003「入門」
おれが渡した本はおよそ1000頁にわたって魔法学がつづられている、ジジイ直筆のとんでもない本だ。
おれはそのあまりの物量に嫌気がさして読むことを放棄したが、あいつはちゃんと読むはず。
さて読破に何日かかるか。暗記まで命じているから、うまくいけば半年は稼げるかもしれない。
「クケケ……一流にしてやるとは言ったが、いつまでに、とは決めてないからな……精々だらだらやらせてもらうぜ」
おれの邪悪な笑い声が地下室に木霊する。
おれはここ最近常に地下室で鍋に向かっている。時に材料を足してみたり、おれの”魔力の素”を注入してみたり、思いついた魔法をぶつけてみたり。
そんなことを毎日毎日繰り返し、しかし何も起きない。途方に暮れそうになるほど成果のない研究。しかしこの研究を完成させなければおれはいつまでも安心して暮らせない、大事な研究だ。
おれが強大にすぎるあまり、こんな苦労をしなければならないとは……。
強いというのも考え物だな。
兎角、もはやおれのライフワークと成り果てたこの研究が終わるまで、おれは遊ぶこともサボることも出来ないのだ。
ルナとかいう素人の面倒を見るのも、研究がひと段落ついてから。
◇
二日後。
小窓から陽光が射し込むのと同時に私は手にした本をバチンと閉じた。
そう、読破したのである。
あとは用語の暗記をすれば晴れて第一試練合格、修行フェーズへと移行できる。
「しかし凄く丁寧に書かれていてわかりやすかった……流石先生……」
正直読み物として面白いし、文体もフレンドリーで読みやすく、どんどん読み進めてしまえた。文章量は多いものの、これならアシュリーほどの年の子でも問題なく読むことが出来そうと思うほどだ。
用語も巻末に纏められており、暗記用教材としても非常に親切。
最初この分厚さの本の内容を丸暗記しろだなんてアシュリーはまたいじわるをしてきたのかと疑ったものだけれど、案外そうでもない。これならば数日のうちに暗記も終わるだろう。なんなら、自分で内容の理解を深めるためもう一度頭から読んでもいいかもしれない。
「修行楽しみだな……」
来る修行を思い浮かべ、思わず頬が緩む。
読むのが苦ではないといえ、魔法使いの間でしか伝わりにくいニュアンスや、力の運用イメージなどがある。これは直接現役の魔法使いに聞いてどんなコトなのか、確かめた方がよかろう。
魔力の素、という体内を駆け巡っているという魔法を行使するのに必要な存在が具体的に何なのかも意図的にボカされているように感じるし……。
「兎も角暗記だ!大丈夫、私記憶力はいい方だし」
徹夜で少し重たい瞼に喝を入れるべく、私は私の丸っこくかわいい頬をペチンと叩いて気合を入れた。
後日、明朝。地下室の前に私はいた。
ドアをノックして、しかし返事は待たずに開け放つ。礼儀がないと思われるかもしれないけれど、どうせアシュリーは返事などしてこないのだから仕方がない。
「おはようアシュリー!」
「はあ?」
私の快活な挨拶に、首を傾げ、変なものでも見るような視線を寄越すはアシュリー。私の師匠その人。訝しむような彼女は、まさかずっと地下室に引きこもっているから今が朝だとわかっていないのだろうか。
ならばよし、私がその事実を教えて進ぜよう。
「アシュリー、今は午前の7時と少し。朝だよ!」
「バカにしてんのか?」
ペチコンと魔法で遠距離デコピン一発。
私は初めて遠距離射程のデコピンというものを食らい、ダメージ以上にのけぞってしまう。危うく転倒。危うく惨事。7時なのに。
「昼夜の感覚は正常みたいだね!」
「当たり前だろジジイの飯はおれが作ってんだからよ」
そうなの!?と声には出さないが顔には出してしまう私。日がな地下室にこもって、こもり続けて引きこもりなのだというのは私の勘違いだったらしい。しかも料理もできるという。うそでしょ?
