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第十六話(2)

 カンッカンッカンッ

「おい。今日の団長、すげぇ気合はいってんぞ。朝からずっと打ち込み稽古してよ」

「お前、今日の訓練内容聞いてきてくれ。頼む」

「はぁ?無理だよ。とても声なんて掛けられる雰囲気じゃないって」

「後ろに立っただけで殺されるよ…」

「昨日、俺達の警護マズかったのかな」

「何かあったのか?」

「いや、問題はなかったはずだ」

「今朝の新聞にも、特に目立った記事はなかったぞ?」

「じゃあ…一体…」

「俺達、どーなっちゃうんだ?」


 訓練場の塀の外で、騎士たちが塊になっている。

 俺は気配を消して、その塊に近づく。

「わっ」

「わああああああ」

 騎士たちが一斉に競技場内へ転がり込む。

 ジェレミーが手を止め、振り返った。

「部下たちが困ってるぞ」

「ノア」

 らしくない、切羽詰まった表情をしてる。

「とりあえず、お前ら全員走ってこい!それで良いだろ?団長」

「…ああ」

(ノア…恩に着る)「行くぞ!」「おおー!」

 団員たちがウィンクをしながら、喜んで走り出す。

 競技場には、汗だくのジェレミーと、ただの料理人が残された。

 俺は、並べられた木刀を一本手にする。

 右手で握っても、しっくりこない。

 左手に持ち替えても、それは同じだった。

「どーしたんだよ、ジェレミー」

「…」

「皇太子でも、殺しに行くのか?」

「…」

「…いや、否定してくれよ」

 俺は木刀を置き、頭に巻いていたタオルをジェレミーに差し出した。

 ジェレミーは黙って受け取り、顔を拭いた。

 俺は、朝からジェレミーが使っていた人形に近づく。

 傷だらけで、今にも倒れそうだ。

「お前、やっぱり公女に惚れてんだろ」

「…公女様を守れなかった自分に、腹を立ててるだけだ」

「ふーん」

 俺は、人形の傷を撫でる。

「自分の感情のまま、剣を振るってはならないと、公女様に命ぜられてるんだ」

「はっ。赤い狂犬が、ついに飼い犬になったな」

「好きに言っていればいい」

「怒んなよ。悪かった」

 顔を見なくても、ジェレミーの感情は声で分かる。

 アカデミーの頃から、ずっと一緒だったから。

 ジェレミー・ソルソ・カーライル。

 出会った時から、他の奴とは全く違う空気を纏っていた。

 剣術に長けた、カーライル家の嫡男というプレッシャーを当然に受け入れていたし、剣に対する向き合い方が、誰よりも真っ直ぐだった。

 絶対に敵わないと分かっていたし、勝ちたいなんて、一度も思わなかった。

 帝国一努力した、帝国一完璧な騎士。

 俺にとってお前は、そういう存在だった。

 でも。

「俺は惚れてるよ。あいつに」

「!」

「俺だけのものにしたい。俺だけを見てほしい」

「…」 

 後ろを振り返ると、ジェレミーが目を丸くしていた。

「お前は、あいつが誰かに抱かれている時でさえ、部屋の外でお座りしてられんだろ?」

 ジェレミーの瞳に、怒りの色が宿る。

「騎士だもんな」

「お前だってそうだろ、ノア」

 俺はジェレミーに背を向け、左手を振ってみせた。

「あいにく俺は騎士なんかじゃなく、ただのラーメンヤなんでね」

「ノア!」

「メシはちゃんと食いに来いよ」

 


 

「おはようございます、公女様」

「おはよー、マリア」

 重たそうなカーテンが開けられ、鋭い朝日が部屋を照らす。

 昨日の夜は、全然寝付けなかった。

 考えがまとまらなくて。 

「もうお昼近いですよ」

「そう…起こさないでいてくれたのね」

 マリアが、洗顔用の温かいお湯とふかふかのタオルを持ってきてくれた。

「公女様、大丈夫ですか?」

「ありがとう。昨日は、凄かったよ」

「そのお話しを聞きたかったんです!」

 マリアが、前のめりで目を輝かせる。

 ハラリと、耳にかけた毛束が落ちる。

 改めて見ても、マリアはとても美人だ。

「ねえ、マリア。この国では、ブロンドヘアの人が多いの?」

「この髪ですか?そうですね、レミラン帝国には、明るい髪色の人が多いですね。特に貴族には。皇帝陛下は、代々ブロンドに青い瞳ですので」

「なるほどね。ピンク色の髪は?」

「以前の公女様の髪色は、とても有名でしたよ。ピンクゴールドの髪は、珍しいですからね」

「皇族とか貴族に、私と同じくピンク色の髪の女性って居たのかな?」

 私は、大して興味がないように全力で装う。

「私は存じ上げません」

「そっか、ありがとう。あ、あとね、皇帝陛下って、もしかして足が不自由なのかな?」

 マリアは、きれいな瞳を丸くして驚いた。

「皇帝陛下にお会いしたのですか?」

「あ、ううん。そうじゃないんだけど」

「不自由という程では無いはずです。公の場では、杖をついていますが、ご自分で歩かれていましたので」

 やっぱり、あのカウチに付いていたへこみは、杖を立て掛けていた跡。

 カウチがへこむほど、何度もあの場所に足を運んでいたのは、皇帝陛下だ。

 皇帝とエイヴィルの母親は、ただならぬ関係だった…?

