第十八話(2)
バタバタバタバタ
別館に、公爵邸に不釣り合いな足音が響く。
この音は…。
「公女様!」
「あ、カーライル卿!ちょうどよかったです。一緒に来てください」
「かしこまりました」
公女は、「ゲンバ」と呼んでいる例の部屋の前で立ち止まる。
私が壊した扉の上から、扉と同じ大きさの重たい板が重ねられている。
それを、壁に埋め込んだ鉄の鎖で支え、南京錠が掛けられている。
公女は、ポケットから鍵を取り出すと、手慣れた様子で南京錠を外す。
ガチャガチャ
ガキン
「留置場を思い出すな」
「何かおっしゃいましたか?」
「あ、ううん。何でもないです。カーライル卿、お願いします」
僕は、重たい板を横にずらす。
キィ
扉を開けると、例の禍々しい模様が、嫌でも目に飛び込んでくる。
心配で公女に視線を送るが、当の本人は気にもとめない様子で、窓に駆け寄る。
カーペットは処分したが、微かに腐敗臭がする。
戦地で嫌という程嗅いできた匂いだが、慣れることは一生ないだろう。
人は死んだら、ただの肉の塊になるということを、思い知らされる。
「カーライル卿、見てください」
公女に近づくと、窓際に置かれたチェストを指示している。
その上には、足の付いた鏡が一つ置かれている。
「ずっと気になっていたのです。部屋の真ん中に、これだけ大きな模様を描くために、ほとんどの家具は端に寄せられています。でも、このチェストだけは、窓際に残されている」
「確かに、不自然ですね」
「その答えが分かりました。このチェストは、窓際に鏡を設置するために残されたのです」
「この…鏡ですか」
鏡は、窓の方向を向いている。
「この鏡は、エミリーが飛ばした伝書鳥が戻ってくるための目印なんです」
「軍鳩のようなものでしょうか」
「流石です、カーライル卿。つまり、あの日私は、誰かからの手紙が返ってくるのを、ここで待っていた」
「手紙を…」
「通常鳥は、夜は飛べません。つまり、私がここに居たのは、日が昇ってから、もしくは日が昇る間際。カーライル卿。この時期、日の出は何時頃ですか?」
「そうてすね。…五時少し前には明るくなり始めます」
「イザベラが私を見つけたのは、五時半頃だと言っていたので、かなり犯行時刻が絞られました!」
公女は、嬉しそうに僕の手を握る。
「カーライル卿。第三近衛騎士団が戦地に居る間、残された団員たちが公爵邸の警備に従事していたと聞きました。先日も調査してくださいましたが、もう一度、この約三十分間の間に何か気付いたことがないか、確認していただけませんか?」
「承知いたしました」
「ありがとうございます!ただし、再聴取する相手は慎重に選んでください」
この方のためなら、僕は何だって出来る。
「ところで、明日街で調べたいとおっしゃっていたことを、伺っても?」
「あ、はい。領地の治安について、知っておきたかったんです」
「治安ですか?公女様もご存知のとおり、公爵家の領地は、城下街に接しています。街は皇室の加護を一身に受けておりますから、領地も同じく平和だと感じます…」
「私も、馬車で通っただけですが、そのような印象を受けました。ちなみに、帝国には、治安維持を担う、一般市民の団体のようなものはあるのですか?」
「いえ、そういったものはありません」
「では、何か事件が起こった場合、どの様に解決するのですか?」
「そうですね…例えば誰かが怪我をさせられたとします。その犯行を目撃したのであれば、その場で報復します」
「え?」
「報復する力がないものが、その犯行を目撃した場合、教会に訴えて審議を依頼します。一般市民が正式な裁判を受けることは出来ませんからね」
「そうなんですね」
「ただ、大抵罪人は審議を受けずに終わります」
「なぜですか?」
「教会に辿り着く前に、被害者の家族や友人に報復されるからです」
「え?その、念のため確認しますが、その報復というのは」
「殺されてしまうということです」
「先程、城下街は平和だとお聞きしたばかりなのですが…」
「はい」
公女は、可愛らしい口を開けたまま、動かなくなってしまった。
あの時の、乱れた唇を思い出す。
「いずれにしても、私がお供しますので、ご安心ください」
僕は無意識に、公女の頬に手を伸ばしていた。
その瞬間、ノアの言葉が頭をよぎった。
(騎士だもんな)
頭の中の声をかき消すように、右手を力いっぱい握った。
ノアの自由が羨ましい。
皇太子の権力が疎ましい。
この気持ちを一体、僕はどうしたいんだろう。
