21 俺は穴だ
遠藤にモハメドのメールのことを問いただすことはできなかった。
大名ダケの話をしながら泣きそうになっている声を聞いたら、これ以上泣かせるようなことは言えない気がした。
遅いからまた明日電話すると言ったら、一息おいて声が聞こえた。
『電話ありがとうございました。』
俺は通話を切った。
遠藤の声には感謝という言葉通りの意味以上の様々な感情が籠もっているように思われた。
遠藤はたぶん俺の想像もつかないような思いをしているに違いなかった。
だが、今の俺にはそれをすべて知ることはできない。
それに知ったからと言って、俺に何ができるのか。
モハメドのメールには怒りがあふれていた。
俺もそれを読んで平常ではいられず、遠藤に電話をした。
けれど、その後どうすればいいのか。
一体、俺に何ができると言うのか。
月曜日、所長から沖縄行きが正式に決まったと話があった。
五月から七月いっぱいまでの期限、現場は昼間は交通量が多いので作業は夜間になると知らされた。
俺は少しほっとした。沖縄は暑い。紫外線も強い。夜なら少しはしのぎやすいだろう。
問題はジェット機の騒音だ。沖縄に行ったことのある作業員から聞いたことがあるのだが、台風よりもうるさいらしい。
寝泊りする場所が基地の近くでなければいいのだが。
所長いわく、出張所の敷地内に宿泊する場所があるとのことだった。
ということは、基地の近くじゃないか!
出張所は基地内の仕事をすることもあるから、基地にわりと近い場所にあるのだ。
俺はため息をついた。
とはいえ書類作成などの仕事はない。現場の仕事だから、こっちは指示で動くだけだ。楽と言えば楽な仕事だった。
贅沢は言えない。耳栓を買っておけばすむことだろうし。
その夜も遠藤に電話した。
珍しく定時で帰れたので、十時には寝るつもりだったが、我慢してテレビを見ながら昨日電話した時間を待った。
だが十一時を越すと、あまり遅いのもよくないような気がした。
十五分に電話した。
遠藤はすぐに出た。
『浅戸さん、明日の朝は早いんじゃないですか。』
そんな心配をしてくれる遠藤だった。
「今、わりと暇な時期で。あ、でも明日からコンビニの駐車場の舗装が入ってる。」
『コンビニ、またできるんですか。』
「ああ、今度は坂瀬大橋の手前。ほら、酒屋があったところ。」
『え?島田酒店ですか。』
「そう。酒屋からコンビニに変身てとこだな。」
『あそこ、工業高校が近いから、繁盛するでしょうね。』
「そうだな。」
世間話をしていると、遠藤がお嬢様だなんて忘れてしまいそうになる。
「そういや、夕飯は何を食べてるんだ? 俺は大名ダケとツワを煮たのとししゃもとじゃがいもだ。」
『ご飯とタイのお造りと赤だしの味噌汁、それに根菜の煮物、ひじきとホウレンソウの白和えです。』
普通の和食に思えるが、素材は高級なのだろうと思った。
「うまそうだな。ちゃんと食べてる?」
『はい。』
声のトーンが変わった。きっと食欲がないのだ。
「モハメドからメールもらった。」
俺は本題に入ることにした。いつまでも夕飯の話をしていても埒が明かない。
俺には何もできないけれど、話だけでも聞くことはできる。
話を聞くのは大事だ。おふくろも親父が死んだ後、やたら親父のことを語っていた。仕方なく黙って聞いていたら、ある日突然、家を壊して土地を売ると言い出した。
おふくろはおふくろなりに親父との思い出を消化して、けりをつけたかったのだろう。
俺は仕事でつきあいのある会社に頼んで、家を取り壊してもらった。土地は更地にして、隣の家に売った。これでこの土地の固定資産税を俺が払わずに済むと安心したせいか、相場より安い値段で売ってしまった。後で知って、しまったと思ったが、まあいいかとも思った。もう土地の管理で悩まされることもないのだから。
おふくろは土地を売り、金を手に入れると、安心したのか急に老け込んだ。妹の家に大人しく引き取られたのも、昔のおふくろを知っている人間からすれば驚きだったらしい。
そんなことはいい。今は遠藤だ。
「何か困ってることあるんじゃないか。お金とかじゃなくて、その、嫌な相手と結婚させられそうになってるとか。家に居づらいとか。言いにくい話かもしれないけれど、口に出せば楽になる。誰にも話さないから。モハメドにもだ。」
『そういうことはないです。』
本当にそうなのか。
「気にせんでいい。俺のことは壁だと思ってくれ。いや、穴だ。土に掘った穴だ。王様の耳はロバの耳、っていう話の。」
『穴ですか。』
小さな笑い声が聞こえた。
可愛い声だと思った。どうして遠藤は会社ではこんな声を出さなかったのだろうか。
「そうだ、俺は穴だ。ただの穴だ。」
俺は力を込めて言った。
『お兄様もお義姉様も、甥も姪も父も、皆いい人達です。』
ほんとうにそうなのだろうか。
『いい人達だから、困ってるんです。』
いい人達だから? どういうことだ。
「なんで、困るんだ?」
俺の問いに、遠藤はゆっくりと答えを語り始めた。