第二十三話(1)
皇太子から贈られたドレスを着て、お茶会に参加すると聞かされた時、僕は驚きのあまり何も言えなかった。
真っ先に立ち上がり、駄目だと叫んだノアが、羨ましかった。
悪夢のように、僕の瞼の裏に焼きつてしまった、公女のあの表情。
瞬きをしたら、こぼれ落ちてしまうほどの涙を必死に瞳に留め、皇太子を睨みつける、あの表情が忘れられない。
あんな顔をさせる男からの贈り物を、身につけるなんて。
あんな…。
公女の乱れた口紅が頭をよぎり、僕は無意識に拳を握りしめる。
僕の両端に並んでいる、どこかの令嬢の護衛騎士達が、震えながら間合いを取る。
…いや。
僕に腹を立てる資格はないのかもしれない。
なせなら、ドレスアップした公女を目の前にした時、純粋に、美しいと思ってしまったのだから。
公女は僕を見つけると、パッと目を見開き、満面の笑みで駆け寄ってきてくれた。
ふわりと下ろした長い髪が揺れ、公女のたまらない香りに包まれた瞬間、胸の奥が締め付けられた。
「カーライル卿、どうですか?」
「と…」
「と?」
「とてもお似合いです」
あまりにも美しい公女に見惚れていたため、突然の質問に、思わず本音が溢れてしまった。
お似合いですだと?
皇太子が選んだドレスが、似合ってたまるか。
「馬車の準備をしてまいります」
僕は、自分自身への嫌悪に耐えられなくなり、その場を離れた。
いや、これはただの嫉妬だ。
僕だって、本当はあなたに、僕の色を身に着けてもらいたんだ。
「きゃー」
茶会の会場から、何やらご令嬢方の楽しげな声が聞こえてきた。
公女が会場入りしたときは、あんなに静まり返っていたのに。
何があったのかは分からないが、ご令嬢の何人かは席を立ち、上座のテーブルに集まっている。
その中心には、弾ける笑顔の公女がいる。
会話は聞こえないが、令嬢方の隙間から見える公女は、とても楽しそうだ。
本当に、どんな人でも惹きつけてしまうお方だ。
僕はいつものように、公女と領地に行ったあの日の出来事を、一から思い出すことにした。
「はぁ、素敵ですわ」
「見て、この訓練中のお姿」
「本当に、頂いてしまってよろしいのですか?公女様」
目を輝かせた、可愛らしい少女達に囲まれ、私はニッコリと笑顔で答える。
「もちろんですわ」
その返答を待っていた少女達は、一斉に沸き立った。
「宝物に致しますっ!」
「どこに飾ろうかしら」
「この大きさなら、持ち運ぶことも出来ますわね」
令嬢たちは、テーブルに並べられたカーライル卿の姿絵を手に取り、幸せそうに胸に押し当てる。
そう。
これが、マリアやイザベラと考えた、令嬢達のハートを掴む秘策。
その名も、貴公子ブロマイド作戦だ!
貴族の令嬢たちの一番の関心事といえば、恋愛。
しかし、彼女達は政略結婚をする事が生まれながらに決まっている。
自分たちの運命を受け入れている貴族令嬢たちは、リアルな恋愛を求めているわけではない。
彼女達が求めているのは、ずばり、アイドル的なイケメン貴公子!
「こちらもご覧になって」
私は、テーブル上に、更に数枚の姿絵を並べる。
「きゃー」
「ウェールズ卿ですわ」
「なんて麗しいの」
カーライル卿、ノア、素敵な顔面でいてくれてありがとう。
楽しそうな令嬢たちの姿を眺めていると、何だかこっちまで嬉しくて、あたたかい気持ちになった。
看守のお姉様と仲良くなれたきっかけも、私が何かのおまけでもらって、何となくカバンにつけていたキーホルダーだった。
そんな些細なことから、絆が生まれることもある。
緊張して、なかなか供述をしてくれない被害者のために、その子が好きなアイドルのことを勉強したこともあったっけ。
あの時の彼女の笑顔と、ここにいる令嬢たちの笑顔が重なる。
好きなものを好きだと言うのは、誰だって恐い。
でも、勇気を出して自分を解放すれば、心はもっと満たされる。
「あの…公女様…」
栗団子が、おずおずと私に声を掛ける。
「わたくしも…その…。一枚頂いてもよろしいですか?」
ほほぉ。
栗団子は、ノア推しなのね。
「もちろんです。よろしければ、こちらを…」
私は、とっておきの一枚をこっそり差し出した。
書斎で本を読みながら、気怠そうにネクタイを緩めているノア。
「っっっっっっ!!」
栗団子は、扇子の裏で歓喜の声を上げた。
イザベラは、ノアの絵が特に上手いんだよね。
そんな私たちのやりとりを、縦ロールが怪訝そうに見つめる。
「何を楽しそうに過ごしているの。私は、この女に婚約者を奪われたのよ。この女のせいで、私は…」
うわ言のように、ブツブツと呟いているその目は、完全に座っている。
アネモネ・ルネ・エーレッヒ伯爵令嬢。
この子だったのね、エイヴィルが婚約を破棄させたのは…。
アネモネという可愛らしい名前と、ガチガチの縦ロールが一致しなくて、全然気付かなかった。
マリアに見せてもらった、スキャンダルの記事を思い出す。
この件に関しては、どう考えてもエイヴィルが悪いよね。
公共の場で、それも、婚約者の目の前で、相手の男性にキスをするなんて、非常識すぎる。
…。
その手を使ってピンチを乗り越えた私は、もっと非常識なんだけど。
もしかしてエイヴィルにも、悪女を演じる以外に、何か理由があったのだろうか。
「それで、公女様は、どの殿方をお慕いされているのですか?」
「へ?」
いつの間にか、目をキラキラさせた少女達に詰め寄られていた。
「お、お慕い…」
