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第十五話(1)

 天使かと思った。

 ミルクティーベージュのストレートヘアに、真夏の空のような、深い青い瞳。

 細かいフリルが施され、露出の少ない品のあるドレスに、赤いサッシュが掛けられている。

「帝国の皇女殿下に、ご挨拶申し上げます」

 振り返ると、ノアとカーライル卿が敬礼をしている。

 この女性が…レミラン帝国の皇女。

 皇帝陛下の実の娘であり、エイヴィルの従姉妹。

 なんて素敵な女性だろう。

 気品に満ち溢れ、それでいて柔らかさも持ち合わせている。

 皇太子とはまた違った、皇族のオーラが感じられる。

 私も遅れながら、ドレスを両手で広げる。

「皇女陛下にご挨拶申し上げます」

「顔を上げなさい。その姿、記事は正しかったようね」

 皇女の表情からは、何の感情も読み取れない。

「公女。肖像画が見たいなら、ついてきなさい。二人は馬車で待つといいわ」

「しかし…」

 カーライル卿が声を上げるのを、ノアが静止する。

「失礼いたします」

 二人が立ち去るのを見送り、皇女が歩き出す。

 私は黙って、その後に続いた。


 広い廊下を進む間、何人ものメイドや使用人とすれ違った。

 みな、厳格に皇女に挨拶をし、私達が通り過ぎるまで壁に背をつけ頭を下げ続ける。

 階級が上がれば上がるほど孤独だと、捜査一課長に言われたことを思い出した。

 皇女は、皇太子と仲がいいのだろうか。

 マリアやイザベラのような、親しいメイドはいるのだろうか。

 お節介にもそんなことを考えながら、真っ直ぐな背中を見つめていた。

 

 大きな扉の前で、公女が声を挙げる。

「お前たちはここで待ちなさい」

「はい」

 柱の陰から、護衛騎士が二人出てきて敬礼をする。

 嘘でしょ。全然ついて来てるの分からなかった。

 尾行スキル高すぎる…。

 是非とも教えてほしい…。

 刑事時代、どうしても抜けない目の鋭さを、先輩に指摘されたっけ。

 尾行をするうえで最も大切なのは、いかに一般人になりきるか。

 街に溶け込むには、服装だけでなく、視線や気配にまで気を配らなくては、浮いてしまう。

 視線は対象からやや外し、視界の端で、相手の靴を捉えて追い続けられる様になったのは、つい先日のことだ。

「公女、何をしてる。入りなさい」

「は、はいっ」

 騎士の一人が扉を開けてくれる。

 ギィ

 重たそうな扉が、重たそうな音を立てると、油絵の具の匂いがした。

 ダンスホールと同じくらい開けた空間に、ひんやりしていて湿気の少ない、心地よい空気が漂う。

 コツコツ

 大理石の床に響く足音までもが、一つの演出のように感じるほど、完璧な美術館。

 ギィ

 重たそうな扉が、重たそうに閉まると、ホールは静寂に包まれる。

 皇女はくるりとホールを見渡し、口を開く。


「エイヴィル!本当に、本当に記憶を失ってしまったのですか?」

 皇女が私の手を、ガッシリと両手で包む。

「え!?」

 皇族特有の厳格な表情から一転、子犬のように震える愛らしい姿に、完全に面食らってしまった。

「あの…本当です」

「そんな…。だから、だから言ったのです。女に出来ることなんて無いと。大人しくしていればよかったのです」

「え!待ってください。皇女様は、私を刺した犯人をご存知なのですか!?」

 私があまりに前のめりになったからだろうか、皇女はこぼれ落ちそうなほど美しい目を、丸くした。

 またやってしまった。

 目の前に大きなネタをぶら下げられると、ついつい食いついてしまう。

 警部補になったばかりだからか、巡査部長の頃の勢いが抜けないでいる。

「犯人?何を言っているのですか?そんなことどうでもいいわ」

「…どうでもいい?」

「そうよ。重要なのは、大きな力から警告がなされたということです。エイヴィル、これからは求められた役割を果たしましょう」

「…求められた…役割?」

「国を動かす重役を担う男性達を、お支えするのです。彼等の胸に輝く勲章のように、帝国一豪華な装飾品のように、権威の象徴として、隣に居ること。それが、私達皇族の血を引く女の存在意義なのです」

「皇女様、先程の姿勢、態度、言葉遣い。とても淑女を演じていただけとは思えないほど、素晴らしい立ち振る舞いでした。それこそ、人の上に立つ…」

「まだそんな事を言っているのですか!?」

「…っ」

 皇女の手に、ぎゅっと力が入る。

 まだ?

「エイヴィル…。私は、貴方が死んでしまうかと思いました。一命を取り留めたと聞いて、どれだけ嬉しく思ったか。私のことを忘れてしまったのはとても残念ですが、同時にこれで良かったとも思っています。どうかこれからは、平穏に生きてください」

 皇女は、ポロポロと大粒の涙を流した。

 子どものように顔をぐちゃぐちゃにして泣く天使を、思わず抱きしめた。

 エイヴィル、見てる?

