第二十一話(1)
トントントン
誰もいない広い部屋に、乾いた音が響き渡る。
バラバラだった紙が、綺麗に揃う瞬間が昔から好きだった。
私は、これまでにまとめた資料を整えながら、警察官として感じてきた、ある達成感を思い出していた。
徹夜で被疑者を逮捕した日の明け方、当直勤務員が作った報告書が、私の手元に集まった時に感じられる、あの特別な達成感を。
新任の巡査が、現場で一生懸命代書したシワクチャの被害届。
油の乗った巡査部長が作った、実況見分調書。
鑑識係員の職人技が光る、試料採取報告書。
刑事課員が意地で落とした、被疑者の供述調書。
それらを全て点検し、定められた順番に並べ替え、目録と送致書を頭に付けて紐で綴る。
その作業が、大好きだった。
完成した一件書類の決裁が通るころには、嵐のような当直を乗り越えた勤務員の絆は、更に強固になる。
一人で扱える事件は存在しないと、実感することが出来るから。
警察の最大の強みは、間違いなく組織力だ。
それは、「ここ」でも変わらないはず。
私は、資料の束を胸に抱え立ち上がった。
部屋のドアを開け放つと、いつものように赤髪の騎士が立っている。
「行きましょう、カーライル卿」
「はい、公女様」
私が声を掛けると、カチャリと剣を鳴らして後ろについてくれる。
当たり前のように。
ジェレミー・ソルソ・カーライル。
代々優秀な騎士を輩出している、名門カーライル伯爵家の嫡男。
レミラン帝国史上最年少でナイトの称号を得た天才騎士であり、ロジスタッグ王国内における紛争をわずか二年で鎮圧した、帝国の英雄。
現在は第三近衛騎士団長として公爵邸に詰め、私の護衛騎士を買って出てくれている。
帝国の英雄に護衛をさせるなんて、何だか無駄遣いしているみたいで申し訳ないと、何度も告げてはいるのだけれど…
この手のタイプの体育会系男子は、たいてい頑固と決まっている。
ロジスタッグ王国では、返り血が乾く暇がないほどの強さから「鮮血に染まる赤い狂犬」と呼ばれ、身内の騎士団員からも恐れられているみたいだけど、最近ではよく笑顔を見せてくれる。
(マリアいわく、私の前でしかあまり笑わないらしいけど、そんなことないよね?)
ただ、情報処理は苦手みたいで、頭がパンクしそうになると、ヒューズが飛んだように突然固まることがある。
いつだって辛い顔ひとつせず、隊服に一本もシワがない完璧な騎士団長なのに。
そんなギャップで私を和ませてくれる、とっても可愛いくて真面目な青年だ。
二人で領地に行った時のことを思い出す。
もう、あれから二ヶ月も経ったのか。
領地では、ガブリエル氏を頭とした、警ら隊を結成した。
公爵の決裁を取り、大々的に広報したおかげで、今では警ら隊の隊服を知らない領地民は居ない。
隊服のマントには、公爵家の家紋ではなく、ガブリエル氏の腕のタトゥーをあしらった。
隊服を着ることに抵抗感があったヤンチャな仲間達も、喜んで袖を通してくれたっけ。
制服の強みは、見せる警戒。
彼らが昼夜問わず警らしてくれるおかげで、領地の治安は少しずつ改善方向にある。
さらに私は、公爵に依頼をして、公爵邸の中に執務室を一室用意した。
元々は書斎として使われていた部屋で、一階と二階が吹き抜けになっている。
二階部分には、ぐるりと廊下がせり出していて、壁一面にはめ殺しの本棚が並んでいる。
私は本をすべて売却し(執事長のガスパルが泣きながら抵抗した本は残っているけど)、そこにガブリエル氏から送られてきた、一件書類の写しを保管することにした。
一件書類とは、一つの事件についてまとめられた、捜査報告書の束のことだ。
ガブリエル氏達が送ってくる一件書類は、彼等のワイルドさと同様、とても大雑把なものだった。
だが、意外にも順応力は高く、日毎にポイントを押さえた報告書が上がってくるようになった。
それらを点検し、被疑事実を整えているのが、この男。
「おはよう、ノア!」
ノアは、執務室の一番奥にある大きな机に座り、書類の山に埋もれている。
頭にタオルはなく、代わりに長い銀色の前髪をネクタイピンで止め、キレイな形のおでこがあらわになっている。
きらびやかなジャケットは、たくさんの文献の上に乱雑に脱ぎ捨てられていて、シルクのネクタイはラフに緩み、目元には薄っすらとクマが現れている。
ノア・ウェールズ。
ウェールズ侯爵家の嫡男であり、第三近衛騎士団の一員として、同期であるカーライル卿と共に先の紛争に参戦した。
しかしそこで負傷し、左手の指を二本失うも、除隊することなく後方支援に回るような、仲間思いの熱い男。
私が出会った時には、持ち前の要領の良さと器用さを発揮し、第三近衛騎士団の身の回りの世話を一手に引き受けていた。
どうやら、お父様であるウェールズ侯爵はとてもお若く、現役で領地を治めているため、まだまだノアに爵位を譲るつもりはないらしい。