この世界で言う“慕う”とは、異性として好きだという意味だ。
エイヴィルが好きだった人…。
エイヴィルの『大切な巣』。
それがまだ、分からない。
「皆さんご存じだとは思いますが、私は先日の事件の後遺症で、記憶を失ってしまったのです」
少女達は、真剣な表情に変わったかと思いきや、一瞬にして目の輝きを取り戻した。
興味津々なのがバレバレで、とても愛らしい。
「そのお話し、本当でしたのね」
「私は、今の公女様の方が好きですわ、話しやすくて。いえ、決して以前の公女様を非難しているわけでは御座いませんよの」
「もしかして、皇太子殿下のことも、忘れてしまったのですか?」
「でも、先日の舞踏会でのことは?」
「あ…」
楽しそうに話していた少女達は、バツが悪そうに顔を見合わせる。
私の不敬な態度に対して、何ら処罰が下らなかったので予想はしていたが、箝口令が敷かれているのね。
「気を使わせてしまったようですね。皇太子殿下のことも、覚えていないのです。先の舞踏会の日、殿下が私の身体を気遣って、バルコニーにエスコートしてくださったのですが…」
前のめりの少女達が、固唾をのんで続きを待つ。
「わたくし、舞い上がってしまって…。お酒を浴びるように飲んでしまったの」
「え!」
「まぁ」
驚く令嬢たちは、どことなく嬉しそうだ。
「あんな美しい方を、初めて見たので。お酒に酔っていたとはいえ、とんでもない不敬な行動であったことは、自覚しています」
「そういうことでしたのね」
「レミラン帝国のワインは、強いものが多いですからね」
会場全体が、拍手でも沸き上がりそうな、歓喜の色に包まれた。
国民的アイドルのスキャンダルを、当事者が否定しているのだから当然だろう。
清々しいまでの手のひら返しは、どの世界にも存在するようだ。
「私は皇太子殿下と、そもそも親しい間柄だったのでしょうか。あんなに素敵な殿方を、思い出せないだなんて…」
私は、わざとらしくおでこに手を添え、ため息をついてみせた。
そんな私を心配そうに見つめる少女達。
ふと、栗団子が口を開く。
「公女様のデビュタントの日にお見かけしましたが、お二人は心が通じ合っているような印象を受けましたわ」
心が通じ合う?
それは一体どういう意味ですか?
先入観は抜きにして、あなたが見たことだけを教えてください。
どれくらいの視認度で、二人のどの様な言動を目撃し、心が通じ合っているという印象を受けるに至ったのですか?
愛し合っているではなく、心が通じ合うという表現を用いた理由は何ですか?
脳内に溢れ出る質問の数々を押し殺して、私はギリギリ笑顔を保った。
落ち着いて、水野。
ここは取調室ではないのだから。
私は心の中で深呼吸をしてから、なんともないように口を開いた。
「私と、皇太子殿下がですか?」
「はい。あの日、皇太子殿下は会場に着くと真っ先に公女様の元へ歩み寄り、膝を突かれました」
「本当に素敵でしたよね。そういえばその時、公女様は少しも驚かれていませんでしたわね。まるで、皇太子殿下がご自身の元へ来られるのを、分かっていたかのように」
確かに、突然皇太子が目の前に現れて膝をついたのに、驚かないなんて不自然だ。
エイヴィルは、皇太子とデビュタントで会う約束を、事前にしていた?
でも、エイヴィルが皇太子と会っていたなんていう情報は、どんなに探しても出てこなかった。
「それに、二曲目のワルツも踊られましたし」
「え?」
二曲目?
エイヴィルと皇太子が最初のワルツを踊ったことは、新聞でも大きく取り上げられた。
爵位を考えると自然だが、二曲目も踊ったとなると、話が変わってくる。
貴族の舞踏会では、通常一人に対して一曲しか踊らないのがマナーだ。
二曲目を共にできるのは、婚約者か夫婦くらいだとマリアに聞いた。
「踊られている間も、お二人はずっと見つめ合っていらしたわ。言葉も交わさず」
「とても素敵でしたよね。二年前のことなのに、鮮明に覚えていますわ」
少女達は、うっとりと頬を赤らめる。
「実はわたくし、その後お二人がバルコニーへ出られるのを見ましたの」
「え?そうでしたの?」
「皇太子殿下は、舞踏会の閉幕にはいらっしゃらなかったわ」
「顔を出されただけで、公務に戻られたのかと思っていました…」
「…」
「…」
「きゃー!!」
少女達は、頬に手を当てながら、楽しそうに叫んだ。
「やめなさい、あなた達。ご本人を目の前にはしたない」
栗団子が恋バナ集団を嗜めると、視線が私に集まった。
「申し訳ありませんでした、公女様」
「お詫び申し上げます」
「どうぞお気になさらないで。私は何も覚えておりませんので、むしろ当時の様子を教えていただけて助かりました」
「痛み入ります」
栗団子も頭を下げる。
「ただ、一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「はい、なんでしょうか」
栗団子が、小さな声で囁く。
「記憶を失われたことは抜きにして、今の公女様は、どなたをお慕いされているのてすか?」
「え?」
今の、私って…
その時、会場にコールがかかった。
「帝国の青き月、ルシアス・チェー・レミラン皇妃殿下のご入場です」
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
「評価」や「いいね」で感想を聞かせて頂けると嬉しいです。
評価やレビューをいただけると、飛び上がるほど喜びます!