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魔法使いの弟子の弟子  作者: たからまかん
1/3

001「少女は魔法に夢を見る」

 人は魔法に夢を見る。

 黒い外套に、揃いのとんがり帽子。おとぎ話の魔法使い。

 彼らは(ほうき)にまたがり空を飛び、杖の先から光を放つ。

 彼らは自由で奔放で。何しろ万能全能で。

 業火をもって町を焼き、陽光のように傷を癒す。右手をかざして海を割り、その視線で竜をも討つのだ。

 人は魔法に夢を見る。

 神の力だと恋焦がれ、過ぎた力に身を焼かれてなお―――――



 北の王国。天気は雨、刻は夜。絢爛な王城の冷たい廊下を少女の声が突き抜ける。

 うわーん、と泣く声。悲鳴だ。

 その声を辿れば一つの病室に行きつく。

「お母様!お母様!」

 少女は、ベッドに横たわり意識も朦朧としている彼女の母親に泣きすがる。

 母親は頬がこけ、目の下には酷いクマがあり、呼吸もまばらだった。重い病に倒れ、今日でまだ二日だというのに、今にも死んでしまいそうなほど症状は重篤だった。

「お母様死なないで!」

 少女の悲痛な叫びがこだまする。分厚いレンガの壁の外まで聞こえるほどに。

 その悲鳴が、他の者たちにも悲しみの波紋を広げる。嗚呼、この女性は、もう助からないのだと。諦観が辺りを支配しだす。沈痛な空気。少女以外には声を上げることも、顔を上げることも叶わない張り詰めた空間。

 正体不明の病の前には腕利きの医者も匙を投げた。延命措置すらままならない。素人目にも刻一刻と命が(むしば)まれていくのがわかるほどだ。

「お母様いかないで……っ!」

 母の手を強く握るが、握り返す力のあまりの弱さに少女は絶句してしまった。

「……誰か!誰か助けてよ!」

 大きな瞳から大きな涙の粒をぼろぼろと零しながら、少女は部屋の中を見回す。

 少女とその母親を囲むように数人の大人たちが一斉に目をそらす。

 俯き床の汚れを数えているような医者。天井の照明を気にする家政婦。窓の外の星を眺めだす黒い服の男。皆役立たずだ。少女は思った。

 しかし、聡い少女は同時に彼らが悪いのではないとも知っていた。悪いのは病、それをどうしようもできないのは仕方のないこと。彼らだって辛いのはわかっていた。

 どうしようもない、そう、どうしようもないのだ。

「…………」

 ついに少女すら心砕かれ、せめて母の顔を忘れないようにと、その顔を見遣ったその時。

「待たせてしまってすまない」

 腹の底に響くような低い声の白衣の巨漢が病室のドアを開けて姿を現した。

 パリッとした美しい白衣に、負けじと輝く白髪と長い白髭。目つきは鋭く、しかし威圧感はさほど感じない。寧ろ慈愛を感じさえする佇まいだ。

 身長2メートルを超そうかという大男の唐突な出現にその場にいた人々は軽いパニックに陥る。

「な、誰だ!?」

「賊だ!賊が出たぞ!」

 大人たちが衛兵に大声で告げるが、そんなこと意に介せず大男は病人の元へ駆け寄る。

 少女が呆気にとられて、目を丸くしつつただ男を見るしかできないのを横目に、大男は病に伏せる女性の額に手を触れる。そして口元に顔を近づけると、彼女の息がか細いながらもあることを確認し安堵の表情を見せる。

 そして母親の耳元で何か、ぼそぼそと囁いた。すると彼女は微かに口角を上げ微笑む。

「お嬢ちゃん、もう大丈夫じゃ」

 言うなり大男は手の平を女性の腹部に当て『気』を送り込むかのように眉間に皺を寄せ力む。

 緊迫。

 必死の形相の大男に先までパニックになっていた大人たちや、無言になって縮こまっていた少女も息をのむ。腹の底が熱くなるような神秘を感じ、絶望が支配していた部屋に、何かよくわからないが希望が満ちていくような……。奇跡を肌で感じ鳥肌が立つような、不可思議な感覚に襲われる。