先生が食べている御飯は何度か私も”おすそわけ”してもらって、美味しく頂いていたわけだが、まさかアシュリー、彼女の力作だったとは露知らず。勝手に先生が自作しているものだとばかり思っていた。ちなみに味は普通に美味しかった。
特にシチューはゴロゴロと具が大きくて絶品だ。
「アシュリー料理上手なんだね!」
「……あんなもんレシピ通りにやりゃあ誰でも作れンだよ」
と口では強がって(?)いるが、彼女の頬が僅かに紅潮し、口角が吊り上がっているのを私は見逃さなかった。鋭すぎるあの眼も今ばかりは所在無さげに虚空を見たり地面を見たり忙し気に視線を移すばかりだ。つまり、褒められて少し照れていた。
このいけ好かない銀髪の少女は、いざ話してみるとこのようにかわいい所もあるのがわかる。
この微細なかわいさで普段の横柄極まる態度が中和出来るのかは……まぁ、受取手によるだろうが……。
「んなことはどうでもいい。お前何しに来た?読めない字でもあったか?」
「え?いやもう用語全部覚えたから、その報告」
「え?」
え?
キョトンとするアシュリーの顔を見て私もキョトンとしてしまう。
「覚えた……だと?お前嘘つくなよ?まだ読み始めて5日くらいだぞ」
「それだけあれば覚えられるよ!アシュリーこそ私をバカにしてるの?」
ぷんぷん。心外だった。
今度はアシュリーが驚愕に眼を剝き、私を化け物でも見るような眼で眺めてくる。
いや、確かに私はぽやぽやしていて、マイペースな所があるとはよく言われたものだけれど、こう見えて勉学は得意だし、特に記憶力は自信がある。少なくとも勉強というジャンルにおいての私はバカには程遠い存在だ。
賢さやおバカさというものは勉強だけに当て嵌められる概念ではないため、他のことにおいては多少……そう多少おバカなところがあるのかもしれないが。
「5日で読み終わったってンならまだしも……暗記なんて不可能に決まってるだろ!」
「しつこいなぁ……じゃあテストしてよ、テスト!」
わからずやには実力行使。これは私のお父様がよく口にしていた有難い言葉だった。
実際には”愚図には力を示すのが手っ取り早い”だけど。
流石に口が悪いから私はマイルドにして使うことにしている。
「テストだぁ?面倒くせえ……だがまぁ、結果は嘘をつかない、か」
アシュリーは面倒そうに後頭部をポリポリ掻いて、しかし私の提案に納得もしたようで、両手をこまねき私を地下室の奥に眠っていた小さな椅子に座らせた。
そして彼女の指の動きに連動し、虚空に文字が現れる。
空中に魔法で文字を書けるなんて!すごい!
目をキラキラさせて喜んでいるとアシュリーが小さな手のひらを強く叩き、パン!と大きな音を鳴らす。感心している場合ではないらしい。
「おら、お望みのテストだ。満点で合格な?」
「ふむ」
一問でも落とせば不合格、スパルタだ。でも問題の内容はそれほど厳しいものではないっぽい。
アシュリーの意地悪さならあの本に書かれていない知識などを要求される問題なんかを混ぜてくるかとも警戒していたけれど、流石にそこまで邪悪な性格に見積もるのは失礼だったか……。
第一問。魔法を行使するうえで特に重要な器官は何か?
答。脳。魔法は体内にある魔力をイメージ力で魔法として構築する技術のため、イメージ力を司る脳が一番重要である。
第二問。魔力の属性とは何か?
答。魔力に属性というものは正確には存在せず、ただ魔法使いの得意な属性があるのみ。
第三問。他人への魔法行使が常に効果が減衰される現象を何という?
答。魔力の自動危機察知自衛現象。魔力は本人も自覚していない魔法へも自動で反応、自衛してしまう現象を引き起こす。これにより生物への魔法攻撃などはある程度の威力を常に自動で減衰されることとなる。なので魔法使い同士の戦闘は非魔法攻撃により決着することもしばしば。
第四問。魔法を学ぶ適齢はいくつか?
答。…………1~2歳。まだ現実を知る前の万能感のある年齢の方が魔法を学ぶのに適していると言われる。逆にある程度以上の論理的思考力が身についた後に魔法を行使できるようになるのは非常に困難。
第五問。そも、魔力の素とは?
