第3話 奴隷商人達は旧知の皇太子妃と談笑する
「2人とも待っていたわ。いらっしゃい♪」
ふんわりとした満面の笑みを浮かべて、俺達2人を出迎えたのは、長い水色の髪が特徴的な見目麗しい令嬢、彼女の名はソフィア。彼女は帝城の彼女の執務室の隠し通路から出た先にある離宮の庭園の東屋のテーブルで、俺とエクリナを待っていた。
甘美な芳香で五感を徐々に狂わせ、失わせ、中毒者には死ぬまで淫夢を見せるという帝宮魔薔薇に周囲を囲まれたこの離宮は普通に正面から入るのは不可能。
俺達が通った帝城にある隠し通路を使わなければここには安全に到着できない。
余談だが、帝城内でこの離宮に通じる隠し通路の存在をアルサルは知らない。
現在、帝城にある全ての隠し通路を把握しているのは現皇帝、皇后両陛下とソフィアとその侍従達(奴隷)、そして、俺とエクリナだけ。
両陛下達から俺達3人に隠し通路のことは他言無用と厳命されているが、同時に、自由に使っていいと許可されている。
ソフィアはシヴァ帝国に隣接している大森林から時々出てくる凶悪な魔物から帝国を前身の王国の時代から、代々守護しているカーン辺境伯家の長女。彼女の母は俺の母の妹、俺の叔母に当たる。だから、ソフィアは俺とアルサルとは従兄妹になる。
ソフィアは同年代のシヴァ帝国貴族の令嬢達の中で特に優秀だったため、他の候補者を抜いて、学園の勉強と並行して在学中に皇太子妃教育を修了し、令嬢達の人心も学園を卒業した後の今もなお、見事に掌握している。
ソフィアの実家のカーン辺境伯家は、ソフィアの妹のマリアが後を継ぐことが決まっていて、姉妹仲は良好。頻繁に文通して近況を報告しあっているのは周知の事実だ。
病で臥せていたという俺の叔母、ソフィアとマリアの母はとある冒険者によって、病ではなく、呪いを受けていたことが判明し、同時にその冒険者によって命を救われたこと。
また、少し前に大森林内で魔物大氾濫の兆候が確認され、その原因を調査し、原因の周囲に集まっていた魔物の大群相手に、マリアが大奮闘する大立ち回りをして、鎮静化したという大活躍をしたらしい。
そのマリア嬢の使いでやってきた冒険者が預かってきていた手紙にそのことが詳しく書いてあったそうで、ソフィアはその文面から、マリアに好きな異性ができたことを察し、喜んでいる。
常に絶やさず浮かべている、その魅力的な笑みから、不思議と警戒心が薄れがちになってしまうが、ソフィアは元姫将軍だったエクリナと文武において、互角に渡り合う女傑だ。しかも、そのエクリナとは幼馴染で、今も大親友という関係は続いている。
「アルド様、そのお顔に着けていらっしゃる仮面はアルド様に似合っていますけれども、今は外してくださらないかしら?」
どこか妙に迫力がある笑顔で、そう言うソフィアの要請に俺は話題の仮面の下で、頬が大きく引き攣ったが、素直に従った。そんなソフィアと俺のやりとりを見て、隣に座っているエクリナは苦笑いを浮かべた。
ソフィアは本来、学園を卒業と同時に、皇太子となったアルサルと結婚して、名実ともに、皇太子妃となって、皇家の一員となり、世継ぎをつくっている時期だが、肝心のアルサルが皇太子教育を未だに修了していないため、ソフィアの帝国内での形式上の身分は辺境伯令嬢のままだ。
とはいえ、皇太子妃教育をソフィアは修了しているので、彼女をそのまま遠く離れた辺境伯領へ戻す訳には今の皇室はいかなかった。ソフィアは学園を卒業と同時に、帝都にある辺境伯邸から、出仕して、現皇妃様の公務をサポートしつつ、その仕事を覚え、皇太子妃の公務と並行して、随時引き継いでいる状況だ。
まぁ、だいたい、終えていなければいけない皇太子教育を、学園卒業から2年経った今も修了していないアルサルが悪い。皇太子教育の内容の大半は、過去の事例に沿った状況判断を養うものが中心で、歴代皇太子も、学園在学中に終えているし、最遅記録も卒業から、ぎりぎり2年経たない時に修了している。
閑話休題、俺とエクリナ、ソフィアの3人の談笑の話題は、専ら、お互いの近況、お互いが把握している帝国各地の貴族達の状勢の情報の確認等々、お互いの実務に関わる色気のない話題が中心で進むが、俺は不思議と悪くないと感じている。
シヴァ帝国の中枢の更に一部の貴族しか知らないことだが、アルサルの予備の役割がある帝位継承権第二位の俺は、ソフィア同様に、王太子教育は既に修了しているのもあり、本来、アルサルがやるべきだった皇太子の公務をソフィアと共に代行している。
