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幕間

行き交う人 行き交う雑音

みんな殺されていく

殺されているのに笑ってる

私だけが泣いている

肺に突き刺さるような冷気に包まれた部屋のベッドで彼女は目を覚ました。茫とした意識の中、心地の良い雨音に耳を澄ます。心も凍る冬の夜。途切れることなく降り続けるその音は、彼女に生の実感を与えてくれる。


ゆったりと上体を起こし、窓を一瞥する。そして、目線だけをドアに向けた。


「この眼などなければよかったと思うことはありましたか」


彼女の目が覚めたのは雨音が原因ではない。ドアの前に誰かが立っている。目を凝らすまでもない。体に巻き付く特徴的なコードとそれに繋がる第三の眼。それは、自らと同じ種族である覚であった。すみれ色の髪をしたその少女の容姿はあまりにも幼い。一見すると迷い込んだかのように見えなくもない。しかし、直接的なその問いかけは、明らかに自らと同じ覚である彼女に対して投げかけられている。つまり、少女は初めから彼女に会うことを目的としてここに訪れたということだ。


突然の訪問者、そして唐突なその質問に彼女は取りも直さずにあるとだけ答える。その瞬間、虚ろだった少女の目が見開かれ、次には大粒の涙が溢れだす。どうやら、その二文字でも少女の心を救うには十分だったようだ。しかし、急にしゃがみ込み、えずき出してしまう。彼女は駆け寄り、背中を擦ってやる。少女はその後も数度えずいていたが、次第に落ち着きを見せ始めた。


「大丈夫ですよ。ここにはあなたに敵意を向ける者はいませんから」


感謝とばかりに少女は微笑む。世界の始まりのように清らかで柔らかなその表情で彼女に危害を加えるために訪れたのではないことが手に取るようにわかった。やがて、少女は下を向きながらぽつりと言葉を零す。


「……私にはお姉ちゃんがいるの」


聞けば、相手の心を読む能力を持つことで嫌われ、それに傷付いてしまう少女にはどれほど忌み嫌われようとも絶対に揺るがない心を持つ対照的な姉がいるという。しかし、少女は自分の姉しか覚を知らない。どちらが覚として正常で、どちらが覚として異常なのかがわからなかった。そこで、どちらが正しいかを知るために人々のトラウマの隅に映り込んだ僅かな彼女の影を辿りこの館へ来たという。


才能というものはつくづく恐ろしいものだと彼女は思う。確かに、それは彼女がいつの日にか才能のある覚を自分のもとへ来るように仕掛けたほんの些細な撒き餌である。しかし、それを見抜いたのがこんなにも幼きものだとは。より成熟しているであろうその姉はどれほどの才能を持っているのだろうか。


「ここまで来るのにとても疲れてお腹も空いたことでしょう。料理を用意するので召し上がっていかれたらいかがですか。とても、ええ、とても美味しい料理ですよ」


抱きしめながら耳元で幼子を諭すように柔く囁く。応えるように強く抱きしめ返されるのを確認した彼女の口からは白い歯が顔を覗かせる。



少女は気付かない。すでに彼女は少女を通して別のものへ目を向けていることに。




一足先にダイニングの椅子へと座らされていた少女は料理を運んで来た彼女の姿を見て息を呑んだ。彼女の第三の眼が赤い糸で縫い付けられていたからだ。


「お姉さん、その眼……」

「これでようやく対等に会話をすることができますね」

「……ありがとう」


少女は彼女の心を読めていなかった。そのことに少女の心を読んで気付いた彼女は自らの第三の眼を閉ざしたのだった。対等な立場に立とうとしてくれた彼女の優しさに少女は涙を堪えるように口を結ぶ。


縫い付けた程度では完全に相手の心を読めなくなる訳では無いにしろ、その行動は明らかに常軌を逸していた。自らの性質を放棄するにも等しいその行為は自殺行為と言わざるを得ない。だが、その大胆な行動が返って少女の胸を打った。会ったばかりの相手であろうと自分の身を危険に晒してでもその相手の気持ちに寄り添おうとする。それこそが、心を読める者の為すべきことだと少女は心の奥底で抱え続けてきたからだ。


これだ。これだ。これこそが、私が目指していた存在だ。相手の心を読めるからといって驕らず、心を読める存在であるからこそ相手の気持ちに寄り添おうとする。やっぱり、私は正しかった。姉のような考えを持つ覚ばかりではないのだ。


初めて自分が存在する価値があると思えた。初めて生きていていいんだと言ってもらえた気がした。嫌われて心を痛めたあの日から、この世界の全てがちぐはくに見えていた。この世界が正しいのか、自分が間違っているのか。それに悩まされ続けてきた。


