剣の風が凪ぐとき
プロローグ
甲府盆地の今年の夏は、例年よりも暑いという。
雲一つない快晴の下――端的に言えばかんかん照りの太陽の下――を、二人の男女が歩いていた。
周囲に広がっているのは、桃や桑、または葡萄の畑ばかりで、背の高い木々が見当たらず、充分な日陰というものが見つからず休む場所もない。
時折、シュパシュパと畑のスプリンクラーが回転して水をまいているが、子供のように特攻して頭から水を浴びられないのも災いしていた。
二人は、ついさっき花を購入した店の従業員とのやりとりを思い出していた。
それだけではなく、つい一時間ほど前に自分達の行った愚かな選択についても苦々しく思い出していた。
「……やっぱりきちんと地図で目的地を確かめてから、車を降りるべきだったのよ」
「言うな。暑さが堪える」
「お寺があるっぽい雑木林が見えたからって、なんにも考えずに歩き出すから、こんな辛い目に遭うハメに陥るのよ」
「頼む、静かにしてくれ。泣き出しそうだ」
男は片手に花束を、逆側に長い竹刀袋を掴んでいるせいで、額から滴り落ちる汗を拭うことも叶わないが、片割れの女の方は折りたたみの雨傘を差し、なおかつ水色のタオルを首に巻いているせいで見た目こそ悪いが相方よりは幾分楽そうだった。ただ、なりふり構わない避暑のスタイルは、ちょっと頭が悪そうではある。
着ているものはシャツとジーンズという没個性的な格好だった。
延々と畑ばかりが続く景色との釣り合いがとれていない事から、このあたりの住人ではないだろうことが容易に予想できる。
最初こそ頻繁に会話を交わす余裕があったが、そろそろ心の底から暑さで参りはじめ、口数が目に見えて減っていた。
双方共に体力自慢の方だったが、よく知らない場所で迷子になるという現実は予想以上に精神的に参るものらしかった。
「どうした?」
女が前方をぴっと指差した。
アスファルトで舗装された歩道を、人影が一つ、ぽつんと歩いていた。
華奢で背筋のすっきりと伸びたシルエットは若い女性であろう。
直射日光を避けるために日傘を差し、和服を着ていた。
女よりもわずかに年下――おそらくはぎりぎり十代――であろうことは顔つきからすぐわかったが、醸し出す雰囲気という点では遥かに上品で年長に思えた。
しかも盆の日に似つかわしいありふれた浴衣ではなく、しっとりとした薄い色合いの紺の着物であり、陽炎すら漂いそうな周りの景色を涼やかに彩っている。それは遠目にも着慣れていることがわかる。長い髪を耳の後ろの後頭部でまとめ、お団子に結ってヘアピンで固めた、うなじの目立つヘアーが、十代の少女らしからぬ落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「あの娘がどうかしたか?」
「手に持っているものを見て」
着物の娘の日傘を差す手の反対側には、よく見ると男のものと同様に白い紙に包まれた花束が握られていた。
「あれ、仏花よ」
「確かに」
「だったらよ。このお盆の時期に、落ち着いた和服を着こんだ女の子が、仏様に捧げる華をもって行く先といったら、かなーり限られてくるんじゃない」
「お盆に、和服に、仏花ときたら、それは悪くない推理だ。俺たちだって、似たようなものだしな」
その推理には、この苦難に満ちた現実から逃れたいという願望がおおいにこめられてやしませんか、と青年は突っ込みをいれたくなったが、暑さで爛れた頭の主に暴れられても困るので口にチャックをしてみた。
それに、その考えに賛同したい気持ちは彼にも存在していた。
「あの娘の行き先は、あたしたちと一緒の可能性が高いわ。これでようやく一時間探しても見つからなかった目的地にたどり着けるってなもんよ!たとえ間違っていたとしても、地元の人に声をかけるってのは、それこそ最善手よ!」
そう自己完結するなり、女は一目散に駆け出していった。
自分の思いついたナイス・アイディアに浮かれているようでもあるし、熱で頭がやられてしまったようでもある。
暑いってのは致命的な問題をもたらすんだな。
苦笑いしながらも青年は女についていく。
「すいませーん」
日傘の娘が振り向いた。
ほー、と娘は感心の吐息を洩らした。
遠目ではわかりにくいが、近くでよく観察してみると、きちんと化粧をし、相応の格好をすれば雑誌のモデルとしても通用するだろう、綺麗な顔立ちの美少女だった。
典型的な日本女性に比べると、目が切れ長すぎるのが、長所でもあり欠点でもあるといったところか。コーディネイト次第で幾らでも化けるタイプだろう。
「何か?」
「私たち、この辺りにある竜善寺ってお寺に行きたいんですが、ご存知ないですか?」
いつまでも見とれていても仕方がないので、気を取り直し、本来の目的を果たすことにした。
一緒に浮かべた邪気のなさそうな笑みのおかげか、日傘の娘は思った以上に友好的な態度を示してくれた。
「竜善寺なら良く知っていますよ。私は地元ですから。それどころか、私自身、これからその竜善寺に行くところですし、ご一緒にいかがですか?」
ナイス私、と女は心の中で親指を立てた。
「助かります。ほら、君もお礼を言いなさいよ」
「すいません。助かりました」
様子を見守っていた青年も近づきながら頭を下げる。
「いいえ。困ったときはお互い様ですからね。どうぞ私の後に着いてきてください」
三人は着物の娘を先頭にして連れ立って歩き出した。着物に下駄の女の子の歩調に合わせるのには、多少なりとてこずったのだが、目的地に向かってもう迷うことがないとわかったので、足取りは妙に軽くなっていった。
女の方も目に見えて機嫌が直っていく。
「お二方は、お墓参りなのですか」
「ええ、こいつ……この人の道場の先輩が、こちらのお寺で葬られているそうなんで、そのお墓参りに来たんですよ」
「道場……」
「どうかしました?」
少女が思案するように足取りが鈍くなったので、いぶかしく思った青年が後ろから声をかけた。
ちなみに少女の持っていた花束は、案内をしてもらう対価として、お礼代わりにこの青年の手に押し付けられている。
「道場というと、もしかして、抜刀室賀流剣術の方ですか?」
「ええ、まあ。……ご存知なんですか」
