第十三話(1)
コールがかかると、会場が静寂に包まれた。
ノアに促され、中二階になっているバルコニーの端まで進むと、巨大なダンスホールが姿を表した。
シャンデリアがいくつも飾られた、まさに豪華絢爛なフロアには、帝国中の貴族が集まっていた。
こんなに人がいたなんて。
全員が、今、私達を見上げている。
想像を遥かに超えた規模と威圧感に、思わず足がすくんでしまった。
それに気づいたノアが身体を丸め、繋いでいる私の手の指先に軽くキスをした。
私の身体がピクリと反射し、ノアを見上げる。
「この会場で、あなたが一番キレイだ」
ノアが、罪深いほど完璧な笑顔を向けてくれる。
「…あはっ。そうだよね。私は今、エイヴィル・デ・マレだもん」
私達は、鼻先の距離で笑いあった。
ノアが私の手を引き、慣れた手つきで自分の腕に回すと、会場に続く階段へと足を進めた。
ノアのお陰で、冷静さを取り戻した私の耳に、ザワザワと話し声が聞こえてきた。
(見て。あの髪と目の色。記事は本当だったんだわ。恐ろしい)
(ウェールズ卿とどういう関係なのかしら)
(昔弄んだ男に刺されたって噂、聞きまして?)
(今日は何をしでかすことやら)
(素敵なドレス)
(よくも皇室に来られたわね)
(ウェールズ侯爵家の嫡男が舞踏会へ参加するなんて、珍しいな)
(ウェールズ卿、素敵だわ)
エイヴィルに対して、好意的な人はほとんどいないようだ。
それに引き換え…
「ウェールズ家って、侯爵だったのね」
「言ってなかったっけ?」
「令嬢達は、みんなノアを見てる」
「何だよ、妬いてんのか」
ノアはニヤニヤして、楽しそうだ。
侯爵家の嫡男で、こんなにかっこいいなら、あのマリアが何も言わなかったのも納得だ。
私だけ知らなかったのが悔しくて、わざとツンとした態度を取った。
「まさか。歳下は恋愛対象外です」
そもそも、こんな浮世絵離れしたイケメンたちは、遠くで眺めるアイドルくらいにしか思えない。
ヤキモチだなんて、おこがましい。
「え、おい。それって…」
突然、ファンファーレが鳴り響く。
「帝国の白き太陽、チェザレイ・マエル・レミラン皇太子殿下のご入場です」
一瞬で、会場の空気が変わった。
皆一斉にバルコニーの方へ身体を向け、頭を下げる。
その隙に、ノアが敬礼している姿を盗み見る。
様になってるな。
って、そんな場合じゃないでしょ水野。
やっと、皇太子殿下のお出ましなんだから。
コツコツコツ
頭上で足音が響き、会場全体の緊張がビリビリと皮膚に伝わる。
皇太子が何も言わないから、誰も顔を上げられない。
「公女。顔を上げてくれ」
ドクンと心臓が高鳴る。
私が、呼ばれた?
私だけ?
額にじっとりと汗を感じながら、ゆっくりと顔を上げた。
バルコニーに立つ男は、スラリと背が高く、紺色の礼服に真っ白なスラックス姿だった。
金の糸で皇族の紋様が刺繍された、礼服と同じ色のサッシュを肩にかけ、その上に白いファーのついたマントを羽織っている。
…マリア。あなたの言った通りだった。
真夏の銀河が降るプラチナブロンド。
アメジストも劣る紫の瞳。
頭のてっぺんから爪先まで、美しく、完成された、王子様。
でも、どうして?
どうして、そんな、今にも泣き出しそうな笑顔で、こっちを見ているの?
「チェザ…」
突然自分の口から勝手に出てきた言葉に驚き、私は咄嗟に両手で口を塞ぐ。
今のは何?
私の意志とは無関係に、言葉がまるでこぼれ落ちたみたいに…
戸惑う私の様子を、隣で頭を下げたままのノアが心配そうに見つめる。
コツ…コツコツコツ
皇太子が、バルコニーを下りて、こちらへ向かってきている。
会場にいる、私以外の人間は皆、頭を下げたまま、動けずにいるのに。
私は、両手でスカートの裾を持ち、腰を落とす。
「マレ公爵家長女、エイヴィル・デ・マレが、帝国の白き太陽、皇太子殿下にご挨拶申し上げ…」
ガバッ
挨拶の途中に、突然抱きしめられる。
「こ、皇太子殿下?」
礼服の装飾品が、ヒヤリと頬に当たる。
何だか、懐かしい匂いがする。
「無事で良かった」
え?
「…」
私は、突然の展開に思考が追いつかない。
ゆっくりと身体を離され、熱い視線が注がれる。
私は目を丸くして、皇太子の潤んだ瞳を見つめることしか出来なかった。
「皆、顔をあげよ」
貴族達が一斉に顔を上げ、ホールのど真ん中にいる私と皇太子に注目する。
「今宵は、公女の無事を祝う場によく集まってくれた。皆、楽しんでいってくれ」
え?
わぁあああっ
会場が一気に沸き立つ。
「公女様、万歳!」
「よくぞご無事で!」
「その髪色も、絹のように艷やかで、美しいですわ」
「その星空のようなドレスは、皇太子殿下の贈り物ですか?とても素敵です」
やられた。
皇太子の誕生日を祝う舞踏会じゃなかったのね。
手のひらを返した貴族達に囲まれながら、チラリと、輪の外のノアに視線を送ると、ノアもお手上げといった表情で首を横に振る。
私が皇太子を見上げると、すぐに目が合った。
皇太子は歓声の中、こちらを見つめていたようだ。
私は、皇太子を睨みつける。
だが、愛らしいエイヴィルの全力のメンチは、あっさりと微笑み返されてしまう。
でもその表情はやはり、泣きそうなほど切羽詰まった、愛情に満ち溢れていた。
どうして?
なぜ、そんな顔をしているの?
「公女、踊れるか?」
皇太子は、美しい所作で手を差し出す。
あまりに自然だったので、思わず手を取りそうになると、ノアが割り込んでくる。
「帝国の白き太陽。皇太子殿下にご挨拶申し上げます」
「ノア・ウェールズ侯爵令息か。久しいな」
皇太子の対応が急に冷やかになり、辺りが緊張感に包まれる。
「お会いできて光栄にございます。大変申し訳ございませんが、公女様のお身体に障りますゆえ、ダンスは控えるよう主治医より助言を受けております」
ノア、こんなきちんとした話し方ができるなんて。
その所作は、完璧な貴族だった。
勝手に食堂に押しかけ、タメ口で食事をねだっていた自分が、今更恥ずかしくなった。
「…」
皇太子は、じっとノアを見つめる。
「…その胸の薔薇は、パートナーからの贈り物か?」
ノアの瞳が微かに揺れる。
「…はい」
ノアの頬に、汗が一筋流れる。
微かに、周囲の貴族たちがざわついた気がした。
「…では、最初のダンスはウェールズ卿に任せるとする。音楽を」
皇太子が声を張ると、会場に優雅なワルツが流れ始めた。
それを合図に、ノアの周りに令嬢たちが群がる。
「ウェールズ卿、私と踊ってくださいませ」
「私に、最初のダンスをご一緒させてください」
そんな混乱の中、皇太子に優しく手を引かれる。
「公女、こちらへ」
いよいよだ。
しっかりしろ、水野。
(チェザ…)
皇太子に手を引かれながら、エイヴィルの口から出た言葉の意味を模索する。
愛称で呼ぶほど、二人は親しかったってこと?
頭をフル回転しながら、皇太子に繋がれた手を見つめる。