狸と猫と謀
「んで、結局足手纏共に足引っ張られボロ雑巾にされて、泣いて逃げ帰って来たって訳かい」
そろそろ東の空が白む頃合いに、窓を叩いて現れた珍客の話を聞き、小松は茶化す様な口ぶりでそう言った。
「最初から一回で蹴りが付くなんて思っちゃ居ねぇよ。ちゃんと目的は果たせたんだ、ただまぁ……阿呆の乱入が無けりゃ倒しきれた可能性も有ったのは事実だがな」
他所からの応援に過ぎない本吉が頭を張る事に、異論が無かった訳では無い。
だが今夜の現場に出てきた者は、自身が自分達の組織の中でも二級線だと言う事を理解した者達で有り、面子に掛けても前線に立つと等と言い出す事も無く、足を引っ張ろうと言う者は居なかった。
機動隊の中でも弓道やアーチェリーを齧った事の有る数名に、同じく和弓を手にした公園の中に有る神社の巫女だと言う少女。
それらの鳴らす弓音が響く度、雷を孕んだ人ほどの大きさの黒雲は向きを変え、追い立てられる様にしてそれは公園の南側に有る野球場へと降り立った。
余程弓鳴りが耳障りだったのだろう、雷鳴を轟かせながら地に墜ちた化け物は、全身に稲光を走らせながら、高く高く咆哮を上げる。
しかしソレを声として認識する事の出来る者はその場に居なかった、高すぎるのか低すぎるのか即座に判別する事は出来ないが、少なくとも人の可聴域には無い叫び。
その場に居る者達の肌を震わせ、氣を纏う事すら出来ぬ未熟者達の心を叩き潰す、衝撃だけが辺りに響き渡る。
即座に動けたのは本吉以外に僅か三人だけで、それ以外の大半は腰を抜かしへたり込む様な事こそ無いものの、歯の根が合わぬ様子でその身を震わせていた。
苛立った猛獣の前で弱みを見せれば立ち所に食い殺されるのが普通だ。
だが鵺は動かなかった、否動けなかった。
咆哮に立ち竦む事無く殺意の篭った氣を叩き付ける本吉、陰嚢が縮み上がりそうに成るのを怒声を放つ事で己に喝を入れ回避した機動隊リーダー、そもそも縮み上がるモノの無い臨と巫女さん。
その四人に隙を見せれば討ち取られる、獣にも等しい知恵しか持たぬ鵺も、その事に気が付いていたのだ。
苛立ちを隠さず悔しそうに唸り声を上げる鵺、対して一人また一人と気を取り直し、駒は小粒なれども数の優位は完成していた。
そして撃ち放たれた矢の数々、その大半は氣も篭もらぬ物で有り、通常の妖怪が相手ならば何の痛痒も与えぬ物だっただろう。
しかし相手は『弓矢』で討たれたと言う記録が多々ある鵺だ、記録が有るから有効なのか、有効だから記録に残っているのか、恐らくはその両方なのだろうが、妖怪という物はその殆どが記録に残っている対処法が有効なのだ。
本吉達4人、抜きん出た能力を持つ物から視線を切ってまで、鵺は地を蹴り自身に向かい飛来する矢を躱し、雷を放ち焼き落とす。
幾重にも撃ち放たれる矢にこのままでは危ないと悟ったのだろう、鵺は再びその身を雷雲へと変じ飛び立つが、一手遅かった。
誰が放った物かは解らぬが、矢の一本がその右前足に突き刺さったのだ。
身体の大半が黒雲へと変じていたが、矢が刺さった途端に鵺は再度実体を持ち、丸で毒矢でも受けた彼の如く、腰砕けた様子で地に伏した。
真逆此処まで高い効果を上げるとは思っていなかったが、それは完全に好機と言える状況で、それを見逃す様な愚か者はこの場に居ない。
長物を手にする者、刀を手にする者、それぞれがそれぞれの邪魔をせぬ様に配慮しながらも、一斉に打ち掛かろうとしたその時だった。
何処から入り込んだのかは解らないが、この場に居るには似つかわしく無い、スーツ姿の二人組の男が此方に向かって容赦無くストロボの嵐を浴びせかけたのだ。
響き渡るシャッター音にも、目を焼く様な光にも怯まず攻撃を続行出来たのは本吉だけだった。
繰り出された仕込み錫杖に依る一撃は鵺の右前足を叩き切る事には成功したが、それで矢が身体から離れた事で自由を取り戻したらしく、鵺は一声鳴く事すらも無く今度こそ黒雲へと変じ空へと飛び去ってしまったのだった。
