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18 遠藤真帆子の独白2

 浅戸さんは不思議な人だった。

 男ばかりの会社の社員は意外なことに、皆おしゃべりで噂好きだ。

 女性社会顔負けのいじめみたいなことも起きる。

 前いた会社でもそういうことがあったから、慣れていたけれど。

 でも、浅戸さんは、そういう噂話の輪に入らず黙々と仕事をしていた。

 そんな浅戸さんは、よくも悪くも他の人達の噂の的になっていた。

『兄貴の借金を背負ってる。』

『妹の結婚式も金を出した。』

『父親の葬式の後、家や土地、全部自分で始末した。』

『母親の介護費用も払ってる。』

『パソコンオタク。』

 皆、よく人の家の事情を知っているものだと思う。

 要するに、お金に困った人ということらしい。

 実際、浅戸さんはお昼はいつも大きな弁当箱にご飯に梅干し、メザシを入れてお昼にしていると江口さんが言っていた。

 その梅干しも自分で作ったものらしいと。

 コンビニエンスストアで弁当を買うのは不経済だということらしい。

 私もそれはわかる。コンビニエンスストアのものは高い。スーパーで買うほうが安い。もっと安いのはドラッグストア。それから一袋百円の無人販売所の野菜。

 いつだったか、浅戸さんは現場に行く途中に百円で売っていたからと、ミカンを袋いっぱい買って事務所に持ってきたことがある。

 私もいただいた。お礼を言おうと思ったけれど、いつの間にか、事務所を出て明日の道具をトラックに積み込んでいた。

 黙々と働き、気配りも忘れない、人の噂をしない、そんな人がお父さんだったら。

 浅戸さんのような人がお父さんだったら、そんなことを思うのは、私がまだ子どもだったからだろうか。




 江口さんに浅戸さんのような人がお父さんだったらと言ったのは二月の初めのお昼ご飯の時だっただろうか。

 どうしてそういう話になったのかは覚えていないけれど。

 江口さんは、浅戸さんはそんな年じゃないよと笑った。

 それは私も知っている。確定申告の書類を年末に毎年見ている。

「遠藤ちゃんはファザコンの気があるんじゃないの?」

 江口さんの言う通りかもしれなかった。




 私の初恋というか、最初に憧れた男性は小学校四年の時の担任の先生だった。

 三十歳過ぎたくらいで、運動会には奥さんと幼稚園児のお子さんが来ていた。

 お昼にテントの下で家族三人でお昼を食べているのを見た時、ひどく心が騒いだことを覚えている。

 そんな自分に嫌悪を覚えたことも。

 それからしばらくして、私と母はその町を離れたけれど、今も町の名をどこかで聞くと、あの頃の感情が甦る。

 中学も高校も、やはり同級生には惹かれなかった。

 四十歳前後の落ち着いた教科担任の先生や同級生の父親のほうが素敵に見えた。

 だが、それを恋などと思ってはいけないという気持ちもどこかにあった。

 母はあまり父のことを話さなかったけれど、なんとなく母の愛した人も年上だったのではないか、そんな気がしたのだ。

 たまに早く帰った母がテレビドラマを見ているのをそれとなく同じ部屋で勉強しながら見ていると、母よりも十歳以上は年上の俳優を凝視していることがあった。

 父はこんな感じの人かもしれないと思った。

 ある時など、ミステリードラマで大富豪の家の財産相続をめぐる争いの話を母はひどく真面目な顔で見ていたことがあった。大富豪役は母の贔屓の俳優だった。

 お手伝いさんが実は大富豪が愛人に産ませた娘だとわかったという結末だった時には、バカバカしい、こんなことはありえないよと言ってチャンネルを変えてしまった。

 その時、なんとなく、私は父という人の正体が大富豪のような人なのかもしれないと思った。




 浅戸さんは大富豪でも何でもない。ただの会社員だ。

 でも、私の想像するこうであって欲しいという父親像に似ていた。

 大富豪でなくていいのだ。

 黙々と働き、誰の悪口も言わず、自分に与えられた境遇の中で精いっぱい生きる。

 そんな浅戸さんみたいな人がお父さんだったら。

 母も私もきっと家族三人で幸せに暮らせたに違いないと思う。




 江口さんは言った。

「浅戸さんはいい人だと思うよ。あの人が今まで独り者だったっていうのは不思議だよね。もしかすると、遠藤ちゃんのために、神様が残しておいてくれたのかもしれないよ。」

「そんなことありえません。」

「いっつも遠藤ちゃん、ありえない、だよね。でもね、ありえないことばかりじゃないよ、世の中は。」

 江口さんはそう言うけれど、ありえないことはありえないのだ。

 母の病気がこれ以上よくなることはありえない。

 私に父親ができることもありえない。

 父無し子の私が結婚することもありえない。

 ありえないことばかりの世の中だということを私は知っている。

 いくらチョコレートに私の携帯の番号を書いた附箋を付けたとしても、浅戸さんが電話をかけてくることはありえない。

 実際、そんなことは起きなかった。

 あの後一度、近所のホームセンターのレジで顔を合わせた。

 私は母の紙おむつを買ったのを見られたけれど、何とも感じなかった。

 母が使わざるを得なくなったとわかった頃は、誰にも見られたくなかったのに。




 だから、母が危篤になった時も、治ることはもうないのだ、ありえないのだと思った。

 病院の処置室に横たわる母には意識がすでになかった。

 一緒に来てくれた江口さんにもそれはわかったようだった。

「しばらく休んでお母さんについてたほうがいいよ。」

 たぶんそう長くもたないだろうと江口さんにも分かったのだろう。休みを長く取ることはないだろうと思っての言葉だと私にもわかった。

 翌日朝、会社に電話すると所長さんも休みの間のことは心配しなくていいと言ってくれた。

 それから数日、私は母の側にいた。椅子に座ったままうとうとしてしまったこともあったが、とにかく息をしている母の姿をこの眼に焼き付けておきたかった。

 亡くなる前日に、隣のベッドの人が見ているテレビ画面の潮汐表がたまたま目に入った。

 明日の朝は干潮かと思った。

 その干潮の頃、母は息を引き取った。




 ただ一人の遺族の私は様々な手続きを一人でしなければならなかった。

 母の枕元にいる私に代わり、葬祭業者が死亡届を出してくれた。

 わたしは書類の中にあった「新聞のおくやみ欄に故人の氏名を掲載しない」という箇所にチェックをしなかった。

 せめて母の名を知る人に母の死を知って欲しかった。縁遠い親戚は来てくれるはずもないから。

 そのために、あんなことになるとは思ってもいなかった。

 母の名を知る人の中に父の関係者がいて、その人が父の弁護士に連絡をするなんて。





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