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第十二話(1)

 パタパタと廊下を進む。

 小走りくらいなら出来るくらい、傷の経過は良い。

 これもステファン先生の丁寧な治療のお陰だ。

 ステファン先生は、朝一番に私の部屋へ来て、傷の手当をしてくれる。

 その前に、公爵の元へ診療に行っていることが最近分かった(それとなく、誘導尋問をした結果だけど…)。

 公爵は、長い間昼と夜が逆転し、明け方ステファン先生に睡眠薬を処方してもらい、眠りにつくそうだ。

 どれだけ新聞記事を遡っても、公式行事に公爵の名前が出てこなかったのも、そのためだろう。

 王位継承権を放棄したのも、もしかしてこの事が理由なのかな。

 それにしても、エイヴィルとは完全なるすれ違い生活だったって訳か。

「公女様」

 声のする方に顔を向けると、公爵邸のエントランスホールに、カーライル卿が立っていた。

 いつもの騎士服とは違い、華やかな軍服姿だ。

 胸元には金色の勲章がいくつも輝き、金色のモールが肩章に何本も伸びている。

 髪はきちんと整えられていて、久しぶりにおでこの傷跡が露わになっている。

 だがその傷が、軍服姿に更なる深みを与え、色気を醸し出している。

 長く重厚感のあるマントの背中には、近衛騎士団の紋様が堂々と刺繍されている。

 かっこよすぎる。

 ぼーっとしながら、カーライル卿に近付く。

 目の前に立ち見上げると、カーライル卿も私と同じくぼーっとしていることに気付いた。

「カーライル卿?」

 はっと覚醒し、右手を胸に当て、カーライル卿が一歩下がった。

「公女様にご挨拶申し上げます。今日は一段と…その。お美しいです」

「ありがとうございます。メイド達が頑張ってくれました。カーライル卿も、とても素敵です」

「支給されている軍服ですが、お褒め頂きありがとうございます」

 あ。

 笑顔。

 最近ずっと不機嫌だと思っていたのは、私の勘違いだったのかな。

 ホッとして、思わず顔がほころんだ。

 いつものように差し出された左手に、右手を添える。

「参りましょう。外に馬車を待たせています」

「はい」

 ゆっくりと歩き出す。

 思えば、公爵邸の外に出るのは初めてだ。

 エントランスの大きな扉の前に、執事たちが並んでいて、そっと扉を開けてくれた。

「いってらっしゃいませ」

 扉の外はもうすっかり日が落ちている。

 優しい暖色の灯台の数々が、大きな噴水に反射し、幻想的な世界を演出している。

 ひんやりとした夜風に吹かれ目を開くと、長い石の階段の下、豪華な馬車の前に、男性が立っている。

 誰?

「手を取る相手を間違えていますよ」

「え?ノア!?」

 狼のような青年だと思っていた。

 荒々しくて、真っ直ぐな、野生の狼。

 そう思ってたのに。

 白い詰め襟の上衣に、銀色のモールが華やかに並んでいる。

 白のスラックスに、黒色のブーツ。

 赤い重厚なロング丈のジャケットを、斜めに肩に掛けている。

 そして…

「タ…タオルは?」

「あははっ」

 前髪の隙間から覗く、血のように赤い瞳に射抜かれる。

 シルバーブロンドの髪は想像よりもサラサラで、おでこの真ん中で分けられている。

 外に跳ねる長い襟足が、ノアに良く似合っている。

「ラーメンヤは、お休みだ」

 そう言いながら私の左手を取り、手の甲にキスをする。

 嘘でしょ。

 心臓がバクバクと高鳴る。

 キスした私の手を、ノアは自分の頬に持って行く。

「こういうのが、お好きなのでは?」

 ノアは切れ長の目を細め、片側の眉毛だけをキュッと上げた。

 やめて~。

 顔が沸騰しそうだった。

 何なら、腰から溶け落ちそうなほど、全身に熱を帯びている。

 ノア、こんなにイケメンだったの!?

