終幕
その思いは誰のもの?
姉妹。それは私と彼女の関係を示す言葉。それを口にするだけで誰もが私たちをそう信じる。ただ、同じ覚だというだけで。いくらでも偽れる同じ名字を冠するだけで。
超然とするその二文字は二人が遠くにいたとしても、私たちを縛り続ける。
けれども、それが違うのだとしたら。確かに彼女のことを信じきれなかったことに合点がいく。当初の私の予感は的中したことになる。だが、それでいいのか? 本当に私はそれを望んでいたのか?
記憶の中で微笑む姉の笑顔が崩れていく。それはやがて大きな染みとなり、陽炎のようにゆらゆらと揺らめきながら彼女の中で瞬く間に広がっていく。
『姉妹じゃないならあの人は誰であなたは誰なんだろうね?』
その前提として考えられるのは三つ。
『あなたが偽物か。彼女が偽物か。それとも、二人とも偽物だったか』
けれども、
『けれども、』
真実に辿りつく手がかりがない。
『あるよ』
どこに。
『あなたの救いが詰まっているその眼に』
私の救いって何だっけ。
『眼を開ければあなたは再び無意識に戻れるかもしれない。確かにそれもあなたが求めていた救い。でも、あなたには未練がある。あなたの知らないあなたのこと。理由が欲しいんでしょう? 誰もが仕方ないよねと納得できるような眼を閉ざした理由が。認められたかったんだよね』
────。
『あるんだよ、全て。求めている答えが。あなた自身の中にね。ほら、答えはもうあなたの目にも見えるはずだよ』
そう言った少女はこいしの第三の眼を指差す。
『自分のことを知りたいと思うこと。それが、眼を閉ざす前の彼女が課した眼を開く条件』
咲くことを諦めた蕾が徐々に花開いていく。
こいしは衝動的に眼を手で塞ごうとしてしまう。動揺が隠しきれない。こんな形で叶うことを私は望んでいない。考えるな、自分のことを。逃げてきたではないか今までだって。自分という存在から。古明地こいしという存在から。それでも生きてきた。それでも笑ってきた。心を痛めながらも。夢を見ながらも。何者でもないまま。きっと、何者にもなれないまま。
『何をそんなに恐れているの?』
少女はこいしの顔を下から覗き込むように見る。
『あなたが眼の開け方を教えてほしいって言ったんでしょ? これがあなたの望んでいたことなんでしょ?』
その間にも瞼は開く。両手でも押さえつけることができない。「古明地こいし」が脳裏に焼き付いて離れない。
やがて、瞼の奥からはどろりと赤黒い血液が溢れ出す。それはまるで、失くした何かを取り戻すため、這い出るかのように。開きゆく瞼の中にはあるはずの眼球が見られない。その代わりに血で染まった一輪の薔薇が顔を覗かせる。
「これは──造花……?」
こいしの表情が青ざめていく。
「そんなわけない。そんなわけない‼ だって、私の心はここにある! 他の何物でもない! 私の心が! 惨めで、ちっぽけで、愚鈍で、不完全な私の心! どうせ作り出すのであれば、完全な心を目指すはずでしょう⁉ こんなガラクタ同然のものなんてわざわざ作り出す意味がない! ほら、今だって私の心は痛がっている! 苦しんでいる! この心が本物ではないというのなら何が本物だというのよ! 私の心は叫んでいる! この感情を生み出した私の心が作り物のはずがない‼」
それは紛れもない心からの叫び。
『あなたの心は眼を閉ざす前のあなたが一から作り出したもの。本物と寸分違わず生み出されたそれは、本物と寸分違わない感情を生み出すでしょう。けれども、所詮作り物は作り物。与えられた役目しか果たせないようにできている』
「私は私の意思で生きてきた! 何かを、誰かを愛そうと思い生きてきた!」
『作り物の心で何を好きになるの? 誰を好きになるの? そもそもあなた、これから何を信じて生きていくつもりなの? ねえ、気付いてる? あれほど苦しんでいた、あれほど捨てたいと思っていた感情に今のあなたは縋り付いていることに』
「なら、私は誰のために苦しんでいたというのよ……」
『じゃあさ、確かめてみる? 果たしてその心が本物か」
確かめ方など言われずともわかっていた。
『言ったでしょ? あなたは真実と向き合うことで、これからの道を初めて自分の意思で選択することができる。さあ、今が選択の時。全ての道が一つに繋がる時。求めていた答えは今、あなたの中に』
私はあれほど疎んできた自分の心に初めて触れる。垂れてきた血液が腕を伝う。何気なく親指で花弁を拭った時、私は目にしてしまう。その薔薇の本当の色を。
けれども、指は止まらずに茎の方へ滑っていく。途中、棘で指の腹が裂け、血が滲む。だが、痛みなどもはや感じられない。
茎を手のひらで握りしめる。この奥に本当の私の心が芽生えていることを信じて。私は薔薇を────。
「作り物の心ではあなたは未来永劫救われない」
影はまだ消えない。なぜならば、少女は元々こいしの影ではないから。では、始めは誰の影であったのか。ゆったりと開けた少女の目はただ一方向を見つめていた。
それは、この場にいたもう一人の存在。おもむろに立ち上がるその表情は髪の毛で覆われ、窺い知ることはできない。手折った薔薇を握りしめて横たわるかつて古明地こいしと呼ばれていた誰かのもとへ近づき、そっと、口づけを。
その瞬間、すみれ色の髪は緑がかった銀髪へと変化していく。髪は伸び、瞳の色も、輪郭も、背丈も他の何もかもがこいしの姿へと変貌していく。ただ一つ、こいしにはあるはずの第三の眼はどこにも見られないという点を除いて。そして、彼女はこいしの側に置かれていた帽子を掴み、暖炉の中へと投げ入れた。
ぼうとたちまちに帽子は燃え上がる。その炎は瞬く間に暖炉の外へと広がり、部屋中を囲うように赤く包み込む。その中心で彼女は楽しそうに腕を広げ、笑い出す。
「罪を擦り付けられた聖女様もこんな感じだったのかしら!」
くるくると踊るように回り出す。まるでそこが世界の中心だと言うかのように。その様子はさながら世界が終わったことに気付かず踊り続ける自動人形のようだ。だが、その人形が世界が終わったことにとっくに気付いていたのだとしたら。気付いた上であえて踊ることを選択していたのだとしたら。
やがて、炎は絨毯へと燃え移り、ついには彼女の体へと燃え移る。
「いいの? 影すらなくしたらあなたは妖怪ですらなくなってしまう。ただそこにある現象と化してしまう」
燃え上がる炎の中で、視線を流すように返し見る彼女の目だけがこちらを見つめる。
「恋に死んだあなたではアイを知ることは叶わない」
そうして、二人の少女は炎の壁で完全に分断されてしまう。たちまちに炎は影の体にも燃え移り出す。燃え盛る自分の手を見つめる。それが二つの炎が混ざり合っていることに気付いた影は拳を握りしめ、自らの胸に当てた。
「敵わないな、私には。そっか、全て見抜かれていたんだ。でも、ということは、あなたは自分の望みを知れたということだよね」
見えない太陽に手を翳し、少し困ったような表情で笑う。
「やっぱり朝は苦手だなあ」
────全ては尽きることない炎に包まれる。