 全員が力む白衣の大男と、病の女性を見守ること数分。ついに男は力を緩め、手を下げた。

 男の額から汗が滴り、彼のたくわえた白い立派な髭に吸い込まれてゆく。

 ふぅ、と大きく息を吐き、大男は少女の頭に優しくポンと左手を置いた。

 呼吸すら忘れていた少女は「はふっ!」と我に返り大きく息を吐き、吸う。

「お、お母様は!?」

「もう大丈夫……大丈夫じゃ」

 その言葉を聞き終わる前に少女は母親の顔を覗き込む。

「わ……あ………」

 先まで真っ青で生気の宿らない顔をしていた母の顔は、なんと赤みを取り戻し呼吸も整っていた。

 元気、とまではいかずとも、見ていて不安になるということはない、活力を感じられる顔。そんな母の姿を見て少女は深い安心を得、また涙を流す。しかし今度は当然嬉し泣きだ。

 母の横たわるベッドのシーツを涙とよだれと鼻水で汚し、母の体に抱き着く少女を、温かく見守る大人たち。天井の照明も心なし暖かい光を放っているようだ。

「お、おじさん!」

 人知れず部屋を去ろうとしていた大男に、少女は声をかける。

「これはなんかの魔法?おじさんは魔法使いなの?」

 純粋無垢な少女の問い。それに大男は少女の目線まで跪き、答える。

「いかにも」

 ニカッっと好々爺然とした笑みを浮かべ、続ける。

「どうじゃ?魔法はすごいじゃろ。また困りごとがあればわしを呼ぶといい」

 言いつつ、大男は懐から紙を取り出し、さらさらとメモをする。そして其の紙を折りたたみ少女に手渡した。

「うんっ!ありがとうおじさん!私の神様!」

 神様と呼ばれ困ったように笑い、今度こそ去っていく大男。

 名乗りもせず、代価を求めるでもなくただ母親の病気を治してくれた彼を少女が神と呼ぶのも無理なからぬ。

 そして少女が魔法に夢を見るにも、また十分な契機。


 一通りの事後処理も終わり、母と二人きりになった少女は、穏やかな表情の母の寝顔を嬉しそうに見つめ、決意した。

「お母様、私、魔法使いになる」

 少女は魔法に夢を見た。

 その道がどれだけ険しく、辛い、時には血を見ることになる茨の道だとも知らず。

 呑気な夢を、今は見ていた。



 8年後。私は森を歩いていた。

 生まれ育った王国の防壁の外へと、初めて一人で出かけていた。

 身に纏うは少しお洒落な黒い外套、揃いのレースがあしらわれたとんがり帽子。

 まるでおとぎ話の魔法使い!

「この辺りのはずなんだけど……」

 手にした古いメモと睨めっこしつつ歩くこと既に数時間。若さと夢へと踏み出したアドレナリンの力でなんとか気力がもっているけれど流石にそろそろ限界を迎えそうだ。足が棒のよう……。

「今日は野宿かなぁ……」

 予想はしていた。あの日、先生に渡されたざっくばらんな地図だけを頼りに先生の家(アトリエ)へ辿り着くのは簡単なことじゃあないと。特に箱入りな私では……。

 腰掛けるのに丁度よい切り株を見つけ、そこに腰を下ろし、背負っていた大きなバッグをそばに下ろし、小休憩。上を見ればそろそろ夕方か。空が赤らみつつある。

「ぷふぅ……」

 休んだせいで今まで感じていなかった疲労がどっと押し寄せる。それを隠さんとバッグから食べ物を取り出し頬張る。好物の甘いタレのかかった肉。一口食べれば活力がわいてくる。

 しかし見渡す限りの木、木、木。まごうことなく森。獣の気配も強くなってきた。夜、襲われたらどうしよう……。獣は火に弱いと聞いたけれど、どこまで通用するものだろうか。母が渡してくれた消えない炎のお守りを懐から取り出し眺める。