「公女様。昨日はお暇を頂き、ありがとうございました」
「いいえ。ジルは喜んでいましたか」
「それはもう。公女様とカーライル卿にまで会えた上に、私と街を散策して、色々なものに触れて…興奮で昨晩は寝付きませんでした」
「ふふふ。それは良かったです。でも、ステファン先生にお子さんがいらっしゃると聞いたときは、本当に驚きました」
私はいつものように、ベットにうつ伏せになる。
「本当です。私も初耳でした」
マリアが、私の腰元の服をめくりあげながら口を挟む。
「隠していたわけではないのですが、驚かせてしまって申し訳ありません。彼は、路地裏で行倒れていたところを助けられ、私の診療所に運ばれてきたのです」
ステファン先生は、いつものように傷口に軟膏を塗る。
「診療所って、公爵邸の敷地内にですか?」
「いえ、月に一度だけですが、街の診療所にも詰めています。何人もの医師が、交代で治療をしているんです。無償なので、参加する医師は少なく、出来る診療も限られていますが」
「とても素晴らしいことです。ステファン先生」
「ありがとうございます。運ばれてきた時、ジルは既に意識がなく、暴行された跡がありました」
「なんですって」
私は思わず起き上がる。
「あんな小さな子供を、一体誰が。許せない」
ステファン先生は、懐かしむように微笑んだ。
「ジルを連れてきた男性も、同じことを言っていましたよ。肩に大きなタトゥーがあって、一見怖そうな人でしたが、公女様と同じく、とても正義感の強い方でした」
「そうなんですね。ジルは、それから一年間眠り続けた」
「はい。本当にギリギリの状態で、命を繋ぎ止めることが出来ました。意識のない人間に、栄養を届けるのには限界があるので」
そうだよね。点滴とかがあるわけじゃない。
ステファン先生は、本当にジルのために努力したんだ。
明るくて、優しい。人のために学び、与え続けるお医者さん。
暖かさで胸がいっぱいで、泣きそうになった。
「公女様。傷は完全に塞がりました。傷跡は残ってしまいますが、毎日軟膏を塗れば、少しは薄くなるかと思います」
「本当にありがとうのざいます」
私は服を正して、起き上がる。
「マリア、先生にお茶をお入れしてくれる?」
「かしこまりました」
マリアが部屋を後にする。
「先生。お父様の具合はいかがですか?」
「その件につきましては…」
「主人の病状について、私の口から申し上げられることは何もありません」
私は、ステファン先生の話し方を真似てみせる。
「公女様…」
「誰にも言いません」
「…」
「…」
「はぁ。ここからは、私の独り言ですよ」
「そうですとも」
「他の医師には、とても認められない考えですが、私は、心と身体は強く影響し合うと思っています」
「…精神的に強い衝撃を受けると、それが身体に現れる」
「その通りです。公女様は、どうしてそのような考えをお持ちなのですか?」
「い、いえ。以前団員達のカルテを見せて頂いた際、団員達が眠れない様子や、悲惨な映像が頭から離れない症状についても、事細かく記していましたので…」
「よく見てらっしゃる。そうです。そういった症状は、心に強い衝撃を受けた事が原因だと、私は考えているのです」
トラウマ、PTSD、それらの症状に悩まされる被害者を、何人も見てきた。
ステファン先生は、やはりかなり進んだ考え方を持っている。
「つまりお父様も、過去に受けた精神的な衝撃が原因で、日中の行動が難しくなっている」
「はい。以前言わされ…お話ししましたが、公女様がお生まれになり、公爵邸へいらしてからずっと、昼夜逆転の生活となっています」
「その原因は、これではないですか?」
私は、漆黒の髪をひとつかみ手に取る。
「っ!」
「ステファン先生、いつも素直な反応をありがとうございます」
「公女様には、どうしても嘘がつけません」
そりゃ、場数を踏んできてますからね。
「ただ、公爵閣下は、私にも核心は話してくださらないのです。苦しみながらも、月明かりを頼りに、眠っている幼い公女様のお顔を見に行かれていました」
「私は、愛されていたのですね」
「もちろんです」
でも、きっとエイヴィルはその事を知らなかったはず。
公爵の病状については、この公爵邸の使用人でさえ、ほんの一部の人間しか知らないのだから。
公爵の過去に何があったのか。
鍵を握るのは、あの肖像画の女性だ。
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