功績
これは、人生に行き詰った新聞記者の、あるハロウィーンの一日。
<――本日、渋谷では実に五年振りのハロウィーンの賑わいが見られました。二年前に渋谷一帯の大規模な防犯カメラ設置工事を終えたこともあり、今年は……――>
アパートの一室。つけていたテレビが興味のない話題へと移ったので、俺は割り箸をカップ麵の容器と一緒に持ち、その反対の手でリモコンを使ってテレビの電源を切った。
「はあ。こっちは何もなくて困ってるって言うのに……どこかにスクープは無いものかな」
高校卒業後に新聞記者として就職してもうすぐ三年が経つ。一年目の時に立て続けに起こった著名人の謝罪会見で偶然の功績を重ねていき、今までは難なく暮らせていたが、そろそろ大学卒の同僚達が仕事に慣れ始め、俺の学歴がマイナスに働き始めている。今日も高校時代のジャージ姿で即席麵を片手に同僚の書いた記事のを上に通せるようなものか確認する作業をしており、(どうせ、あいつらが書いた記事に間違いなんてないのだろうが)また記事を書かせてもらえるにはスクープでも持っていければと思っていたところだ。
と、その時、家に響くパソコンの音から生まれた憂鬱な空気を煽るような――ピンポーン――メルヘンチックなインターホンが鳴った。誰かと思ってドアスコープから見ると、そこには奇妙な格好をした中ぐらいの背の男が。耳や尻尾の先がとがっていて全体的に黒い肌をスーツで包んでいる。時期的に見て、どうやら仮装らしかった。俺はドアを開けて。
「悪魔が私に何の御用でしょうか。トリックオアトリートなら渋谷に行って下さい。今は忙しいので」
「いえいえ、とんでもございません。そんなふざけたことをしに来たのではないのです。ただ、記者である貴方が望むものを渡して差し上げましょうかと」
なぜ職業を知っているのか、怪しいと思った俺は少しだけ話を聞いてみることにした。もしかしたら、自宅で仕事をするようになった俺の仕事ぶりを確認するために来た会社の人かもしれない。まあ、だとしたらあまりにおかしな格好だったが。
「どういう意味でしょうか。望みなんてないですよ」
「ご謙遜なさらないでください。同僚を出し抜くためのスクープが欲しいのでしょう?良ければ私がその願いをかなえて差し上げましょう、と言っているのです」
「そんな。本物の悪魔じゃあるまいし」
「では、無料でお試しになりますか?気に入らなければこの話は無かったことで構いません、もしお気に召しましたらこの番号まで」
そう言って、スーツ姿で悪魔の恰好をした男は名刺を俺の前に出してきた。受け取ると、その『お試し』とやらに了承するということになるのだろう。だが、このままの生活を続ける気になったことは一度もなかったので、案外さらりと受け入れることができた。
「では、本日の七時五十二分ごろに、この交差点にいらして下さい。二人の子を連れた女性が、居眠り運転をしていた車にはねられて皆死にます。私は記者の道を通ったことが無いので確かではないですが、大事故の瞬間をとらえればスクープと呼べるのではないでしょうか。人気も少ないので他の記者に見られることもないでしょう」
「なんだ。胡散臭い話だな。しかもここ、渋谷じゃないか。ここからどれだけ遠いと思っているんだ」
「それでしたら、こちらを交通費に使っていただければ。今から出発すれば間に合いますよ」
交通費まで出してくれるなんて、いやに親切じゃないか。俺が外出している間を漁ろうにも、高卒の住むアパートの中には盗むものなんて滅多にない。電車代を差し引いてもまだ余るぐらいの金額だったため、騙されたつもりで行ってみることにした。
言われた交差点に到着し、時刻は七時五十分になった。道路自体はなかなか広いが、まず人が居なさ過ぎて事故など起こる気配もなかった。
そう思っていると、何やら後ろの方から多くない人数が歩いてきた。何かイベントでも終わったのだろうか。人の来る方を見ていると、少し息が止まってしまった。親子だ。しかも、小さな子供を二人連れた女性。偶然の可能性もまだ十分あるが、あの男の言うとおりになった。慌てて時刻を確認すると、腕時計の長針は五十一を指していた。
「すいません。少しいいですか」
「はい、なんでしょうか」
咄嗟の判断にまかせ、女性へ話しかけた。事故が起きないのならそれでいい。とにかく、自分が見ている前で人が死ぬのは見ていられない。
「お子さん達、とてもかわいいですね。この仮装はどこで買ったものですか」
「いえ、これは私が趣味で作ったものですが……」
「あぁ。いや。自分の姪もここに来ていて、同じような仮装だったのでつい見間違えてしまって」
「はあ……」
歩行者用の信号が点滅し始めた。すると、何か食べ物でも買ってきたのだろう、奥の方から両手に香ばしい匂いのする荷物を持った人が来て。
「もしもし。妻に何か?」
「あ。パパ」
「この人のせいで信号赤になっちゃったよー」
「こら、失礼なこと言わない」
信号の点滅から赤一色に変わる関わらないくらいのその一瞬。背中に風が当たったと思い左を見ると、一台の車が電柱に衝突しており、まちまちに人が集まっていた。
「いえいえ、すみませんねいきなり。では」
帰り道、ポケットからスマホを取り出そうとして出てきたあの男の名刺は、気味が悪くなって渋谷駅東口に入る時に捨ててしまった。結局、進まなかった作業を取り返そうとしていたら、日にちが変わってしまっていた。
いくら功績を上げたいと言っても、事故があると分かってて見殺しになんてできるはずがない。それが自分の昇進のためにしかならないならなおさらだ。そんなことをできるのは余程の人でなしか、もしくは、それこそ本当の――。