表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/41

03 バレンタインデーのない国から来た男

「研修生のモハメドだ。」

 専務が連れて来た男の名を聞いて、俺は格闘技の選手の名を思い出した。

 だが、同じ名前でも研修生の雰囲気は穏やかで、往年の選手のような激しさは感じさせない。

 よくサッカーの世界大会のアジア最終予選とかになると必ず中東の国のチームが出る。

 そこの選手のように鼻の下に髭をたくわえている。

 背の高さは百八十センチ近い。

「おはようございます。初めまして。モハメドです。」

 日本語でちゃんと挨拶したので、現場の作業員一同、おおっと驚いた。

 専務は笑った。

「あっちの大学で日本語勉強しとるから。」

 そう言った後で、実は宗教上の理由で一日に五回、お祈りをしなければならないと言う。

 どうしても手が離せない時は仕方ないが、それ以外は現場事務所の中でいいからお祈りをさせてくれと言う話であった。

 そういえばモハメドは小脇に小さなカーペットみたいなものをかかえていた。

 これを敷いて神様にお祈りするらしい。

 それくらいは構わないと言うとモハメドは丁寧に頭を下げてありがとうございますと言った。

 感じのいい男だと思った。




 だが、仕事となるとそれだけではすまない。

 まずヘルメットの付け方から教えないといけなかった。

 顎紐をしていないのだ。

 これではいざという時に頭を保護するという役目を果たさない。

 俺は言った。

「モハメド、顎紐をしろ。しないと事故が起きた時にヘルメットが外れて頭を守れない。」

「事故はいつでも起きるのか。」

「いつ起きるかわからないんだ。用心、わかるか、要するにいつ何が起きてもいいように。準備をする。それが大事だ。」

「起きないようにできないのか。」

「できたら苦労はない。事故は思いがけない時に起きるから事故なんだ。それに、モハメドは研修生だ。いずれは国に帰って、国の人たちを指導する。その時に正しいヘルメットの付け方を教えなかったら、国の人たちを怪我から守れない。正しいヘルメットの付け方を知っていれば、頭を怪我して死ぬ人の数が減るんだ。」

 当たり前のことを言わないといけないというのは面倒臭いが、知らない人間にはそうするしかない。

 モハメドはわかったと言って、顎紐をきっちりと付けた。

 ついでに上着もズボンの中に入れるように言った。防寒着はともかく、その下の上着が出ていると、その薄い生地が機械に引っかかって巻き込まれて死ぬこともあるのだ。




 現場は油断できない。

 ぼさっとしていると作業車に轢かれたり、機械に巻き込まれたりする。警備員も交通整理をしていて自動車に轢かれることがある。とにかく、危険を予測して回避する能力が求められるのだ。決して体力だけでできるような仕事ではない。

 現に俺自身も何度かやばい目に遭ったことがある。

 鉄筋に頭をぶつけたり、合材でやけどしそうになったり。

 なんとか回避してきたから、今ここに生きて立っていられるのだ。

 一か月に何回か、事務所に本社から事故情報のファクスが入ってくる。

 年に何件かは、こんな死に方は怖すぎるという事故情報が載っている。

 それを読むたびに、絶対に危険予知(KYという)は大事だと思い知らされる。

 まして、モハメドは外国人だ。

 死んだりしたら、その後が大変なことになる。

 外国人だから日本人とは違う問題が生じることは確実だ。

 国に連絡をとらなければならないのはもちろん、勝手に荼毘にふすわけにはいかない。宗教上、火葬をしない国があるらしい。

 現場は労災事故が起きたら工事ストップ。

 警察だけでなく、役所が来るし、本社からも指導が入る。

 ただでさえ工期が迫っているこの時期、そういう面倒は避けたい。

 というわけで、俺は日本人なら言わなくてもいいことを言わなければいけなかった。




 そんな心配をしていたものの、モハメドは危ない目に遭わずよく働いた。

 言われたことはもちろん、あれを動かしていいかとか、あの道具を片付けていいのかとか、先回りして動く。若い日本人の作業員よりも気が利いた。

 今日だけでなく明日も来て欲しいもんだと専務に言ったら、よかよと言った。

「書類はこっちでやるが。」

 よかった。だが専務はとんでもないことを言った。

「モハメドはわけありでな。アラブのなんとかとかいう国のよかとこの息子やっど。会社に来た時、外務省ん人がついてきちょった。」

「外務省が?」

 俺は驚いた。外務省の役人なんてこんな田舎では見たことも聞いたこともなかった。

「怪我どんさせたら、国際問題になっど。」

 えらいことになった。

「食いもんは自分で持ってくっで、弁当の心配はいらんが。ハラル以外は食えん。あ、それとチョコレートもじゃ。こん前バレンタインじゃったけど、義理チョコも受け取らんかった。宗教でバレンタインをすんなと言われてるらしか。」

 宗教の関係でバレンタインデーがない。

 なんとなく、俺はモハメドが羨ましく思えてきた。

 義理以外のチョコレートと無縁な男にとって、モハメドの国は好ましく思えた。

 そうか、そんな国があるのか。

 そうだよな。

 バレンタインとかいうのはキリスト教の聖人かなんかのはずだ。

 モハメドの国はキリスト教じゃないのだ。

 バレンタインデーはモハメドの国にとっては邪教の祭りなのだろう。

 たぶん、クリスマスもそうだろう。

 俺にとってはバレンタインデー同様、この世にないも同然の行事だ。

 クリスマスの夜に仕事をしなかった時はない。

 年末年始は工事ができないから、終わらせるために夜間作業をするなんてざらにあるのだ。

 俺たちの頭上を恐らく飛んでいるであろうトナカイの橇に乗ったサンタクロースの姿など仰ぎ見ることもなく、地面ばかり見ている、それが俺にとってのクリスマスだった。

 クリスマスもバレンタインデーもない国から来たモハメドは、まるで俺の仲間のように思えた。




 そういうわけで、モハメドは三月の工期終了まで、俺の現場に来ることになった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