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17 遠藤真帆子の独白1

 私の最初の記憶は海だ。

 どこかわからないけれど、砂浜に母に手を引かれて立っていた。

 風に吹かれた砂が身体にあたって痛かった。

 沖のコンクリートブロックに白い波が打ち寄せていた。

 それが最初の記憶。




 私の記憶の中に父の姿はない。

 いつも母と二人きりだった。

 保育園で待つのは母の迎え。

 何の前触れもなく母に手を引かれて行く引っ越し。

 たまに母の親戚の家に行くと向けられる侮蔑のまなざし。

 私にも意味はわかる。

「父無し子」

「愛人の子」

 やっと生活がひとところに落ち着いたのは中学三年の時だった。

 母が介護施設に職を得たのだ。

 公立高校に入学すると、担任は我が家の事情を理解し、奨学金の貸与を受けることができるように手続きしてくれた。

 私は早く卒業して母に楽をさせたかった。新聞配達も始めた。

 資格もできるだけ取った。

 けれど、普通の高校生のように休みにおしゃれをして遊びに行くことはなかった。

 カラオケにも行かなかった。

 お金がない、それが最大の理由だが、それだけではなかった。

 私にはひけめがあった。

 他の人達のように父親がいない。

 もちろん死別や離別で父親のいない同級生はいた。

 でも、戸籍に父親のないのは私だけ。

 他人の戸籍を見たわけではないからわからないが、少なくとも私のように父の欄に何も書いていない人はいなかったはずだ。

 親戚から後ろ指さされた記憶が心の底で、おまえは他とは違うのだ、後ろ暗い生まれなのだと、私を責めていた。

 子どもには罪はないと言うけれど、それでも自分がいなければ、母も後ろ指をさされることはなかったのではないか、あちこちさすらうことはなかったのではないか、私はいつもそんな思いに駆られ、外に出ることができなかった。

 私は表通りを堂々と歩いてはいけない人間なのだと思っていた。

 朝新聞配達をして学校に行き、帰って夕食の支度とお風呂の準備をする。

 そんな生活を三年間続け、私は高校を卒業し、地元の建設会社に就職した。




 二年目に会社が倒産した。

 社長の伝手で本社が東京にある大手の建設会社の出張所に再就職できた。

 それを知らせようとアパートに急ぐ私の携帯に母の勤め先から連絡が来た。

 仕事中に母が倒れたと。

 脳内出血を起こした母の介護が始まった。

 入院中はそれでもなんとかなった。

 問題は退院してからだった。

 リハビリのためデイケアセンターのお世話になれたのは三か月ほど。

 後は家で見るしかなかった。

 介護施設の人達の尽力で週に三日はデイケアのお世話になれた。

 他の平日二日にもお昼にヘルパーさんが来てくれた。

 休日だけフルタイムの介護。

 そういう生活が四年以上続いた。

 その間、母は意識もあり、意思の疎通もできたけれど、次第に身体が衰弱していることに私は気付いていた。

 私さえ生まれなければ、身内に後ろ指さされながら、毎日働きづめの生活を送らずにすんだかもしれない。疲労やストレスがなければ、四十代で病気で倒れることもなかったはず。

 すべてが私の責任だとしか思えなかった。




 そういう家庭の事情は所長や同僚の江口さんには話していた。

 主婦の江口さんは介護の大変さを知っていたから、仕事が早く終わるように手伝ってくれることもあった。

 本当に私は大勢の人のお世話になってきたと思う。

 申し訳ないことばかりだ。

 浅戸さんに対しても、申し訳ないと思うばかりだった。




 あれは仕事に就いて間もない頃。まだ母が入院している頃だった。

 歓迎会が行われた。

 私は出席しないわけにはいかなかったが、所長に事情を話し、一次会で帰ることになっていた。

 お先に失礼しますと席を立って店の外でタクシーを待っていると、後ろから声がした。

「ねえ、俺とこの後飲まない?」

 川田さんだった。作業員で奥さんと子どもが一人いるはず。

「申し訳ありませんが、家族が待っていますので。」

 私はまっすぐ前を見ることができなかった。こういう誘いは困る。目を合わせたら断れなくなる気がする。

「門限があるわけ?お堅いなあ。社会人同士だし、いいじゃ」

 声が途切れた。私は顔を上げた。

 川田さんの肩を誰かの手がつかんでいた。

「やめんか、川田。」

 浅戸さんの声だった。

「奥さんに電話すっど。」

 ちょうどそこへタクシーが来た。浅戸さんは言った。

「遠藤さん、はよ乗って。」

 私はその言葉に従ってタクシーに乗った。ドアが閉まり走り出す。

 アパートの住所を運転手に告げた後、私は浅戸さんにお礼を言っていないことを思い出した。

 その翌週会社に行くと、浅戸さんはもうとっくに現場に出ていた。帰りも事務員が仕事を終えた後。

 浅戸さんにお礼を言うことができないでいるうちに、川田さんは会社を辞めていた。

 浅戸さんともなかなか会えないうちに、私が会社に入って五年がたとうとしていた。





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