第二十二話(2)
何もなかった中庭が、嘘のようだ。
会場を囲むように、大きな鉢植えが等間隔に並んでいる。
その木々のどれもが、左右対称に美しく剪定されていて、愛らしくも気品あふれるガーランドで飾り付けられている。
たくさんの花々で彩られた会場には、五人掛けの丸いテーブルが十脚ほど設置されている。
各テーブルには、三段になったアフタヌーンティーセットが置かれ、色とりどりのスイーツがこれでもかと並べられている。
なんて素敵なんだろう。
女子の憧れを詰め込んだ、ガーデンウエディングの会場のようだ。
私に向く、蔑むような視線さえなければ、完璧だったのに。
私が会場に近づくと、談笑していた令嬢たちが一気に沈黙した。
私は小さく息を吐き、カーライル卿へ笑顔を向けた。
「カーライル卿。行ってまいります」
「はい」
カーライル卿が、優しく微笑み返してくれた。
私を守るためだと分かった。
(レミラン帝国の宝であるカーライル卿を、護衛騎士として同行するだけでも、かなりの牽制になります)
マリアのアドバイスを思い出す。
会場の外にずらりと並んだ、各令嬢の護衛騎士達はこぞってイケメンだ。
こういう意味だったのね。
彼女達は、連れて来る騎士でさえも、アクセサリーの一つだと考えているのだろう。
だとしたら、私の騎士は格が違うんだから。
私は背筋を伸ばして、会場に足を踏み入れる。
(嘘!本物のカーライル卿よ)
(素敵だわ)
(先ほどの、ご覧になりまして?公女様と親しいのかしら)
(本当に黒い髪だわ。不吉ね)
(舞踏会であんなことをしておいて、なぜ招待されたのかしら。図々しい)
(ちょっと、舞踏会でのことは、箝口令が敷かれているのを忘れたの?)
(公爵邸の悪女…ねぇ。姿を見るだけで不快な思いをする御令嬢が、一体何人いることか)
(自分がしてきたこと、自覚なさっているのかしら?)
令嬢たちは扇子で口を隠し、淑女の微笑みを崩すことなく、私にだけ聞こえるように陰口を叩く。
会場の外に並ぶ騎士たちには、決して醜い言葉が届かないように。
私は背筋を伸ばし、言葉のトゲが突き刺さる中、茨の道を奥まで進んでいく。
舞踏会同様、爵位の低い者から入場するため、私が一番最後の招待客だ。
王妃の姿はまだない。
上座に用意された、新郎新婦の席のような豪華なテーブルが、皇妃の座席なのだろう。
主催者なのに、招待客が揃ってから会場入りするのね。
私はあることに気が付き、立ち止まる。
(公女様、実質的にお茶会を切り盛りしているのは、皇妃殿下に仕える三名の侍女たちです。彼女達の上等手段は把握しています。まずは…)
本当に、あなたの予想どおりね、マリア。
見事に私の座席がないわ。
プッと、誰かが吹き出す音が響くと、クスクスと気分の悪い笑い声が波紋のように広がって行った。
ニヤリと歯を見せ、すぐに隣のご令嬢に耳打ちをする。
当たり前のように向けられる敵意に対し、本能的に湧き上がる怒りの感情で目眩がしてくる。
相手を下げれば、自分の価値が上がったかのような錯覚に酔えるんだろう。
そんなちっぽけな高揚感を味わうために、多感な少女達は、何の罪の意識もなく、弱い者に言葉の刃を向ける。
どこの世界にも、この空気は存在するのね。
じわじわと酸素が奪われ、息ができなくなるような、この空気が。
怒りの感情は、自分を守るために本能的に湧き上がる、心の盾だ。
誰かに言葉の刃を向けられれば、自然と防衛本能が働く。
でもそれは、長くは保たない。
なぜなら、「こちら側」には一緒に盾を支えてくれる仲間がいないから。
集団から敵意を向けられ続け、否定され続けていくうちに、自然と抵抗する気力がなくなっていく。
自分自身ですらも「あちら側」に同調し、自分を否定し、責めるようになる。
みんなが言うとおり、私が悪いんじゃないか⋯と。
エイヴィル、苦しかったね。
たった一人で戦っていたのね。
あなたは一体何を支えに、この苦しみに耐えていたの?
