雌獅子の依頼、狸の推理
張り巡らされた立入禁止の黄色いテープと、その回りに群がる野次馬を潜り抜け、自身を呼び出した者の姿を探す。
「見たら解るだろ。此処は立入禁止だ! 勝手に入るな!」
とソレを見咎めた制服に身を包んだ警察官が頭ごなしの怒鳴り声を上げる。
当然の事だろう、此処は遺体が搬出されたばかりの、殺人現場なのだから。
「ああ、すみません。捜査一課の寸原警部に呼ばれましてな。お取次願えますでしょうか?」
そんな場所に袈裟を纏い網代笠で顔を隠した坊主らしき不審人物が姿を現し、勝手に入り込もうとするのを止めるのは、職務の範疇であろう。
「えっと? 失礼ながら……獣医の狢小路先生ですか? 申し訳有りません、直ぐにご案内致します」
だがその警察官は本吉の言葉を聞くや否や、態度を一変させ丁寧な口ぶりで謝罪の言葉を口にし、先立って先導してくれる。
どうやら事前に話は通して有るらしい。
「いやぁ……獣医の先生と聞いていましたので、てっきりYシャツに白衣の方だとばかり思っていたんですよ。まさか、そんなお坊さんの様なコスプレでいらっしゃるとは……」
言い訳なのか、それとも率直な感想なのかそんな言葉を口にする彼だったが……。
「その方は獣医でも有るけれど、本職のお坊さんでも有るのよ。狢小路先生、お呼びたてして大変申し訳ありません」
と、此方の姿を見つけた臨に叱責するような強い調子でそう言われ、首を竦めた。
「獣医が来ると言われて坊主が来る、と予想する方が無理ってもんさね。そうキツく言いなさんな……で? 俺が何かの役に立つのかい?」
流石に可哀想に思ったのか、本吉は彼を庇う様な言葉を口にし、続けて説明を催促する。
殺人現場にわざわざ警察が獣医を呼ぶ理由それは……。
「……今回の被害者は遺体の損傷が激しく、人間の凶行とは考え辛い物が有りました。また周囲に残された痕跡も、犯人が人とは思えない物が既に幾つも見つかっています」
そんな言葉から始まった彼女の話に拠れば、遺体の破損状況や現場に残った痕跡、それらを総合し警察は、被害者が熊や虎の様な猛獣に襲われたのだ、と考えているらしい。
だが二十三区からは外れているとは言え、此処は市街地に囲まれた大きな公園で有る、そんな猛獣が野生で生活している様な事は有り得ないだろう。
となれば、当然近くの動物園等で飼育されている物とも考えられるだろうが、同じ公園内に有る小さな動物園にはその手の猛獣は居ない。
次に疑うべきは個人で飼育している可能性だが、少なくとも同市内には猛獣飼育許可を得て居る者への問い合わせは既に終わっているが、逃げ出したと言う報告は無いそうだ。
「狢小路先生には、現場の痕跡等からどの様な猛獣か……またそれ以外の可能性も含めてご意見を伺いたい、と考えお呼び立てした次第です」
敢えて濁しては居るが、彼女自身は猛獣と言う線は無いと考えて居るのだろう事が、その口ぶりからは伺える。
「……そう言う事ならまぁ、微力を尽くしましょう」
そして同時に、本吉は何故他の獣医では無く、自分が呼ばれたのか解った気がした。
見せられた遺体の写真、それは凄惨な物だった。
頭は潰れた柘榴の様な有様で、腹は食い荒らされたのか原型を留めていない、対して四肢は鋭い刃物で切られたかの様に綺麗にスッパリと落とされている。
検死医でなくて良かった、それが写真を見た本吉の最初に抱いた感想で有る。
とは言え、事故に遭った動物の死体や、御遺体を見慣れている彼は、そんな悲惨な状態を目の当たりにしても取り乱す事は無い。
「見る限り、確かに肉食系の猛獣……に依るものに見えなくも無いが……まぁ回りの痕跡も調べてみにゃ判断は付かねぇか……」