「そうなんだ。ありがとう。そういえば、今日ステファン先生遅いのね」

「確かに、遅いですね。お食事はいかがなさいますか?」

「うーん」

 私が悩み始めるとすぐ、遠くからステファン先生の声が聞こえてきた。

 何だか様子がおかしい。


「いやだいやだ。僕も絶対に一緒に中に入る」

「いい加減にしなさい。ここで待っているんだ。遊びじゃないんだぞ」

「やだやだやだあああ」

 小さい子供?

 ただをこねている。

「マリア」

「はい」

 マリアがドアを開けると、廊下に転がる幼い男の子の手を、ステファン先生が必死に引っ張っていた。

「ステファン先生?」

 私が声をかけると、栗色の髪をした男の子は笑顔でこちらを振り向く。

 だが、その両目は閉じられている。

 目が見えないんだ。

「もしかして、公女様!?」

 両手を前に突き出し、笑顔でこちらへ向かってくる。

「待って!私がそっちへ行くから!」

 私はベッドから降り、裸足のまま男の子に駆け寄る。

 そして、両手を優しく掴む。

「公女様ですか!?」

 男の子が、笑顔で顔を天井方向へ上げる。

 私が膝をついていることが、分からないようだ。

 私は、男の子の両手を自分の頬に当てる。

「そうです。はじめまして」

 男の子は、驚いた様子で顔を下げた。

 そして、直ぐに笑顔を見せてくれた。

「わぁ!凄い。ずっと会いたかったんです」

 男の子は、キュッと私に抱きつく。

「ジル!」

 ステファン先生が声を上げる。

「大丈夫です、ステファン先生。この可愛らしい男の子は、どなたのお子さんですか?」

「私の息子です」

「…」

「…」

 …え?

 部屋に沈黙が流れる。

 後ろに控えるマリアを見上げると、目が点になっていた。

「ステファン先生…ご、ご結婚されていたのですか…?」

 推しの結婚発表を聞いたときのような、複雑な心境…

 ステファン先生が、パパだなんて…。

「いえ、私は未婚です。この子は養子として私が引き取ったのです」

 え?

 そうなの?

 なんだー。良かった。

「ジャイルズ・モンフォールです。どうかジルと呼んでください」

「はじめまして、ジル。エイヴィル・デ・マレです。仲良くしてね」

「はい」

 太陽が登るように、まん丸の笑顔を見せてくれた。

 何て可愛らしいの。

 焦げ茶色のサラサラの髪は、おかっぱのようにキレイに切りそろえられている。

 貴族の子供は、こんな感じなのね。

 小学校の入学式のような、きちんとした半ズボン姿だ。

「ジルくんは、今何歳なの?」

「えっと…」

 笑顔に、雲がかかってしまった。

「正確な年齢は分らないのです。実は、私が出会った頃、重篤な状況でして、しばらく意識を失っていたんです」

「しばらくって…」

「一年間ほど」

「まぁ」

 マリアが、口元を押さえる。

「ステファンに助けてもらって、今は何ともないよ!目は見えなくなっちゃったけど、色は何となく覚えてる。公女様の髪の毛が、ツヤツヤの黒色だってことも、ステファンに聞いて知ってる」

 私は、自分の髪を一束取り、ジルの右手に添えた。

「わああ」

「自慢の髪なの」

「ツヤツヤ」

 ジルを中心に、和やかな空気に包まれる。

 子どもの無邪気さは、いつだって尊い。

「ところで、今日はどうしてジルを連れてきたのですか?」

「あ、実は…シッターの都合が急遽つかなくなってしまって、致し方なく診療所へ連れてきたのですが。どうしても、公女様とカーライル卿に会いたいと言って聞かなくて…」

「それは大変でしたね。そういう時は、休暇を申請なさればいいのに」

「休暇ですって?こんなことでですか?」

「え?」

 マリアを見上げると、ステファン先生と同じくポカンとした顔をしている。

「マリア…あなた達メイドは、いつ休暇を取っているの?」

「私達のような使用人は、公爵邸に住込みで働かせていただいておりますし、お暇を頂くことはございません」

「え!休みないの!?」

 私が突然立ち上がるので、ジルが両手を伸ばし、私の足に触れる。

「あ、ごめんねジル。ちょっと驚いちゃって」

 ジルが、微笑みながら私の足に抱きつく。

 私はそっとジルの頭を撫でながら、マリアの方に顔を向ける。

「もちろん、家族に不幸があった時など、お休みを頂ける場合もありますが…。あとは、動けないほど具合がが悪い時ですとか…」

「良く分かった。ありがとう」

 こんな小さな子どもがいるシングルファザーが、早朝から深夜まで働き詰めのメイドが、休みをもらえてないですって?

 公爵邸、ブラック過ぎる。

 いい仕事をするためには、メリハリが何よりも大切なのは、身を持って体感してきた。

 警察官として、寝ずに働かなくてはならない時はもちろんある。

 休日に出勤することも珍しくない。

 でも、当直明けに良い書類は書けないし、休まず働いているような人間に、トレンドに敏感な少年被疑者の取調べ官は務まらない。

 そう。休暇は、心と体を休めるだけではなく、見識を深め、自己を充実させる機会としても重要なのだ。

 頭の硬い警察組織でさえ、ワークライフバランスの重要性が認識され始めているっていうのに…

「マリア。執事長とメイド長、それとカーライル卿を呼んできてくれる?」

「え!カーライル卿が来るの!?」

 足元で、ジルが飛び跳ねて喜ぶ。

「ええ。帝国一の剣士に会わせてあげる。でもその後は、パパと一緒に遊びに行くのよ」

「公女様?」

「ステファン先生。これは命令です」


 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

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