第十九話(1)
「公女様。とてもお似合いです」
初めての城下街。
マリアに、ラフなワンピースの様なドレスを借りた。
「もっと動きやすい服はないの?」
「公女様は公爵令嬢ですよ?これくらいは着飾っていただかないと。さあ、座ってください」
「ローブを被りますから、髪の毛はアップにしますね」
イザベラが、いつものように手際よく髪をセットしていく。
公爵令嬢って分からないようにして出かけるんだけどな…。
でも、私が出かけている間は、マリアやイザベラの気が休まるだろうから、そう考えると嬉しくなる。
「マリア、イザベラ。いつも私を支えてくれて、ありがとう」
二人を、鏡越しに見つめる。
「公女様、何言ってるんですか」
「とんでもないことにございます」
マリアは頬を赤らめ、イザベラは今にも泣きそうだ。
本当に、二人に出会えて良かった。
部屋を出ると、カーライル卿が待っていた。
いつものカチッとした制服ではなく、ワイシャツにスラックス姿で、剣を隠す為か、長いマントを羽織っている。
勇者みたいで、物凄く可愛い。
「カーライル卿、とても可愛いです」
うっかり口にしてしまった。
赤い狂犬になんてことを。
両手で口を押さえる。
「そのようなことを言われたのは初めてです。ただ、町娘のような公女様のほうがその…ずっと可愛らしいです」
優しく微笑んでくれるカーライル卿は、いつも通りだ。
「ありがとうございます。今日は宜しくお願いします」
「はい。参りましょう」
公爵邸を出ると、舞踏会の日とは違う、質素な馬車が止められていた。
公爵が用意してくれたんだろう。
でも、せっかく勇者様とお出かけするなら…
「カーライル卿、馬で行きたいです」
「馬ですか?かなり揺れますので、お身体に障るかと」
「昨日、ステファン先生に、傷口が完全に塞がったと言われたところです!駄目ですか?」
カーライル卿は、顔を赤らめ一瞬たじろぐような素振りを見せたが、快諾してくれた。
カーライル卿は御者に話をして、馬車から一頭馬を引いて戻ってきた。
「馬の乗り方は覚えていますか?」
「いいえ」
覚えてるも何も、初めてです。
「では、こちらに足をおかけください。私が支えますので、一気に馬に腰掛けてください」
「はい」
カーライル卿に腰を支えられ、足を踏ん張り馬にお尻を乗せた。
「わぁ!」
全く違う視界が広がった。
「こんなに高いんですね、馬の上って!凄い!」
「怖くないですか?」
「はい!凄い!感動です」
太ももから伝わる、馬のあたたかさ。
固いのに、滑らかな毛並み。
どれもが新鮮だ。
「失礼します」
ぐんと馬が揺れたと思ったら、横乗りしている私の後ろに、ヒラリとカーライル卿が座った。
こんなに密着するものなの?
背中に、カーライル卿の胸板を感じる。
しかも、手綱を後から掴むと、抱きしめられているような体勢になる。
どうしよう。
絶対に今、顔が赤い。
「狭いですか?」
カーライル卿が耳元で囁く。
「大丈夫です!」
私は、前を向いたまま答える。
不自然に、元気いっぱいな感じになってしまった。
この歳になって、こんなお姫様みたいな経験ができるなんて…
エイヴィルありがとう。
「では、進みますね」
カーライル卿が、踵で馬の腹を一度蹴ると、馬がゆっくり歩き出した。
「うわ!」
グラングランと大きく揺れ、思わず声が出る。
「あはは!凄い、こんなに揺れるんですね!楽しい」
「お腹に力を入れなくてはならないので、きっと明日は筋肉痛ですよ」
「運動不足だったので、ちょうどよかったです」
風を感じ、身体を預け合い、鼻先ほどの距離で笑い合う。
楽しくて、恥ずかしさなんてどこかに飛んでいってしまったようだ。
目に入るのも全てが新鮮で、あれこれ質問していると、あっという間に、城下街と接する領地の中心街へ着いてしまった。
噴水広場に、馬をくくりつけておく専用のポールがいつくも立っている。
そこに馬を止め、ヒラリと降り立つカーライル卿は、誰が見ても素晴らしい騎士だった。
街で見ると、イケメンさが際立って、とても目立っている。
そんなイケメンに腰を支えられ、大切に抱き上げられている自分も、何だか特別な存在のような気がしてむず痒かった。
カーライル卿は、停馬場の男にチップを渡す。
「公女様。お疲れではないですか?」
その言葉を聞いて、停馬場の男は目を丸くした。
「ゴホン」
私は、停馬場の男に、もう一度チップを手渡した。
カーライル卿を引っ張り、その場を離れる。
「カーライル卿、人前でその呼び方は避けてください」
「あ、申し訳ございません」
「エイヴィルと呼んでください」
「え!そんな…」
「私もジェレミーと呼びますから」
「しかし…」
カーライル卿は、困ったようにうつむいた。
もぉ、真面目なんだから。そこが素敵だけど。
「じゃあ、設定を作りましょう。恋人同士ってことでどおですか?」
「なっ」
「嫌ですか?でしたら兄弟でも…」
