こだわりランチと夜の客
毎週金曜日にだけ出されるスペシャルメニュー。
それはこの店の初代店主で有る祖父が、この店を開いた当初より出し続けていたカレーだ。
他のメニューは和洋中問わず料理全般を得意としていた祖母に丸投げしていたのだが、コーヒーとカレーに並々ならぬこだわりを持っていた祖父は、病に倒れその生命を散らす寸前までこれら二つだけは常に自分で手作りしていた物である。
祖父が亡くなり祖母がこの店を担う様に成ってからはコーヒーは市販の豆を使う様に成ったが、カレーは祖母も共にレシピの確立に協力した物だったので全く同じと言って良い味で提供する事が出来ていた。
そしてその祖母も現役を退いたが、このカレーの味を祖父から叩き込まれて居たからこそ、父や叔父たちを飛び越して彼がこの店を引き継ぐ事に成ったのだ。
普段は閑古鳥が鳴くとまでは言わないが、席がすべて埋まる様な事は無く決して忙しい店という訳では無い。
人懐っこく愛想の良い猫達に会いに来る常連達が居るからこそ、順調な経営状態を維持出来ているのは疑う余地の無い事実で有る。
だがこのカレーを出す金曜のランチ時間帯だけは話が違う。
同じビルに入っているオフィスに勤める者の大半が、このカレーを求めて店へとやって来るのだ。
その中には猫になど全く興味を示さず普段はこの店に顔を出さない者も含まれており、それだけこのカレーが常連達の間に根付いた味なのだと、作る度に思い知らされる。
とは言え食事ができるカウンター席は六つしか無く、決して多いとは言えない客足でも待たせてしまう事が多々有った。
幸い、時間幾らのパック料金+飲食代と言う料金体系の所を、そうして待たせている間は時間料金を取らず猫と遊びながら待ってもらう事にしている為、待たされる事に文句を言う客は居ない。
中にはわざわざ席が空いていない事を見越してやって来て猫と戯れる者も居る位で有る……本人は飽く迄も席が開くまでの時間潰しと主張しているが。
「しっかし……金曜はほんと、ランチが終わったら店を閉めても良いんじゃないだろうか?」
店主で有る芝右衛門は普段の定位置で有るカウンターの内側では無く、厨房でランチの間に積み上げられた皿を洗いながらそう口にした。
午後2時までのランチタイムを過ぎ、少し遅い時間に来た古い友人を最後に客が一人も来ていないのだ。
とは言えこれは殆ど毎週の事で有る。
香辛料の香りが好きでは無いのか、猫達の半数以上が控室から出て来なく成り、猫と戯れる事だけを目的とするビル外の常連客はこの日を避けるからだ。
とは言え小松やお銀の様に、カレーの香りが充満する状態の方が機嫌が良く、お客さんに対して愛想の良い猫も居るので、それを目当てに来る者が居ない訳でも無いので本当に閉める事も出来ないのだが……。
「マスター。ノギオウさんから電話です、カップとお皿下げて欲しいって」
丁度最後の皿を拭き終わった所で、厨房の扉を開きまだ幼さの残る顔立ちの、二十歳を回ったかどうかと言った歳頃の女性が顔を出してそう言った。
彼女は昼間を担当するアルバイトの山田くんと入れ替わる形で出勤してくる、夕方から夜に掛けてのアルバイトで御手洗沢子だ。
現役女子大学の彼女は、昼間は学校へと通い夕方からはアルバイトと言う生活なのだが、大学生活三年目の現在は既に単位の大半を取得し終え、昼間の殆どの時間を就職活動に費やしているらしい。
「了解。ちょっと行ってくるから、店番頼むね」
大の猫好きで有る彼女は、現在一人で住んで居る賃貸マンションがペット禁止と言う事も有り、大学卒業後も暫くはこの店でのアルバイト継続を宣言しているのは、本当に有り難い事では有る。
「金融会社の若い取り立て人とマスター……有りね」
問題は、新規の男性客が来店する度に、店主とその客で掛け算をする事なのだが、幸い長い事趣味から遠ざかり、その手の話題に疎く成っている芝右衛門は彼女の口から偶に漏れ出る不穏な言葉に気が付いて居なかった。