私は、さらりと髪をなびかせ、一歩踏み出した。
そして、表情を変えることなく皇妃の席まで進み、腰を下ろした。
何のためらいもなく。
その瞬間、ピタリと笑い声が止み、かわりに背筋がゾワリとするような恐怖に会場が包まれた。
なるほどね。
一番この席に近いテーブルに座っているあの子達が、皇妃の取り巻きね。
見事な金髪縦ロールの子(どうやって巻いたんだろう)と、栗色のお団子ヘアの子。
二人とも、他の令嬢達とは比べ物にならないほど顔が青ざめ、口があんぐりと開いている。
分かりやすいリアクションに、思わず笑ってしまいそうだったけど、ぐっと堪えた。
そうだよね、困るでしょう。
この後皇妃が会場入りするのに、私がここに座っていると。
皇妃に恥をかかせて怒られるのは、一体誰だろうね。
ガタン
縦ロールが勢いよく立ち上がると、栗団子もそれに続いて立ち上がった。
「エイヴィル・デ・マレ公爵令嬢。秋空の茶会に参加されるのが初めてでいらっしゃるので、ご存じないかと思いますが、そこは皇妃殿下の席にございます」
「なんて無礼なんでしょう」
二人とも明らかに焦っていて、ひねりの効いた社交界的嫌味も精彩を欠いているようだ。
「無礼ですって?」
私が低いトーンで凄んでみせると、ピクリと二人の身体が強張った。
エイヴィルの愛らしい顔立ちからは、「公爵邸の悪女」と呼ばれるほどの悪役ぶりは、想像すらできなかった。
それに、エイヴィルに関する記事に書かれている様な言動は、例の警告を受けた直後から始まったことが分かった。
つまり、警告を受けた後、何らかの意図があって、わざと悪女と噂されるような立ち振舞をしていたということ。
ただ、この会場に来た瞬間察した。
エイヴィルの悪女的振る舞いは、あくまで「奇行」止まりであり、社交界で生きている令嬢たちにとっては、嘲笑うレベルのものだったのだと。
エイヴィルの意図が何だったのかは、まだ分からない。
けれど、それがエイヴィルの望みだったのなら、私に任せて。
私の悪女のお手本は、凄いんだから。
「わたくし、末席からたどって歩いてきたんですの」
ふうっと息を吐き、首を傾げながら、黒く艷やかな髪をゆっくりとかき上げる。
「それで、空いていた座っただけですわ」
私は気怠そうに顎を上げ、上から目を見開く。
「ここが王妃殿下の席だと仰るのでしたら、本当に無礼なのは、公爵令嬢であるわたくしの席に座っているご令嬢ではありませんこと?」
会場が、沈黙に包まれる。
ただの沈黙ではない。
極度の緊張感がもたらす沈黙だ。
「ところであなた方、お名前は?」
「えっ」
青白い顔の二人の唇が震え、小さく声が漏れた。
「あいにく記憶を失っておりまして…。お名前と、家名、教えて頂けますか?わたくしに挨拶もなく、突然無礼だと仰るご令嬢のお名前は、記憶して帰る必要がありますの」
私は、ニッコリと微笑んでみせた。
男性社会である警察組織において、唯一の女の園。
それが、女性留置施設だ。
収容されている被疑者は女性のみなので、当然勤務員も全員女性という特異な部所。
閉鎖的な空間に女性を集めるとどうなるか、容易に想像ができるだろう。
ヘロヘロで業務を引き継いだ当直明け、書類の記載ミスならまだしも、休憩室に落ちた髪の毛、流しに残った水滴など、ありとあらゆる些細なミスを見つけられては、お姉様方に呼び出された。
無視や悪口が常態化し、被疑者にまで哀れんだ目で見られるありさま。
私のワイシャツの柔軟材の匂いが不愉快だと皆に鼻をつままれ、休憩室で泣きながら水で手洗いしこともあったっけ。
そんな留置施設で二年間勤務し、最終的にお姉様たちを懐柔した私を、舐めるんじゃないよ小娘たち。
二人の令嬢は、震えながらドレスを広げた。
「マレ公爵令嬢に、ご挨拶申し上げます」
「顔を上げなさい」
「た、大変失礼いたしました。その…手違いで、席が一つ足りていなかったようで…」
栗団子が頭を下げた。
縦ロールは、ダラダラと汗を描きながら、その様子を見ている。
パンッ
私が手を叩くと、会場中の淑女たちの肩が跳ねた。
「まぁ、そうでしたの」
私はあえて大きな声を出した。
「手違いということであれば、仕方ありませんね。誰にでも間違いはありますもの」
満面の笑みを向けると、目の前で青ざめる二人の少女達は、ぎこちなく口角を上げた。
私は立ち上がり、二人にだけ聞こえるトーンで静かに告げた。
「でしたら、お二人の席の間にわたくしの席を設けてくださるかしら。ちょうどお聞きしたいことがありましたの」