自分達にとっては耳慣れた単語だったが、他ではまったく聞かれないようなマイナーな剣術流派の名前が突然話題になったので、二人は目を丸くした。
青年の方は自分の家に伝わる流派が、マイナー過ぎることを骨身にしみて理解していたので、なおさらという気持ちだった。
だが、そんな事情はお構いなしに、少女は嬉しそうに微笑んだ。
それは太陽の輝きに似ていた。
「はい。とてもよかったです。私も今日はあなた方と同じ人のお参りに来たんです。……今日は朗さんの月命日ですから、あの人を知っている人がきてくれたということで本当に嬉しいです」
「え、鼓先輩の……」
「朗さんはこの町にとって、そして私にとってかけがえのない恩人なんです」
二人は、呆然と立ち尽くした。少女の顔に浮かんだ懐かしいものに語りかけるような澄んだ笑みに、釘付けにされたのだ。
まぶしすぎる迷いのない笑顔だった。
それは、もう会えない優しい恩人への、感謝の心が結晶となったものだったから……。
1
「鼓先生、入っていい?」
鼓朗は、ラインマーカー片手に目を通していた専門書から面を上げた。
ちらりと壁の時計を見ると、すでに針が三時を指していた。昼の食事を十二時半に済ませて専門書にとりかかったことから考えると、意外と長時間集中をしていたらしい。
咽喉がだいぶ渇いていた。
すぐに手が届く場所にウーロン茶を入れたアルミの水差しがあるが、トイレに行く回数を減らすために、口にするのはできるかぎり自制している。
だが、声を出そうとしてうまくでなかったこともあり、これは声帯を湿らす必要があるなと判断して、水差しとコップを手に取った。
障子の向こうから聞こえてきた控え目な声は、まだ幼さの残る少女のものだ。
本城夜浮子。
それが少女の名前であり、鼓朗にとっては現在お世話になっている屋敷の長女にして、また去年から家庭教師として勉強を教えている生徒でもある。
初対面のときは、大人しく内気な少女に思えたが、実際に付き合ってみると気の置けない親しみやすいタイプだった。くったくがない。
そこで、朗も妹みたいな感覚で接することにした。一人っ子の朗としては、それはそれで得難い経験だった。
夜浮子自身、年子の兄が居るからか、朗に対しても、もう一人の兄みたいに感じてくれているようだった。もっとも、新しくできた手のかかる面倒な兄貴と思われている可能性もなきにしもあらずではあったが。
ただ、時折、何かに諦めきったような十代の少女に相応しくない冷めた眼差しをすることが、酷く気になっていた。
「入っていいよ」
しずしずと障子戸が開く。
今時の女子中学生にしては飾り気のない見た目は、朗の出身である東京とは違う地方の県の少女としては普通かもしれない。
一見すると地味なのだが、目鼻立ちはすらりと整っていて気品があり、成人すれば結構な美人になるだろう可能性を充分に秘めた、端正といっていい顔立ちをしている。
染めていない肩までのセミロングを眉の上で変にならないギリギリに切りそろえた髪型は、地方の中学生らしく派手ではないが、思春期の年頃の少女として外見を気にする乙女心と折り合いをつけつつ、こだわり抜いたものであろうということはうかがいしれた。
家族に愛されて育ったであろうことがわかる人なつっこさも、少女の雰囲気をほどよく上品にまとめあげるのに一役買っている。
「……先生、身体の調子、どうかな?……英文法のところで教えて欲しいところがあるんだけど、後にしたほうがいい?」
礼儀上、先生と呼ぶが、夜浮子は朗に対しては、兄弟に対するようなタメ口をきく。
初対面の頃に、早く打ち解けられるように、わりと強めに要請して以来、朗の言葉に従ってくれているのである。
そんな素直な点も、朗にとっては好印象だった。
基本的に丁寧な性格で、幼い頃から剣道場で礼儀を叩き込まれていたくせに、朗はちょっと馴れ馴れしいくらい親しみを感じさせてくれる関係を理想としていた。
逆に、あまりガチガチな格式張った人間関係というのは好みではない。
そのくせ、多少の空気を読んだ距離感がなければ駄目、という矛盾した部分も持っているのだが。
その点、この家の人々はそういう意味で彼を煩わせないので、厄介になっているにもかかわらず上から目線で合格点に値すると、彼的には満足していた。
それでも屋敷の通いのお手伝いさんなどとはさすがに壁ができてしまっているのだが、さすがに気にしすぎたらキリがないので諦めることにしていた。
「大丈夫だよ、今日の調子はかなりいい。それに僕は君たちの家庭教師だからね、教え子に訊かれたことにはすぐに応えないと。それに、大家さんの娘さんには逆らえるはずがないさ」
朗は水差しから注いだウーロン茶を一気に飲みほすと、イスを回転させて向き直り、訪問者と対面する。
実際のところ、宣言通りに身体の調子は悪くない。
むしろ久々に快調なくらいだった。
これなら体調を気にせずに一時間ぐらいは勉強を見てやれるだろう。
何しろ、彼は彼女たちの家庭教師なのだから。
ゆったりと動き、ちゃぶ台越しに夜浮子に座布団を勧めた。
少女が両手に抱えていた教科書とノートをテーブルに広げ、さっさと手早くページを開く。
アンダーラインやマーカーでの塗り分けできれいにまとまったノートが、彼女の性格をよく表わしている。そして、書き込みばかりに苦心してただ綺麗に見える作業をしたというだけでなく、何度も読み返したことがわかる手垢の汚れもある。
努力家の持つ品々だった。
「どれどれ」
身を乗り出すと、まず夜浮子が一点を指差した。
「この動名詞の書き換えなんだけど……」
「ああ、高校受験ではわりと使われる部分だな。大学入試にはあまり出題されないけど、理解しとくと長文読解に便利だよ」
「どうすればいいの?」
「まず動名詞と普通の文章を別々に作ってごらん。それを、数学みたいに襷がけしてみるといいと思うから、二つの文を比較してみるんだ」
「うん」
言われたままに英文作成を始めた教え子の頭越しに、ガラス窓の外の景色を見やる。
甲府に近い、山のふもとの町から見る空は、東京のそれよりも青いような気がする。
