第十七話(2)
静かにドアが開いた。
「公女様?なぜ、こちらに?」
訓練着のまま、汗だくのジェレミーが入ってきた。
「カーライル卿。昼間はありがとうございました。お陰ですぐに勤務を組むことが出来ました」
「とんでもないことでございます」
「いえ、第三近衛騎士団の雇い主は皇室なわけですから、カーライル卿がすぐに動いてくれて助かりました。あ、でも…」
ヒカリはジェレミーに近づくと、白いハンカチを差し出した。
「私が、訓練の時間を奪ってしまっていたようですね」
「公女様。ハンカチが汚れてしまいますので」
「ハンカチは汚れるものです。どうぞ使ってください」
ニッコリと微笑むヒカリに、ジェレミーが微笑み返す。
そんな、熱を帯びた視線を、ヒカリに向けるな。
俺は今朝のように、頭に巻いたタオルをジェレミーの顔に投げつける。
「わ!ノア!?」
「こいつの言うように、公女様の高貴なハンカチを汚すわけにはいきませんので」
「…」
ジェレミーが睨みつけてくる。
俺は、支えを失った前髪を掻き上げながら、舌を出す。
「ところで、公女様はどうしてこちらに」
ジェレミーは、再びヒカリに視線を落とす。
あいつ、その目をやめろって言ってんだろ(言ってない)。
「勤務のことで来たんです。ノアの代わりになる人が居ないので、ノアが休む日には私が料理を作ろうかと思いまして」
「なりません」
「ええ?カーライル卿まで…。良いアイディアだと思ったのに」
ヒカリは明らかにしょんぼりする。
「こんな血の気の多い男だらけの空間で、公女様に労働をさせるなど、ありえません」
「珍しく意見があうな」
「それにノアには、休みなど不要です」
「おい」
ジェレミーは相変わらずヒカリを見つめている。
「カーライル卿。休みは仕事への活力です。必ず取っていただかなくてはなりません!…そういえばカーライル卿も、まだ✕を書いていませんね」
ヒカリは、ムスッとした愛らしい顔でジェレミーに詰め寄る。
だから、その顔をやめろっていってんだろ(言ってない)。
「ちょうどその件で、公女様にお伺いしようと思っていたところです」
「私に?何をですか?」
「公女様のお暇な日に、私の休みを合わせたいと思いまして」
「んなっ」
何言ってんだジェレミーのやつ。
「医師からの外出許可も出たところですし、城下町へ何か御用がお有りでしたら、私がご案内いたします」
「まてまて!こんな訓練ばかりしている男なんかより、俺の方が絶対に街には詳しいぞ」
「残念だけど、ノアの仕事には代われる人間が居ないだろ?」
ジェレミーのやつ…。
ちゃっかりヒカリをデートに誘ってやがる。
「公女様、ちょうど紹介したい料理人もおりますので、是非ご案内させてください。ノアの代わりが見つかるかもしれません」
「それは名案です、カーライル卿!まだ犯人も割れていない今、新しい料理人を雇うのには抵抗がありましたが、カーライル卿の紹介なら信用できます」
「おい」
「それに、ちょうど調べたいこともあったので、是非ともお願いしたいです」
「おいって」
「あ、でも。カーライル卿のせっかくのお休みを、私のために使わせるのは…」
「そうだよな。英雄の初めての休暇を邪魔するわけにはいかないよな」
俺は、何とかヒカリの視界に入ろうと必死だ。
我ながら、ピエロのようだ。
「私は、公女様の騎士です。公女様にお仕えできることが、私の幸せなのです」
「え…」
ジェレミーの笑顔に、ヒカリは明らかに赤くなっている。
やっぱりヒカリは、ジェレミーみたいなのがタイプなのか。
確かに、俺と同い年なのに、ジェレミーはずいぶん大人びてる気がするし。
「いつにしますか?公女様」
「あ、じゃあ…明後日はいかがですか?急すぎますか?」
「いいえ。明後日に致しましょう」
「はい。」
二人は、笑顔で顔を見合わせる。
今すぐ、ダメだと騒ぎ出したい衝動に駆られ、目の前が白くチカチカする。
思い通りにならないことなんて、今まで数えられないほどあったのに。
その全てを受け入れてきたのに。
一人の女の視線を、渇望する日が来るなんて。
「ははっ」
笑い声が漏れ出てしまう。
「ノア?」
「いや、悪い。俺の休暇のために、しっかり頼みますよ、公女様」




