猫またちの事情……そして
歳経た獣が化ける事を覚え妖怪変化の類と成る、日本人ならば誰でも一度はその手の話を聞いた事が有るだろう。
考えてみれば、命すら持たないただの器物ですら百年使えば付喪神と成り、妖力なり神通力なりを身に着けるのだ、生まれ出た瞬間から真っ当な命を持つ獣がそうならない方が可怪しいと言えるのではなかろうか。
百年と言わず、獣の中には十年かそこらで化け物と成るモノすら居る。
だがそれはあくまでも厳しい野生の中で生き抜いたからこその事で有り、飼育環境下で長く生きたからと言って極端な知恵や能力を身に着ける事は殆ど無い。
知恵を巡らせ、能力を研ぎ澄まし、命を賭けて生きるので無ければ、そんな物は必要無いからだ。
にも関わらず猫だけは人に飼われている者でも長い年月を過ごす事で猫又に成ると言われている。
それはそれだけ人間にとって身近な動物だと言う事と共に、訓練され人に従う事の多い犬と違い、如何に飼育環境下でも人の言う事を聞かずマイペースに生きる猫は、謎が多い存在だったという事だろう。
そして何らかの理由で弱った際には身を隠す習性が有るが故に、外飼いが当たり前だった時代には飼い主にすら死に目を見せない事が多々有ったのも、そう言った伝承を生む下地と成ったのではなかろうか?
とは言えそれらは人間の目から見た考察に過ぎない。
「猫だって阿呆じゃないんだ、長く生きてりゃ言葉も覚えるし扉を閉める様にも成るさね。けどね、それだけじゃぁ猫又には成れやしない、半人前の『猫魔』でしか無いのさ」
小松の言に拠れば、猫が猫魔に成るには十年の年月を生きれば良いのだそうだ。
だが一昔前ならば兎も角、医療や飼育方法が確立されてきた昨今は、その年齢を超える飼い猫は別段珍しい話では無いだろう。
けれども飼い猫が猫又に成ったと言う話は、酔っ払いや子供の戯言以外でそんな事を本気で主張する者は居ない。
知恵を付けた老猫はその正体を明かす事で、上げ膳据え膳と言っても良い生活が終わりかねない事を理解しているからだ。
故に多くの猫魔は知恵を付けた事を隠し、その存在を疑われぬ様成長や老化を留める様な事はせず、自然の摂理に従い衰え死ぬのである。
しかし中には何らかの――仇討ちだったり、色恋だったりと、本当に様々な――理由で、安楽な生活を捨てて化け物として生きる事を選択する猫も居る。
そういうモノは、先達たる猫又の下へと弟子入りし修行をする事で、様々な妖術を身に着けその過程でより強い妖力の源で有る二股の尻尾を得るのだと言う。
けれどもそれも昔の話、今の日本で厳しい修行をしてまで猫又なろうと言う根性の入った猫は居らず、弟子入り志願者が減れば師匠である猫又も修行場で有る御山を維持する手間暇を惜しむ様に成り、結果として今現在日本国内に猫の山は無くなったのだそうだ。
「まぁ、猫も人間も世代が進んで便利な世の中に成れば、気合の入った者が減るのは変わりゃしないのさ。言うならば、今の若い連中は猫のゆとり世代……って所かね」
ため息混じりに妙にアメリカンな仕草で肩を竦めてそう言う小松。
ゆとり世代でこそ無いが、それでも未だ『近頃の若い者』のつもりでいる本吉には、その言葉は笑える物では無い。
対して笑い上戸な芝右衛門はツボに入ったのか床を叩きながら笑い転げ、涙を拭いながら
「でもさ、それならなんで家の猫達は、猫又に成った訳でも無く長々と生きてるんだい?」
と、疑問の言葉を口にする。
「そりゃぁ私等は皆、猫又志望だったからだよ。皆それぞれ理由は有るが、まぁ愉快な話じゃ無いだろうから、詳しくは聞いちゃ居ないがね……」
それまでの安楽な生活を捨て、苦難の道を選び、そして挫折した……。
修行に入ってから、あまりの厳しさ苦しさから逃げ出したので有れば、それはそいつが根性無しだったというだけの事。
だが少なくともこの店に居る者達が猫又に成ろうとした時には、既に有名な修行場は何処もかしこも閉鎖された後だったのだそうだ。
中でもロシアンブルーのアルノーは、猫又の総本山で有る九州熊本県の根子岳へ行く為に、わざわざ芝右衛門の祖父が乗った船でロシアからやって来たのだと言う。