 あなたのために、こんなに涙を流してくれる人が居たよ。

 私は、嬉しくてたまらなかった。


 

 その後、皇女に何を聞いても、答えてはくれなかった。

 エイヴィルが、何をしようとしていたのか。 

 何故、刺されることになったのか。

 警告とは、一体どういう事か。

「エイヴィル。時間が無いわ。またいつもの方法で手紙を送るから」

「皇女様!いつもの方法って…」

「信書を担当しているメイドに確認してください。私は先に戻らなくてはなりません」

 ギィ

 皇女がドアの前に立つと、勝手に扉が開く。

 流石、皇女付きの騎士。

 皇女は、一瞬で厳かな雰囲気に切り替わる。

「公女の気が済んだら、馬車までエスコートを」

「かしこまりました」

 バタン

「…」


 広い美術館に残され、静寂が鼓膜を刺激する。

 皇女とエイヴィルは、かなり親しかった事はわかった。

 だけど皇女の発言には、引っかかる点が多すぎる。

 私は一度深くため息を付き、改めて大きなホールを見上げ、ゆっくりと歩き出した。

 コツコツ

 足音だけが響く。

 その音で、私が独りぼっちだということを、改めて指摘されているような気持ちになった。

 壁一面に飾られた、肖像画の数々。

 最も目立つ場所に掲げられた、あの人物が現皇帝だろう。

 当たり前だけど、公爵に似ていて格好いい。

 上品に揃えられた髭が良く似合っている。

 公爵とは、だいぶ年が離れている印象だ。

 ぐるりと見渡しても、公爵やエイヴィルの肖像画は見つからなかった。


 知らない顔が続く中、皇女の肖像画を見つけた。

「ベアトリーチェ・ウィルヘルム・レミラン。ミドルネームは、亡くなった前皇后陛下の旧姓から取っているんだ」

 皇女の肖像画の斜め上には、皇太子の肖像画が飾られている。

 大きさや位置からも、二人の関係がよく分かる。

「血の繋がった実の娘よりも、大きく描かせたのね…」

 皇太子の整った顔を見ていたら、何となく怒りが湧いてきた。

 それなのに、皇太子の余裕のない息遣い、柔らかい舌の感触を思い出し、顔が熱くなる。

「あんなの、不同意わいせつだ。顔がいいからって、許可なくあんな…」

 いやだから、最初に許可なくキスをしたのは私だ。

 …また、不敬罪が恐ろしくなった。

 

 気を紛らわすようにホールを歩き続けると、ふと、模様が不自然に途切れている壁を見つけた。

 心臓が高鳴る。

 よく見ると、壁と同じ色に塗色された蝶番もある。

 これは間違いなく、隠し扉だ。

 私は壁を丁寧に触り、足元に、指が2本くらい入るくぼみを見つけた。

 そこへ指を入れ、指先にあたった金属の留め具を上に押し上げると、壁の一部が手前に開いた。

「やった」

 腰をかがめないと通れないほど、小さな入口だった。

 私は、入ってすぐの壁に掛けられたランプに火を灯す。

 灯りに照らされたその場所は意外と広く、8畳くらいの空間だった。

 薄いカーテンの先には、一人用の素敵なカウチが置かれ、サイドテーブルにはガラス製のチェスボードが乗っている。

 カウチの背もたれの一部が、不自然に小さくへこんでいた。

 私はそのへこみをさすりなが、サイドテーブルに近付く。

 チェスは良く分からないが、駒が進められているのが分かった。

「誰と対戦してるの?」

 ふと、対戦相手側を照らすと、一枚の肖像画と目があった。

 そこに描かれていたのは、ピンク色の髪をした美しい女性だった。

「え?エイヴィル!?」

 恐る恐る、肖像画に近づく。

 よく見ると、瞳の色がエイヴィルとは違っている。

「デメトリア・レミラン」

 名前の頭文字は、Deだ。

 この顔に、この名前。この女性はエイヴィルの母親だと直感した。

 でも、どういうこと?

 レミランを名乗っている。

 エイヴィルの母親は、メイドのはずでは?

 肖像画まであるなんて…。

 それだけじゃない。

 肖像画の横に、長方形のガラスケースが置かれ、中にはピンク色の髪の毛が一束保存されている。

 繊細なドライフラワーと一緒に、黄緑色のリボンで丁寧に束ねられている。

「これは…どう解釈すればいいの?」


 考えなくてはならないことは沢山あるのに、なぜか肖像画から目が離せない。

 エイヴィルは生まれてからすぐに公爵邸に移り住んでいる。

 この肖像画を見たことがあったんだろうか。

 私はカウチに腰掛け、少しの間、親子の対話に付き合うことにした。


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