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第六幕

あなたの希望を残らず潰して

その上であなたに手を差し伸べたら

私はあなたの希望になれるのかな 

一度眠れば永久に覚めることのない微睡みの淵でさとりは一人の少女に出会う。それは、自身と同じ覚。その容姿に彼女は見覚えがあった。それは、彼女の妹。古明地こいしが完全に眼を閉ざす前に思い描いていた人物そのものだった。


「あなた……本当に覚なの……?」


震える唇でさとりは尋ねた。たちまちに怯えを宿した瞳は小刻みに揺れながら目の前の少女を映す。張り詰めた緊張感が一瞬にしてその場を支配する。強まる吹雪の音はその隙を逃さず、さとりの意識をこの世界に縛り付けて離さない。


体は疲労で動かない。しかし、覚醒しつつある意識だけは、全神経を張り巡らせろと叫びだす。着実に、確実に死よりも恐ろしい何かが迫りくる予感。


「なぜ?」

「だって、あなたの思考は読めるけど、感情が読めない。ううん、違う。そもそもあなたには、


────自分の心が、ない」



少女の笑い声が部屋中に反響する。突然の出来事に困惑しているさとりにすいと顔を近づけこう言い放つ。


「なら、あなたの心をくれますか?」


パキパキとどこかで凍りついていく音がする。それが自らから発せられたものだと気付いたときにはもう手遅れだった。「視界」がぼやけていく。

とてつもない重圧感が体にのしかかり、脳が絞り上げられるような感覚。能力の処理への多大な負荷。流れ込む情報の渦に溺れていく。止まらない冷や汗。


歯を食いしばって耐えながらも睨みつけるさとりに少女は人差し指を突きつける。


「覚同士が相対したとき、相手の心を深く読んではなりませんよ。読んだ相手の心には読もうとした自分の心が映っている。合わせ鏡のように終わりのない読み合いは能力に重い負荷をかけるのです」

「あなたがこいしの眼を……!」

「それが彼女の願いだったんですもの」

「あなただって第三の眼を閉じればこいしが自分の存在を保てないことはわかっていたはずでしょう!」

「ええ、だから咲かせてあげたのです。心に咲く花を」


そう言った少女の手には一輪の青い薔薇が握られていた。それを見たさとりは目を見開く。


「それは……!」

「とても綺麗な薔薇。見ていると吸い込まれそうな深い青。知ってますか? 青は遠い色なんです」

「それは許されるべきことじゃない! 心を物質化するなんて! そんなこと明らかに妖怪の範疇を超えている! あなたは本当に……?」

「その質問に意味などありませんよ」

「あなたは────」

「素晴らしい姉妹愛です。ですが、あなたは彼女の気持ちを知っていましたか? 本当にあなたたちはお互いを大切に思い合っていたのでしょうか?」


少女は顔の位置まで掲げた薔薇の茎を手持ち無沙汰に指で転がしながらさとりに尋ねる。


息を呑む。的確にこちらの弱みを突いてくる。こいつの目的は何だ。


「その答え、教えて差し上げましょうか?」


そうして差し出された薔薇の茎にはあるはずの棘が無かった。婉美な花弁とは対照的に棘を抉り取られたような跡を残した茎は痛々しさを感じさせる。それでも、確かに花は咲いていた。求めていた真実が目の前にある。それが罠であることは火を見るよりも明らかだ。


我々は知らないことを知ろうとする。例えそれが、自らの身を滅ぼすことになろうとも。それこそが、我々の歴史であり、罪でもある。そして、彼女もまた、例外ではなかった。故に、さとりは震えながらも手を伸ばす。しかし、さとりの手に渡った瞬間、青薔薇は一瞬にして燃え上がり瞬く間に灰と化す。


「乾いた心はよく燃えますね」

「どう……して……?」

「まだわかりませんか? あなたは彼女に憎まれていたのですよ。他者の心を読める覚が自分に一番近しい存在の心を読めないとはなんたる皮肉でしょう。こんなにも優秀なのに、どうしてそこには気づけなかったのでしょうね?」

「こいしが私のことを憎んでいた……? そんなことあるわけ……」

「降り積もった怨嗟はやがて燃え出す。それは積もれば積もるほど長く強く」

「こいし! ねえ、嘘よね⁉ あなたが私のことを憎んでいたなんて! 私の何が嫌いだった⁉ 私の何が悪かったの⁉ 目を覚まして教えてよこいし! お願い。目を、覚ましてよ……。あなたにさえ嫌われなければと思い今日まで生きてきた! それなのにあなたにまで嫌われたというのなら、私はこれからどうやって生きていけばいいのよ……」


さとりはこいしの肩を掴み揺するが、返答はない。ポロポロと大粒の涙が頬を伝う。外の雪はいつの間にか収まり、広がる静寂が現状を事実として深く心に植え付ける。


その様子を見て、少女は心底楽しそうに嫌らしい笑みを口に浮かべていた。


「どうしてそんなにも笑っていられるのよ……。誰かの不幸がそんなに楽しい……?」

「救われた彼女をどうして喜んであげないのですか?」

「自分の心を持っていないあなたには知り得ることはない」

「憎いですか? 私のことが。あなたの妹があなたのことを憎んでいたように」

「…………作り物の心を持つあなたは未来永劫救われない」

「救われないことこそが私の目的です」

「────違う。あなたは確実に救いを望んでいる」

「…………」


その一言で場の雰囲気が切り替わり、会話の主導権が奪い取られる。こちら側が優位であったはずなのに一瞬にして盤面が覆された。古明地さとりという存在の強さを少女は強く思い知らされる。やはり、他の覚とは一線を画していた。けれども、少女はそれに動じず彼女の心の綻びから決して目を離さない。