そしてそこへと辿り着く前に小松と出会いその事実を知らされたが、頑なに信じようとはせず、数ヶ月を掛けて現地へと向かったらしい。
けれども本願果たす事は叶わず、疲れきった身体を引き摺る様にしてこの町へと帰って来たのだそうだ。
海外から……と言うのは流石に彼女だけでは有るが、他の猫達も少なからず訳有りで、皆猫又と成る事でしか果たせぬ因縁を持っていたのは間違い無い。
「とは言っても所詮は猫だからね。恨み辛みなんてそんな長々と持ち続ける様な疲れる真似なんざぁ出来やしない、良い加減な所で諦めちまった。でもさ、一度得た妖力はそう簡単に捨てれる物でも無い訳よ」
猫から猫魔と成り、己の意思で一度身体を只猫から作り変えてしまえば、再び只猫へは戻れない。
そう簡単に死ねない身体へと変じた上で、それが退魔を生業とする者に見破られれば、尋常ならざる苦痛の果てに討ち取られる事は目に見えてる。
と成れば、彼女達はそうとは知られぬ様に陰に隠れて生活する他無いだろう。
人と関わり合いに成らず、山や森の奥深くで生きるのであればそれは然程難しい事では無い。
けれどもそれを止めたのは今は亡き本吉の祖父だった。
人の目に付かぬ猫達の目で見た、様々な情報と引き換えに生活の安全を保証する、当初はそんな約束を交わし、この店を開いた夫妻の下で生活を続ける事に成ったのだと言う。
だが二人は一切不審に思う事は無く、只の猫として扱いそして夫の寿命が尽きる事と成る。
それでも尚気丈に振る舞う妻が閉店後一人声を殺して泣くその姿を、痛々しくて見ている事が出来ず、ついうっかり慰めの言葉を口にしてしまい、自らその存在をバラす結果と成ったのだった。
だが今思えば、長く生活していれば彼女達が尋常成らざるモノと、理解する事は当然の結果であり、きっとわざわざバラす様な事をしなくとも知っていた筈だ。
それでも一度正体を明かしてからは、お互い言いたい事を言い合い良い関係を築けて来たのだと言う。
「アンタが店を継いでからは、色々と我慢しなけりゃ成らなかったけど……追い出すなら早めにそう言っておくれよ。面倒事は早いほうが楽だからね」
喉に支えているものが取れた、と言わんばかりに満面の笑み……と思われる表情でそう言い放つ……が何時までたってもそれに対する答えはない。
「……つかよ、酔っ払い相手にこんな本気な話して、明日まで覚えてんのかね?」
忘れてくれると嬉しいんだが……と、引き攣った笑みを浮かべ、本吉が疑問符の混じった問いかけを口にする。
「……だいじょーぶ、大丈夫。酒呑んでんだから酔っ払って当たり前。それに子供の頃に和尚さんが言ってたじゃねぇか、化生の者相手にゃ三猿が基本だってさぁ……」
ワンテンポ遅れて返ってきた笑いながらの返答は、最後には欠伸に混ざりはっきりと聞き取れなかったが、恐らくはそう言ったのだろう。
その言葉で思い出したのは本当に幼少の頃、寺に寄付された紙芝居を本吉の母が境内で遊んでいた子供達に読み聞かせをしていた時の記憶だった……鶴の恩返し、雪女、確かその辺の話だった筈だ。
正体を知られ夫の元を去る人外の女性、その行動に納得が行かなかったらしい女の子と、約束を破ったのだから当然の結果だと言う剣十郎が言い合い、男女分かれての喧嘩になりかけたので有る。
その時母がどうしていたかは覚えていない、だが親父がそんな趣旨の言葉を口にしていた事は間違いない。
よくもまぁそんな古い事をずっと覚えていたもんだ、と関心しながらそれに返す言葉を探すが……、その時には既に芝右衛門は一升瓶を抱えたまま、いびきを掻いていた。
「で……結局どっちに対する大丈夫だったのかね?」
「さぁ……?」
小松と本吉が顔を見合わせ、そう言い合う二人……その何方もがこの場の後始末と鵺討伐、そんな面倒事が有ると言うのに、既に疲れ切ったと言わんばかりの表情で有る。
そして神成らぬその身では、更なる騒動の種が彼方からこの地へと向かって居る事等知る由も無いのであった……。
一先、彼ら友人達の背景を描く為の物語は此処までで御座います。
此処から先の物語、彼等ともう一人の友人が再び出会い織りなす物語に付きましては『大江戸? 転生録』でお楽しみ下さいませ。
短い間では有りましたが、お付き合い頂き誠に有難うございました。