「あったかい……」

 ……うん。後悔はない。

 とあるすごい魔法使いが灯した消えない炎の煌めきを目の当たりにしていると、決意が漲った。

 私は夢を追いかけている。

 魔法使いになるという夢を。

 その為に一人で色々出来る様に修行した。掃除洗濯お皿洗い……体術の訓練も特別に受けさせてもらったし、先生に弟子入りしても迷惑をかけることはないはずだ。

 後悔はない。なので私は木の枝を集めて火をおこす。

「あぁ、魔法使いなら火をつけるのも一瞬なのに……」

 なんて小言を零しながら、地味な作業をこなしつつなんとか火をおこすことに成功した。

 消えない炎を使えばそれこそ一瞬で終わった作業だろうが、そこはプライドだ。

 焚火の前に簡易なキャンプを張る。今まで住んでいた部屋の何分の一の広さだろうか。有り体に言えば狭い寝床だ。でもなんか楽しさもある。

「とりあえず寝床確保っと……寝るには早い気もするけど……」

 再び空を見上げて考える。夕方。赤い空。しかし街にいた時より辺りは暗い。

 そう、森の中には街灯がないのだ!

「……寝よう」

 私は自分に言い聞かせるように呟き、小さな私の部屋に入り込む。そして寝転ぶ。

「…………」

 硬い。地面が、こんなに硬いだなんて思いもよらなかった。ふかふかした掛布団は持ってきたものの、これでは寝苦しいどころの騒ぎじゃあない。

 仕方がないか。私は掛布団を地面に敷き、服の温かさだけで寝ることにした。



「……?」

 ゴアッという風の音で目を覚ましてしまった。小さなキャンプがガタガタ揺れる。

 不安だ。とんでもなく不安だ。心細い。

「大丈夫大丈夫大丈夫……」

 不安を紛らわすためぶつぶつ呟くが、余計眠れなくなる。

 しかも寒い。夜の森は予想の数倍寒かった。

 考えが浅かった、と後悔はする。もっと準備できることがあったんじゃないかと。

 先生の家(アトリエ)に辿り着く前にギブアップすることになりそうな弱い私に嫌気がさす。

「まだ一日目だぞ私」

 むくりと起き上がり、一旦外の空気を吸うことにした。寧ろこういう時は動き回った方がよいという気もした。

 外に出ると私が作った焚火と、

「……え」

 その焚火の炎で温まる何か巨大な動物がいた。

「あーーーーーーーー!!!」

 たまらず走っていた。奇声を上げながら。生命の危機を感じて逃げた。

 道もわからず、樹木の狭間を転ばないように飛び跳ねて逃げる。後ろを追いかけてくる気配は……わからないけど!追いかけてきていないことをただ祈りつつ、逃げ逃げ。

「ぜぇ……はぁ……」

 どれだけ走っただろう。バッグもキャンプ用具も放棄してしまった私は地面にへたり込んで、汗で草花に水分を分け与えていた。

 生まれて初めてこんなに心臓がはちきれそうになった。色んな意味でドキドキした。

「冷静に、どうしよう……」

 私の手に残ったのは消えない炎のお守りと、先生の家(アトリエ)への地図のメモ。あと服のみとなってしまった。そんな軽装で森の深くまで来て、これは……死ぬ……?

 私の冒険ははやくも終わりを告げ、遭難がはじまった。

 こういう時、多分変に動かない方がいいのだろうけど、私は気が動転していたため愚かにもうろうろ歩き回ってしまった。うろうろ、おろおろ。

 獣の気配に怯えつつ、炎のお守りをかざしつつ。森の奥へ深く、深く。

「!!」

 そしてついに私は生き残るために光明を発見した。

 なんと遠くに煙が見えるのだ。獣は火をおこさない。つまりあれは人の存在を示すものだ!

