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黒衣退魔行 / 猫ま! 喫茶へようこそ!   作者: 鳳飛鳥
日常と非日常の狭間で生きる人々
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手抜きなメニューと本気のメニュー

 ゆっくりとゆっくりと余計な熱を豆に与えぬ様に静かに静かにハンドルを回す。


 使い古された、されどよく手入れの行き届いたソレは、この店の初代店主で有る祖父が存命の頃よりずっと使われている、最早骨董品(アンティーク)と言っても間違いでは無い、そんな品だ。


 それは業務用として使うには余りにも小さく、一度に処理できるのは精々三人分が限度の物だが、彼の祖父が手に入れた時点で既に幾人かの手を経た古道具で挽かれた豆は、他の機材を使った時とはあからさまに味も香りも別物と成る……気がする。


 故に商売には向かぬと分かっていても祖父もその後を引き継いだ祖母も、そして彼自身もその古く小さなコーヒーミルを愛用しているのだ。


 この店で注文から唯一時間の係るメニュー、それが一杯一杯挽き立ての豆で入れるコーヒーなのである。


 別段一見さんお断りという訳では無いが、立地の関係上通り掛かりでふらりと立ち寄るお客様はほぼ有り得ないこの店、来るのは五八様かその紹介が大半で、店主がコーヒーを淹れる事に並々ならぬ拘りを持つ事を知っており、それに文句を言う者は殆ど居ない。


 と言うか、この店に来る大半の客は猫と戯れる事を目的として来店しているのであって、料理上手だった先代の祖母の頃ならば兎も角、コーヒーと金曜日のランチメニュー以外には自分の飯も満足に拵える事の出来ぬ彼の店で、食事を目的として来る事は無いのだ。


「マスター、それ淹れ終わったらこっちチーズケーキとレモンティーおかわりお願いね」


 丁度豆を挽き終わったのか手を止めた彼に、そう注文の追加をしたのは下のフロアで占い屋を営む年齢不詳の性別不明――自称オカマでは有るが、少なくとも見目は女性の物にしか見えないし、声も男性の物とは思えない――の占い師だった。


 彼――或いは彼女? は、サリーの様なエキゾチックな風合いの民族衣装の様な物を身に纏い、カウンターのスツールに腰掛けたその膝の上に丸まっているエキゾチックショートヘアを撫でている。


 予約が有った時にだけ店を開ける彼は、店を開く日にだけこうして猫を抱く為にこの店へと顔をだすのだ。


 そんな注文の言葉に店主はただ無言で頷く事で了解を示すと、取っ手が付いた砂時計型のコーヒーカラフェに、挽きたてのコーヒー豆が入ったフィルターをセットする。


 黄金色の円錐形金属フィルターとガラスのカラフェは、双方共に祖父が健在の頃から使われていたのと同型の品で、祖父が使っていた物自体は祖父が亡くなった時に、副葬品として埋葬してしまっていた。


 今この場に有るそれは彼がこの店を引き継ぐ事を決めた時に、友人の一人が海外へと出張に行った際にわざわざ探して買ってきて来れた品である。


 贈って来れた友人には『コレを使って、美味いコーヒーを飲ませてくれ』と言われたが、ソレを果たす機会はもう永遠に無いだろう。


 今は亡き祖父と友人……双方への思いをおくびにも出さず、カウンターの奥、厨房へと繋がる扉を開き、輝くステンレスのコーヒーケトルを持ってくると、ゆっくりと傾け細く細く湯を注ぐ。


 その量は精々豆を濡らし、ほんの少しだけカラフェに色づいたコーヒーが垂れてくる程度なのだがその時点でケトルを置き、カウンターに置かれた小さな砂時計をひっくり返す。


「チーズケーキとレモンティーでしたね。少々お待ち下さいませ」


 緊張を強いられる作業が一段落したと言わんばかりに一息つくと、そう注文を繰り返し再び厨房へと入っていった。


 そしてほんの一分程で、注文された品の乗ったトレイを手に戻ってくる。


 可愛らしい桃色の肉球がデザインされた小ぶりのマグカップと、数匹の子猫が眠っている絵柄の皿には一般的な物とは違う、土台の無いレアチーズケーキらしきものが乗っていた。


 それらをそっとカウンターの上へ、占い師の前へと置くと、ケトルを手にして再び厨房へと戻る。


 再び戻ってきた時には丁度砂時計は落ち切り、それを確認してから再びケトルの湯を細く静かにゆっくりと、渦を描く様に流し込んでいく。


 と、それまで占い師の膝の上で静かに喉を鳴らしていた、銀の地に黒の縞が入ったシルバータビーの猫は、一声上げる事すらせず飛び降り、そそくさとその場を去って行った。


 直後鼻孔を擽る芳ばしくも芳醇なその香りは、挽き立てを淹れるからこその物で有り、この香りを日常的に楽しめる事こそがこの仕事をしていて唯一楽しめている部分だと、店主は頬を緩める。