侯爵家の跡取り息子が、こんなにも自由にしていられる背景には、さらに自由な父親が居るからだと、先日カーライル卿に教えてもらった。
そんなお父様の教育方針のお陰か、ノアは貴族には珍しく、高いメディアリテラシーと、一般市民の感覚を持ち合わせていた。
客観的で公平な判断力と、市民感覚が求められる、検察官のような仕事が向いていると直感した。
私の読みは当たっていて、ノアは警ら隊から送られてくる難解な報告書を読み解き、冷静に被疑事実や犯罪事実を作成してくれている。
そして、それらの事件を教会へ送るか否かの判断、つまり起訴の判断までこなしている。
想像以上の執務能力に、誰もが驚いた。
ゆくゆくは、警ら隊が自ら事実を作成できるまでに執務能力を底上げし、ノアには起訴判断に徹してもらえるようにしたい。
私が期待に胸を膨らませながら眺めていると、ノアが眉間にシワを寄せた。
「最近、全然手伝ってくれませんね、ヒカリさんは」
「っ!」
私は慌てて周囲を確認した。
どうやら誰も聞いていなかったようだ。
ほっと胸を撫でおろす。
ノアはこの世界で、私が「水野ひかり」だということを知っている、唯一の存在だ。
「ごめん。頼ってばっかりで」
私は両手をあわせ、ノアに心からの謝意を告げる。
ノアは小さくため息をつくと頭のピンを外し、前髪をかき上げながら小さく舌を出した。
その仕草の色気が凄すぎて、私は思わず赤面してしまう。
そう、ノアは顔がいい。
ただし、年甲斐もなく照れているおばさんをからかう、悪いイケメンだ。
(イザベラから、ノアは他の女性をからかったりはしないと聞かされた。外面も完璧なところが腹ただしい)
ノアの前では、不思議とありのままの自分で居られる。
掛け替えのない、大切な友達だ。
「公女様にご挨拶申し上げます」
可愛らしい挨拶が耳に届く。
「顔を上げて、イザベラ」
まんまるのメガネがキラリと輝く。
小さなそばかすが、とても良く似合う愛らしいこの子は、イザベラ・ロスナイト。
最近は、髪をポニーテールに結んでいる。
事務仕事におさげは邪魔なのだろう。
だが、変わったのは髪型だけじゃない。
いつも自信がない様子で、自分を卑下する言い回しばかりしていたのに、ノアの補佐をお願いしてから、少しずつ仕事にやりがいを見いだせるようになったみたいだ。
イザベラは、見たものをそのまま記憶し、それを絵や図面に落とすことが出来る天才。
彼女の能力に出会った時が、この世界に来てから一番興奮した瞬間かもしれない。
さらに、鑑識的なセンスにも長けていて、その仕事っぷりはとても繊細で丁寧だった。
書類仕事には不慣れだったみたいだけど、ノアが上手く指導しているみたい。
その証拠に、部屋の端と端に設置されていた二人の机の位置が、少し近づいている。
「イザベラ、頑張っているようね。いつもありがとう」
「と、とんでもないことにございます」
ふにゃっと表情を緩ませ、照れる仕草は相変わらず小動物のようだ。
「マリアはまだ?」
「あ、マリアさんなら…」
「カーライル卿、ごきげんよう」
「ご苦労さまです」
執務室の入り口で、マリアが渾身の笑顔を見せている。
「今日も完璧ね、マリア」
「公女様、お待たせ致しました」
金髪に青い瞳。
きちんと整ったメイド服に身を包んだ美女が、ワゴンを押して執務室を進んでくる。
マリア・ランドル。
若くして、マレ公爵邸の副メイド長を務める、やり手メイドだ。
美しい容姿と隙のない所作は、素人から見てもとても気持ちがいい。
犯人が特定できていない中、私の身の回りの世話を任せている。
マリアは子爵家の娘ということもあり、貴族としての教育をしっかりと受けていて、社交界にもよく顔を出している。
その上、新聞も読み込んでいて、かなりの情報通なのだ。
貴族社会の立ち回りを全く知らない私に、裏事情もしっかりと仕込んでくれる、頼もしい存在だ。
まあ中身は、皇太子の追っかけで、カーライル卿推しの可愛らしいミーハー女子なんだけどね。
「これは?」
私は、次々とテーブルに並べられるティーセットについて尋ねた。
「お紅茶にございます」
「それは分かるんだけど…」
「今から、大切なお話しをされるとお聞きしましたので、ご用意いたしました。私に出来るのは、これくらいですので」
「マリア…ありがとう」
マリアはいつだって、私をたくさんの小さな幸せで包んでくれる。
マリアとイザベラが、紅茶を五つのカップに注ぎ終え着席したタイミングで、私は声を上げた。
「みんな、集まってくれてありがとう。これから、捜査会議を始めます」
更新は不定期となりますので、よろしければブックマークを宜しくお願いします。
「評価」や「いいね」で感想を聞かせて頂けると嬉しいです。