去年の初秋にやってきてから、まだまだ馴染んでいるとはいえないが、空気の純度はいまだに感動的だ。ただ、山の峰々がすぐ傍にあるので、感覚的に東京よりも空が狭いように思えるのが、少々もったいない気がする。
ここよりももっと標高の高い土地に行けば、空はさらに広がって見えるのだろうか。
そうはいっても、今の彼の身体では充分に景色を満喫することなどはできないし、そもそも山を登ることもすでに叶うはずもない。
朗は自分の右手に意識を集中した。
動かしてみるとわずかに違和感があるが、まだ思った通りの可動はする。ただし、左拳は単純にぐっと握ることにさえもわりと苦労をする始末だ。
全身に意識を飛ばすと、二年前とは比べ物にならないほど動かしづらい部分が如実に浮かび上がってくる。まるで芝居の舞台で、一方から光が差してくるように、輝く部分と影の部分に分割されるようだった。
動かせなかったのは不随意筋や軟骨程度だった五体満足の頃から比べたら、まったくもって哀しくなるほど酷い話だったが、それを今更嘆いても仕方がない。実際に動かせる部分は徐々に減っていっているのだから。
そして、その逆は絶対にありえないらしい。
本当に神様という奴は、厄介ごとというギフトを迷っていようが迷ってなかろうが適当に子羊に振り当てるのが仕事なのだろう。
「……先生」
「ん、何?」
「やっぱり具合が悪いんじゃないの?お兄ちゃんが言っていたけど、先生、冬には入院しちゃうかもしれないって」
「んー、そうなるかな」
少女が辛そうな視線を向ける。
そこに同情の色はなかった。
ただ、深い悲しみだけがあった。
同情されることは決して悪いことではない。
同情を偽善だとして嫌うものも数多いが、偽善でも字面には「善」がつくのだ。
正否はどうあれ、あえて善をなすことには、やはり大切な意味があるのだろう。
偽善であるということを強く意識してしまい、形だけの偽善さえも熟せないものが、真に善なる道を往くことはできないはずだ。うん、かっこいい。至言だね。
朗は病気になってから、よくそんなことを考えていた。
「気にするな。僕は意外と気にしていないぞ」
努めて陽気に振舞ってみせてみたが、完全に少女の憂鬱を晴らすことは出来なかったようだった。
(家庭教師失格かな)
たまに少女が浮かべる虚無的な表情に、自分は何も手助けがしてやれず、むしろ自分の存在が重荷みたいになってしまっているのではないかと、朗は常に気に病んでいる。
自分の療養のために、年下の少年少女達に負担をかけるのは避けたかったし、家庭教師として常に真剣に付き合おうとしているのは、それの償いの意味もあるのかもしれない。
先程まで読んでいた専門書も、家庭教師のための独学をして、よりよい指導法を研究していたのだ。
あとどれほどの期間、自分は彼女達の勉強を見てやることが出来るのか、それはもう秒読み段階に入っているに違いない。
カウント・ダウン開始。
まるでNASAの宇宙飛行士のようだ。
天に登るという点ではお互いに共通項がある。
だが、実情はともかく、しなければならないことが残っていることは単純にありがたかった。
無為に残りの人生を過ごすだけというのは、きっと耐えられないだろうから。
彼の命が尽きるのは、遅くて来年の冬。
早ければ来年の春。
それほど悠長な話ではないのだ。
もし、叶うのなら、自分を慕ってくれる少女のために、その憂いを取り除くことまでしてあげたかったが……。
鼓朗の望みが映画やドラマのように叶うことはありえそうもなかった。
◇◆◇
立花勝枝は、ついさっきまで観ていた映画の内容を思い出し、わずかばかり恨めしい気持ちになっていた。
普段なら多少夜更かしして、両親と一緒にテレビの映画放映を観てから床につくのだが、今日に限って父親の機嫌が最悪で、早々と居間から立ち去らざるをえなかったのだ。
桃園の農場を営む父は、このあたりの男の例に洩れず体格こそ小柄だが、がっちりとしていて力が強い。そのうえ、怒らせるとかなり怖い。
躾を超えたような暴力を奮われたことは今まで一度もなかったが、勝枝としては無闇に怒らせたい相手ではない。
いつも優しい母にあまり迷惑をかけたくもなかったし、父だって冷却期間を作ればすぐに元に戻る。
意地を張る必要性もなく、彼女はさっさと引き下がることにした。
「クルーゾー警部、どうなったのかな……」
それでも、ピンクパンサーを追う、名警部クルーゾーの冒険はコミカルで楽しかったので、映画の続きが気になったのだが、桃野神社での夏祭りが来週に控えていることもあり、父親の機嫌をこれ以上損ねるわけにもいかず、フトンを頭から被って我慢して目を瞑った。
もし、父に夏祭りの参加を止められでもしたら、今年の夏はひどくつまらないものになってしまうかもしれない。
ずっと気になっていたクラスメートの男子と楽しい時間をすごすために、第一の親友である智子にも協力してもらっていたのだ。
その智子は昨日の交通事故で、甲府市の病院に運ばれてしまっている。明日にでも夏休み中で部活などの用事がない仲間達とお見舞いに行く予定だった。
(智子、たいしたことないといいな……)
心配と期待をそれぞれ交互に考えながら、いつしか勝枝はうつらうつらとし始めた。
どれほどの時間が足っただろう。
一階からかすかなテレビの音も聞こえなくなった頃、しじまを破るように、小さな音が鳴りだした。
コンコン
コンコン
勝枝は目をこすりつつ起き上がった。
「なんだろう?」
音は窓の方から聞こえてくるようだった。
夏の暑い時期だということで、網戸が張ってあるはずだったが、どういう訳か開けっ放しになっていた。
「あれ、閉め忘れたのかな……」
両親は最近では時代遅れの蚊帳を今でも張っているのだが、勝枝はなんとなく田舎っぽくて好きではなかった。だから、多少の虫刺されは覚悟して、蚊取り線香を焚く程度の防虫対策で我慢している。そのため、網戸だけは常にきっちりと閉めている。だから、閉め忘れるなんてはずはないのだが。
近づくと、窓の一点からさっきのコンコンという音が聞こえてくる。
最初はカブトムシみたいな大きな昆虫が雨戸の引き入れ口に引っかかって、音を立てているのかと思った。
外は雲ひとつないらしく、月の光が強すぎるぐらいだ。
