29.奨励会員としてのプライド
「…………」
「ありがとうございました」
美鈴からの言葉がなかったので、僕が口を開く。
僕は86手目で美鈴との対局に勝利し、頭を下げる。
対局時間は一時間ほどだ。
居飛車対面の展開となり、特に危なげなく勝利した。
途中の失着で差が開いた一局だった。
美鈴が特別弱いとは思わない。
ただ勝利に対する貪欲さを感じない。
少なくとも命を賭けているとは思わなかった。
「ねえ美鈴、悔しい?」
「悔しいに決まってるでしょ!それとも何、私が女だからって真剣にやってないって言いたいの!?」
「言わないけど、本気だとは思わない」
俺はそう言うと対局時計をリセットして見せる。
「だからもう一局指そうか」
俺がそう言うと美鈴は不満そうな顔をする。
お情けはいらない、だとか思っているのだろうか?
甘いな。
「勘違いしないでよ、こんなつまらない対局だけして帰るのは僕が嫌だからなんだ」
僕はそう言って声を低くする。
「想像してみなよ、奨励会試験の一次試験で同じ受験生を蹴落とし、そして二時試験で対局する相手が僕。絶対に負けられない対局でしょ?」
僕が今まで重圧に殺されそうになった対局は何局かある。
まずは師匠との最初の対局。
あれは弟子になれるか決まる重要なものだったし、プロ相手というのもあって緊張しっぱなしだった。
だけど僕の中で一番プレッシャーがかかった対局は奨励会二次試験だ。
ここで落ちれば一年の停滞が確定し、康誠に置いていかれ、和奏との約束を破ってしまう。
それに学年の近い相手に殺気を向けられる恐怖。
試験特有のものだ。
「二次試験は例会の一部にみなされる。奨励会員にとっても負けられないのは分かるよね?」
受験者に負けるわけにはいかないという思いと、例会として適応される一勝の重さがあった。
生半可な気持ちでは立ち向かうことすら出来ないプレッシャー。
僕との対局なんて練習試合のようなものだと思っているなら、改めてもらう。
「さて、己の全てを懸けて指そうか」
俺はそう言って対局時計を押して対局を開始する。
ここまで言って伝わらないならしょうがない。
勝敗は関係ない、どうせ僕が勝つ。
僕だって奨励会試験前まで真剣勝負というものを知らなかった。
それでも生半可な気持ちで竜王を目指していない!
僕は心の中でそう叫ぶと集中し、相手を殺す気持ちを入れる。
あぁ、奨励会二次試験の対局相手もこんな気持ちだったんだ。
こんな甘い奴に死んでも負けたくない。
僕は自然と指先に力が入り、駒を指す時の音が大きくなる。
角道を開けた後、美鈴は四筋を開ける。
一局目とは異なる展開に、思考を止める。
振り飛車の方が得意なのか?
僕はそう思って顔を上げると、違うことが分かる。
美鈴の表情は強張り、瞳孔が動き、落ち着きがない。
怖がっている。僕は直感的にそう理解する。
美鈴の思考を読むとしたら、さっき負けた居飛車じゃ、また負ける。だろうか?
痛々しい姿に頭が冷静になってしまう。
だが、すぐ表情を引き締めて、心を対局に戻す。
ここで負けたら本末転倒だ。
美鈴はオーソドックスな四間飛車で、僕は居飛車で迎え撃つ。
四間飛車と居飛車は同じ方向で攻め合い、囲いの位置が同じになる。
簡単に銀が飛車の道に睨みを効かせるので、急戦模様になることが多く、一気に戦況が変わる大味な対局も多い。
暴れが有効になる場面も多く、完璧に読まないと事故ることが多い。
手番は進み、筋は違えど飛車を向かい合わせて戦う。
銀を相手に合わせて動かし、自分が有利になるように盤面を動かす。
盤面は終始僕が有利に動いていく。
それは美鈴からキレが失われたからだ。
思考時間は長いが、手に迷いがある。
自信を持って指していないから方向性が定まらず、宙ぶらりんな戦局となる。
対局時間は一時間半、82手で僕の勝利となった。