「恋人でお願いします」
真っ赤な顔で、真剣にお願いしてくるカーライル卿が可愛くて、思わずからかいたくなってしまう。
「だったら、敬語もやめないとですね」
「そ、それは…」
「じゃあ、いいとこのお嬢様と使用人ですね」
「…」
真っ赤な顔で悩んでいるカーライル卿が可愛くて、ニヤニヤしてしまう。
そうだよね。
こんなに可愛いエイヴィルとだったら、誰だって恋人設定がいいもんね。
私のワガママに、必死に付き合おうとしてくれている優しさが嬉しくて、そろそろ許してあげることにした。
「できる限りでいいよ、ジェレミー。行こ」
私は、カーライル卿の手を繋ぎ、歩き出した。
「こっ」
「こ?」
私は振り返って、わざとカーライル卿を睨むふりをした。
「いや…」
「恋人なんでしょ?私達」
「…はい」
「ふふ」
秘匿捜査の際、捜査員同士で手を繋ぎ、恋人を装うことはよくある。
岡部長と手を繋いだ時は、お互い尾行している被疑者を見失わないように必死で、繋いだ手が汗でビチャビチャだったっけ。
「何か食べる?」
「あ、ではご案内します」
カーライル卿、もう敬語は諦めたな。
カーライル卿が案内してくれたのは、意外にも可愛らしいカフェだった。
店内に入ると、ガラスケースに様々なスイーツが飾られている。
「わぁ!美味しそう」
公爵邸で出されるケーキはもちろん絶品だけど、マカロンのようなものや、プリンまである。
「ご予約いただきありがとうございます。こちらへ」
「ジェレミー、予約しくれてたの?」
「…はい」
カーライル卿は、真っ赤な顔で頷いた。
案内されたテラス席は、城下街と領地を東西に割るように流れる、広い運河が見渡せる場所だった。
運河には、大小様々なゴンドラが浮かび、人々が川遊びを楽しんでいる。
「わぁ!凄い素敵」
「気に入ってくれたなら…良かったです」
「後であれ乗ってみたい」
「そうしましょう」
私がはしゃいでいる間に、カーライル卿が注文を済ませてくれた。
私は満足して席につく。
「何を頼んだの?」
「とりあえず、全種類注文しておきました」
「え!全種類!?」
さらりと凄いことを。
「こっ…。エイヴィルは、たくさん食べるって、ノアに聞いたから…」
必死に頑張る姿が愛おしい。
ニヤニヤと、汗を掻くカーライル卿を眺める。
青い空に、心地よい風。
目の前には、可愛いイケメン。
最高の思い出になった。
「そういえば、向かい合って座るの初めてかもね」
「そうですね」
「ノアとはいっつも向かい合って座ってるんだけどな」
「…」
テーブルに置いた私の左手に、カーライル卿の右手が触れる。
そのまま、恋人繋ぎのように、指を絡めとられてしまった。
その触れ方が何だか官能的で、恥ずかしい気持ちが湧き上がる。
「か、カーライル卿!?」
急に、なんで…。
「今は私と、恋人設定ですよね?」
ひぃ。
そうだった。このワンコは可愛いだけじゃない。
油断すると、噛まれちゃうんだった。
「兄弟にしておくべきでした」
私がわざとむくれると、カーライル卿は少年のように笑った。
私達は、テーブルいっぱいに並べられたスイーツを平らげ、お互いが一番気に入ったケーキを当てあった。
食後の運動と称して、手漕ぎのゴンドラを選び、どっちが漕ぐか決めるための、ジャンケンの様なゲームを教えてもらった。
装飾品が売られているお店で、メイド達へのお土産を買ったが、ノアのお土産を選ぼうとすると、あの手この手で邪魔された。
書店へ立ち寄り、カーライル卿の好きな本を教えてもらい、素敵なレターレセットを買った。
この世界に来てから、一番笑っていたと思う。
カーライル卿の前だと、自然と笑顔が増える気がする。
マリアやイザベラとは、また違う。
一番切なかったのは、公爵の前。
一番泣いたのは、ノアの前。
一番怒ったのは、皇太子の前。
「公女様?」
噴水広場のベンチで、ぼーっとしてしまっていたようだ。
「エイヴィルです。ごめんなさい、少し考え事をしてて」
焼き鳥のような食べ物を渡しながら、カーライル卿が隣に座る。
お店や屋台に、徐々にオレンジ色の光が灯りだした。
この街は、まだまだ眠る気はないようだ。
一口肉を頬張る。
「っ!美味しい!」
何となく懐かしい味。
甘辛い、醤油に似てる。
「ジェレミー、これはどこで買ったの?」
「あ。ひとつ先の路地にある、屋台で」
私は、急いで肉を食べきると、串をカーライル卿に手渡し立ち上がる。
「ちょっと味付け方法聞いてくる!」
返事を待たずに走り出す。
「こ…。馬のところに戻ってきてくださいね。もうすぐ日が沈みます」
「分かった!」
笑顔で歩く人々は、みな幸せそうだ。
小さな子供を肩に乗せた若いパパも、腕を組み、見つめ合う恋人たちも、手をつないで歩く老夫婦も、花を売る子供も。
そう。
誰も、気にとめていない。
目の前で、屋台の店主が、路地裏に引きずられて行っていることなんて。