写真だけで判断するのであればわざわざ現場に来る必要は無い、此処でしか調べる事の出来ない物を探すべきだろう。
木々に付けられた傷跡や地面に残された足跡等、鑑識官と思しき者が印を付けたり写真を取っている姿が、回りには幾らでも有る。
その中の一つ、本吉が気になったのは土の地面にくっきりと残された足跡だ。
恐らくは前足の跡と思われる物と、位置相的に後ろ足と思しき跡があからさまに構造が違う様に見えた。
獣医大時代の記憶を掘り起こし、その中に有る物と一致しそうな物を思い浮かべる。
後ろ足……踵から爪先まではっきりと残ったそれは熊の……それも大きさ的には月輪熊では無く北海道で見た羆のソレの様に思えた。
対して前足は爪の跡は見えず、サイズこそ違うが爪を仕舞う機能を持つ猫の……虎かライオンと言ったネコ科猛獣の足跡の様だ。
だがその並び方は記憶に有る何方の物とも違う様に思える。
少なくともそれら足跡だけを見て、即座にコレだと言い切る事は出来ない。
「……違和感しか感じねぇなぁ」
取り敢えず足跡は一旦置いておき、他の痕跡――表皮が剥がれ落ちた木に目を向ける。
クマ剥ぎと言われるクマの痕跡にも似ているが、其処に付着した黒と黄褐色の毛は虎を思わせなくも無い。
ぱっと見る限りで見つかる痕跡の一つ一つには思い当たる物が有るのだが、それらを組み合わせ様とするとちぐはぐで噛み合わず、何が正しいのかが解らなく成る。
……だが同時に人の手に依る偽装と言う線は消える様にも思えた。
人間が考えてやるならば、もっと一貫性を出す様にするだろうと考えたのだ
それを口に出そうとしたその時だった。
「警部、監視カメラ映像に被害者と思わしき人物が映っている事が確認出来ました。残念ながら事件その物は映っていない様ですが音は入っています!」
臨の部下らしきスーツの……私服刑事だろう男が、駆け寄りそんな言葉を口にしたのだ。
「動画の原本は既に鑑識に回してありますが、此方でも確認出来る様にコピーを貰ってきました」
そう言って差し出されたタブレット端末を受け取り、手慣れた様子で臨はそれを操作する。
映し出されたのはこの場から然程離れて居ない位置に有る歩道、街頭に照らされては居るがそれでもその姿がはっきりと解る程には明るく無い、そんな映像だった。
記録されていた時間は午前2時頃、前後一時間程の間に彼以外の人通りは無かったらしい。
公園の北側から南側へとスマートフォン片手に歩いて行く男が、画面から見切れて三十秒程経ったタイミングで、恐らくは被害者の物と思われる叫び声が上がった。
それは恐怖に怯え悲鳴と言うよりは、何か有り得ない物を目の当たりにした驚愕の声に聞こえる。
そしてその直後に断末魔としか思えぬ声が響き、それから何かを咀嚼する様な汚らしい濡れた音が鳴り続けた。
恐らく腸を食い荒らして居るのだろう事は容易に想像出来る。
その音を聞く限り、それは完全に肉食猛獣の食事音その物だ。
事前に一度見ていたで有ろうその刑事も凄惨な事件が有り有りと想像出来たのか、完全に血の気の引いた顔をしている。
対して本吉も臨も慣れていると言わんばかりに顔色一つ変えず、真剣な顔で瞳を閉じて耳を済ませていた。
然程長い時間では無い食事の音が鳴り止むと、ヒーヒョローと笛を吹く様な甲高い音が鳴り響く。
「……コレは鳴き声でしょうか?」
徐々に遠のいていくその声を聞き、臨がそう言う。
「こりゃぁ……アレの鳴き声に聞こえるが……真逆、なぁ……」
本吉には聞き覚えの有る物だったが、ソレが意味する事を信じたく無いと言わんばかりに、首を振りながら呟く。
それは虎鶫の鳴き声に限りなく酷似した物だったのだ。




