第二十一話(2)
「はぁはぁ。公女様、鳥が戻りました」
「!」
エミリーの一言で、足首の痛みが一瞬で消えてしまった。
警察官にとって、「事件の情報」は麻薬のようなものだ。
どんなに疲れていても、大切な予定があっても、ネタが目の前にあれば、盲目的に追いかけてしまう。
私は、夕日で赤く染まるエミリーの背中を追いながら、事件が大きく動く予感に、胸を高鳴らせていた。
「あの、公女様。会議に参加するのは、その、本当に私達だけでよろしいのでしょうか?騎士の方など、もっとお呼びしたほうが…」
イザベラが、恐る恐る口を開いた。
「ううん。カーライル卿、ノア、マリア、そしてイザベラ。私は、あなた達四人以外の人と、捜査情報を共有するつもりはありません」
「…」
「この二ヶ月間、考えて決めたの」
私がニッコリと笑うと、イザベラは目を潤ませた。
「信頼の証に、二ヶ月前ベアトリーチェ皇女殿下から受け取った手紙を、皆に見てほしいの」
「手紙…。エミリーの、あの黒い鳥ですわね」
マリアが、目を丸くした。
「そう。マリアはあの時一緒にいたから知っていると思うけど、記憶を失う前の私は、エミリーのカラスを使って、秘密技に皇女殿下と手紙のやりとりをしていたことが分かったの」
「カラス?」
ノアが眉間にシワを寄せた。
「あ、ごめん。その鳥の名前…私が勝手に呼んでるだけ」
「ふーん」
ノアの、何でもお見通しな視線が突き刺さる。
「とにかく、それがこれよ」
私は、神社のおみくじのように小さく折りたたまれた紙を取り出し、ゆっくりと広げた。
小さく薄い、まるであぶらとり紙のような紙には、とても細かな文字でこう記されていた。
親愛なる
あなたの質問に可能な限り答えます。あなたは以前、「デビュタントの後に、皇室から警告を受けた」と話していました。具体的なことは分かりませんが、あなたはとても怯えていました。
それともう一つ。二ヶ月後に開かれる、「秋空の茶会」に、皇后様があなたを招待するそうです。お願いだから、無茶をしないで。
愛を込めて
ゴクリと、誰かの喉が鳴る音がした。
「皇室からの…警告、ですか」
ノアが真剣な眼差しで手紙を見つめる。
再び、沈黙が重くのしかかる。
「この二ヶ月間、私がみんなに色々と依頼をしていた理由がこの手紙です。それぞれ報告をお願いします」
「はい」
カーライル卿が一番に返答した。
「公女様のデビュタント前後の、皇室内での人事異動者や退職者のリストです。中でも異例だったのが、皇太子殿下の前補佐官が、公女様のデビュタントの一週間後に退職しています」
「退職金は?」
「はい。自己都合の退職にも関わらず、満額どころか倍の額が支給されています」
「こんなに」
私は、カーライル卿が提出した、皇室での収支記録を手に取った。
事件の背景を調べるには、人と金の動きを捜査するのが基本だ。
皇室に違和感なく立ち入れるカーライル卿に捜査を依頼をしたが、上手く調べ上げてくれた。
ふと、見慣れた家名が目にとまった。
かなりの額が減給になっている。
私の視線の動きを読んだのか、カーライル卿が淡々と口を開いた。
「私の父です。前補佐官が退職された頃、第一近衛騎士団長である父は減給され、そして…」
カーライル卿は、まっすぐに私を見据えて言葉を続けた。
「息子である、私の出陣が命ぜられました」
出会った当初のような、何の感情も感じられない緑色の瞳。
「…」
心の中で抱いていた疑問を見透かされたような、そんな居心地の悪さに頬が引きつる。
デビュタントの後という時期を聞いた時、初めに頭に浮かんだのが、第三近衛騎士団の出陣だった。
そのことだけで、カーライル卿と今回の事件を結びつけることは些か強引だったが、実父が同じタイミングで減給されていることを考えると…。
「カーライル卿、お父様から話を聞くことは出来ますか?」
「…」
「カーライル卿?」
「…父とは、アカデミーの入学の挨拶をした日から、一言も言葉を交わしておりません」
「え!戦争に行って、帰ってきたのに、その時にも話していないんですか?」
私が驚きのあまり声を上げると、ノアが口を挟んだ。
「皇室に詰める第一近衛騎士団長と、言葉を交わせる者などほとんどいません」
「でも、カーライル卿だって、第三近衛騎士団長ですし、団長同士連携は必要でしょう。それに、実の息子ですよ!実家に帰ったときとか…そもそも、命がけで戦争から戻ってきたのに、ねぎらいの言葉もないなんて…」
話せば話すほど、カーライル卿の顔が見れなくなっていく。
いたたまれなくなって、ノアが代わりに返答する。
「カーライル家は、当主が代々第一近衛騎士団長を務める名門であることはご存じのはず。ジェレミーのお父上なんて、皇帝陛下の側近中の側近。自宅になど当然帰れません。皇帝陛下に謁見すれば、お姿くらいは見れるかもしれませんが、個人的な話をするなど…。あ…」
ノアが、何かを思い出したように言葉を詰まらせた。
「ノア、どうしたの」
「いや、方法はなくはないのですが、現実的ではないというか…」
