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黒衣退魔行 / 猫ま! 喫茶へようこそ!   作者: 鳳飛鳥
日常と非日常の狭間で生きる人々
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お節介な人々と求人事情

 ちょっと待て、何かが、何かが可怪しい。


 前職で鍛えた営業スマイル、それは嫌な汗が背中を滴り落ちるこの状況でも、その内心を決して相手に悟らせる事は無い熟練の物だった。


 表面上は間違いなく取り繕う事に成功しており、少なくとも今まで対面した二人の女性には、若い――と言っても当年取って三十七だが――経営者として対応する事には成功していた筈で有る。


 店員募集の張り紙をしたのは、つい昨日……それも客足が途絶える夜に成ってからの事だ。


 勿論求人情報誌やら求人情報サイトやら、その手の物に広告を出した覚えも無い。


 にも関わらず今朝から立て続けに二人の妙齢の女性が、面接と言うよりは縁談の場にでも来る様な着飾った装いで、それぞれ紹介者で有る常連さんに連れられやって来たのだ。


 張り紙には彼女募集とか、嫁さん募集なんて事を書いた覚えは無い。


 とは言え只のアルバイト募集と言う訳でも無い。


 自分が何らかの理由で店を離れなければ成らない時や、アルバイトの二人が出勤できない時の為、拘束時間は不定期な事も想定される為、時給制では無く月給+各種手当の社員待遇……肩書的には副店長だ。


 だと言うのに、常連さんの中でも特にお節介が大好きなオバさん達の一人が朝一で張り紙を見つけ、それを彼女たち独自のネットワークを通じて共有していく内に、何処でどうねじ曲がったのか芝右衛門の嫁募集と言う事に変じたらしい。


 とは言え、流石に履歴書では無く釣書が持ち込まれる様な事は無かったが、最初の一人は彼の趣味や休日の過ごし方等など彼個人に対する事ばかりを気にしていた様に思える。


 二人目はこの店の売上やアルバイトの時給等、経営状況に関する質問を繰り返し、それらを素直に答えた所、自信満々に『自分に任せてくれれば、無駄な経費を省き利益を大きくしてみせる』と胸を張ってそんな言葉を口にしていた。


 その何方もが職場の新たな一員となろうと言う物では無く、前者は婚活気分そのもので、後者は経営に口を出したいというのが余りにもあからさま過ぎて、正直軽く引くレベルである。


 選考結果は後日連絡する、とは言ったがはっきり言って既に不採用は確定済みだと、芝右衛門は考えていた。


 そしていま目の前に居る三人目。


 彼女は常連さんに連れられた一見さんと言う訳では無い、彼女自身が古くからの常連さんで有り、彼女自身の事はわざわざ詳しく聴かずとも理解していた。


 つい最近、職を失った彼女は今日も午前中に一社、夕方からも二社面接の予定を入れているそうで、その間の時間潰し&癒しを求めて来店した所、張り紙を見て即座に応募を決めたのだそうだ。


