番外編 イザベラとの共通点
ご、ごきげんよう。
イザベラ・ロスナイトです。
領地もない、名ばかりの男爵家の次女である私が、マレ公爵家に雇って頂けただけでも奇跡なのに、この度、公女様の専属メイドに選ばれました。
といっても、公女様の身の回りのお世話は、副メイド長であるマリアさんがほとんど行っていて、私は身支度を少しお手伝いするくらいです。
その代わり、私は公女様より、別の仕事を与えられています。
それは…
「おい、丸メガネ。こっちの書類にも図面をつけてくれ」
ノア・ウェールズ卿が、私に分厚い種類の束を差し出しながら顎を上げる。
「はっはい!」
書類を受け取る手が、自分の意志に反してブルブルと震える。
「お前、いつまで俺を怖がってるんだよ。別に取って食ったりしないから」
「す、すみません」
私は、書類を胸に抱えて深々とお辞儀をすると、前かがみの姿勢のまま、部屋の隅にある自分の机まで最速で後退りする。
「はぁ」
ウェールズ卿のため息が、遠くに聞こえた。
公女様が、カーライル卿と街に出掛けられて以降、様々なことが変わりました。
公女様は、執務室を一つ用意され、そこにガブリエル氏のお仲間から届いた報告書を集められています。
報告書には、領地で発生した犯罪の状況が、それはそれはめちゃくちゃな文章で書かれています。
その報告書をウェールズ卿が全て点検し、被疑事実を作成します。
被疑事実とは、犯罪の予測図のようなものです。
「いつ」「どこで」「誰が」「何をした」という簡潔明瞭な文章で構成され、その被疑事実を支えるための補充捜査や取調べを、ガブリエル氏に依頼をします。
そして、被疑事実を立証するだけの証拠が整った事件は、犯人の身柄とともに教会に送られる、という流れです。
この制度は、あっという間に定着しました。
公女様は、お父上である公爵閣下の了承を必ず得てから制度を整え、それを公爵閣下の名前で新聞記者たちに発表しました。
そしてなにより凄かったのが、ウェールズ卿です。
銀髪に赤い瞳、侯爵家の嫡男とは思えない乱暴な言葉遣い。
ですが、そんな狼のような雰囲気とは裏腹に、緻密で繊細な職務能力には誰もが驚かされました。
そして私は、そんなウェールズ卿の補佐役を仰せつかったのですが…。
机の端の書類の山が、日に日に高くなっていく様を見て、ギュウっと胃が押しつぶされるような痛みに襲われる。
私は根っからの怖がりな上に、少し外に出ただけで頭がクラクラしてしまうほど体も弱く、まるで運動が出来ない子供でした。
周りが結婚していく中でも、そばかすを人に見られるのが嫌で、部屋に引きこもって絵ばかり描いてきたような女です。
そんな私に、ウェールズ卿の右腕なんて、荷が重すぎます。
そもそも、全然打ち解けられないんですもの。
男性と話すことさえ不慣れなのに、こんなに仕事ができて、立ち振舞も堂々とした方と、共通点なんて一つも見つけられません。
(どうか力を貸してもらえないかしら)
そんな私に、膝をついてくださった高貴な御方。
公女様。
私も、あなたのお役に立ちたいのに。
ウェールズ卿に渡された書類が、涙でぼやける。
「おい、大丈夫か」
声が近くで聞こえて、驚いて顔を上げた。
「あっ…」
ウェールズ卿が、たくさんの本を抱えながら、私の机のすぐ横まで来ていた。
涙が溢れ出してしまう。
「お、おい。何で泣いてるんだ!そんなに俺が怖いのかよ」
「違います…。私、なんの役にも立てていなくて、でも、公女様は、私のことをっ」
「…」
「き、期待に応えたいのに、私は、ウェールズ卿の様に、上手く仕事もこなせなくてっ…うぅ…のろまで…」
昼下がりの広い執務室に、私の泣き声だけが響く。
ウェールズ卿は何も言わずに、じっと、私が落ち着くのを待ってくださっているのが分かりました。
「あいつが、前に言ってたんだ」
私の呼吸が整ったタイミングで、ウェールズ卿が静かに話し始める。
あいつとは、公女様のことでしょう。
私は、ウェールズ卿が差し出してくれたハンカチを口元に当て、言葉の続きを待ちました。
「『私自身には、秀でた能力が一つもないんだ』って」
私は思わずウェールズ卿を見上げる。
「なっ!公女様がですか?」
「ああ。ビックリだろ?あいつは自分自身のことを、無能だって思ってるんだ。本気で」
そんな。
過去のことはよく分からないけれど、瀕死の状態から目を覚まされた公女様は、周りを巻き込むほどの大きな変化をもたらしています。
それこそ、改革に近いような。
そんな公女様が、無能?
