21.
「和奏ちゃんには報告したの?」
「あ、まだだ」
僕はフワフワとした浮遊感を抱えたままスマホを操作する。
「一局目勝ったよ。あとは面接だけど形式的なものだから大丈夫だと思う」
正直何を打っていたいたか覚えてないが、履歴を見るとそう送っていた。
「帰省することも伝えておくのよ」
「うん、わかっ――」
母さんの方を見た一瞬の間にスマホの画面が変わって、通話の画面になる。
「ちょっと話してくる」
僕は母さんに断りを入れてから店の外で通話に出る。
「おめでとう楓真!」
通話に出た途端、和奏からの溢れんばかりの賞賛を受ける。
スマホを耳に近づけていたのでキーンとする。
「ありがとう和奏。おかげさまで勝てたよ」
「私は何もしてないわ。楓真の実力よ」
和奏はそう言うと何度も「おめでとう」と言ってくれる。
この言葉のおかげで僕の中に奨励会に受かった実感が湧く。
「よし、私も楓真に続かないとね」
「あ、そっかピティナもすぐか」
「私は二十日の方だから三日後ね」
「思ったより近いね。大丈夫そう?」
「うーん、どうだろう?中学生と高校生がどのくらい上手なのかわからないし、勝てるとは断言できないわね」
「そ、そう」
和奏のことだから「絶対に勝つ」ぐらい言うと思った。
「そんな不安な声をしないでちょうだい、今までで一番調子がいいんだから。楓真は私の演奏は負けると思う?」
「いや、負けないと思う」
「ふふ、それなら安心ね」
僕は他の人の演奏を聞いたことがあるわけではないが、和奏以上の演奏ができる人はほとんどいないと思っている。
「あ、そうだ明日から鹿児島に行くことになってたらしいんだ」
「そっか、おじいさんに報告しないとだもんね」
「うん、強くなったって報告してくるよ」
「それじゃあ今度は私が缶詰する番だね」
「頑張ってね和奏」
僕が和奏にエールを送ると、会話が止まる。
というより和奏からの返答がない。
「……和奏?」
「あ、ごめん、えっと……もう一回言ってくれない?」
どこか恥ずかしそうに和奏はそう言う。
珍しい姿に困惑しつつも口を開く。
「頑張って和奏」
「えへへ、うん頑張る」
予想外に可愛い反応をされて僕は頬が赤くなる。
恥ずかしい言葉を口にした気分になる。
「応援されたのって久しぶりだわ」
和奏から不意に出た闇に僕は悲しくなる。
「本当に頑張って和奏!」
「ふふ、ありがとう楓真。期待しててちょうだい」
それから軽く話した後、通話を終える。
和奏と話していた時は不安を忘れられたが、冷静になると汗が出る。
正直言って面接で何を話したのかは覚えていない。
当たり障りのない内容だったであろうことはわかる。
僕は無事に奨励会に合格し、家に着く。
それなのに達成感も喜びもなかった。
ただただ不安なまま時間がすぎ、飛行機に乗って鹿児島に着く。
じいちゃんの家は山の方にあり、空港から車で一時間以上かかる。
車に揺られて連れてこられたのは見慣れた日本家屋ではなく、真っ白な病院だった。
嫌な予感で察していたとはいえ、現実を受け止めきれないでいる。
他に足がつかず、フラフラとした浮遊感だけがある。
連れてこられたのは病棟の五階で、503号室に入ると病服を着たじいちゃんがいた。
窓の外をぼうっと眺める姿はどこか儚げで、怖いとも言われる顔は弱っていて、そこには記憶の中にある元気なじいちゃんはいなかった。
あぁ、本当にまずい状況なんだと察するには十分だった。
「じいちゃん!大丈夫だよね!」
居ても立っても居られなかった僕は勢いよく駆け寄って叫ぶ。
ここが病院かどうかなんてどうでもよかった。
「……あぁ、楓真。おかえり、そしておめでとう」
じいちゃんはゆっくりと振り向き、僕をゆっくり認識するとそう口にする。
本当に嬉しい言葉だが、今の僕には届かなかった。
「じいちゃん聞いてよ、僕いろんなことがあってさ、それにこれからだって……」
「そうか、それはよかった……」
じいちゃんは嬉しそうにそう口にする。
それは安心した顔で、「思い残すことはない」と言わんばかりの顔。
僕はそれを見て、助からないんだなと察してしまった。
「なんで、なんで!」
僕は怒りをぶつけるように、「なんで」と繰り返していた。
なんでの先は言いたいことが多くて出てこなかった。
なんで早く教えてくれなかったんだ!
なんでじいちゃんがこんな目に!
いろんな言葉が頭を駆け巡った。
「ごめんな、楓真」
「!」
じいちゃんから出た謝罪の言葉に僕は泣き出していた。
助からないという予感が現実になったからだ。
どれだけ泣いたかわからない、止まる気配もなかった。
それでも涙を止める理由が与えられた。
「楓真、最後に一局指そうか」
僕はその言葉に勢いよく顔を上げ、じいちゃんを睨んだ。
「最後なんて言わないで!」そう言うつもりだった。
だがその言葉は封じられた。
目の前に映るじいちゃんは、今まで見たことがないほど活力に溢れ、熟練と殺気を纏っていたのだ。
それも昨日経験したもを遥かに上回るほどに。
じいちゃんが全てを懸けていることが直感的に伝わってくる。
「わかった。今の僕の全てを懸けるよ」
僕はそう言うと、じいちゃんは楽しそうに笑う。
対局時計なんていらない。
悠久で刹那的な対局が幕を開けた。