窓にまで寄った時、
勝枝の目が見開かれた。
三メートルぐらい目の前に、黄色い一対の光うっすらと輝きながら、浮かんでいたのだ。
いや、違う。
庭にある梅の木の枝に何かが座っているのだ。月明かりが、その輪郭を浮かび上がらせた。輪郭以外に見えているものは爛々とした両目の眼光のみだった。
勝枝は声を上げようとした。
だが、できなかった。
恐怖を感じてしまったからだ。
背を向けて走り出したかったが、悪夢の中でしか経験したことのない金縛りにあったように、すくんで動けない。自分はまだ本当は寝ているだけで、これはぬくぬくとしたベッドの中で見る夢幻に過ぎないのだろう、と思考を停止し信じ込もうとした。
夢であれば、すべていいのに……
突然、窓の側面から顔が突き出されてきた。
まっすぐに立つ彼女とは直角にこちらを見る顔は、人と同じ造作をしているように見えて根本的に違うものだった。
『……矢ノ生ケ贄ハミアタラナイカラ、コイツデイイヤ』
何を言っているかわからない。
そもそも、人語を話すものには見えなかった。
おぞましい歪みが顔に亀裂を作った。
それは笑みに似ていた。
勝枝には、この不気味な何かが存在しているという理由を想像するゆとりはなかった。この奇怪な体験を分析するのは後回しだ。今はただ、この経験を受け入れて、恐怖に駆られながらも室内から脱出するのが一番だった。
人がもっともくつろげるはずの自室が、彼女にとって最も安全でない魔界と化してしまったみたいだった。
自室の扉にたどり着けば、安全なような気がした。
「お父さん」
声にならない叫びを紡ぐため、全力で息を吸う。
階下にいる父に助けを求める叫びが届いたとしても、どうにかなるとは思えなかったが、そんな理性は怯えた精神には関係がない。
赤子が母に何かを訴えるように、本能が腹の底から発する叫び。
「お父さん!お父さん!」
確かに彼女は父を呼んだのだが、耳は発された叫びを受け止めてはくれなかった。
なぜなら、彼女の口は横合いから伸びてきた、熱く厚い何かに塞がれてしまったからだった。
それがさっきの正体不明の存在の毛むくじゃらの掌だと理解することはできなかった。
人のものより長く、深い皺のよった肌に、堅い剛毛が密集していた。
勝枝にはわからなかったが、それは間違いなく生き物の掌であった。
「お母さん、助けて!」
勝枝はまた助けを求めた。
だが、それは再び誰にも届かず、彼女の視界が一転して暗くなった。
さっきとは反対方向から伸ばされた掌が、今度は彼女の両目を覆ったのだ。
指と指の隙間から完全に何も見えなくなる寸前、彼女の生涯で最後に見た大切なものは、机の上に置いてあった修学旅行の申し込みのわら半紙と、その隣に並んだ白い羽のついた粗雑な矢形の桑の棒だった。
(お母さん……)
*
すでに動かしづらくなっている両足を引きずるように、朗は本城家の廊下を歩いていた。
本城家は武田の時代から続く旧家であり、その屋敷も何度か改築されている純和風な造りのはずなのに、廊下には段差というものがほとんどない。
日露戦争に参加したという過去の当主が、戦地で足が不自由になったために、それをカバーするために自ら改築の図面を引いたという話だった。
言ってみれば先見の明のある時代を先取りした由緒あるバリアフリーといえよう。
この屋敷の造りが、朗の養生先に選ばれた理由の一つである。
ここしばらく彼が杖代わりにしているのは、居合い専用の赤樫の木刀だった。
子供の頃から、師事していた近所の剣術道場の師範に弟子入り記念にもらった大切なものだった。
師範はまだ存命のはずだが、だいぶ前に行方不明になり、別れの挨拶さえしていない。
跡継ぎの一人息子の話では、平成の世だというのに武者修行に励んでいるらしい。
あの師範らしい豪快極まりない話で、朗にとっては真にうらやましい話だった。
この木刀にはそんな思い出もこもっているので、本来の用途のために使ってやれないのが残念だった。
もっとも、自分にとっての文字通りの最後の支えとして、これほど相応しいものはないとさえ思っている。
一歩進むのに十秒もかかるような道行きには、手に慣れた得物が一番であろうから。
たまに使用人ともすれ違うが、挨拶だけで手を貸してきたりはしない。
本城家にいる数人の使用人たちが、彼の手伝いをすることはないのは、当主から止められているからである。
例え何時間かかろうと、朗が口に出して求めない限り、手助けすることは許されていないのだ。
彼は闘病のためにこの土地に来ているのであって、楽をするために居るのではない。
その実態として、ホスピスに近いものではあったとしても、だ。
決して良くはならない、と初期の段階で断言されていた。
薬は開発中という話だが、朗が存命中は臨床実験にすら至らないだろう。もともと、原因さえもはっきりとしていない病気なのだ。
ただ、わかっているのは、幾つかの前例から類推して、全身が完全に動かなくなるまでには、もうあと半年もないということだけだ。
楽観的に考えても、来年になったらまともに動けなくなるとみて間違いはないだろう。
朗の病が不治のものであることは屋敷のもののみならず、町の住人たちにも周知の事実だった。
突発性脳内神経細胞硬化症というのが彼の病の名前である。
比較的症例が少なく、発生率は150万人に一人という割合の奇病だった。
朗がある意味で幸運だったのは、朗の場合は、末期に至ってはじめて一気に進行するタイプだったらしく、今のところは身体の軽いこわばりによる麻痺と震え程度で納まっているところだった。
最終的には寝たきりになり最期を迎えなくてはならないとしても、それが同じ病の患者達と比べて短くすむということだった。
徐々に病が進行し蝕まれ続けるよりは、悪化速度が速い方がマシとも考えられる。
悪く考えれば、余生は他の患者よりも遥かに短いともいえるであろうが。
だが、朗はあまり気にはしていなかった。
祖父を除けば、朗にはすでに家族はおらず、祖父は孫のために自分の財産のほとんどを使うことにした。
そして、深い付き合いがあった本城の先代を頼り、そのツテでこの桃野町に療養させることにしたのである。