 自分の焚火という可能性もないではなかったが、方角が真逆のはずだ。遭難者の方角感覚などあてにならないところだが、今はあの煙に、煙のもとにいるであろう人物に縋るしかない。

 情けないことだが、箱入りの私の顛末にはある意味ふさわしい。

 人に助けられて生きてきた。また、助けてもらおう。

 数十分歩き続けて、ついに森の奥にある山小屋が見えた。山小屋だ!煙突から煙も出ている!間違いなく人がいる!

「だ、誰かいませんかー?」

 夜中だというのに私は大声で呼びかける。失礼極まりないが、今は命の危機だ。致し方がない。

 あとでお礼をすればよいだろう。

「誰かー!」

 返事がないので何度か呼ぶ。扉をぶしつけにドンドンと叩き、呼ぶ。

 こんな夜更けだ、住人は眠っているのだろうか?

「お、起きてくださーい!遭難しちゃったんです!助けてくださーい!」

「うるさいな、起きてるよ……!」

 しつこく呼びつけたのが功を奏し、小屋の扉が開き、住人が出てきてくれた。

 これで助かる!

 薄く開いたドアから声だけが私に届く。顔は見せたくないのか、私を警戒しているのか。夜中にいきなり来た人物を警戒するのは実に素晴らしい防犯意識ではある。

「何の用だ?診療所なら休業中だぜ。わざわざ来てくれたところ悪いが……」

「いや、いやっ!私遭難しちゃって!一晩泊めてもらえませんか?」

 こんな森の奥にあるのに、診療所?と疑問に思うこともないが……。

 別に怪我はしていないので休業中でも構わなかった。

「遭難?こんな何もない所に、なおさら何の用だ?怪しい奴め……」

 声の主はやはり私を賊か何かだと思っているようで。しかしその疑念は杞憂なのだと、正直に私がこんな森をうろついている理由を話すことにした。

「その、私この森の奥にある先生の家(アトリエ)……魔法使いのお爺さんを探しているんです。弟子入りしたくて……」

「あぁ?魔法使いのジジイだ?」

 魔法使いのお爺さん、という単語を出した瞬間声の主は明らかに不機嫌そうに声を荒げた。

 しかも、魔法使いのジジイ、という呼び方をするからして、どうやら声の主は先生のことを知っているのかもしれない……?

「帰れ」

 ぴしゃりと言い放たれてしまうが、帰れと言われても、帰れないから困っているのだ。

 大人しく引き下がるわけにもいかない。

 扉の隙間に指を這わせ、閉められないように抵抗する。

「帰れません!帰れない私をここで門前払いしたらどうなるかっ!わかりますか!?死にますよ!私、絶対に死にます!確信があります!そう考えると寝覚めが悪いでしょう!?」

「はァ!!?」

 我ながらすごい命乞いだった。

 流石に相手も私の必死さに呆気にとられたようで言葉に詰まっているようだ。これは好機とばかりに畳みかける。

「一晩、一晩でいいんです!泊めてください!雑用でもなんでもします!無事家に帰れたら、その時はお礼もします!たんまりです!」

「うっ……」

 明らかに相手が怯んだので、力いっぱい扉を開こうと腕に力を籠める。が、びくともしないではないか!声の主は、怯んでいるように聞こえるようなうめき声を出しただけでその実、私の命乞いは響いていなかったらしい。

 もはやここまでか、と私の指が限界に達そうとしていたその時、神様の声がした。

「何事じゃアシュリー」

「ジジイ!!ちっ……」

 声の主は今度こそ本当に怯んだようで、いきなり扉を押さえつける力が無になる。まだ踏ん張っていた私は勢いよく後方に吹き飛び背中から転んでしまった。

 お気に入りの服に土がついて汚れてしまった……。

 いやそんなことよりも、私は顔を上げて、現れたもう一人の声の主を、開け放たれた扉の奥に確認する。やはり、やはりそうだ。

「先生!」

 私の神様。私の救世主。私の先生。

 勝手に呼んでいるだけだが……。何年も恋焦がれた私の師匠になる予定の大きなお爺さんがそこに立っていた。

 ということは、ここが先生の家(アトリエ)!!