「ありゃまぁ……聞屋さんかい? 邪魔しくさったのは」
興味本位の野次馬で有れば、まだマシだっただろう。
姿を表した新聞記者達は、報道の自由や知る権利と言う言葉を盾に、警察が恣意的捜査の為に公園を不当に封鎖している、と判断し警察の悪事を暴く為、身の危険も顧みず取材を強行したのだそうだ。
広大な面積を誇る公園の中を彷徨い歩いた記者達は、雷鳴や怒声を聞きつけ球場へと向かい、辿り着いた其処に居た鵺と武者の合戦を写真に納めるべくシャッター切ったのだと言う。
表立って処理できぬ案件なので、彼らの主張が100%間違っているとは言い難い、この手の案件を警察や政治家がひた隠しにしていると言うのは事実なのだ。
故に彼らを表立って裁く法は無い、立入禁止措置とて『任意』以上の法的根拠は無いらしく、警察官の制止を振り切る等しなければ公務執行妨害にすら問えないらしい。
とは言え、この手の事件にこの手の手合が出る事は日常茶飯事、この手の連中を黙らせる手段の一つや二つは存在している物で、彼らは今頃記憶を操作され某繁華街の二丁目、その裏路地にでも捨てられている筈だ。
「んで……、そんな下世話話の為だけに態々こんな時間に壁登りなんぞしてる訳じゃないだろう? 私らに何の様なんだい?」
可哀想な記者の末路に笑い転げる猫達の中、一匹クールな顔でそう言い放ったのは此処のボスとも言える小松だった。
「あんだけ、ただっ広い場所で雷獣なんぞ相手にするのが間違いだってんだ。今回腕一本叩き切れたのだってラッキーってもんさね」
弓の音に苛立ち、尚且つ此方を侮っていたからこそ、鵺は実体を表し直接なぶり殺しにしようとしたのだろう。
だが奴が此方を最初から危険な相手と見做していれば、空から降りる事無く一方的に雷撃を降らせたり、そのまま姿を現さなかった可能性も有る。
そうなればこれ以上の被害者を出さずに終わらせる事は先ず無理だ。
しかし俺の手に奴の決して小さくない身体の一部が手に入った以上、それを取り返しに来る様仕向ける事は比較的容易な事で有る。
通常の生き物と違い妖怪は多少傷ついた所でそれが即座に命に関わる事は無い。
切り傷だろうと刺し傷だろうと、実体に付いた傷はその身体を再構成する時に概ね消えてしまう。
だが今回の様に完全に切断された一部が、人の手に落ちた場合には話は別で、奪い返し再度接合せねば、その部分は欠損したままと成るのだ。
長い時間を掛ければ再び生えて来る事も有るだろうが、取り返しに来ざるを得ない様にするのは比較的簡単で有る。、
身体の一部が切り離されたとしても、霊的、魂的な繋がりは無くならず、それを通じて苦痛を与えたりする事が出来るのだ。
ちなみに切り離された部分を自由に操る様な化け物も少なく無いので、不用意にやろうとすれば手痛い竹篦返しを喰らう事に成る。
本吉もどんな状況にでも対応出来る様、大量の道具を車に積んでいたが故に可能だった事だ。
切り離されて尚、直接触れば感電死しかねない凶悪な電気混じりの妖気を放つそれを、絶縁テープと数珠、そして経文を巻き付け、更に桃木の仏像様木箱に封じているのである。
「んでだ、俺がお前さん達に頼みたいのは簡単だ、猫の裏道に案内してくれや。四足の癖に木気を孕んだ相手をブチのめすんだ、白虎の眷属で有るお前らの住処程楽な戦場はねぇわな」
四足の獣――毛虫は本来ならば金気の存在なのだが、鵺はその尾が蛇だと言う事も有ってか鱗虫――鱗を持つ木気――に分類される。
相手にとって不利な場所で戦うのは戦闘の基本なのだ、毛虫の王『白虎』に通じる猫達の縄張りで有る『猫の裏道』其処を戦場にするならば今度こそ討ち取れるに違いない。
そう意気込んで放った本吉の言葉に対し小松は、
「……この辺の裏道は確かに私らの縄張りだけどさ、只猫達だって使うんだ。その代償は決して安かぁ無いよ?」
打算を口にしては居るものの、最早決まった事と理解した様子で溜息を吐きそう返すのだった。