「仮にあなたの言っていることが正しいとするならば、それは救いを望む前段階の目的として救われないことを望んでいることであるはず。あくまでも途中目標であり、最終目標ではない。あなた自身そのことについて気付いているのかまではわからないけどね。あなたの過去に何があったのかは知らない。でもね、私だってそれなりに地獄というものは経験してきているのよ。あなただけが特別なわけではない」

「似たもの同士ですね。私たちは」

「いいえ、あなたと私では決定的に違うわ」

「妹という救いを失った今、あなたも今後救われることなど望んでいないでしょう?」

「私だって救われるのであれば救われたい。けれど、そんな道がないことなどとうにわかりきっているから諦めて求めていないだけ。あなたのように救われないことを積極的に求めてはいない。どれだけ苦しくても私はこいしと二人でいられればそれでよかった。他には何もいらなかった! なのに、それすらも許されないというの! 私のたった一つの願いすらもあなたたちは踏みにじって! この世界はどこまで私たちを追い詰めれば気が済むの! 私は──」


突如、ぞくりと得体の知れない何かが第三の眼を伝い心の臓をなぞりあげる感覚。次の瞬間、粘度と重量を伴う何かが濁流のようにさとりの内側に流れ込んでくる。息がせり上がり上手く呼吸ができない。瞬時に身構え距離を置こうとするが、体勢を崩してしまいよろけながら膝を突く。どくりどくりと心臓の鼓動が体内に反響する。


「埋まらないぞ、その隙間は」


少女はさとりの方へおもむろに歩み寄り、顔を覗き込む。


「埋められますよ、二人なら」

「……あなたの目的が今ようやくわかった。あなたの目的は自身の奥底に眠る希望を知ること。でも、自分が本当は何を望んでいるのか知る術がわからない。だからこそ、絶望をして希望を炙り出そうとした。ただ、自らの望みを知らない以上、絶望する方法がない。そこで、あなたは今までに自分が見てきた感情をもとに作り出した心を持つ別の自分に絶望させて、絶望を味わおうとしている。あなたの望みなど端からわかりきっているというのにあなたはそれに気付かない」

「ならば、やはり私たちは似た者同士ですね」

「こんなことをして得られた絶望など、本物の絶望なんかじゃない」


さとりは少女の襟を掴む。



「違和感を抱えながら死んでいけ。この世界が私たちを許すことはない。あなたの居場所など初めからどこにも存在しない」                



吐き捨てるようにそう言い残すと、次第にさとりは項垂れたまま動かなくなる。


数秒後、飛び起きたさとりはすぐさま呻き声をあげながら頭を抱え、その場に蹲ってしまう。まるで何かに取り憑かれたかのようなその光景を少女はさも満足げに眺めていた。


溶けていく。溶けていく。溶けていく。私である何かが。私であった何かが。けれども、それが何かはわからない。どうしてもわからない。あと一つ嵌めれば完成したはずのパズルからピースが一つまた一つと消えていく。早くどうにかしなければ嵌める位置がわからなくなって取り返しのつかないことになってしまう。それなのに、消えたピースの行方がわからない。


さとりは半狂乱で両手で少女の首を締め上げる。その首がひどく冷たかったことを覚えている。それだけが、記憶に染み付いて離れない。拭う

ほどに刷り込まれる靴に付着した泥のように染み込み離れない。離れない。離れない。離れない。それ以外が思い出せない。


「わからないわからないわからないわからないの! あなたがだれなのかわたしがだれなのかわからない! あなたはどうやってあなたになったの⁉ わたしはどうやってわたしになったの⁉ でもわたしはだれかをにくんでいた! それでもわたしはだれかをにくんでいた! わたしはなにをうしなったの⁉ わたしはなにをえたの⁉ なにか……。なにかが……」



────何かが、燃えている。



「それだけは決して絶やしてはなりませんよ。それはあなた。それがあなた。それだけがあなた、古明地さとりなのですから」

「古明地……さとり……」

「じきに身体に馴染んでいけば少しくらいは自分のことを思い出せるようになるでしょう」


少女は首にかかる手をそっと解き、指と指を絡ませる。やがて、二人の影は重なり、一つになる。出かけた言葉がひび割れ、崩れ落ちていく。埋まらない隙間。埋められない隙間。その奥で確かに燃える何かを見た。外側だけが溶け残る。自分と相手の境界線がわからない。余白の埋め方がわからない。


いつの間にか開け放たれた窓から入ってきた吹雪が部屋中を吹き荒ぶ。身体に積もるその雪が溶けてくれることはない。


白に染まりゆく世界の中で少女の笑顔だけが咲いている。決して枯れることのない花。けれども、この世界に新しく何かを生み出すことのできない花。


少女はさとりの頬に触れる。すると、小刻みに揺れていた瞳が徐々に落ち着きを取り戻していく。両者の視線はピンと張られた糸のように、あるいは重さの合った天秤のようにお互いを一直線上に釣り合う。


ゆらりと小首を傾げた少女は目を細める。そして、歪めた口がより一層歪められ、甘たるい声が鼓膜に垂らされる。






「大丈夫。私たちきっといい姉妹になれますよ」


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