全財産の半分を町の診療所と甲府の専門病院に寄付し、残りを本城家に譲渡することで彼の世話を看る事を依頼した。
それだけを済ませると、自分自身は老人ホームにさっさと入ってしまった。
朗と自分、どちらかが先に死んでも、一言連絡するだけでいいとし、今生の別れを済ませてしまった。
こうして限りなく天涯孤独に近付いた彼は、病気のことで逆に家族に迷惑をかけなくてすむと安堵していた。
他人の負担にはなりたくなかったからだ。
動ける限りは自分の意思で。
本城家に厄介になる際にも、そのあたりの話は通してある。身体が自らの意思で動き続ける限り、彼は自分自身の力で活きて生きたいのだ。
ただ、朗は療養するだけでなく、当主の依頼に従って二人の子供の家庭教師をすることにしていた。
発病時に難関の国立大学に入学したばかりだった朗は、中学三年と中学一年の兄妹にとってはうってつけの優秀な人材だったといえた。
本条側にとってもまことに願ってもない依頼だったのだ。
朗にしてみても、二人の家庭教師をすることで、世話をされるだけの存在ではなく、なにかをすることができるものになることができたのである。
これがなければ、たいした目的もない人生は空虚しか感じられないものに堕していたおそれもあったのだ。
むしろ、家庭教師の役目こそが、朗の心をなによりも救っていてくれていたのかもしれない。
……必死の思いでトイレから抜け出ると、ばったりと屋敷の惣領息子であり夜浮子の兄でもある、本城崇に出遭った。
今年の春、高校に入ったばかりのまだまだ幼い顔立ちをした少年だった。
だが当主である父に似て、将来は良家の惣領息子とは思えない精悍な顔つきになるだろう。当主は地方公務員にしてはゴツすぎるタイプだから、息子も系列としては同様になるに違いない。
体格や筋といったところでは将来が楽しみなタイプだった。
もし、朗の身体が万全だったなら、武術の稽古をつけてやりたい気分にさせられる。相手が成長途上の子供だからこそ、朗でさえそんな夢を抱いてしまう。
夏休みだというのに地元の高校指定の制服を着ていたので、学校帰りのようだった。
「ただいま、朗さん」
「おかえり。補講はどうだった?」
「ん、まあまあだよ。このあたりは東京と違って予備校とかがないからね。甲府まで行くのは面倒だし。……学校の補講なんて、受けないよりはマシな程度だけど」
受け答えが少々大人びているが、まあ生意気盛りだ。
「テキストは揃っているんだろう? なら、あとはきちんとこなせば何とかなるさ」
気取って家庭教師らしい台詞を言ってみる。
意外と含蓄がある気がしたのか、崇は首を捻っていた。
「そうかな?……それより、本番はもっとずっと先だというのにもう大学受験の支度をしなきゃならないのが辛いよ」
「まあ、そういうな。未来ということを考えたら、国立を出とけば、将来への選択肢がごまんと広がる。ここを継ぐにせよ、出てくにせよ、無駄にはならない」
「でも、家を継ぐことに異議はないけどね」
崇は屈託もなく笑った。
短い付き合いだが、それが本心であることはわかっていた。
崇は本城家の長男として、この生まれ育った町と屋敷で生涯を費やすことに特に異存はないようだった。
去年はまだ多少の不満があったようだが、それは若者の性だ。
見たことのない場所に大きな未来が開けていると信じられないものに、希望は掴み取ることが出来ない。
逆にそれがないようなら、精神的には不健全ともいえる。
しかし、高校受験を経て、彼の胸中に何か大きな変化があったのか、ここ最近はわだかまりが薄くなってきたらしい。
もっとも、一度ぐらいは外の世界に出ておけという父親の意向で、東京の大学に進学することは定められている。
父親なりの愛情なのかもしれない。
ちなみに父親の希望は、とある偏差値の高い国立大学だ。
もっとはっきりいうと、朗が中退した大学だった。
今の崇の学力なら楽勝とは言わなくても、合格は十分に可能なのだが、絶対に浪人はいかんというきつい縛りがかけられているのでハードルが高めに思えてしまう。
そのため、高校受験終了後も朗の家庭教師が続けられることになった。
崇の進路決定に際して、少なからず自分が影響を与えてしまったこともあるのかという罪悪感もあったが、他人の決めたことにおいそれと口は出せない。
まことに野暮というものだ。
「……あ、教えて欲しい問題があるんだ。手を貸すから早く部屋に戻ろうよ」
朗がうなずくと、崇は肩を差し出した。
腕を掴まれるとバランスが崩れてむしろ迷惑になることが多いので、このような配慮はありがたかった。
わからない問題があるというのは多分口実だ。
ただ、朗に手を貸したいだけなのだが、それをはっきり言えば彼を傷つけることになるかもしれないし、父の言いつけにもそむくことになる。
だが、朗を尊敬しているので、無条件にその手助けをしたいだけなのだ。
それがわかっているから朗も無下に断りはしない。
部屋まで戻ると、手馴れた動作で朗をイスに座らせ、妹と同様に用意されているクッションに座り、カバンの中身を広げた。
取り出されたのは英語の教科書だった。
朗が担当しているのは古典と現代国語と英語だが、兄妹はともに英語が苦手なので、どちらかというと英語に比重が置かれている。
朗は理数系も得意なのだが、理数系は二人とも特に問題がないのでカリキュラムには含めていない。
「そういえば、朗さん、居合いをやっていたんだよね?」
「まあな」
授業の用意をしていると、ふいに雑談が始まった。
「何て言ったっけ、……ええと抜刀……」
「抜刀室賀流剣術だ。正確に言うと、居合い――抜刀術とは違う、剣術の流派の一つだ。特に抜刀に――抜いてぶった切るのに特化した業なんで、素人さんに説明する際は面倒くさいから、便宜上居合いやってましたということにしているんだ」
桃野町にやってきた際、一度だけ本城家の家族には、彼の業を披露している。
当主である本城家の主人は、昔剣道をやっていた関係から相当に興味があったらしい。
本来ならこういう見世物的な行動は嫌いなのだが、もうすぐ身体が動かなく前に、誰かの目に技術を焼き付けておきたいということもあって、幾つかの型をとりおこなった。
