猫と狸の事情
「それで野良連中引き連れて大粗相大会……って、勘弁してくれよ……」
ムジナ動物病院の診察室に運び込まれた猫達から話を聞き、本吉はさもうんざりしたと言わんばかりの表情でそう吐き捨てる。
朝、猫喫茶に出勤した芝右衛門は、店内の荒れ果てた状況に驚き、そして普段では有り得ぬその様子に猫達の不調を疑い急遽臨時休業を決め、猫達に緊急診断を受けさせる事にしたのだ。
営業開始前のこの時間、芝右衛門から救急だと言う連絡を受け、慌てて受け入れ体制を整えたと思えば何の事も無く……『ムシャクシャしてやった』と言うだけの事で有る。
芝右衛門には悪いが、猫達の縄張りでとも言える店内だけならば、此方としては全く問題ない。
昨夜の事も『検査結果は問題無し、虫の居所が悪かったんだろ』で済ませるだけの事だ。
だが小松達は店の外へと迷惑を持ち出したと言うのだから、詳しい話を聞かない訳には行かない。
店の掃除しなきゃならんだろ、と芝右衛門を先に帰し、本吉は猫達にその所業を問いただす事にした。
「人や物を傷付け無いって、約束はちゃーんと守ってるだろ? 何の問題が有るってんだい」
不貞腐れた様な声でそう言う小松の話に拠れば、店を窓から抜け出した化け猫達は、道すがら集まる野良猫たちを引き連れて、隣町のとある豪邸の庭へと押しかけ、所構わず粗相をブチかましたのだそうだ。
けれども、化け猫達は確かに人や物を傷付ける様な事はしなかったが、一発かました野良猫達が庭の錦鯉を襲ったり、庭の草花を食ったり、立派な松の木で爪を研ぐのを黙認したり……と灰色と言うには少し濃すぎる内容も含まれたものだった
「騒ぎに成るような真似は慎む……ってのも約束の範疇だろうが。そこまでやらかしゃ、マスコミ沙汰に成ってるんじゃねぇか? ワイドショーなんかが好きそうな話題だし」
溜息を吐きながらそう言う本吉では有ったが、その表情は決して暗い物では無い。
本吉にとっても松葉は見知った顔であり、その彼女が受けた仕打ちを考えれば、猫達がやらかした事は許容範囲内と言えるレベルに収まって居ると思えるからだ。
「まぁ彼処の家もなぁ……先代が生きてる頃なら、アホな親戚の意見なんざぁ耳も貸さなかったんだろうがねぇ……」
件の家は最近に成って成り上がってきた所謂成金の類では無く、隣町に古くから根付く名家の類である。
今でこそ会社は都内に本社ビルを構える様に成ったが、創業者一族の本家は未だ変わらず隣町に存在していた。
そしてその家は代々、本吉の実家で有る寺の有力な檀家の一つでも有ったのだ。
しかし信心深かった先代が亡くなり、喪主を勤めた当代――例の男の父親に当たる人物が葬式代を値切り、お布施は一文たりとも出さなかった。
古い寺の維持費と言うのは決して安い物では無い、だが狢小路一族はそれを理由に檀家に対して負担を強要する様な真似を1度たりともせず、別の生業を持つ事で自腹を切って何とかしてきたのだ。
葬式代とて請求する大半は遺体保存のためのドライアイスや、御供物、供花等の消耗品に対する実費で有り、そこらの葬儀社とは比べるまでも無い程で、相手が恐縮して善意の『御布施』を多く包む事が大半で有る。
にも関わらず、無駄な金は一銭たりとも出したくないと言わんばかりの態度で、値切り交渉を仕掛けて来たのだ。
身内だけの質素な式を、と言うのであれば理解出来なくも無いが、その男はあろうことか値切った上で家や会社の格に見合う盛大な式を、等と寝ぼけた事を抜かしたらしい。
見積もりは殆ど実費であり、儲け等殆ど上乗せしていない金額で有る事を説明し納得させる事は出来たが、四十九日法要ですら御布施が包まれる事は無かったのだそうだ。