なぜ、皇太子教育が修了している俺がアルサルを差し置いて皇太子にならないのかというと、俺が乗る気ではないというのもあるが、アルサルを支持している面倒な貴族勢力があるのと、まだアルサルが継承権を失う程の失態を犯していないというのがある。だが……
「アルサル殿下はまだ帝位継承権を失う程の大きな失態を犯されてはいません。しかし、最近、特に目立つようになった帝国の身分制度、奴隷制度を軽視した発言を両陛下は懸念されていて……」
ソフィアは執務時には絶対見せないだろう疲れた表情を浮かべながら、手に持ったティーカップを傾けつつ、そう漏らした。
「さっきも廊下で追いかけて、俺にエクリナと店の奴隷を解放しろとか訳の分からないことを喚いていた。先ほど知ったことだから、エレイソン家は調査を開始したばかりだが、誰の入れ知恵か、陛下達は把握されているのか?」
今の帝国が奴隷の存在で成り立っていることは、貴族の子弟でも最初期の幼年時の基礎教育で習う内容。
アルサルは上位貴族の子弟同様に、専属の家庭教師から、その必要性に迫られて、早期に勉強を始めたのだが、その家庭教師に問題があった。
前身のルドラ王国からシヴァ帝国に変わったときに帝国へ臣従して子爵位を賜った共和制国家の人間で、自分勝手な正義と共に、声高に帝国の身分制度に異を唱える厄介な人物だった。
発覚するまで巧妙に隠されていたその本性は、アルサルの家庭教師になって、アルサルに影響が出るまで、陛下達も気づけない程、本当に巧妙に隠されていたため、発見が遅れ、結果として、アルサルの身分制度や奴隷に対する考えは帝国で一般的な認識と異なり、歪んだ。
両陛下の尽力と新たに就いた家庭教師の努力もあって、アルサルの歪みは治ったかに思われていたのだが、後に上辺だけだったことが分かる事件が起こった。
「私と両陛下と共有している情報では、内容は私事だからと殿下に確認を拒否されたからわかりませんが、どうやら、現在もまだ側近として周囲にいる令息達が持ち回りで、学園時代に問題を起こしたあの男爵令嬢からの殿下への手紙を預かってきているみたいです」
これまでで一番大きな嘆息とともに、ソフィアはそう告げた。
「ああ、あの頭のネジをダース単位で失くしている言動をしていた令嬢ですか」
エクリナが辛辣な言葉で応えたが、さもありなん、既に婚約者がいる貴族の令息に手あたり次第に色目を使って、彼等の婚約を婚約破棄に発展させた悪女。
婚約破棄になったと思しき件数は、両手で数えられる数を軽く超えているが、決定的な証拠がなかったために、令息の非だけが認められ、男爵令嬢は無罪となった。
そんな問題児の「人は身分に縛られず、全ての人は平等である」ということだけを声高に繰り返し、根拠が全くない極端な平等思想に、共感したアルサル達が、その男爵令嬢、バーバラと懇ろになって、後押しをして、事件が起きた。
授業を抜け出して、学園の門前でアルサルが演説をする計画をしていたのだ。
学生とはいえ、アルサルの身分は皇族。演説内容によっては帝国の威信に関わる。計画は事前に発覚したため、未遂で終わった。
判明したその演説の内容は、奴隷制と身分制度の撤廃をアルサルが宣言するという実行されていたら、今の帝国にいい結果が起こらないことが簡単にわかるものだった。
また、未遂だったため、アルサルを支持する貴族勢力から、上奏された多くの嘆願を陛下達、帝国首脳は見過ごすことができず、アルサル達は失態ではあるが、更生の余地ありとして、罰としては軽い部類の謹慎処分で済まさざるを得なかった。
俺は頭が痛くなったが、横にいるエクリナも同じ様に、俺と頭痛を堪えている表情をしている。事件後に、バーバラは、帝国の社交界で爪弾き確定である異例の学園から退学処分をくだされた。
男爵領へ戻った後、父の男爵が屋敷で謹慎させ、最近になってようやく、バーバラを修道院送りにするつもりだったことまでは把握していたが、今一度調べ直す必要が出てきた。
「陛下の勅命で、お2人が今度向かう男爵領は、アルサル殿下の教育に関わった、件の元子爵の実家の子爵領と、バーバラ嬢がいる男爵領とはそれぞれ1つだけ他家の領地を挟んでいますが、十分に警戒してくださいね」
ソフィアのその言葉に見送られる形で、俺とエクリナは離宮を後にした。