万全とはいえなかったのが、心残りであったのだが。
それでも崇の目には例えようもなく格好良いものに見えたようだ。
以来、尊敬する年上の同性として崇に憧れの眼差しを向けられるようになった。
くすぐったくもあったが、かつては自分も師範に対し同様の顔をしていたのだと思うと、まんざらでもない気持ちになれた。
「―――桃野神社の護神刀って知っている? 宮司さんの家にね、そういう昔から伝わる刀があるんだけど。たまにお祭りとかで宮司さんが見せてくれるんだ」
「それがどうかしたのかい?」
「朗さん、居合いをする人でしょ。本物の真剣とかに興味があるんじゃないかと思って」
「……興味がないといったら嘘になるな」
朗は昔を思い出した。
近所にあった室賀流の道場に通い、ひたすらに剣を磨いて過ぎ去った青春の日々。
何時間も刀を納めては引き抜くを繰り返した鍛錬の日常。
およそ他人にはわかってもらえないかもしれないが、それは朗にとってまさに黄金に輝いていた時間だった。
「でしょ。今度、見に行かない? 宮司さんには話をつけとくからさ」
「わかったよ。一緒に行こう。……だが、今は勉強の時間だ。しっかりみっちりやっておくと、後で無理をしなくてすむから楽でいいぞ」
「げっ」
互いに笑いあいながら、その刀の話題はすこしだけ朗の脳裏に残った。
◇◆◇
「……率直に言うと、来年の頭には入院してもらわなければならないね」
「わかりました」
まったくタイムラグのない返事に戸惑ったのは、白衣の主治医の方だった。
イスに腰掛けた朗には、外見上ではなんの動揺も見られない。淡々としすぎて不気味なぐらいの態度だ。
傍で作業をしていた看護師の女性も目を丸くした。
だが、朗にとっては当然の態度でしかなくとも、長年医療に従事してきたものたちにとっては驚き以外の何物でもない。
それはそうだろう。
すでに何度も説明されていたことだが、朗の病は次に入院することが決まったら二度と退院することが出来ないと言われているものったからだ。
それは事実上の、終身刑宣告に等しい。
患者なら誰もが泣き出しかねない事実を青年は淡々と受け止め、なおかつ躊躇いなく「わかりました」と口にしたのだ。
それに対して、驚くな、というのがおかしい。
「……君は気丈だな」
「別にたいしたことじゃないですよ。そもそも、それぐらいで動揺していたら、毎日毎日どこかが鈍くなっていくのに耐えられませんから」
そう言って、青年は微笑む。
変えようのない事実とはいえど、聞き様によっては医師に対する痛烈すぎる皮肉だった。
鼓朗の病――突発性脳内神経細胞硬化症については詳しいことはわかっていない。
最初に身体の異変に気がついたのは、二年前、朗が18歳の冬のことだった。
左手の動きが鈍くなり、何もないところで転ぶことが増えた。
抜刀術の達人であり、身体の扱いには自信のある彼が、そんな不注意をするのはほとんどないことだった。
まるで着膨れした幼児のように身動きが制限されているのだ。
自分自身がマトリョーシカの人形みたいに感じられとても不自由に感じられた。
しかし、最初のうちは単に受験勉強のやりすぎだと楽観していた。
国立大学への浪人なしの進学を決めていた彼は、一年以上、根を詰めた勉強をしていたし、大好きな抜刀術の修行さえも半分に減らして、非常に深刻な運動不足とストレス過多に陥っていた。
だが、当時すでに両親は亡く、祖父と二人暮らしだったこともあり、これ以上の負担をかけるのはまずいと判断し、大学入学まで異常を検査することを先送りにしていた。
それが致命的な判断ミスとなる。
初めて病院に行った時にはすでに彼の身体は手遅れの状態になっていたからだ。
入学直後に行った、一ヶ月に渡る検査入院によって判明したのは、朗にとっては最悪の結果だった。
『一年、あるいは二年以内に全身の筋肉が、脳神経の硬化により動かなくなり、全身の麻痺が広がった段階で呼吸が停止して死に至ります』
真に惨い内容だった。
それを聞いた祖父は、自分は老人ホームに入り、孫を父の知り合いのもとで療養させることを決意した。
死期がほぼ決まった孫を落ち着いた場所で療養させてやりたいというのが、その心だった。
もともと都会の喧騒に向いていないし、別れがたいほどの深い友人関係も築いていなかった朗は、祖父の提案をすぐに受けいれることにした。
祖父の孫への配慮と優しさが身に沁みていたからだ。
そして、朗は本条家のある桃野町に来ることになった。
「前から思っていたけど、君はホントに動じないね」
「そうですか?」
さっきから、担当医が思考停止に陥ったように同じことしか言わないのでなんとなく愉快だった。
朗には自分が死に至る病の患者だという認識が欠片程度しかない。
いや、わかってはいるのだが、死ぬということに対する怖れがあまりにもないのだ。十年以上、続けてきた一撃にすべてを費やす抜刀室賀流剣術の修行のせいなのかな、と思うこともあるが、とにかく理由がわからない。ある意味では心の不感症なのではないだろうか。心理学の専門家にも相談してみたのだが、結果はわからなかった。
専門家にわからないのだから、医者にわかろうはずがない。
だから、自分のちょっと並外れた鈍さについて深く考えることはしていない。
もっとも主治医は、不治の病に直に接するという分野の医者に相応しいタフな性格の持ち主のはずだったが、朗を前にするとどうも調子が狂ってしまうらしい。
いつも、いかんともし難い悩みを眉間のシワという形で表に出していた。
朗は、立場が逆なのだが医師を慰めるように、
「……僕はちょっと鈍いんですよ。だから、もっと悩むべきなのかなと思っているんですけど」
「いや、あまり深刻に考えるのはよくないよ。病気からのストレスに押しつぶされてしまう人もいるぐらいだからね。それでむしろ病状が悪化してしまうこともある。むしろ、みんなが君ぐらいの平静さが保てればいいのかもしれない。それが悪いわけではないよ」
鼓朗は静かに微笑んだ。
この医者の気が少しでも楽になればいいとの願いさえ込めて。
実際のところ、自身の死が近づいていることよりも、彼の最大級の悩みは、剣術の修行がほとんどできなくなったことだった。
