にゃんとも不思議な◯◯喫茶
「有難う御座いました―、またお越しくださいませー」
最期の客が店を出たのを確認し、彼は曇りガラスのドアにぶら下がったプレートをひっくり返す。
黒猫と『OPEN』と書かれたプレートの裏は、白猫と『CLOSED 』の文字。
うらぶれた繁華街の四階建ての小さな雑居ビルの中にあるその店は、ドアプレート以外には別段の飾りも看板すらも無く、同じフロアのテナントが皆オフィスだと言う事も有り、そこで営業していると知らない者には店舗で有る事すら解らないかも知れない。
それでも尚、閉店時間の22時を過ぎるまで店の中に客が絶えることは無く、決して少なくない売上を叩き出していた。
無論それは彼の主観だけでは無い、レジスターから長々と吐き出される精算レシートがそれを裏付けている。
「今日も大した手間も無く黒字、黒字……と、にしてもコーヒー出ねぇなぁ……値段に見合う味だと思うんだけどなぁ」
レシートの内容を眺め、ため息を一つ付き彼はそう呟いた。
その言葉が指し示す通り此処は喫茶店である、ただし普通の喫茶店では無い。
うなぁ~ん にゃー にゃーご
彼を慰めるかのように店内の至る所からそんな鳴き声が上がる、そうこの店は所謂『猫喫茶』なのである。
「ん? ああ、腹減ったのか? お前らさっきもおやつ貰ってたのに、よく食うなぁ本当に……」
彼はこの店の主で有り猫達の飼い主なのだが、猫達が自分を気遣うなんて事は無いと思っているらしい。
そもそも彼は猫が好きでこの商売をしている訳では無い、前経営者である祖母から店も猫達も引き継いだだけの男なのだ。
人並み程度には責任感も実直さも持ち合わせていた彼は、解らない事が有れば祖母の居る老人ホームや付き合いの有る保護団体へ聞きに行ったり、某猫好きの集まる掲示板で質問スレを立てたりする事で、なんとかかんとか大きな問題無く営業を続けていた。
当然ながら普通はそんなに簡単に行く物では無い。
店が休みの日でも猫の世話は必要だし、体調を崩したりすれば獣医に連れて行く必要も出てくる、一応アルバイトは二人雇っているが、彼らを休み無しで働かせる様なブラックな真似は間違ってもしたくは無い。
それに動物と飲食店と言う組み合わせ事体が決して相性の良い物では無く、店内の清掃に気を使うのは飲食店ならば当たり前の事と言えるが、それでも猫の毛や排泄物、嘔吐物が毎日何処かに必ず有るのだから清掃に掛かる手間は普通の店の比では無いだろう。
毎朝開店二時間は前に出勤し、掃除機を掛けアルコール系消毒剤を染み込ませた布で窓やキャット・ウォーク、テーブル等などを消毒する。
ソファーやカーペットに適時粘着ローラーを掛けるのは、殆ど一日中やっているのでは無いだろうか。
加えて毎週定休日には猫達を自宅へ移動させ、清掃業者を入れて徹底的に掃除してもらう。
そこまでしても時折猫の毛が変な所に紛れ込んでいたりして、客の服に付いたりするのだ。
幸い前の経営者で有る祖母が猫達にしっかりと躾をしていた様で、トイレ以外の場所で粗相をしたと言う事は彼が引き継いでからは一度も無いが。
自宅で一匹飼うだけでも相応の手間が掛かるのにそれが八匹、生半可な覚悟で始めれば後悔しか残らない様な過酷な仕事なのである。
そんな日々の苦労を思い出しながら餌皿にたっぷりのカリカリとほんの少しの猫缶を混ぜながら盛りつけて行く。
勿論それも適当では無く、細かく量り一匹一匹の好みと食事量に合わせて割合と量、更には医療食だったり、ダイエット食だったりと種類すらも調整しなければ成らないのだから、はっきり言って面倒な事この上無い。
だが此処で手を抜けば猫達は餌を食わなかったり、ソレを他の猫が横取りして食い過ぎたり……とそれ以上に面倒な事に成るのが解りきってているのだから、文句を言っても仕様の無い事で有る。
「それでも、まぁ……彼処に比べりゃ楽な仕事だよ……」
思い出すだけでも動悸が起こり目眩を引き起こす、そんな陰鬱な日々に蓋をして彼は今日も一日の仕事を終えて帰路へと付くのだった。