答。教材には生物の体内を巡っている不可視のエネルギーとあるが、具体的にどのような物かは不明。
というように、テストは基本的な問題が多く、私は問題なく全問正解することが可能だった。
「おま、本当に暗記してたのかよ……」
呆れたような、しかし畏敬の念も微かに感じられる表情と声音でテストの答案を確認するアシュリー。一方私は誇らしげに腰に手を当てて立っていた。
「ふふ、私はこう見えて勤勉で優秀なのだ」
「みてーだな……驚くことに。だからこそ、わかるだろうが、お前が今から魔法を使えるようになるのは多分かなりムズイぜ」
「うぅ……」
そう、先のテストにもあった通り。魔法使いは、そのほとんどが生まれながらの魔法使い。生まれてすぐに魔法使いの親に魔法使いとして育てられる。
魔法とはイメージ。魔法とは現実の拡大解釈。魔法とは自己納得。魔法とは自分理論。
つまり想像力を魔力で現実にするのだという。現実に発現させるための屁理屈を自分で心底納得することで魔法は発現する。
「魔法使いなんてのは、大体自己愛が強い。この世界のルールブックに自分も一筆加えてやろうってんだから当然だが」
「先生も?」
「まあ、ああいう変わりもんもいる」
アシュリーはバツの悪そうな顔で言う。アシュリーは兎も角、先生は自己愛が強いようにはあまり思えないのだけれど。寧ろ先生のような人の方が例外で、アシュリーみたいな傍若無人な魔法使いの方が多いのだろうか。
もしかして私、とんでもない世界に踏み込もうとしてる……?
「いいか、難しいだろうが、お前には魔法使いになってもらう。それも一流のだ。雑魚が増えても意味ねーしな」
くいっと私のあごに手を当てて挑発的な目で私を舐る。
邪悪極まる笑みだ。
しかし今更だ。私は”覚悟”してきた。
「半端者になるなら、死んだ方がマシだよっ」
アシュリーの悪魔みたいな目をじっと見つめ返す。
大きく美しい宝石のような瞳で。母がよく褒めてくれた、自慢の瞳だ。
「……まあいいだろ。まずはどんなカスでもいいから何かしらの魔法を発現させる」
「オッス!どうやって、何を出せばいいんですか!?」
「こう、ちょちょいって指先から水でも火でも、好きなもんを出せよ」
言いつつアシュリーは中空に指を滑らせ、その先から水や火、光であったり紙吹雪であったり、はたまた毒々しい色の霧等を噴射させ、まるでそれらがリボンであるかのように軽く舞って見せた。くるりくるりと回り、それに追随するように水や火が回る。
素直に美しい情景だ。
パチン、とアシュリーが指を鳴らすと、それら魔法はすべて幻だったかのように消え去り、私も見惚れていた惚け状態から現実に引き戻される。
「ホレ、こんな感じだ。さっさとやれ」
「さ、さっさとやれって……何かコツとか……具体的にどこに力を入れるとか……そういう教えは……」
「ねえ」
投げやりに言い捨てるとアシュリーは足を組んで椅子に腰かけつつ、私にさっさとやるよう促し始める。
やれって言われても……何をどうすればいいんだかさっぱりわからない……。
魔力の素を意識すればいいの?でも魔力の素って具体的には何なのさ……体の中にある不思議エネルギー?それは液体?気体?触れるの?不可視ってことは透明?
あー考えれば考えるほどよくわからなくなっていく!
とりあえず見様見真似だ!と私はやけくそでアシュリーのように指を空に滑らせた。
指の先っちょから火が噴き出すイメージで、彼女のようにリボン状の炎がいい感じに出てくる……ということはなく。無。
何にも起きない。
「……出ません」
「見りゃわかる」
大きなため息をつかれてしまった。
でもしょうがなくない!?こんなの何にも教えてもらってないに等しいよね!?
「見りゃわかるが、お前考えすぎだ」
「え?」
まったく……やれやれだぜ……とでも言いたげに肘をついて手の甲に顎を乗せながらアシュリーは続ける。
「火が出るなんて当然だろ。深く考えることじゃねえ」
「う……あ、アシュリーはそうかもしれないけど!」
「魔法使いは全員そう思ってるぜ」
自己愛が強い。
つまるところ、火なんて出せて当然という自己評価。
そういうメンタリティ。
「わた、私はそうは考えられない……」
「じゃあお前、今何を考えて踏ん張ってたんだよ。バカみたいに」
バカみたいに、は明らかに余計な一言だったが……確かに、私は頭では魔法はそういうものだと理解していたのに、どこに力を入れるとか、魔力って何なのだろうとか、余計なことを考えていた気がする。
「お前賢いんだろ?本もすぐ読み終われるし、暗記も完璧。師匠にジジイを選ぶ知能もある」
「…………」
「魔法使いは自己愛が強いうえにバカなんだよ。頭空っぽの、パッパラパー」
あまりに暴言。
しかもそれ自分にも刺さってません?
