第十六話(1)
公爵邸の正門に馬車が付くと、公爵が迎えてくれた。
側には、執事長とステファン先生も控えていて、三人の顔を見た瞬間、何だかほっとして、泣きそうになった。
公爵に差し出された手を取り、馬車を降りる。
「何かあったのか」
「え?」
私をじっと見つめていた公爵が、静かにつぶやいた。
驚いた。
顔に出てたかな。
「心配して頂き、ありがとうございます。凄く素敵なところでした」
「そうか」
「今回は踊れませんでしたが、いつかお父様と踊ってみたいです」
「そうだな」
私達は、ほほえみ合う。
「ウェールズ卿。苦労をかけた」
「とんでもないことにございます、閣下」
「ウェールズ卿。ありがとうございました。ゆっくりおやすみください」
「公女様も、良い夢を」
ノアが、私の手の甲にキスをする。
私は、必死に平常心を保ちながら挨拶を受け入れ、公爵に並んで歩き出した。
その後ろに、カーライル卿が続く。
私は公爵と、他愛のない話をした。
ノアが侯爵家の人間だと知って驚いたこと。
馬車の乗心地。
首都の賑わい。
カーライル卿の人気っぷり(カーライル卿は間違いなく後ろで聞いていたはず)。
公爵は、時々優しく微笑みながら、相槌をうつ。
皇室や皇族に関する話は、意識して避けた。
「私はここで失礼する。よく身体をやすめなさい」
「はい。おやすみなさいませ、お父様」
「ああ。おやすみ」
私は公爵を見送る。
ちらりと目配せをしてくれたステファン先生に、グッドポーズをしてみせた。
「本当に、お身体は大丈夫なのですか?」
後ろから、カーライル卿が声をかけてくれる。
「はい。馬車の振動でも、痛みを感じませんでしたし、大丈夫です」
「そうですか」
カーライル卿は、思い詰めたような表情を浮かべ、目を合わせてくれない。
もしかして、気まずいのかな。
直接的ではないけれど、あんなシーンを見せられちゃった訳だし。
私も、初めて被害者に接する時、何て声をかけたら良いのか分からなかったっけ。
優しいカーライル卿に、気を使わせてしまったことが申し訳なかった。
「結局、皇太子殿下に贈り物をお返しすることは、叶いませんでした」
私から皇太子の話を切り出したことに驚いたのか、カーライル卿の肩がビクリと跳ねる。
「でも、お返ししたいという意思は、はっきりと伝えてきました」
私は、少し上を見上げる。
「裁判では、犯人からの謝罪文や謝罪の贈り物は、受け取ってしまえば受け入れたとみなされてしまいます。皇太子殿下が、どういうつもりで贈り物をしてきていたのかは、結局分かりませんでしたが、受け取リを拒否する意思を伝えられたのは、大きかったと思います」
カーライル卿は、黙って聞いている。
「それに、あんな不敬な態度を取った私とは、もう関わりたくないと思ったはずです」
私は、笑い飛ばしてみせた。
実際、あの場を切り抜けさえすれば良かったのは事実だ。
婚約発表を取り消すのは難しいが、公爵邸の悪女が皇太子にキスをしたところで、スキャンダルのネタになるだけ。
後は逃げ続ければ良い。つまり結果オーライだ。
何も不安に思う必要はない。
それなのに、カーライル卿は硬い表情を崩さない。
「護衛騎士として、公女様をお守りすることが出来ませんでした。自分は一体何のために同行したのか。本当に申し訳ありませんでした」
「そんな!カーライル卿が皇太子殿下をなだめてくださったではありませんか。本当に感謝しています」
「しかし…」
カーライル卿の表情が晴れない。
どうしよう。ここ最近、怒っているみたいだったし。
何故か私は、カーライル卿の顔色が気になってしまう。
…きっと私は、カーライル卿には、嫌われたくないと思っているんだ。
「…たいんです」
カーライル卿がボソリとつぶやく。
「え?」
「私は、公女様のお役に立ちたいのです」
それを聞き、私は興奮のあまり、カーライル卿の手を両手で掴んでしまった。
「こ、公女様?」
「あはは。カーライル卿!私も今同じようなことを考えていました!」
「同じこと…ですか?」
「はい!私は、カーライル卿には失望されたくないと思っているんです。心からカーライル卿を尊敬しているんです」
カーライル卿が、驚いた表情で、やっと目を合わせてくれた。
「今日の私の行動は、とても無謀で軽率でした。今はとても反省しています。私を軽蔑していますか?」
「そんな、とんでもございません」
「でしたらどうか、そんな顔はやめてください。また、マリアを気絶させるほどの、素敵な笑顔を見せてください」
カーライル卿を包んでいた、殺伐とした空気が和んでいくのを感じた。
「公女様」
カーライル卿は、柔らかく微笑んでくれた。
素直に笑ってくれるカーライル卿。可愛すぎる。
いや、まって。これってパワハラになるのかな。「笑え」って命令してるみたいかな?
私がぐるぐる悩んでいると、いつの間にかカーライル卿が片膝をついていた。
「私の剣は、自分の命を守る時、他人の命を守る時、凶悪犯を捕らえる時など、他に方法がないと判断した場合のみ使います」
「え?はい。私のお願いを覚えていて下さって、ありがとうございます」
カーライル卿は、ぐっと何かをこらえるような表情を見せた。
「おやすみなさい。カーライル卿」
「おやすみなさいませ。公女様」
広く、誰もいない、エイヴィルの部屋。
ここにいることにも慣れてきたが、いつものように、お邪魔しますと心のなかでつぶやいてから、ベッドに腰掛ける。
喉が渇いているが、大好きなメイドたちを起こしたくなかった。
ベッドサイドのランプの火を、そっと吹き消す。
暗闇の中、耳鳴りがする。
しばらくすると、ぼんやりと月の光に照らされた肖像画が浮き出てきた。
美しい、ピンク色の髪をしたエイヴィル。
青白い月明かりの下だと、薄い藍色に見える。
(謝罪の必要はない。前よりもずっといい)
ガラスケースに保管されていた、ピンク色の髪の毛を思い出す。
朝になったら、確認しないとならないことが、山ほどある。
ドレスのまま、ベッドに仰向けに寝転んだ。
まだ情報が足りない。
誰が、孤独だったエイヴィルを、殺したの?