「せ、先生……?わしの弟子に君のような可愛らしいお嬢さんは……」

 困惑している先生(当然だ)に私は自分の顔をよく見せる様にして胸に手を当てつつ言う。

「先生!私です!8年前に母を助けてもらった……!」

「む……おぉ!ルナくんか!?」

 先生はどうやら8年前のあの日のことを瞬時に思い出したらしく、まさか!というように私―――――ルナに手を差し伸べてくれた。当然私もその手を取り、握手をする。

 あの日私の神様になった人の手を8年越しに取れて、すでに泣きそうだ。

「よく来たのう。歓迎しよう!……と言いたいところじゃが、またお母様の具合が悪くなったのであればわしは……」

 暗く俯く先生。私は怪訝な顔で落ち込む先生の様子を見つめる。

 沈痛な面持ちの先生の後ろで、腕組をしている、先の声の主―――――アシュリーと呼ばれた女の子―――――は不機嫌そうに先生の背中を睨みつけ、小さく舌打ちをしていた。

「あ、いえ……先生、お母様は元気です!大丈夫です。ただ……」

 ここに来たのは母のことは関係なく、ただただ、私のわがまま。

 私の夢のため。

「先生に弟子入りしたくて、来ました!」

「!」

 先生は驚きに声も出ないという風で、暫く感激に身を震わせながら突っ立っていた。

 なにせ私が8年も夢を枯らさず、こうしてやって来たのだ。感動もしよう。

 ふふ。

「……そうか、ルナくん。とりあえず立ち話もなんだ、中に入りなさい」

「ジジイ!」

「アシュリー、大丈夫じゃ」

 大丈夫。先生はあの日もその言葉を幾度となく私に言ってくれた。

 先生の重たく低い声は安心感がある。その声で呟かれる大丈夫、には本当に大丈夫になったような心を安らげる効果があるのか、アシュリーもただ押し黙る。

 顔は不服そうではあったけれど。

 私もアシュリーも、先生の後をただついていくのみだ。



 アトリエの中は外の小屋の見た目に反してとても広々とした空間が広がっていた。

「ひろっ!?どうなってるの?これ……」

「……魔法で空間を拡張してんだよ」

 ゆったり私の前を歩く先生、ではなく私の後ろをぴったりくっついて歩いているアシュリーが教えてくれた。顔は怖いし目つきも最悪に悪いけど、案外と優しい子なのかもしれない。

 ……というかこの子は先生の、なに?

 私よりも大分年が下に見えるけれど。お孫さんだろうか。

 私は教えてくれたことにお礼を述べつつそんなことを思索する。が、そこに深く思考を巡らすよりも、アトリエの中にはもっと私の気になるものが沢山だった。見たこともない装飾のタペストリーや、私の国の兵士が使うのとは形式の全然違う全身鎧、それにセットの剣、燃料の見当たらない炎の照明、怪しい薬草や魔法の杖!

「すごいじゃろ?わしの弟子たちの私物が置きっぱなしでの。遠い国の品物もあるんじゃよ」

「へぇー!」

 目をキラキラさせてアトリエの中を見回しつつ歩くうち、すぐに居間のような部屋に到着してしまった。

「どうぞ、かけてくれ」

「ど、どうも」

 先生に促されるまま大きなテーブルを囲う椅子の一つに腰を下ろす。その対面位置に先生も。その後ろにアシュリーが立つ。彼女は座らないのだろうか。

 そんなことを思っていると、キッチンからカップとティーポットが飛んできた。

 飛んできた!?

