002「絶対に嫌」
「絶対に嫌です!」
昨日。私とアシュリーは先生に対して拒否を叩きつけていた。
アシュリーに、私の師匠になれというのだ。いや、私にアシュリーの弟子になれと言ったのかな?
どちらにしろ、お互いに願い下げだった。他でもない”あの”先生の提案を無下にするのは心が痛んだけれど、私の夢の第一歩は「先生に弟子入りすること」だ。先生に学ぶことも、夢の一部なのだ。
他の人を師と仰ぐなんて耐え難い。
しかも、アシュリーという名の幼い子供。おそらく私より10歳は下なのではなかろうかというほどに幼い子。小さな躰の割りに大きな態度。私の敬愛する先生をジジイ呼ばわりだし、未だに私に対する挨拶の一つもない、どころか常に不機嫌そうに睨んでくる始末。
下品な言葉は使いたくないけれど、これは所謂クソガキというやつだ。
そんな子に弟子入りなんて、普通に冷静に考えてあり得ない!
「ルナくん、君の気持ちもわかる……つもりじゃ。しかし、君が魔法使いになりたいのであれば……道は一つしかない」
……一つしか、ない。他に道はない。あきらめるしか、ない。
贅沢を言っている場合ではないのだろう、私。なんでもかんでも自分の思い通りになるだなんて、そんな甘いこと考えて……正直考えていたけれど。一人、家を飛び出したその時から覚悟は決めてきたつもりだ。
「先生……」
「それにアシュリーはこう見えてわしの一番弟子じゃ。歴代で一番、優秀な魔法使いじゃよ」
なんならわしよりも、と苦笑しながら付け足す先生。いや流石に盛りすぎて信憑性が怪しい所だけれど、しかし先の危なげなくお茶を振る舞う所作は見事なものだったし、実力は間違いないのだろう……。
実力は間違いない……?
そこで私はハッとする。
私はどの立場で彼女を品定めしているのだろうか?
魔法の「ま」すらわからぬ、魔法使いとして赤ん坊もいい所の私が。驕りすぎなのではないか?
弟子入りしに来た分際で、先輩を蔑ろにする私こそが失礼極まるクソガキだ。
反省だ。猛省だ。人にどうこう言っている場合ではなかった。
「アシュリー……さん。ごめんなさい……」
ズブの素人である私が相手の年齢をとやかく言う筋合いもないと思い改め、私はアシュリーに請うことにした。
この子に、私のわがままに付き合ってもらおう。
深く頭を下げて、教えを請おう。
「私を、弟子にしてくれませんか?」
◇
「絶対に嫌だ!」
おれは絶賛拒否の姿勢をとった。
おれにはやることがある。
弟子を育成する暇なんてねェ。ましてやこの女はド素人なんだろ?どれだけ貴重な時間を浪費しないといけないのかと考えると、頭が痛くなる……。
そもそも、ものになるのかすら、怪しい。
時間をかけて、目をかけて、手塩にかけて。それでものにならなかったら?
徒労もいいところだ。
だから、そんな無意味に時間を費やす余裕は、今のおれにはない。
他でもないジジイのお願いでも、聞けねェ。
他でもないジジイのために、聞けねェ。
「私を、弟子にしてくれませんか?」
「無理だ」
改まってかしこまられたって、無理なもんは無理。
嫌なもんは嫌。
「……そこをなんとか!」
ルナ、とかいう薄桃色の髪をした女はしつこかった。
そこからおれは「無理」としか発音しないし、ルナは「お願い!」といつまでもせがんでくる。
あー無駄だ。なんて無駄な時間なんだ。
おれは研究しなきゃいけないのに。
一向に折れる気配のないおれを見かねてジジイが口を挟んできた。
「アシュリー、後生じゃ……わしの最後の願いじゃ、頼む」
「馬鹿が!笑えねェんだよ年寄りの最後の願いなんざ」
本当に笑えねェ。
おれは歯を強く食いしばりつつ視線を外し、床を睨みつけてつつ吐き捨てる。ダメ押しを。
「……どうせこんな素人、教えたところで基礎魔法すら使えねェよ」
これを聞いて流石に落ち込んだのかルナはついに肩をがっくり落とし、俯く。
せっかくここまで来たところ悪いが、タイミングが悪かったな。
「ふむ」
しかしジジイは寧ろ珍しく邪悪に微笑んでおれを見る。
「つまり、アシュリーは弟子の一人も育て上げられないと?ま、わしは?今まで何十人も育ててきたけどのう?素人?当然一人前の魔法使いに育ててみせたがのう?」
ムカ。
「一流の魔法使いは弟子を育て上げてこそじゃ。それがやる前から諦めるようでは、二流どころか三流じゃな?」
「まったく、安い挑発だぜ……」
そうだ、挑発だ。こんなわかりやすい手に乗ってたまるか……。
俺にはやることが……。
「ま、お前さんコミュ障じゃし、嫌がるのも仕方ないか。すまんのうルナくん……わしの弟子が不甲斐なくて……」
「あああああ!!やってやろうじゃねェかクソジジイ!」
