第十四話(2)
「わっ」
皇太子が踵を返し、ヒカリの手を引きながら会場の出入口に進んでいく。
「殿下!」
俺はバルコニーに続く階段を駆け上るが、頭上で扉が閉まる音が聞こえ、足を止める。
一気に会場がざわめき立つ中、今見た光景が脳裏に張り付いて離れない。
ヒカリが、自分から皇太子にキスをした?
あの、ワインの香る、愛らしい、小さな唇が…
「クソっ」
俺は再び、走り出す。
「殿下。申し訳ありません」
怒ってる。
こちらを振り向くことなく、ずんずん廊下を進んでいく。
それはそうだ。
あんな大勢の面前で、突然女性側からキスをされるなんて。
高貴な人間の口の塞ぎ方が、どうしても思いつかなかった。
話を遮ることも、口を手で防ぐこともできない。
追い詰められた私の頭に浮かんだのは、エイヴィルに関するゴシップ記事だった。
我ながら安易だが。
「殿下。本当に申し訳っ…」
急に手を引かれ、大きな柱の影で、強引に唇を重ねられる。
皇太子の息が上がっている。
私も苦しくて、口を開ける。
「あっ」
柔らかく、熱いものが押し込まれた。
驚いて目を開けると、熱を帯びたアメジストの瞳に見つめられていた。
どんどん深くなっていく。
何てか弱いの、エイヴィル。
見た目以上に固い皇太子の胸板は、押してもびくともしない。
「ふぁっ」
何とか顔を逸らすも、顎を持たれてしまう。
「その顔。ノア・ウェールズにも見せているのか」
「なにをっ…」
「公女様!」
軽やかな足音に、金属の擦れる音が混じっている。
皇太子はピタリと動きを止めた。
私は、振り返りたい衝動を必死に抑え、皇太子を睨みつけたままでいる。
瞬きをしたら、安堵で滲んだ瞳から、涙がこぼれ落ちるのが分かるから。
カシャン。
「恐れ多くも、ジェレミー・ソルソ・カーライルが、皇太子殿下に申し上げます。公女様のお身体へのご配慮を、何卒お考えください」
カーライル卿。
「はぁはぁはぁ。殿下!」
ノア。
二人が来てくれた。
私は皇太子から目を離さない。
目を離したら、負けだと思った。
皇太子は、しばらく黙って私を見下ろすと、静かに口を開いた。
「…それで良い」
え?
「カーライル卿。公女を頼んだ」
「はい」
皇太子は、マントを翻し歩き出す。
その後ろを、近くで控えていたヴァレリア首席補佐官が慌てて続く。
二人の姿が見えなくなった瞬間、私は一歩後ろによろめいた。
そんな私の肩を、カーライル卿が優しく支える。
「カーライル卿、助かりました。あなたの足音が聞こえた瞬間、私がどれだけ安心したか分かりますか?」
「公女様。一体何が…」
はっとした表情をした後、カーライル卿が私にハンカチを差し出す。
涙は引っ込めたんだけど…
もしやと思い唇に触れると、ベタつきが広がっている。
「あ、口紅…」
「おい!」
ノアが私とカーライル卿の間に割って入り、左手で私の唇を拭う。
「ノア!手袋が…」
「お前、何やってんだよ!何で皇太子なんかとキスしたんだ!」
「こ、皇太子なんかって!誰かに聞かれたらどうするの?この世界では、不敬罪っていうので直ぐに殺されちゃうんでしょ!?」
はっ。
この世界とか言っちゃった。
慌ててカーライル卿の方を見るが、何やら固まっていて聞こえていないようだ。
良かった。
というか…。
先に同意なくキスをしたのは私だ…。
私こそ、不敬罪で殺されちゃうんじゃ…。
「とにかく、帰るぞ」
「あ、待って。ちょっとだけ」
私は我に返り、ノアを引き止める。
「ああ!?まだ何かやらかそうと思ってるのか!?」
「ち、違うよ」
ノア、物凄く怒ってる。
私のことを、心配してくれてるのが伝わる。
本当にノアは、仲間想いの良い奴だ。
「皇帝陛下や、皇室入りした人達の肖像画を見たいの」
「エントランスホールで見ただろ?」
「もっと詳細なのが見たいの。皇帝陛下のお顔も、よく分からないし」
「でもな…勝手に皇室をウロウロするわけには…」
コツコツ
華奢な靴音が近づいてくる。
「でしたら、私がご案内いたしましょう」
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