狸と獅子の戦支度
最寄り駅の終電も既に過ぎ、草木も眠る時間帯。
普段ならばそんな深夜でも、昼間ほど賑わう事こそ無くとも、人の気配が全く感じられない、と言う事は先ず無い。
真夜中の逢引きを楽しむ者や、野外活動に突入する者、それを覗く者と……例を上げれば限がない程に、探せば何処かしらに人の気配は有るそんな公園である。
けれども流石に人死が有ったばかりのこの場所で、事件の収束も報道されぬ内に軽はずみな行動を取る者が居よう筈も無い。
と、現場へと向かう車中ではそう思っていたのだが……
「なんでこう……野次馬が集ってるんだよ……?」
危険な動物が逃げ出したか、もしくはその様に偽装した殺人者が居る可能性を考慮し、現場だけでなく公園全体が立ち入り禁止の措置が取られているのだが、東京ドーム8個分に相当する広さの全てをカバーできる程の人員は地元警察署には居ない。
所属署員全てを投入すれば不可能では無いかも知れないが、それで捜査を遅らせていれば本末転倒としか言いようが無いだろう。
公園を縦断する道路は当然、関係者以外の者が入れぬ様三車線の道路の内二車線を斜めに止めた停めたパトカーで封鎖され、残りの一車線と歩道には警察官が立っている。
流石にその静止を振り切って中へと入り込もうとする者は居ないが、覗き込んだり携帯電話で写真を撮ったりする者達が歩道を埋め尽くしていた。
速度を落としパトカーを避けて徐行し進んでいくと、それに気づいた警察官の一人が駆け寄って来たので、ブレーキを踏み込み窓を開ける。
「すみません、この先へ向かうのでしたら迂回して頂けま……ああ、狢小路先生ですね、お話は伺っています……そちらの駐車場へ入れて下さい」
比較的友好的な笑顔を張り付かせた警察官は、一度は別方向へと誘導棒を振るが、本吉の服装を見て直ぐにピンと来たらしく、その方向を変えて奥へと誘う。
誘導された駐車場は半分ほどが埋まっており、本吉は自分が最後の到着者らしい事を察するのだった。
どんな状況にでも対応出来る様、車には様々な道具を積み込んで来たが、流石にその全てを担いで行く訳にも行かず、結局は普段通りに近い荷物だけを持って現場へと歩を進める。
そこには訳を知らぬ者が見ればそれこそ警察が呼ばれても仕方がない、そんな怪しい風体の――本吉同様に袈裟を纏う者はマシな方で、鎧兜に身を包んだ合戦に赴く武士の装いや、着古し擦り切れ薄汚れた修験者風の者等、コスプレ会場としか思えぬ者達が屯していた。
「いやぁ、おまたせして申し訳有りません」
その中に見知った顔を見つけ、駆け寄りながら本吉はそう言葉を放つ。
筋骨隆々の武者軍団に一人だけ混ざった少々小柄な鎧兜、それは本吉を今回の一件に誘った寸原臨その人で有る。
「いえ……此方こそ遠い所を態々お越し頂き誠に申し訳有りません」
一際恐縮した様子で身を縮こませながらそう返答した。
「他にも厄介なのが出ていると言う話は聞いて居ります、これ以上の被害を出さぬ為にも多少の出張はやむを得無いでしょう」
この公園の回りには、宗派は違えど寺も有れば、神社も教会も有る、本来であればソレらに属する退魔師なり武芸者成りがこの一帯を縄張りとしてるのだが、タイミングが悪い事に数日前から別件に掛りきりなのだそうだ。
とは言え宗教勢力ならば何処にでも、能力を持つ手合が居ると言う訳では無い。
だが人が集まれば集まる程に化け物もまた出やすく、被害も起こりやすくなる。
その為、各組織が最前線とも言える二十三区からほんの少しずれた、この地に拠点を構え戦力を集めているのは何らおかしい事でも無い。
それらの主戦力が出払っているこの状況で、大物が出たのは不幸としか言い様が無いだろう。
