生臭坊主の昼飯
白衣を脱ぎ去り作務衣に下駄を突っ掛けたそんな姿で、寺に隣接し建てられた動物病院から、駅の方向へと歩いていく。
駅から真っ直ぐ南、寺へと真っ直ぐに続くこの道には駅前商店街も有り、この田舎町のメインストリートと呼んでも過言では無い、そんな道である。
だが今は平日の昼過ぎと言う事も有ってか人通りは疎らだ、それは彼が進学の為にこの町を離れて居た間に変わってしまった風景の一つだった。
別段過疎が進み人が居なく成ったと言う訳では無い、都心部へ電車一本で行ける立地と、その割に安い地価も相まって、近年はむしろ大型マンションが立つ等、人口は増えている程で有る。
では何故賑わう筈の面ストリートがこれ程に寂しい姿を晒しているのか、それはただ買い物の場所が変わってしまったが故なのだ。
彼が最初の大学を卒業した頃に大型ショッピングセンターが駅の北側に出来、買い物の導線が変わってしまったのである。
さらに追い打ちを掛ける様に、そのショッピングセンターと並ぶ様にして、大型ディスカウントストアまでもが出店してきては、商売の被っている地元商店街では太刀打ち等出来よう筈が無く、店仕舞いまでは行かずともその活気を失うには十分だったのだ。
とは言え今彼が向かっているのはその商店街では無い、駅前通りから少しずれた所に有る飲み屋街、それらの間に有る雑居ビルである。
「いらっしゃいませー」
以前は洒落たブティックやらカフェやらがテナントとして入っていた為、男一人では入り辛かったこのビルも、今では緑色の看板が特徴的なディスカウントスーパーが一階フロアの全てを占めていた。
店員の声を無視……と言う訳では無いが店内を物色する事無く、中心部の吹き抜けに設置されたエスカレーターを目指す。
二階より上は今でも幾つかのテナントに別れて居るが、その大部分は中小のオフィスで有り、昔の様に店舗として営業しているのはその頃から経営を続ける幾つかだけで有る。
エスカレーターを乗り継いで目的の最上階へと上がり最初に目に入るのは、やたらと肌色が多い豊満な少女が描かれたポスターが何枚も貼られたテナントだった。
そこは未成年者お断りのコンピュータゲームを制作する会社のオフィスで有り、禁欲を宗とするべき僧侶で有る彼の目的地は当然ここではない。
吹き抜けを回り込み反対側の店名すら書かれていない、曇りガラスに黒猫にOPENと書かれたプレートのぶら下がった扉を開ける。
「いらっしゃ……遅かったね、ポン吉。ランチの時間は過ぎてるけど……まだ残ってるよ」
涼やかなドアベルの音を響かせて入ってきた彼に、店主はマグカップを磨く手を止めてそう言った。
「本吉言うな、本吉和尚と呼べたぁ言わねぇが、せめて本吉で呼べや……芝右衛門」
「お前こそ……名前で呼ぶな」
そう言い返しすと二人のいい年をした男達は、丸で子供の様な表情で笑いあう。
猯谷芝右衛門、狢小路本吉、それぞれ店主と僧侶の本名である。
彼らは共通するもう一人の友人と合わせて三人、幼稚園から高校までを共にした幼友達で有り、親友と呼んで差し支えのない間柄だ。
皆それぞれ歩みべき道の違いから、それまでのように常に行動を共にすると言う程では無く成ったが、それでも大学生をしていた頃には、休みや時間が合えば共通の趣味で盛り上がる程度には親交を続けていた。
それが途切れたのは、本吉が北海道へと二度目の大学進学を果たし、芝右衛門ともう一人の友人が社会人と成ったのが切っ掛けだった。
そこから十年近い空白が開いた彼らの交友関係だったが、二人がこの町へと戻り、地元で公務員を続けていたもう一人と再会した事で、微塵の蟠りも無く再開する事と成ったのだ。
……あの日、彼奴が殉職するまでは。
「何時もので良いんだろ?」
一頻り笑った後、芝右衛門がそう問いかければ、
「ああ、肉多めに頼むわ」
差し出された手ぬぐいで顔を拭きながら、本吉がそう答える。それはあの日以来、ほぼ毎週繰り返されている遣り取りだった。