「この店の事は色々知ってます、沢子ちゃんや山田さんとも上手くやっていけると思います」


 彼女が人当たりが良く、努力家で、色々な苦労をしてきた事も知っている。


 その言葉の通り、他のアルバイト達とも仲良くやっていけるだろう。


「……基本的に猫達の世話は他の二人で、厨房かカウンターでの仕事がメインだよ。猫の毛が付いた服で厨房に入る訳には行かないから、猫達に構う事は出来ないよ?」


 自分と比べ間違いなく猫が大好きな彼女が、猫と触れ合う事が許されない労働条件を良しとするかどうかが問題かと思え、そんな質問をぶつけてみる。


「仕事とプライベートはちゃんと分けます、大丈夫です。それに私はお婆ちゃんのレシピを色々教わってるから、厨房仕事でも即戦力でいけますよ!」


 返ってきたその言葉に、芝右衛門は間髪入れる事無く


「うん、採用。詳しい労働条件を詰めようか」


 と返事を返した。


 オバちゃん達が勘違いする事に成ったその要因……張り紙に明記された『料理上手なら尚可』それは、目の前の女性――松葉を即採用した理由とも言える物だったのだ。




「それじゃぁ、来週からお願いね」


 にこやかに笑いながら、そう言って送り出す。


「はい。よろしくお願いします。あ、お婆ちゃんにレシピの確認をして貰いたいから、近いうちに御見舞に行くって伝えて下さいね」


 実質の手取りは、前職より減る事に成るにも関わらず、それに頓着する様子無く笑顔を見せながらそう言う松葉。


 毎日一時間以上掛けて都内へと出勤していたのに比べ、この店は家から最寄り駅へと向かう途中、徒歩で十分程度の距離でしか無い。


 交通費は満額出ていたが、往復二時間余計に働いていたと考えるならば、その差額は決して大きな負担では無いのだそうだ。


「先輩、本当に大丈夫なんですかねぇ……無理、してる様には見えなかったけど」


 そんな彼女の背中を心配そうに見送り、沢子がそう呟いた、


 結婚の話が流れた事に付いては流石に話に出す事は避けたのだが、松葉自身が比較的サバサバとした様子で『縁が無かったんですね』と彼女の方から話題に乗せてきた程である。


 とは言え沢子の言うとおり、彼女自身に否が有る訳では無い婚約解消に、なんの痛痒も感じない訳も無い。


 芝右衛門自身、仕事が忙しすぎて大学時代から付き合っていた彼女から振られた時には、暫く立ち直れない位に落ち込んだ記憶が有った……まぁ忙しすぎて長く落ち込む余裕等全く無かったのだが……。


「もしかしたら落ち込む暇を作らない為に、就職活動ガッツリやってるのかもな」


 落ち込むという事自体、能動的に行う様な事では無いが、一度はまり込むと無駄な時間を費やす行為と言えるかも知れない。


 いや決して無駄と言う事は無いのだろう、そういう感情の発露を押し込めて只管に無理を重ねた結果、芝右衛門は心も身体も壊してしまったのだから。


 今では大分マシな状態には成ってきたが、その頃に崩した心身のバランスは完全に回復した訳で無く、未だに睡眠導入剤無しでは眠る事が出来ないのが現状で有る。


 落ち込む事すら出来ないと言うのは思った以上にストレスに成る、泣いたり嘆いたりと感情を爆発させるのは比較的容易のストレス解消法なのだ。


 夢を見る、特に悪夢を見ると言うだけの事でもストレス解消効果が見込めると言う説も有る、夢も見ずに泥のように眠る日々……と言うのは辛い物である。


「もしそうだとしたら……この子達と一緒に働くのが、癒しに成れば良いですけどねー」


 おやつが欲しいのか、足元にじゃれつくアルノーを抱き上げながら沢子は言う。


「まぁ……それを売りにしてる店だからねぇ」


 猫喫茶に来るお客さんは、猫に癒やされる為にこの店へと足を運ぶ人が大半だ。


 猫を然程好きだと思っては居ない芝右衛門ですら、猫達を見て笑み浮かぶ事も有る。


 少なくともそれは、あの頃や今日の面接中の様な感情の篭もらぬ張り付いた営業スマイルとは違う物だった筈だ。


 だからと言って、彼女が立ち直る切っ掛けを与える為に採用を決めた訳では無い。


 彼女の人当たりの良さ、猫達との相性、そして祖母にも認められたで有ろう料理の腕、社会人としての経験も有り不在中を責任持って預かってくれるだろう、とそれらを総合して決めたのだ。


 決して妹の様に思っていた少女を慰める為の縁故採用と言う訳ではない筈で有る。


「なんか……色々と疲れたな……コーヒー入れるけど飲む?」


 お客さんに出すついでで無く、芝右衛門自身が飲む為にコーヒーを淹れるのは久し振りだ。


「あれ? 珍しいですね。普段は期限切れかけのドリンク消費を優先するのに……お願いしまー……あ、先輩の採用決まったなら張り紙、剥がしておきますねー」


 抱いていたアルノーをキャットタワーに座らせ、鼻歌交じりにコーヒーを淹れる準備をする芝右衛門を横目に見ながら、ドアベルを響かせてガラス戸を開くのだった。


 店長てんちょーの鼻歌なんて、初めて見たーと思いながら……

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