彼の心の拠り所といっていい程だったから、そちらからの喪失感がもの凄いものになっていた。
そんな自分は、他人からすれば、頭がおかしいと思われているかもしれないという自覚はあった。
人間にとって、生物にとってもっとも大切な命というものにこだわれないというのは、大切な何かが欠損しているといってもいいのかもしれない。
「じゃあ、次はまた一ヵ月後に」
「わかりました」
男の看護師に付き添ってもらい、朗は荷物を持って診察室を出た。
「不思議な患者さんですね」
退出した朗を見送って、彼が遠ざかる時間を待ってから傍らの看護師が呟いた。
身近に自分と同じ考えのものがいることに、医師は安堵の吐息を洩らしてしまう。
なんとなく孤独感を感じてしまっていたから、なおさらだった。
「まだ二十歳ぐらいで重い死病を患っているのに、こんなに泰然とした態度がとれるなんて、はっきりいっておかしい人にしか見えませんよ。問題患者でもない人のことを悪くは言いたくないんですけど」
「まあ、確かに変だよ。突然発症して、二年ほどで全身が動かなくなるってのに、全然動じてないんだから。それで、あれが演技でも強がりでもないんってんだから。ホント、まるで、仙人だよ。達観しすぎている。…私も俗人だからね、実際のところはどう接するべきか悩みどころさ」
医師が知っている、似たような病気の患者達は、現実を受け入れることが難しく、受け入れても死の恐怖による絶望に苛まされるものたちばかりだった。
不治の病というものは得てしてそういうものだが、程度の差こそあれ、皆が死に至る恐怖に平然とはいられないのが普通だ。
迫る絶対的な死のストレスが病状をさらに悪化させてしまうほどなのだ。
だから、ある意味、恐怖を感じない患者というのはよい観察対象といってもいいのだが、対面してみるとその度に気圧されるものを感じてしまいどうにもならない。
長い医師としての経験こそが、今回に限り主治医を悩ませていた。
◇◆◇
山梨県北巨摩郡桃野町。
甲府から車で二十分ほど行ったところにあり、隣の長野県にほど近い小さな町だった。
甲府駅から出ているバスは朝と夕方だけ一時間に一本、他は三時間間隔でしか発車しない、都会と比べれば不便な場所だった。もっとも、バスの線の多さだけが、すべての価値基準となるわけではないが。
主な特産品は、ブドウとその名のごとく桃。
南の地区に比べると、わずかに土の成分が違うせいか、全県の中でも指折りの瑞々しい桃が採れる産地である。桃野町で検索をかけると、たいてい桃の通信販売のHPにたどり着く。
山間にあり、大きな公共事業がなされないせいで道が細いことから、他の町との交流は多い方とはいえない。
山梨市や韮崎市などの市と比べたら人口は遥かに少ない。
それがこの町のデータだった。
大きな観光場所は、町の外れにある甲斐竜善寺と桃野神社ぐらいのものである。
町の重要行事である夏祭りや、どんど焼きなどもたいていは神社の境内で行われ、子供達の草野球なども行われている。
普段から、意外と町民が訪れている場所だが、今日に限っては甲府の駅前並みに人がたまっていた。
今日は夏祭りの日なのだ。
収穫に感謝するというよりも、収穫に祈るという意味合いの大きな祭りだった。
「結構、大きい神社だね」
その準備でにぎわう内部を、本城家の兄妹を脇に従えて、朗は歩いていた。
遅々とした足取りだが、今日に限っては別に構わなかった。
田舎で行われる比較的やぼったい夏祭りの準備が、彼にとっては非常に興味深いものだった。
一つ一つを噛み締めるように見物する。
もしかして、これが彼の人生で最後の祭り体験ということになるかもしれないからだった。
組み上げられている盆踊り用の櫓、並べられている幾つもの屋台、吊るされている古びた電球、流されているムードアップための安っぽい流行歌。二度と味わえないかもしれない人々の息吹の集合。どれもが大切に感じられた。
「先生は桃野神社は初めて?」
「ああ、こっちに来たときには夏祭りはもう終わっちゃってたから。それにあまり寺社仏閣には立ち寄らないタイプなんだ。竜善寺の方は散歩したことがあるけど」
「そうですよね。先生が来たのは、九月からでしたもん。もうお祭りどころか、夏休みも終わってましたよね。でも、意外。先生って、結構神社めぐりとか好きそうなイメージがあるんだけど……」
「うーん、実は古き良き英国好きなんだ。ヴィクトリア王朝時代とかのね。……和風趣味なのは、剣術だけなのさ」
「ヴィクトリア王朝時代?」
「ホームズや切り裂きジャックや、ドラキュラ伯爵、はたまたウェルズの活躍した時代だよ。フィクションも事実も問わない雑食だけどね」
「だから、先生は英語が得意なんですね。ヒアリングとかも凄いし、TOEICで850点って、私から見たら奇跡みたいですもん」
ひょこひょこ歩く朗を、何人かが怪訝な顔で見るが、たいていの町の人はさして気にしない。
むしろ心配そうだった。
本城家で病人を預かっていることは知られていたし、その病人が町の診療施設に高額の寄付をしたことも知られている。
地方自治体が財政難に陥っていることは桃野町においても例外ではなく、財源不足から医療施設の老朽化かが進んでいたのだが、朗の祖父のした寄付のおかげでだいぶ補修が進み、それだけで町の恩人となっているのだ。
不治の病のよそ者が受けいれられたのは、そんな現金な理由もある。
それでも朗は構わなかった。
金を溜め込んだまま死んでいくのは、彼の感覚では浅ましいことに思えたからだった。
「先生、お祭りはどうですか?」
浴衣姿の夜浮子が尋ねた。
祭りが本格的に始まるのは夕方からだから、とても気が早いように感じる。
朝方の衣装合わせ中に朗が手放しで褒めたら、夜浮子はずっと浴衣を脱ごうともしなくなってしまったのだ。
まあ、本番になったら、体の不自由な朗は屋敷に帰らなければならないので、彼と祭り気分を味わいたければ今しかないというのもあるし、純粋に褒められて嬉しかったのだろう。
「……楽しいよ。君らに面倒かけずにすんだら、もっとよかったんだけどね」
「気にしないでください」