願いと呼ぶにはあまりにも傷付いてしまった、あまりにも泥に塗れてしまった。それでも、捨てることはできずにいつしか自分でも忘れてしまうほど深く、そして深くにしまいこんでしまっていた。


掬い上げたそれを指で拭うと、確かにあの日の輝きはそこにあった。もう二度と見失わないように強く握りしめる。


「……泣いてばかりでごめんなさい。でも、あなたに会えて本当によかった」


堰き止めることは叶わずに、涙は次々と溢れ出してくる。


「ええ、私も同じ気持ちですよ」


雨は依然として止まず。




「体調はいかがですか?」


温かいスープを啜り、肉料理を頬張る少女を満足そうに眺めながら彼女は問いかけた。


「ううん。あんまり良くないかな。なんかね、この館に入ってから、頭が重いしガンガンするの。でも、こんな美味しい料理を食べたらきっとすぐに治っちゃうよ」

「能力の調子も戻らないようですね」


少女は自らの第三の眼を両手で持ち上げる。


「あのね、言葉にするのが難しいんだけど、ノイズがかっている感じがするの。何かの音が聞こえてくるのはわかるんだ。でも、それが何を言っているのかまではわからない。これはお姉さんの心の声なのかな? 違う気がするんだよね。だって、これは絶え間なく降り注いでくる。一定の音を区切りもなく反復し続けている。息継ぎもせず、ずっと喋り続けることのできる者がいないように、一切の区切りなく思考し続けられる者はいないもの」

「きっと雨の音ではないですか?」

「それはおかしいよ。だってそうしたら、




──────雨はこの館の中で降っていることになるんだ」




彼女はそれを聞き、口を歪める。


場に残る感情すらも感じ取れるとは、共感性と感受性が著しく高い覚なのだろう。やはり、彼女の見立て通りであった。処理しきれないほどの強い感情に当てられて、能力も使えない状態に陥っているのにも関わらずそこまで言い当てるその才能。


「(これはこれはとんだお客様がいらっしゃいました。この先まだまだ伸びるでしょう。でも、それでも)」



────まだ、足りない。



「随分と広いけど、ここはお姉さんのお家なの?」

「元々は違います。ですが、今はもう私の家と言っても差し支えないでしょう。とても落ち着くのです、ここは。いえ、落ち着くように私がしました」

「それってどういう……」


ゆらりと彼女は髪を揺らす。


「すぐにわかりますよ」


少女は最後の一切れの肉を口に運ぶ。


傾き始める視界の奥でこちらを見つめる彼女の口は嫌らしく吊り上がっていた。


「(あれ? どうして、笑って……?)」


食器が割れる音、ナイフとフォークが床で跳ねる音がほぼ同時に。やや遅れてドサリと重いものが落ちる音が続く。


「う、あああぁああぁ……」


少女は床で頭を抱え、体を丸める。


「熱い、熱い、熱いの! 体が、体がとても熱いの‼」

「何か見えるものはありますか?」


彼女はしゃがみ込み、冷静に少女の様子を観察する。


「何か? 何か……。ああ、そう! 燃えている! 私の中で何かが燃えているのが見える! ねえ、お姉さん助けてよ! とても苦しいの」

「何が燃えていますか?」

「お姉ちゃん。お姉ちゃんが燃えている。ああ、やっぱりお姉ちゃんは狂ってた! 間違っていたのはお姉ちゃんの方だった! それなのに! あいつは私のことを憐れみの目で見てきた! いつまでも自分だけの箱庭に閉じこもって心を読めない者を見下して! ええ、そう! あんな覚は生まれてくるべきではなかった! 血の繋がっている私だけがその間違いを正す責任がある! ああ、憎い! ねえ、お姉さん、私あいつが憎いの!」

「共感性と感受性が高いのも考えものですね。食べた相手の感情にさえ影響されてしまうとは」

「お姉さん。熱いの、苦しいの。私が私じゃなくなっていくの。中身が全て溶け落ちていくの。私はいつまで私でいられるのかな。助けてよ、ねえ。お願い、助けてください」


彼女は少女の手を取る。


「私にできることは、あなたの心に花を植えることだけです。それでも良ければお手伝いいたしましょう。ただし、もしそれが咲くときにはもう一度ここに来て私に見せていただきたいのです」


それは一つの取引。その意図を少女は全く掴むことができない。しかし、少女は縋り付く。少女は懇願する。


その必死さ、惨めさ、憐れさを見て、自分と同じ種族でもこのような顔ができるのだなと彼女は心底感心した。そして、自らの第三の眼から、縫い付けた糸を抜き取る。







「私なら知っていますよ。お姉さんの絶対を崩すただ一つの方法をね」


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