「でもお前は違う……なら違う方法でやってみるか?」
「違う方法!?」
教材を読んで一般的な魔法使いの育ち方、魔法用語を学んだのに、違う方法!?
私が必死に学んだ意味とは、なんだったのだろう。
「ほら、あっち見とけ」
言って、アシュリーは地下室の角に配置されている人体模型のようなものを指さす。
言われるまま人体模型をボケっと見つめていると、突如私の右腕に冷たい痛みが走った。
咄嗟に腕に視線を戻すと、私の腕からはドス赤い血が垂れているではないか!
「あ!いっ!いあああああ」
苦痛に歪む顔。痛い痛い痛い!
右腕を左の手で押さえながらアシュリーの方を見遣ると、悪魔を通り越して魔王のような邪悪というのでは生易しい形容しがたい黒い笑顔を浮かべていた。
まさかとは思うが、私の右腕を切断しようとした……!?
「あ、アシュリー……何を!?」
「魔力の素っていうのは、体液のことだ」
「!?」
教材にはボカして不可視のエネルギーとか言われていた”魔力の素”が、体液のこと?
なんでボカす必要があるのかわからないけれど……アシュリーが嘘をついているようにも見えない。
「つまり、その血は魔力の塊ってことだぜ。よかったな」
「何が!?」
「血は燃える」
「は!?」
血は……別にそんなに燃えないと思うけど……燃えるのか?
「魔力の詰まった血は、よく燃えるんだよ。しかも今おれの魔法でここらの空気はめっちゃ乾いて燃えやすくなってる。俺が指を鳴らすと一気に燃え上がるぜ」
「ええ!?」
なんて危ないことしてんの!?この子、マジで、ヤバイ!
私が戦々恐々しているところ、アシュリーはお構いなしに指をパチンと鳴らした。
「うぎゃ!」
バオッ!と私の右腕を流れる血が燃え上がり、火が走った。その火は空気を伝播し、とても大きな炎となって燃え盛る。
「あ!ヤバイって!右腕燃え落ちちゃう!地下室が!あっ!」
「大丈夫だ安心しろ」
「え、あっ……熱く、ない?」
そ、そうだ。魔法は、体の魔力が自動で感知反発して自衛してくれるから……熱くないんだ。
私の体の中の魔力が私を守ってくれてるんだ!
と、勝手に感動していたらば、無粋にもアシュリーは口を開く。
「魔力の自衛、じゃねえぞ。冷静に、炎が収束していくように制御しろ」
「え?え?」
「その炎は、お前の魔法だよルナ」
私の、魔法?
「お前、おれに騙されたんだよ。賢い奴はそれっぽいこと言われるとすぐ騙される。自分を賢いと思ってるいい子ちゃんのルナみたいな奴は、すーぐ」
「なっ!?」
「お前、おれに言われて血は燃えると思ったろ?おれの魔法の作用もあって”本気で燃えると思った”だろ?」
あっ。
私は今、アシュリーに”この血が燃えることは当然のこと”と思わされた!!
私がそう本気で思いこんだから、本当に燃えた。炎がおこった。
魔法の炎が!
「あ、あはは!これ、私の炎!?私の魔法だ!」
「一度出ちまったらこっちのもんだ。その炎は泡沫じゃねえ。現実にあるリアルな炎だ。だろ?」
だから、後は目に見えてるコレを制御するだけ。
ぎゅぎゅっと右腕に纏うように炎を制御していく。
集中。
「…………」
炎は右腕にまとわりつき、それ以上燃え広がることは無かった。
できた……?
「あ、アシュリー……私今、魔法使ったの……?」
「そうだな」
こんなアッサリ、というかあまり実感がない、というか。
ほとんど無意識でやってしまったので、感動も薄いというか。
「魔法なんてそんなもんだ。皆”自分が”特別とは思ってても”魔法”が特別とは思ってないぜ」
「そんなもん……?」
「そんなもんだ、魔法なんて。これは例外はない、おれもジジもだ」
魔法は、案外呆気なくて、そんな大層なもんじゃなくて。
「とりあえず、言っておくぜ」
アシュリーは再び魔王のように微笑み、一言。
「ようこそ、魔法の世界へ」