ランチタイムを過ぎたこの時間他の客は居らず、アルバイトの山田も休憩時間なのかその姿は無い、芝右衛門は料理と飲物の準備の為厨房へと向かい、店内には本吉と猫達だけに成っていた。
「やぁ、生臭坊主。今日は随分と遅かったじゃないか、商売繁盛かい?」
言いながら本吉が座っている隣のスツールに跳び乗ったのはハチワレ猫の小松だ。
「おう化け猫。こちとら暇な方が嬉しい家業だ。商売繁盛なんて喜ぶもんじゃねぇさね」
驚いた素振りも無く手ぬぐいで耳の後ろや首の後ろを拭いながらそう言い返す。
「おやまぁ……まぁそうだね、医者も坊主も警官も暇な方が世の中平和ってもんだわにゃ」
香箱を組んで瞼を閉じながらそう応えれば、
「んで……なんか俺の耳に入れなきゃ成らねぇ様な噂でも有ったのかい?」
そちらへ視線すら向けず、呟く様に問い返す。
「この間の流れ鬼みたいな余所者の話は聞いて無いけどね。逆に居なけりゃ成らん者の姿が見えないってな話は有るね。詳しくは後でコレを読みな」
腹の下から前足で小さく折り畳まれた紙片を差し出す。
「お待たせー。ご要望どおり肉増々の特性カレーとソルトラッシーに合鴨スモークね」
肉球の足でよくもまぁ器用なもんだと、本吉は思ったがソレを口に出す事は無かった、厨房へと繋がる扉が開いたからだ。
「おうおう、これこれ、これを食わねぇともう週末は迎えられねぇんだよなぁ。北海道でも人気の店とか回って見た事も有るけど、やっぱりお前の爺さんのレシピじゃねぇとな。いただきます……と」
両手を合わせ暫し瞑目し、それから木の匙を舟形の皿にに盛られたカレーライスに突き入れる。
よく煮込まれた大振りの具材は豚肉も含めて柔らかく、そのスパイシーな味わいの向こう側には、日本人にも馴染み深い風味が感じられた。
豚肉がメインのポークカレーかと思えば、イカやホタテと行ったシーフードの姿も見える。
この店のカレーは祖父が職場で学んだレシピをベースに、祖母の実家で有る乾物屋で取り扱う鰹節や昆布、スルメや干し貝柱といった物を加えて出来上がった、言わば二人の愛の結晶とも言える味なのだ。
大本のレシピではイギリスのメーカーのカレー粉を使っていたそうだが、祖父が生前より良い味を追求して行った結果、スパイスを独自の配合に行き着いたらしく、今では他では口にする事の出来ない独特の味と成っている。
その為、普段は余り混み合う事の無いこの店が、毎週金曜日のランチタイムだけは、カウンター席が埋まり順番待ちが出る程に客が入るのだ。
とは言え、外からわざわざ来るのは数える程で、その大半はこのビルを職場としている者達だが。
「はい喫茶猫庵。ああ、毎度有難うございます。はい、コーヒー二人前に、チーズケーキとチョコケーキですね。はい、直ぐに持っていきます」
と、今時珍しい黒電話が鳴り響く、それは出前の注文だった。
このビルには給湯室の様な物は無く、煮炊きが出来るのはこの店の厨房だけで、各テナントが来客等で飲食物を必要とする時、こうして出前を受ける事を条件にこの店の賃料は相場よりも随分と勉強して貰っているのだ。
「また下の金貸しかい?」
グラスに入った白い飲み物を一口啜り、本吉がそう問いかけると、コーヒーを入れる準備をしながら黙って首肯する。
その言葉の通り、圧倒的に出前の回数が多いのは2階にオフィスが有る小さな金融会社――所謂サラ金と、同じく2階に事務所を構える探偵社なのだが、本吉が来店する週末は前者からの注文が圧倒的に多いのだ。
「んじゃ、先に支払い済ませとくわ。俺の方も何時呼び出し掛かるか分からねぇからな」
「何時も言ってるけど、お前ならツケでも構わないぜ?」
未だカレーも残って居り、添え物に注文した合鴨スモークには手すら付けていないのだが、急患の呼び出しで料理を残して帰る事も決して珍しい話では無い。
「その気遣いは有りがてぇけどな、人間何時くたばるかなんざぁ分かりゃしねぇ。銭の貸し借りなんざぁ極楽浄土へ向かう足かせさね」
生死を見つめそれに深く接する生業だからこその達観した瞳でコーヒーを入れる友の姿を見つめ、そう呟くと再び匙をカレーに突き入れるのだった。