 だが十分に蒸らされ膨らんだ豆に湯を注ぎ落とすその目は真剣その物で、一瞬の気の緩みすらも許されないのだと、如実に語っていた。


 カラフェには分量を示す目盛の様な物は一切無く、注ぎ込む湯の量は目分量でしか無い。


 けれども彼は数瞬の後、迷う事無くケトルを置いた。


 コーヒーの淹れ方と金曜日のランチメニューだけは、祖父が存命だった頃に仕込まれて居たのだ。


 しかしカラフェの中のコーヒーは使用した豆の量に対して明らかに少なすぎた。


 勿論それは彼が何らかのミスをした訳では無い、祖父が若い頃世界を旅する中で学んだのだと言うコーヒーの淹れ方を忠実に守っているが故だ。


 美味いコーヒーとは、豆の中に含まれた美味さを余す所無く抽出し、不味さを可能な限り引き出さない、そんなコーヒーである。


 普通に考えれば、豆に含まれているソレら成分を別けて淹れる事等出来る筈が無いのだが、祖父にそれを教えたイタリア人の言に拠るならば、『美味さと不味さは抽出される温度と時間に差が有る』のだそうだ。


 温度が高ければ高いほどに不味さを含めた多くの物が豆から抽出され、逆に温度が低すぎれば引き出されるべき美味さすら抽出されない。


 そして湯を注ぎ込まれた豆は、先ず最初に美味さが抽出され、それから時間を追う毎に不味さが引き出されていく。


 それらが本当ならば美味いコーヒーを淹れる方法は一つ、不味さを引き出さず美味さを引き出す適切な温度の湯で、可能な限り短い時間で抽出を終える事だ。


 早い段階で美味さが十分に出て居るならば、豆の量に対して抽出するべきコーヒーの量は半分程度で良い、温く濃すぎるならば後から熱い湯で伸ばしてしまえば温度も味も丁度良く成る。


 少々乱暴とも言える様な方法では有るが、祖父がこの店を開いた当初から行われている、祖父が美味いと思った方法なのだ。


 そうして出来上がったコーヒーを、事前に温めておいた二つのマグカップへと注ぎ込み、その一つを彼の一挙手一投足を静かに見守っていた白い髭を蓄えた老人へと差し出した。


「大変お待たせいたしました」


 微かに震える手でそっと出されたコーヒーに老人は片眉を上げて探る様な視線を向けてから、手に取ると瞳を閉じて香りを楽しみ、それからそっと一啜り。


「……45点。祖父殿の味にはまだ及ばぬの。淹れる姿は遜色ない物に見えた故、元と成る豆のブレンドか、それとも焙煎具合か……。精進しなせぇ」


 と、辛い点を付けるのを待って、店主は残ったもう一つのコーヒーに口を付ける。


「あら、オーナーさん、随分と渋い点ね。下で買った物をただそのまま出してるだけのメニューよりは随分と良い物でしょうに」


 占い師が小さく笑いながら茶々を入れる。


 老人はこのビルのオーナーで有り、先々代店主で有る祖父の学友だった男なのだ。


 占い師の言葉通り、この店で出されているコーヒーと金曜日限定特別メニュー以外の全ての食べ物、飲み物は彼が作っている物では無い。


 このビルの一階全てを専有するテナントで販売されている商品――レモンティーは紙パックから注いで電子レンジで温め、チーズケーキは冷凍の品を解凍して切っただの物なのだ。


 対してコーヒーは先々代の祖父が店に立っていた頃に、手焙煎のオリジナルブレンドを出して居たが、先代祖母の頃にはやはり下で買った豆をただ淹れただけの状態で、彼は祖父の味の復活を目指して居るのである。


 老人の言葉の通り、記憶に有る祖父のコーヒーに比べ酸味が少なく苦味が強い様に思える、少々深煎りしすぎたのだろうか……。


 とは言え手煎りで有る以上、祖父も毎回同じ味を出せて居たわけでは無い筈だ。


 それでも明確に差を感じ、祖父の淹れたコーヒーの方が美味かったと思えるのだから、オーナーの言う通りもう一つ二つ工夫を凝らして見る必要があるのかもしれない。


 それは兎も角、普通の飲食店ならば、買ってきた物を只出している、なんて事実が明るみに出ればボッタクリだと騒がれる事も有るだろう。


 だが先代である祖母の足腰が弱りホームへと入ってから、メニューを一新した時点でそれを公言し、客達もそれを理解した上で注文しているのだから、取り敢えず問題は無い……筈だ。


 そもそも客たちがこの店へとやって来るのは美味い物食べる為では無い、人懐っこい猫達との触れ合う為にやって来るのだから……。

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