第十五話(2)
僕は、いつものように自分の額の傷に触れた。
落ち着け。
落ち着くんだ。
怒りは、強くなるために必要な感情だ。
だが、飲まれてはならない。
怒りを体内に留め、コントロールできてこそ、真の騎士だ。
僕は、レミラン帝国のナイトであり、公女様の騎士だ。
皇太子に顔を寄せられ、目に涙をためながら、必死に抵抗する公女の顔が頭から離れない。
公女の乱れた口紅が、皇太子の仕業だと分かった時、怒りで頭が真っ白になった。
皇太子が、公女の唇に…触れただと。
キンッ
「お、おい!ジェレミー」
ノアに名前を呼ばれ、自分が無意識に剣を抜いていた事に気付いた。
「何やってんだよ!皇室だぞ馬鹿野郎!」
「ちょっと!ノア何やってんの!?」
公女の声が聞こえ、僕は反射的に剣を収めた。
「公女様。御用はお済みでしょうか」
「ありがとうございます、カーライル卿。何があったのか分かりませんが、ノアを許してあげてください」
「え、なん。俺は止めてただけだ!」
「公女様。馬車へ」
「ありがとうございます」
「無視すんな!」
馬車は昔から嫌いだった。
尻に伝わる振動も、ただ運ばれているという受動的な感じも。
でも、一緒に乗る相手によっては、秘密めいた、二人きりの空間になることを、俺は今日知った。
俺の贈ったネックレスを着けた細い首筋が、赤く染まるのが嬉しくて、からかうのを止められなかった。
もっと色んな顔が見たくて、目が合うだけで満たされて、このままずっと、目的地につかなくても構わないと思った。
そう。
あんなところ、行かなければ良かったんだ。
「お前、大丈夫なのかよ」
「え?」
「理由は分かったよ。あんなあり得ない方法…納得はできないけどな。ただ…その…」
「?」
「…嫌だったろ?」
ヒカリの瞳が一瞬揺れ、すぐにフニャフニャの笑顔を見せる。
「ノア、私の気持ちを心配してくれてるの?」
「何だよその顔」
俺は、ヒカリの頬を両手でつねる。
「いぃ!痛いよノア」
ふと、乱れた唇を思い出し、心がモヤモヤする。
皇太子に触れられたのがとにかく嫌で、思わず、利き手を使って、強く拭い取ってしまった。
そっと、ヒカリの唇に触れる。
口紅がついた手袋は、処分してしまった。
素手で触るヒカリの唇は、柔らかくて、温かい。
ヒカリの顔に、戸惑いの色が浮かぶ。
「ノア?」
「ごめん。強くこすりすぎて、少し腫れたな」
繊細で、小さな唇。
「大丈夫!でも、エイヴィルの身体なのに、勝手に…あんなことしちゃって。ノアの大切な幼馴染なのに」
自分は何ともないような物言いに、イラッとする。
「嘘に決まってるだろ。公女と俺は、幼馴染でも何でもない」
「え!」
ヒカリは目をパチクリさせている。
「デビュタントは?」
「エスコートしてない」
ぽかんと口を開ける。
その、油断しきった顔を見て、少しだけ気分が晴れた。
「ノア!やっぱりあなたは凄いよ!」
「はぁ?」
思っていたのと違う反応に、面食らってしまう。
騙されたのに、何喜んでんだ?
「私、取り調べの中で、カマをかけるのがどうしても苦手だったの。ずっと真面目に生きてきたから、正論をぶつけることしかできなくて。柔軟に嘘つけなかったんだよね。ノアの嘘は、息をするように自然だった!」
「…馬鹿にしてるんだよな」
「違う!本当に凄いと思ってるの。」
凄いか。
ヒカリに言われたい言葉だったけど…。
「オカって男も、そうだったのか?」
「ええ?岡部長!?私、岡部長のことまで話したっけ?」
「俺に似てたんだろ?よっぽどいい男だったんだな、お前の恋人は」
「確かに、雰囲気?気軽さ?は似てたけど…。そもそも恋人じゃないし。てか、何でノアが怒ってるの!」
いつの間にか、窓際までヒカリを追い詰めていた。
怒ってる?
そうだ。
俺は、こいつが生きていた世界の、見ず知らずの男にまで妬いている。
「ノア?」
思ったよりも重症だ。
自分が、こんなに独占欲が強い人間だったなんて、知らなかった。
「ヒカリさん、実は私と公女様は婚約してたんです」
「その嘘は笑えないから」
「ははは」
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