「やれやれ、やっと帰ったよあのボンクラ」
「今日もいつもと同じ不味い飯、偶ニャァ油の乗った鰹でも食いたいねぇ」
「何言ってんだい。お前さん、先月結石取ったばっかりじゃないの。そんな物ばっかり食べてたらまた手術だよ」
この店で働く唯一の人間である彼が出て行けば店の中に人影は無い、にも関わらず姦しく交わされる話し声が響き渡った。
その声の主達は、当然そう猫達である。
「で、今日はなんか面白い話有った?」
「いやいや今日はハズレだよ。今日は珍しく五八様より一見さんの方が多かったしねぇ。それに猫相手に深い相談をする輩なんざぁそうそう居らんでしょ」
彼女――或いは元彼――達はこうして誰も居ない店内で、夜な夜な店主の愚痴を言い合ったり、客達の口から零れ出る悩みや噂話を面白可笑しく共有するのが常なのだ。
しかし今夜は不作だったようで、誰一匹として話題を提供する事が出来ずに居た。
「テレビも特に面白そうなのはやって無いねぇ」
中には肉球で器用にリモコンを操作し、チャンネルを回す者も居るが、お気に召す番組はやって無い様だ。
「お……五千円札見っけ!」
と、そんな微妙な空気を切り裂いて、明るい叫び声が店内に響き渡る。
その声の主はこの場に居る猫達の中では比較的若い――それでも化けるには十分な歳を経ている――ブルータビーと呼ばれる毛色のアメリカンショートヘアだった。
ソファとソファの隙間に潜り込む事を好む彼女は、半ば定位置としている場所へと身を捩じ込んむと、その奥に挟まっていたソレを見つけたらしい。
「やったじゃないか! それだけ有れば鰹のお造りだって買えるよ、この時間なら半額の売れ残りが有るかもしれないね!」
座っていた椅子を蹴倒しながら、飛び上がって喜びを露わにしたのは、先月結石を取る手術を受けたばかりだと言うフォーンのソマリ――ちなみに元彼だ――である。
「何バカ言ってんだい。この時間じゃぁお勤め品所か開いてる店だって近場にゃぁありゃしないよ。お前さんが前に住んでた東京と違って此処は田舎なんだからね。駅前のコンビニならやってるだろうが、流石に刺し身なんざぁ売ってやしないわにゃ」
やれやれと妙にアメリカナイズされた仕草で肩を竦め、そう言い返したのはロシアンブルー、彼女はこの店の猫達の中でも古株の一匹だ。
「そもそも拾った銭を勝手に手前ぇの物にしちゃぁアカンやろ。猫が隠すのは糞だけや、猫が猫糞なんて下らねぇ駄洒落みたいな真似しちまったら商売猫の名折れやっちゅーねん」
極めて珍しい三毛の雄――とは言え元々生殖能力は無く、ちゃんと元彼へと手術済みだ――が呆れの混ざった声でそう諌める。
「……小銭ならまだ目を瞑るけどさぁ、流石にそんな大枚を懐に入れる訳にゃぁ行かないわねぇ。落としたのがお客でも家のボンクラでも、それに手を付けるのは誇りある者のするこっちゃない」
この店の最年長、ハチワレの日本猫がそう追認すれば、アメショもソマリもそれ以上文句を口にする事は無い、彼女がこの店のボス猫なのだ。
「小松つぁんにそう言われりゃ、しょうがないね。明日は客に鰹節でもおねだりするかい」
未練たらしく溜息を吐きながらソマリがそう言えば、
「んじゃこのお札は朝の掃除で見つかりやすい場所に移して置くのにゃ」
話の種を発掘したアメショが言いながら器用に肉球で五千円札を掴み上げ、それをレジの側に有る観葉植物の根本へと無造作に投げ捨てた。
「明日はなんか面白い話が聞けりゃ良いねぇ……。此処は安心して安全に過ごせるけどさぁ……正直退屈なんだよにゃぁ……」
拾った札に関しての遣り取りに関わらず、大きなあくびを一つして、そう言いながら寝返りを打ったのは足の短なレッドタビーのマンチカン。
彼女の言葉はこの店の猫達の総意と言っても過言では無い物で有る。
こうして猫達は二本の尾を隠す事も無く、明日はより良い暇つぶしが出来る事を願いながら、ただただのんべんだらりと夜を過ごすのだった。