 何か、気軽に接しててごめんなさい。

 目を回している間に、ノアとカーライル卿が睨み合っていたことに、私は気付かなかった。

 カーライル卿が、私の手をノアの頬から引き離し、一歩後ろへ下がる。


「首まで真っ赤だぞ」

 ヒヤリとした何かが、首に当たる。

 ノアは、いつの間にか私の後ろに回っていた。

「あ」

 馬車のガラスに近づくと、シルバーのネックレスが、私の首に巻かれているのが分かった。

 レースでできたチョーカーのように、繊細で細かな加工がされている。

「素敵。このドレスにピッタリ…。もしかして、合わせたの?」

 振り返ろうと首をひねると、ノアは私の後ろで腰をかがめていて、頬が触れそうになった。

 私は思わずたじろぐが、そんな私を逃さないよう、後ろからそっと両肩に手を乗せられた。

 ノアが私の耳元で囁く。

「キレイです」

 鏡越しに赤い瞳に射抜かれ、息が止まった。

「ウェールズ卿」

 再びカーライル卿が、ノアを引き剥がす。

 二人が何か言い争っているが、私は舞い上がった気持ちを落ち着かせるのに精一杯で、全く耳に入ってこなかった。

 完全なる男社会に身をおいていた女にとって、これは刺激が強すぎます。


「手を」

 馬車の前で、ノアが右手を差し出す。

 こんな、王子様みたいな仕草も自然にできるんだ。

 手を取ろうとした時に、イザベラに渡されたコサージュのことを思い出した。

 私は、腰に挟んでいたコサージュを手に取る。

「あ、ノア。これ」

 私はノアに近付き、胸元にコサージュを(何とか)着けた。

「よし」

 顔を上げると、ノアの顔が赤らんでる気がした。

 至近距離で目が合うと、ノアが手で口元を隠し、横を向く。

 手袋にも、素敵な刺繍が施されている。

「お前、この意味分かってるのかよ」

「え?こういう決まりなんでしょ?」

「何で、赤い薔薇なんだよ」

「ノア、赤い花が似合いそうだったから…。赤い花といえば、薔薇でしょ?」

「…」

「…?」

 ノアはふっと笑い、胸のコサージュに触れる。

「ありがとな。ほら」

 再び手を取り、私を馬車に乗せた。

 


 軽やかな蹄の音と、ジャリジャリとタイヤが回る音が心地いい。

 公爵邸は、首都と隣接しているようだ。

 少し進んだだけで、賑わった通りに差し掛る。

 露店が並び、活気に溢れている。

 昨日の花火といい、舞踏会が開かれる日は、城下町もお祭りみたいな感じなのかな。

 人々が、私の乗っている馬車に気が付くと、前方を指差し、満面の笑みを浮かべはしゃいでいる。

 前の方を覗くと、馬に乗るカーライル卿の後ろ姿が見えた。

 帝国史上最強の騎士、ジェレミー・ソルソ・カーライル。

 鮮血に染まる赤い狂犬。

 本当に、英雄なんだ。

 風になびくマントが、カッコいい。

 私もあんな管理職になりたかったな…。

「そんなに外が気になるのか?」

 ギクリと肩が跳ね、ゆっくりと声の主の方へ視線を向ける。

 足を組み、舐めるようにこちらを見つめる美しい狼。

「目の前に、こんないい男が居るのに」

 分かってますとも。

 でも、こんな密室で、直視するには色気が凄過ぎるんです。

「あははは…。それよりもノア、私の前では砕けた話し方をしてくれるようになって、嬉しい」

「それは失礼いたしました」

「ちょっと。嬉しいって言ってるのに、何でかしこまるのよ」

「なぜって。ヒカルさんは、私よりだいぶお姉さんみたいですから」

「んなっ!」

「あははは」

 うっ。マズイ。その笑顔は。

 本当にカッコ良すぎて、顔を向けていられない。

 私はまた、ふいっと窓の方を見る。

「へー…」

 急に馬車が揺れたと思ったら、ノアが私の隣に座り直した。

 ふわっと、薔薇のコサージュが香る。

「ノア?」

 振り返ろうとすると、後ろからノアの右手が、馬車の窓に伸びてきた。

「そんなに外の景色が見たいなら、俺がここでガイドしてやっても良いけど?」

 後ろからの、壁ドン?

 いや、馬車ドン?

 じゃなくて、さっきもそうだったけど、近すぎるよノア。

「それか、ジェレミーのことが気になるのか?」

 ノアの声が耳元で聞こえ、身体が硬直する。

 何だか怒ってる?

「違うよ」

 私は、ふうっと一つ息を吐き、窓の外を見つめたまま、意を決して言葉を吐き出す。

「ノアが、急に格好良くなっちゃったから、目を合わせるのが、恥ずかしかっただけ」

 あー。

 言葉にすると、余計に恥ずかしい。

 耳が赤くなってるのが自分でも分かって、さらに恥ずかしい。

 ノアからすると、いい歳の女が何照れてんだって感じだよね。

 穴があったら入りたい。

「はは。そっか…かっこいいか。やったなノア…」

 ノアが、私の背中におでこを付けながら、何か呟いている。

「ノア?」

 後ろを振り返ると、ノアが嬉しそうに笑っていた。

「いや?何でもない」

 ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。

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