「うわ!?なに!?」

 私が間抜けにも驚き倒している間にも浮遊するカップにポットからお茶が注がれていく。まるでこれは魔法のようだ……。

「いちいち驚くな、うるせえな」

 アシュリーに舌打ちしながら怒られてしまうが、これは驚くだろう……。

「はは、アシュリーの魔法じゃよ。器用じゃろ」

 先生が笑いながら説明してくれた。アシュリーという小さな女の子も、魔法使いらしい。

 あんなに小さな女の子でもこんなに何ということも内容に魔法が使えるのだ!ならば私も案外すぐ魔法使いになれるのかもしれない。そう思うとわくわくしてきた。

 私がそんな呑気に胸を躍らせている間にも、カップはテキパキ自動で私と先生の前に運ばれ、ティーポットは役目を終えてキッチンへと帰って行った。

 私はカップを恐る恐る手に取り、口へと運ぶ。すっきりした味のお茶だ。色もよい。

「魔法のお茶だ!」

「ただのお茶だよ」

 ……アシュリーに辛辣につっこまれてしまった。

 確かに味は普通だけれど、間違いなく魔法のお茶だ。少なくとも私にとっては。

 意図せずアトリエに到着したこともあり、私は浮かれていた。

 どう考えても私に追い風な展開だ!と。

「ルナくん、わしに弟子入りしたいということじゃったね?」

「はい!」

「もちろん歓迎じゃ!」

「はいっ!!」

「と言いたいところじゃが」

 ん?

 なんだかんだうまくいっていた展開に暗雲が立ち込めた。

「すまんが、最近わしも病気がちでな……満足のいく指導はできそうにないのじゃ……」

「そ、そんなぁ!」

 ショックだった。弟子入りできないかもしれない、ということにではなく。先生の体が病に侵されているということに。

 先生は私の神様で、母の病気をいとも簡単に治してしまったすごい魔法使いで、だから常に健康、常に万全の不死身なのだと思っていた。思い込んでいた。

 しかし、現実そうではなかった。魔法使いも人間で病気に倒れることもある。思うように体が動かなくなることもあるし、いつかは普通に死を迎える。そんな普通のことが、わかっていなかった。

 私の考えはやはり浅はかで、夢見る少女だった。

 現実が見えていない少女だった。

「一晩でも二晩でも、好きなだけ休んで行って良いが……本当にすまんのうルナくん……」

 先生はまるであの時の大人たちのように私から目をそらし、カップの中のお茶を見つめていた。

 無言。お互いに言葉を失い、長いような短いような時間が経つ。

 どういう言葉を放つのがいいか、わからなかった。先生もきっとそうなのだろう。申し訳ないとか、情けないとか、考えなしでしたとか、そういうぐちゃぐちゃした陰湿な感情が渦巻いているのだろう。だから、沈黙を破ったのはアシュリーだった。

「オレが送ってやるから、帰れ。早急に」

 しかも心なかった。

「安心しろ。1分で家に到着だ。もう忘れろ、今日のことは」

「ちょ、ちょっと……!」

 それは、私に夢を捨てろということ?8年間、この日のために生きてきたのに。

 ……でも、未練を断ち切れ、というその言葉は私想いな言葉な気もして、私は結局何も言い返せなくなる。

 私には先生以外の魔法使いなんて考えられないし、そもそも知らない。弟子入りするならこの人だと決めていたし、ほかの選択肢は、無い。

 その先生が無理なのだというならば、無理なのだ。もう終わりなのだ。夢を見る時間は終わって、家に帰って真面目に生きるべきなのだ。

 私の冒険も遭難も、夢もおしまい、なのだ。

「そうじゃ」

 私が俯き涙をこらえていたところ、先生は顔を上げていいこと思いついた、とでも言うように口を開いた。

 後方に立つアシュリーを見遣り、言う。

「ルナくん、アシュリーの弟子になるのはどうじゃ?」

「はい……え?」

 勢いで返事をしてしまったが、え?

 恐る恐るアシュリーの方を見ると……

「は?」

 明らかに不機嫌な恐ろしい悪魔のような顔で、一切隠すこともなく不満の声を漏らしていた。

 思えばこの子は最初からずっと不機嫌そうで、ド失礼で、きっと私のことが嫌いなんだ。私もこの子のことはよく知らないけれど、いきなり睨みつけてくるような無礼な、しかも年下は嫌いだ!

 好きになる要素がない!

「こんな奴を弟子になんか……」

「こ、こんな失礼な子の弟子なんか……」

 二人とも、しかしこの時だけはぴったり息が合って、

「絶対に嫌だ!」

 美しくハモってしまったのだった。

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