けれども流石に外様で有る本吉だけに事を押し付けては、彼らの面子が立たぬが故に二級線の戦力をこうして支援に出して来た様だが……。
「ところで、あちらの御坊や修験者殿、尼僧と思しき方々は分かるとして……甲冑の方々は何方の勢力の?」
宗教勢力系は比較的服装で所属が分かり易い――とは言え細かな宗派まで見極めるのは難しい――が、手にした得物も刀や槍、弓等など、微妙に統一感が薄いと、その判別が付かなかった。
辛うじて皆が皆、日本甲冑を纏っていると言うのが共通点と言えるだろうが、この手の妖怪退治を生業の一部とする様な武芸者集団の場合、一つの流派が一つの団体として行動するのが大半で有り、類似する武器を手にしているのが普通だ。
臨自身もが同様の出で立ちである事を考慮すれば、恐らくは寸原議員の手の物と考えるのが妥当では有るが……
「あー、彼らは……」
良い年をして親にお守りを付けられている事が恥ずかしいのか、言い辛そうに言葉を濁す。
「押忍自分達は警視庁機動隊所属……寸原刑事ファンクラブで有ります!」
が、甲冑の中のリーダー格と思しき一人が、彼女と本吉の間に割って入る様にして、そんな世迷言を曰った。
「……遊びで相手にするにゃぁ、相手が悪すぎるぜ?」
一瞬なんと切り替えして良い物か迷いはしたが、こうして命の遣り取りをする場に出てきた以上、それがどんな御巫山戯で有ろうとも敵は構いはしないだろう、そう考え最後通牒のつもりで言葉を吐く。
「都民の安全を背負う以上、それが如何に危険な現場でも躊躇する事は無い。それが……例え相手が人間では無かろうと変わりはしない」
直前にファンクラブ等と戯けた言葉を吐いたとは思えぬ、真剣な声色でそう言う彼は覚悟を決めた武士の目をしていた。
「……葬式を増やすんじゃねぇぞ? んじゃ、取り敢えず時間も無ぇ事だしブリーフィングを始めるぜ!?」
相応の装備は身に纏っている様だし、目の座った相手を説得するのは骨が折れる、そんな判断の下、溜息を一つ吐くとその場に居る全ての者に聞こえる様、声を張り上げる。
「鵺に限らず、獣系の化け物は一度人を喰らい味を占めると、同じ場所で同じ様に人を狙うもんだ」
人肉の味を知った熊は、人を獲物と認識し再び人を襲う様に成ると言われているが、これは熊に限った事では無い。
人間は武器を手にするからこそ自然界最強の生き物と言えるが、素の身体能力においては自らよりもずっと小柄な肉食獣にすら捕食されかねない脆弱な生き物で有る。
それ故に、人が簡単に食える獲物と認識した肉食獣は頻繁に人間を襲う様に成るのだ。
中には人しか喰わぬと言う、存在その物が人類の敵とでも言う様な妖怪も居るが、獣の変化やそれに類する物は人間を好んで捕食する物は少ない。
野生の動物に比べれば知恵が回る奴らは、人間に手を出せばどれ程危険な竹篦返しが待っているかを理解する頭が有るからだ。
けれども、それは同時に自分達にそれだけの痛痒を与える事が出来る者が少ない事を理解する知恵も持っている。
故に今回の様に被害者の遺体を半端に捨て置く様な事が成されるのは極めて稀なケースなのだ。
そして相手が何モノなのか解っていれば対策を取る事が出来るのも人間の強みで有る。
「今夜の討伐では、前衛として可能な限り接敵は俺が受け持つが、主役は弓手の皆だ。鵺は弓に弱いとされる、矢傷所か弓鳴りの音すら恐れる程にな」
大妖怪と呼ばれるに相応しい鵺とて、討ち取られたと言う話は日本中に幾つも有る、それらを参考にすれば、決して勝てない相手では無い筈だ。
力量の足りない者も居る中で彼らが士気を落とさぬ様、自信を秘めた表情を心がけてそう言い放った、その直後である。
月明かりに照らされた晴天に遠雷が鳴り響くと共に、笛を吹く様な不気味な鳴き声が辺りに木霊したのだった。