世間体や付き合いとして葬式位はやるが、死後だなんだと有りもしない事を商売にする詐欺師に出す金は一銭ポッチも無い、と言うのが相手の主張だったと言うのが葬式を取り仕切った者から聞いた話で有る。
「商売人としては一級なのかもしれねぇが、まぁ先は長く無いわなあの家も……」
他人どころか親に対してすら情と言うか、敬意と言うかそういう物が欠けた人物が現当主で有り、その跡取りは手前で決めた伴侶を守ろうとすらしない程度の器量。
一連の話を聞き、本吉はそう断ずるのだった。
「ああ、大丈夫だ。ちょいと勝の奴が太って来てる以外は何の問題もねぇよ。んで店の方はどうよ? ああ、夕方には終わって迎えに来るんだな?」
診察室の机に置かれた電話機を使い、通話している相手は勿論芝右衛門で有る。
その視線の先には店で朝食を与えられなかったらしい化け猫達が成らんで餌皿に顔を突っ込んでいる姿があった。
妖怪化しているとは言え、身体の構造自体は普通の猫と何ら変わりは無い、食い過ぎれば太るし、結石等の病に罹る事も有る。
そんな彼らが少しでも健康に過ごせる様、彼らの食べる食事は基本的にこの病院で用意した物を店でも出しているのだ。
故に普段食べるそれと変わらぬ食事が彼らの前には出されているのである。
「んで……お前さん何時から宗旨変えしたんだい? ああいう……雌ライオン見たいのはアンタ好みの娘っ子じゃなかっただろう?」
本吉が受話器を置くのを見て、わざわざ食事を中断し、そんな言葉を口にしたのはお銀だった。
「え? 何!? 雌ライオン? あれ? 狸坊主は幼児趣味じゃなかったっけ?」
「嘘やろ! ワテは『何時かやると思ってたんです』って家のボンがテレビに出る事に成るやろ思うてたんに……」
「何言ってるの、彼の彼女は画面の向こう側に居る娘でしょ。三次元は惨事元とか前に言ってたし……」
その言葉にカレーの臭いを好まないペルシャのたまご、三毛の戎丸、ロシアンブルーのアルノーが、弾かれた様に顔を上げて口々に好き勝手な事を言い放つ。
「雌ライオンって、まぁなんとも的確な表現だねぇ。確かにあの子の親父はライオン見たいな強面だしね」
「狸とライオンじゃぁ、貫目が違いすぎるわね……食われるのは時間の問題かしら」
その素性を知る小松が同意を示し、マンチカンの虎は『南無』と言う様に両前足で合掌する。
「いやいや鼠だって追い詰められりゃ猫を噛むんだ。狸がライオン噛んだって可怪しか……何方にせよ、食うか食われるかの違いしか無いか……」
「どーでも良い……食ったし、寝る……」
ソマリの勝がそう言えば、アメショの葵は我関せずとばかりの大あくび。
「お前ら……好き勝手言ってるんじゃねぇよ。見合いはしたが、俺みたいな冴えないおっさんをあんな子が相手にするかよ」
とは言え、幼女趣味疑惑に関して否定の言葉は口にしない。
二次元と三次元は別腹……別物と考えて居り、その手のゲームや漫画では幼いキャラクターを好みはするが、現実の幼女に食指が動く事は無いのだ。
そんな彼が胸が小さいでは有るが、小柄とは言い難い女性を連れて食事に行ったのだから化け猫共の反応は理解出来ない範疇の事では無い。
とは言え彼女から日を改めてもう一度食事にと誘われた時には、変な期待を抱かぬ様自らに言い聞かせたのも事実では有る。
ぶっちゃけた話、三次元ならば彼女の様な芯の強そうな女性も好みのタイプでは有るのだ。
「彼女が興味が有ったのは、俺じゃなくて猫庵のカレーだよ。舌の肥えた親父さんも美味いって言ってたみたいだしな」
重ねて自分に言い聞かせる様な口ぶりでそう言い放った、その時だ。
「先生、外線に寸原さんからお電話です」
受付から紺野が何処か呆れた調子で、そんな言葉が飛んで来たのだった。




