今何時!?」

 僕は慌てて飛び起きて時計を見ると十時を少し越していた。

 「やっばい!」

 僕は慌ててスマホを手に取ると、和奏からメッセージと電話が何件も来ていた。

 「スマホなんか見てないで支度!和奏ちゃん下で待ってるんだから」

 僕は和奏が痺れを切らしてインターホンを鳴らしたのだと理解した。そして家のリビングで待っているのだ。

 僕は急いで着替えを済ませて部屋を出るとリビングに向かう。そこには見慣れたリビングの椅子に和奏が座ってお菓子を頬張っていた。

 「ごめん、寝坊しちゃって」

 「このチョコパイに免じて許そう」

 和奏はそう言って持っていたチョコパイを食べ終えると椅子から立ち上がる。

 「お邪魔しました」

 僕が寝坊したせいなのに和奏は礼儀正しくそう言って頭を下げる。

 「今度は楓真を起こしとくからね」

 「お願いしますね」

 「今度は自分で起きるよ」

 僕は和奏と母さんにそう伝えて家を出る。

 そして和奏と二人きりになると二重の意味で申し訳なくて顔を見れない。

 「じゃあ、行くよ」

 「行くってどこに?」

 「私の家よ。午前中はお母さんもお父さんも家にいないの」

 和奏は家族と仲がよくないのか家族の話をしない。

 和奏の家に行ったことなんてあるわけもない。

 「ゴールデンウィークは課題曲しか弾いてなくて味変したいの」

 「課題曲?」

 「ピティナピアノコンペティションの地区予選が六月にあるの」

 神奈川県の地区予選は六月の頭から七月にかけて行われる。

 地区の本選が八月の頭に行われ、全国大会が八月二十日頃に行われる。

 「何級に出るの?」 

 「E級だよ」

 「E級ってことは高校一年生以下か」

 僕が当たり前のように年齢制限を言うと、和奏は嬉しそうな顔をする。

 「しっかり調べてるじゃん」

 「まあ、それなりに」

 「じゃあ、県予選と全国大会の演奏の違いは分かる?」

 「何か違うの?」

 「リサーチ不足ですよ楓真君」

 お馴染みの口調になった和奏はピティナピアノコンペティションの演奏のルールについて説明をする。

 「まず三月頃に課題曲が発表させれるの。例を挙げればバロック派のバッハだったり、クラシック(古典派)ならベートーヴェンやモーツァルト。ロマン派のショパン、近現代の曲ならドビュッシーとかね」

 どれも音楽室で和奏が弾いた曲の作曲者なので僕も分かった。

 「そしてその中から県予選で二つ、県の本選で二つ選んで演奏するの。全国大会は県大会で選んだ四つの曲を好きな順番で弾くの。だから四つともジャンルが被らないようにするのが一般的ね」

 「それは大変だね」

 音楽にはロマン派やバロック派と言った風に曲の区分がある。曲調も重要だとされていることも違う。

 例えばロマン派はバロック派と比較して感情を表現する側面が強く民主的なものだ。バロック派が活躍していたのは王族時代で派手で煌びやかな音楽になっている。

 この四つをどう表現するかが演奏者の腕の見せ所になる。

 「まあ、どれも好きな曲だからいいんだけどね」

 和奏がそう言ったタイミングで僕達は右折をする。するとお城のような家が現れる。

 他の建物とは一線を画す真っ白な壁面に、ゴッシク建築のような縦の線が美しく、尖った形の多い中でアーチ状の入り口は唯一感と高級感がある。

 和奏は当たり前のように庭に入るための黒色の門を開け、家の中に入れてくれる。

 家の中は天井が高く、絵や家具が全て高そうに見える。

 「ごちゃごちゃした家でしょ?昔の貴族の家みたいに不相応に着飾って、馬鹿みたい」

 和奏は吐き捨てるようにそう言うと一階の一番奥の部屋を開ける。

 そこには部屋の中央に立派なグランドピアノとその上部にはシャンデリアがある。他には革の椅子と本棚があるぐらいだった。

 窓は僕の身長の三倍は大きく花壇に咲いた美しい花が見える。

 「よし、早速聴いてもらうわ」

 和奏は僕を椅子に座らせると鍵盤を優しいタッチで弾き始める。

 まず一曲目はエドワード・エルガー作曲の「威風堂々」。

 卒業式の入退場の時に流される曲と言えば分かるだろう。

 だが和奏はその部分、曲全体で言えば中盤を省き序盤と終盤のポップな曲調の部分を弾く。

 跳ねるような感じかつ音が繋がって楽しく感じ、自然と元気になる。

 イメージはパーティーが始まる前に知り合いと話している感じだろうか。

 そして第二曲目はシューベルト作曲のピアノソナタ 第13番。

 この曲は第一楽章から第三楽章まで存在し、曲全体の長さは二十分より長い。

 そして第三楽章は他の楽章と比べて格段に難しい。

 過去に第三楽章は過去にピティナピアノコンペティションE級の課題曲にもなっている曲で、難易度は相当高い。

 ピアノの上手い高校生や中学生をふるいにかけれる難易度だ。

 第一楽章が始めると寄り添うような優しい和音が奏でられる。

 和奏が奏でる和音は過剰なまでに優しかった。追いかけるような曲調に変化する時も違和感なく繋げてみせた。

 優しさの中後に走り回るような音の軽快さが自然を駆け巡るような感覚にさせる。

 第一楽章が終わり第二楽章に入ると軽快さはなくなり、ゆっくりと寂しげな音楽が始まる。

 第二楽章は他と比べて短く、溜めの側面が強い。穏やかな曲調から軽快かつ跳ねるようなリズムになる第三楽章に繋ぐ役割ある。

 だが和奏は第二楽章を明るく弾こうとしている。あまり音を伸ばさず切って、軽快さを無理矢理生んでいる。

 これは曲の意図を汲んでいない行為だ。でも和奏の意図は痛いほど伝わってくる。

 和奏は僕を励まそうとしているのだ。その健気な想いに目頭が熱くなる。

 そして第三楽章に入ると、曲調が一気に切り替わり、高い音と跳ねるリズムが始まり、転がり落ちるような序盤から始まり、まるで追いかけっこをしているような静と動が楽しさと軽快さが全面に押しだす。

 曲の終盤に差し掛かり、少しだけゆっくりな曲調になるとそこから一番の盛り上がりを見せる。

 楽しく軽快な曲と和奏の想いが僕を突き刺し、僕の心に寄り添うように幕が降りる。

 「どうだった?って、何で泣いてるの!?」

 僕はいつの間にか涙を流していた。家族以外にこんなに健気な優しさを与えられたことがなかった。

 演奏を終えた和奏が慌てながら駆け寄り、僕の背中を優しくさすると涙はさらに溢れてくる。

 正直言ってこの涙に将棋はあまり関係ない。

 僕はこんなにも優しいプレゼントを貰ったことがなかった。




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