「いらっしゃいませ~」
残ったカレーを賄い代わりに二人で食べ終えた頃、ドアベルの音を響かせてガラスの扉が開かれる。
沢子はお銀の前で猫じゃらしを振る手を止めて、来客に向かってそう言葉を掛けた。
アルバイトの仕事は営業時間中の猫の世話で有り、来店客が居ない時にはこうして猫達と遊んでいても問題は無い。
だが流石にお客さんが来たならば、そういう訳にも行かず直ぐに切り替えて接客をする必要が有る。
「よう。折角遊んでたのに邪魔して悪いな」
と、入ってきた客はこの店の事情に通じているらしく、苦笑いを浮かべながらそんな言葉を口にした。
「和尚さん、いらっしゃいませ。店で合うのは久し振りですね」
作務衣を身に纏った還暦回りの男性は、店主にとって友人の父で有る狢小路本仁――本仁和尚だった。
人の良さそうな丸い輪郭のその顔は、加齢に依る皺が無ければ本吉と瓜二つと言えるそんな顔立ちで、人懐っこい円な瞳が特徴的で有る。
「おう。ちょいと小松に会いたく成ってな。あ、カレーまだ残ってるかい? 晩飯まだなんだわ」
彼は息子と同じ様に手渡されたお絞りで顔を拭いながらそう注文を口にした。
「ええ、売り切れる程に客は入りませんからね。かと言って作る量を減らしても同じ味に出来る程の腕は無いですし……」
苦笑いを浮かべながら答える芝右衛門、その言葉の通り彼は習い覚えたレシピの通りの分量でしか作る事が出来ないのが現状なのだ。
それでも祖父や祖母に比べて見劣りしない味が出せているのは、この一つのレシピだけを徹底的に練習したからに他ならない。
「直ぐ持ってきますんで、ちょっと待ってて下さいね」
店主が厨房へと引っ込むと、
「あ、嬢ちゃん、ちょいとこの店で待ち合わせしてんだけどよ。そいつこの店来るの初めてでさ、初見じゃぁ分かり辛いだろ? 悪ぃんだけどさ、ビルの前まで迎えに行って来れねぇかな?」
和尚は笑顔のままで沢子に言った。
「他のお客さんも居ないですし……わかりました、行ってきますね。どんな人ですか?」
他所の店ならばアルバイトが勝手な判断で持ち場を離れたりすれば、何らかの問題にも成り兼ねない所だが、お互い顔見知りで有る気安さも有って、沢子は少し考えた後にそう返事を返す。
「ったくよう。こんだけ大事に成るなら、もちっと早く情報を寄越せよなぁ……ええ? 古猫よぅ」
聞いた来客の特徴を口の中で繰り返しながら沢子が出ていくなり、和尚は小松に向かって心底忌々しげにそう吐き捨てる。
その表情は先程までの柔和な物とは違い、古狸と言う言葉がしっくりと来る、腹に一物抱えた老獪な物へと変わっていた。
「おや、古狸が寝言を抜かしてるよ。流石にまだ夢心地にゃぁ早い時分じゃぁ無いのかい? お前さん達の縄張りで好き勝手に出歩かない約束だろう、私等の耳に入るのは噂話程度さね」
対してメインフロアでだらんとヘソ天で目を閉じていた小松は、億劫そうに片目だけを開けて言い返す。
狢小路家は古くから代々この町の寺に住み、この町を中心とした地域を己の縄張りとして、鬼や妖かしから人々を守ってきた一族である。
退魔僧として優れた才覚を持ち合わせていなかった本仁は、人に仇成さない鬼や妖怪とは戦う事を選ばず、共存できる者とは共存する事を旨としてきた。
とは言え、他所の退魔師や除霊師と言った同業者にとっては、縄張りの中に敵を残している愚か者と見られ、場合に依っては縄張り荒らしの理由とされる事も有るのだ。
それを避ける為、彼らの様な人の領域に生きる妖怪とは、様々な条件を取り交わし、ソレを守っている限りは他所者から護る、と言う約束に成っているのである。
「色々と抜け道の有る契約だ。そんなもんを馬鹿正直に守ってるたぁ鼻から思っちゃいねぇよ。頼むから次からは早めに教えてやって来れよ……」」
無料とは言わねぇからさ、と苦笑いを浮かべそう言うと殆ど同時に、厨房の扉が開き話はそこまでと成るのだった。