カーライル卿が口を開く。
「公女様。何とか父から話が聞けるようにしてみます。私に、お任せ頂けないでしょうか」
カーライル卿は、何かを決意したように私をまっすぐ見つめた。
「分かりました。お願いします、カーライル卿」
「はい」
「イザベラは、皇太子殿下の前補佐官について調べてもらえる?所在捜査の基本的な方法については後で教えるから」
「はい、やってみます」
意外にも、イザベラは二つ返事で了承してくれた。
その瞳には、必ず見つけてみせるという自信のようなものすら感じられた。
「それじゃあ、次は私です」
ノアがティーセットを慎重に除けて、大量の古新聞をテーブルに乗せた。
「帝国内にある、すべての新聞を確認しました」
二年前の記事を集めるだけでも大変だっただろうに、帝国内すべての新聞だなんて。
「凄い量…」
「ジェームス・フランクリン氏と、アルフォンス・リノ氏が協力してくれました。領地に警ら隊を置く際、特ダネをたくさんプレゼントしておきましたからね」
「さすがノア」
記者との関係も良好のようだ。
「まずは、公女のデビュタント翌朝の記事ですが…」
「ノア」
カーライル卿が、つかさず「主人」への不敬を指摘してくれる。
ノアはしまったという顔をした後、私の方を向いた。
「大変失礼いたしました、公女『様』」
「いえ。続けてください」
ノアにとって、目の前にいる人物は、エイヴィルではなく、水野ひかりなんだろう。
そう思うと何だか嬉しくて、一方で、嬉しく思ってしまう自分への嫌悪で、胸が締め付けられる。
「公女様のデビュタントでの様子は、大きく取り上げられました。同じ舞踏会に皇太子殿下も居られたことから、各社お二人のお召し物や踊られた曲などを競って報じています」
「批判的なものはないようね。私の奇行も特に書かれていない」
「はい。公女様に対する批判的な記事は、まだ見受けられません。調べてみたところ、デビュタント以降の社交の場で、公女様の…その…目立つ振る舞いが報じられるようになりました」
つまり、皇室から何らかの警告を受けた後、エイヴィルは自らスキャンダラスな行動を取り始めたということ。
一体なぜ。
「デビュタント翌日の記事の話に戻りますが、皇室が発行している皇室新聞だけは、全く報じた内容が異なっています」
新聞の山の上に、異質な記事が置かれた。
「まぁ。本当に舞踏会の記事ではないのですね。皇太子殿下が参加されたのに…」
マリアが思わず声を上げた。
きらびやかな舞踏会の挿絵は一切なく、皇命での施策の進行状況や、今後迎える貴賓を紹介する特集、皇室の中庭でのボヤ騒ぎが一面に書かれている。
一見すると、皇室の日常が報じられているように見えるが、私はその中のある記事から目が離せなかった。
「これ…」
ノアが、ぐっと真剣な顔を寄せる。
「はい。私もこの記事が気になりました。皇室に行った時、私と木登りの話をしたのを覚えていますか」
「覚えてる。きれいに左右対称に整えられた中庭の木が一つ、切られていた…」
「はい。この挿絵からして、おそらくあの木が、この日燃えたのでしょう」
エイヴィルと皇太子が、初めて出会ったであろう場所。
そこにあった木が、デビュタントの夜に燃えた…。
「記事にはなんて?」
ノアは、意を決したように、静かに口を開く。
「どうやら、何も知らない小鳥が、穏やかな風が吹く美しい庭園に、火種を持ち込んでしまったようだ。無知が為、自分自身の手で大切な巣を燃やしてしまうということを、小鳥は学ばなければならない…」
記事を読み上げるノアの声に、確信の音色が乗る。
それは、この場にいる全ての人物に伝わった。
これだ。
この記事を読んで、エイヴィルは自分が警告を受けたことを認知したんだ。
新聞記事にしては言い回しが不自然だし、どことなく、脅されているような印象を受ける。
警告を発した者、警告を受けたもの、その両者にしか分からない何かを、この文は示しているんだ。
「ノア、この記事を書いたのは…」
「残念ながら、皇室新聞の記者は全員貴族でした」
「そう…」
ということは、当然取材源は明かさないだろう。
貴族にとって、皇室との関係性以上に重要視されているものはない。
それに、貴族といっても、ジャーナリストとしての誇りはあるはずだ。
皇室直属の新聞では、報道の自由が制限されていとはいえ、取材源の秘匿の原則を崩すのは、やはり難しいだろう。
「次は私達の番ですわね」
マリアが、行き詰まった雰囲気を打ち消すように明るく声を上げる。
「やりきりました」
珍しくイザベラの鼻息も荒い。
そんな二人の意を汲んで、私も気持ちを切り替える。
「二人と準備を整えたおかげで、楽しみですらあるよ」
盛り上がる女子三人を、カーライル卿とノアがポカンと見つめる。
そんなイケメン達の目の前に資料を叩きつけ、私は言い放った。
「明日のお茶会は、これで勝負してきます!」
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