思考が追いつかず、軽い目眩を覚える。
公女様が無能だったら、私なんて…。
「何かを極めることが出来ないんだってよ。でもな、あいつには誰にも負けない強みがあるんだって。なんだと思う?」
ウェールズ卿が、少年のような笑みを浮かべ、ニカッと歯をみせた。
この人は、公女様のことになると、とても楽しそうに笑うのですね。
「分かりません」
ウェールズ卿の笑顔が眩しすぎて、私は下を向いて答えた。
ウェールズ卿が、ふぅとため息をつく。
「他人の才能が、見えるんだってよ」
「えっ?」
(イザベラさん。貴方には、捜査員の才能がある)
「そんで、その才能をどうしたら最大限に活かせるか、分かるんだと」
「…」
「つまり、他人の力を借りる能力は、誰にも負けないんだってよ。笑っちまうだろ?」
ウェールズ卿が、声を出して笑う。
他人の力を借りる…能力?
(イザベラ、これを見て!一面、イザベラが描いてくれた絵よ)
「…ふふっ」
公女様が瞳を輝かせている姿を思い出し、私はつい笑みをこぼす。
「何だか、公女様らしいです」
「な」
私は、初めてウェールズ卿と笑顔を交わす。
暖かい日差しの中、笑い声が心地よく消えた。
「何かを極められるのは、選ばれた人間だけなんだってさ」
「選ばれた、人間…」
「俺もよく分からないけど…。少なくとも、あいつには選ばれたんじゃねぇの?お前の才能」
「…」
「それだけじゃ足りないか?自信を持って、仕事をする理由」
「あっ…」
自信。
自信を持てって、そう言ってくれているんだ、ウェールズ卿は。
「いきなり自分を信じろって言われても、お前みたいな奴は、どうせ受け入れられないんだろ?」
お前みたいな奴…。
「お前の才能を信じてる人間がいる。とりあえずそれだけで、目の前の書類くらい片付けられるだろ?」
「…はい」
「それと、俺も公女の目に狂いはなかったと思ってるんだ」
「ウェールズ卿、それって…」
「ノアで良い。お前は俺の右腕だからな」
ああ。
この人も、公女様と同じだ。
人を惹きつけて、人が求める言葉を贈って、明るく照らすことができる方。
「ありがとうございます、ノア様」
「おう」
ノア様はニカッと笑い、重そうな本を両腕に抱えたまま後ろを向く。
その時、ひらりと小さな紙が落ちた。
「あ、ノア様!何か落としました…よ…」
ダァン!!!
え?
ノア様は、ひらりと落ちた小さな紙を、思いっきり踏み潰した。
「あ、あの…」
「いいから!!お前は拾わなくて良いから!!」
「ですが、ノア様は両手が塞がってますし…」
「良いから!お前は動かなくてっ…わぁっ」
「きゃあっ」
ノア様がバランスを崩し、大量の本が宙を舞う。
辺りに広がった埃が収まると同時に、恐る恐る目を開けると、目の前に小さな紙がひらりと落ちてきた。
「これは、栞?」
ホコリを払おうとすると、ノア様に乱暴に奪い取られてしまった。
ビックリして見上げると、髪も服も乱したノア様が、顔を真っ赤に染めていた。
「え?」
何をそんなに恥ずかしがっているのでしょうか。
「あの、可愛らしい栞ですね。私も、気に入った花があると良く作ります!」
ノア様は動かず、顔色だけがどんどん赤くなっていく。
どうしよう。
何か話さないと。
「それ、手作りですよね!押花って、作るの難しいのに、その栞は薔薇の赤色が綺麗に残って…」
待って…薔薇?
赤い薔薇って…。
私が黙ると、ノア様の顔は益々赤くなり、キュッと硬く結ばれた口が小刻みに震え始めた。
もしかして、これって…。
公女様が舞踏会の日にパートナーに贈られた、あの薔薇!?
その薔薇を…栞に?
私は、高揚する気持ちを抑えられず、思わずノア様にお借りしたハンカチを握りしめる。
こんなに赤くなられるなんて、きっとノア様が、自ら作ったんだわ!!!
仕事ができる、口の悪い、完璧な、侯爵家の嫡男が…押花を。
なんて、なんて…
「なんて可愛らしいの…」
はっ!
思わず口に出してしまった。
「おまえ…」
ブルブルと震えるノア様の左手を、思わず両手で握りしめた。
「んなっ…」
「ノア様!私、ノア様のことを推します!」
「な、なんなんだよ、おすって…」
「マリアさんや公女様がよく話しているのですが、応援するという意味だとお聞きしました!私は、今この瞬間から、ノア様推しです!ノア様と公女様の恋路を応援いたします!」
ノア様がたじろぐ。
「んな!…お前、このこと誰かに言ったら殺すからな!!」
否定しないところが、ノア様らしいですよね。
「もちろん、言いませんとも」
私は嬉しくてたまらなかった。
「手離せよ!」
「ノア様!ライバルはかなり手強いですよ!」
「うるせぇ!」