ルナとかいう女に深々と頭を下げようとするジジイの体を魔法で縛り付け、意地でも頭を下げさせない。
冗談でも、そんな奴に頭を下げるなんて許さねェ。
ジジイは俺が唯一尊敬する魔法使いだ。
「おい素人。お前を魔法使いにしてやる。それも一流のだ。途中で嫌になっても、血を吐いても、面倒見てやろうじゃねェか」
「………!!よろしくお願いします!」
この人の評判におれのせいでケチがつくなんて、
「覚悟しろよ?」
絶対に嫌だ。
◇
勇ましくも私の師匠になると、私を一流の魔法使いにすると啖呵を切ったアシュリーだったけれど、彼女は私を地下室へ連れてきた途端無言になってしまった。
コミュ障なのは、本当らしい。
「ねえアシュリー」
広い地下室の中で窯と睨めっこする女の子に声を投げる。
彼女こそ私の師匠となった魔法使い、アシュリーその人である。輝くほどに白い髪は地面に擦れてしまいそうなほどに長く、目つきはその辺の野生動物と遜色ないほど鋭く、悪い。瞳は血のように赤くて、悔しいけれどちょっと美しいと思う。背丈は低く、私より頭一つ分ほど小さい躰。妹がいたならこんな感じだろうか?肉付きは少し心配になるほどで、瘦せ型だった。顔は整っているものの、目つきの凶悪さと狼のようなギザギザの歯のせいで台無し……。
「………」
しかも返事すらしない。悪いのは目つきだけでなく、性格もだった。
でも私は一度や二度無視されたくらいではへこたれない。
「ねえアシュリー」
「………」
「ねえアシュリーねえアシュリーねえアシュリー」
「………」
「ねえアシュリーねえアシュリーねえアシュリーねえアシュリーねえアシュリーねえアシュリーねえアシュリーねえアシュリーねえアシュリー」
お互いに譲らなさすぎる。
しかしアシュリーはわかっていない。私が魔法使いになるという夢を抱いて、今日ここに至るまで何年待ったと思っている。実際に魔法の師匠が目の前にいるのだ。こんなじゃれあいも、むしろ楽しいほどだ。
「アシュリーアシュリーアシュリー」
「うるっせーな!」
「えへへ」
アシュリーが遂に折れた。歯茎が見えるほど口を大きく開けて威嚇しているつもりなようだが、小さい子が駄々をこねているようにしか見えず微笑ましい。
「……何の用だよ」
謎の液体が注がれている大きな窯から視線を私に向けて、問うてきた。
何の用だって?決まっている。
「修行だよ!修行。私を魔法使いにしてよ!」
腰をかがめて精いっぱいの上目遣いで要求する。私がこうしたら大概の人は言うことを聞いてくれる、必殺技だ。
しかし、アシュリーは一層不機嫌そうな顔になり、虚空に指を走らせた。すると指の動きに呼応するように部屋の奥にある本棚から一冊の本が飛んできて、私の懐にひとりでに収まった。
分厚い本だ。辞書のよう。色が焼けた紺の表紙に金色の文字でタイトルが書かれている。
「魔法入門書……?」
「ジジイが書いた教科書だ。ガキでもわかりやすい内容……らしいから、まずそれでも読んどけ」
先生直筆の本!という私垂涎の一品がお出しされた。
アシュリーの様子から察するに彼女はこの本を読んでいないようだが、まあ、弟子全員に読ませているというわけではないのだろう。気にするほどのことではない。
うきうきでページをめくり、目次を眺める。魔法の心構えや、魔力とは何なのか、基礎魔法とその応用等々。まさに、私が学びたかったことがここにあった。
魔法学だ!
図書館でいくら探しても見つからなかった魔法を学ぶための本だ。
不思議なくらいに、というか不自然なくらいに「魔法を学べる本」は愚か「魔法を解説した本」や「魔法に関する考察本」ですら見つからなかったのに。本物の魔法使いのもとへ来れば、いとも容易くこんな実用的(な気がする)本が我が手に入ってしまうというのか!
興奮しすぎて肩が震え、思わず鼻息も荒くなる。
「……その本読破して、一通り用語を覚えるまで俺は何も教えないからな。ほら、さっさと出てけ」
心底邪魔してほしくないらしく、右手で虫でも払うようにシッシッと私を退出するよう促すアシュリー。平時であれば少しばかり頭にくる態度だが、今の私は快く出ていこうではないか。
本を携え、先生が用意してくれた私の部屋へと足早に向かう。階段をたんたんっと身軽に駆け上がり、アトリエの三階にある小さな部屋へ。
「本格的に私の夢、始まった!」
昔いた弟子が使っていたという年季の入った机に向かい、本を開く。
先生の文字は丁寧で読みやすいし、かわいい挿絵も入っている。
それに私の集中力も未だかつてないほど高まっている。読み解くのにさほど時間はかからなそうな予感がある。
高鳴る胸。
夜は更けていく。
「今日は寝れないなー!」