崇が手を振りながら否定した。
「おおーい」
誰かに呼ばれて振り向くと、夜浮子の中学の友人達が手をふっていた。
ほとんどがジャージなどの動きやすそうな格好をしている。どうやら祭りの準備のお手伝いをしにきているらしく、夜浮子のようにフライングで浴衣を着ているものはいない。何度か、屋敷に遊びにきたときに見たことがあるので、それぞれの顔に記憶があった。
夜浮子に教えるついでに勉強を見てあげた覚えもあるのだから当然だ。
どの娘も接してみると気分のいい子供達ばかりだったのが印象に残っている。
「行って来なよ」
さりげなく肩を押すと、夜浮子は少し不満そうに頭を下げた。
この年の女の子にもしなくてはならない付き合いというものがあり、そのあたりは朗も承知している。
「すいません」
妹を見送ると、崇が彼を促した。
「じゃあ、朗さんはこっちへどうぞ」
「なんだい」
「前に話した、桃野神社の御神刀を見に行きません?父を通して宮司さんには話をしてあるんです」
「いいね、楽しみにしていたんだ」
「こっちです、朗さん」
案内された先は、宮司の家族が暮らす社務所裏の棟の一室で、縁側で竜善寺の住職とのんびりお茶をすすっている。
商売敵同士の仲の良さげな光景は、一種シュールといえた。
どうやら、夏祭りの準備の喧騒を抜けて、ここで一服していたらしい。
宮司達は確かにこの祭りの中心人物ではあるが、年一度のイベントのために非常にはりきっている町の老人会などの相手をしてばかりでは疲れきってもしかたのないことだろう。
二人とも疲れた顔で、朗たちを出迎えた。
「こんにちは。休憩中のところ、すいません」
「はじめまして」
「ああ、本城のぼっちゃんか。そちらは、……件のお客さんかい?」
朗のことは町では結構知られている。
それに宮司達と崇は生まれたときからの長い付き合いだったので、雰囲気は孫と祖父のような感じだった。
遠慮なく縁側に腰掛けて、
「約束していた神社の御宝刀を拝見したくて」
「私は構わないけど、住職はいかがですかな?」
「お好きにどうぞ。境内がもう少し静かになるまで、拙僧もどうやって時間をつぶそうと思案していたところだからな。ちょうどよいわ」
「では」
祭囃子の試験放送や、準備しているものたちの声を聞きながら待っていると、数分後、宮司の手でうやうやしく運んでこられたのは、比較的長い刀身をもつ品だった。それなりに重みがあるのか、宮司の持ち方は危なっかしい。
両手で差し出されたので、朗が受け取る。
何度も見せてもらった経験のある崇と住職は、刀そのものよりも朗の反応の方を興味深げに見つめている。
手の中でずしりと重い。病気療養中の身体には負担となる重さだが、朗にとっては懐かしさの方が先だった。
これこそが鋼の重みだ。
鞘越しに縦にして眺めてみる。
「三尺三寸とは……長いね」
「そうなんですか」
「ああ、普通は二尺四寸ほどが基本だから。一部の抜刀術の流派以外ではあまり使わないな。それに、これほどの長さに反りを持っていることからすると、かなり昔の古刀なのかな?その割には拵えは最近の品だ」
「抜いてみるかね」
呆けたように、宮司が口を空けているので、住職の方が声をかけてみた。
朗が刀を受け取った途端、その姿に見惚れてしまっていたようだ。
なんと刀を持つことが絵になる男だろうと。
本城家の当主が言うには、若い身空で居合い抜きの達人ということだが、なるほどなるほど、刀の扱いというものになじみきっている。まるで、我が町の宝の真の所有者のようにさえ思える。
その彼が抜き身の刀を手にしているところを見たい誘惑に駆られた。
朗の身体が病気のために不自由であるということは、つい忘却してしまっていた。
「いいんですか?」
「本城の当主が、君はなかなかの武術の達人だと言っていたよ」
「……達人って。買い被りです。でも、許可してもらえたというのならば、遠慮なく」
そう言うと、ハンカチを口にして、息がかからないようにする。
すっと、抜き放つ。
それは作法通りの抜刀であり、刀身を立てての鑑定も堂に入ったものだった。
一方、三人の観客は朗の魅せたあまりの自然な抜きに目を見張っていた。
かつて何度か鞘から引き抜かれた場面に遭遇したことがあるが、挑戦者がその度にうまくいかずにてこずっていたというのに、難なく行った朗の業に素直に感嘆するしかなかったのだ。
刀を抜くということは意外と難しい技術であり、それはただの定身でさえ難儀なものなのに、通常よりも遥かに長いそれを容易く扱ってみせるとは……。
「武術の達人」という触れ込みに偽りがないことを実感していた。
当の朗はじっと刀身に見入っている。
あまりに素晴らしい肌合いに感動していたのだ。
刀身を直接は光のあたらない陰にかざして、充分に時間をかけて鑑てみた。感嘆の声が洩れる。
まさに、これは一個の美しい芸術品であり、それだけでなく鍛えぬかれた実用本位の品でもあった。
紛うことなき、戦と殺戮のための品でありながら、神社に祀られるに相応しい神々しささえも醸し出している。
それは何故かと考えたら、多分、この刀が脂を吸っていないからだろう。
つまりは人を切っていない、まっさらな品なのだ。
これほどの古刀が……といぶかしく思わずにはいられなかったが。
「……随分、古い刀ですね。手入れが行き届いている」
「ほう、わかるのかね」
「ええ、もしかしたら、これ……正宗ですか。よく似ていますね。しかも、二代目か、下手すると初代正宗のものに。うーん、まさか、そんなはずは……」
「正宗って、あの有名な刀鍛冶かい?」
「彼は鎌倉にいましたからね、ここからなら地形的にも無理があるとはいえない。このあたりは武田、徳川の支配地だし。―――でも、銘がないのではっきりとはいえませんね。政宗は偽作の多い刀匠ですし。…しかし、それでもかなりの業物だと思いますよ」
「……高価なものなのかい!」
「うーん、芸術品としての価値はあまり高くないんじゃないかな。むしろ、資料的価値の方かあるかもしれません。専門家に鑑定してもらうほうがいいですよ。東京になら、そういう目利きが結構いますから」
「でも、うちの神社の社訓でね。町の外に持ち出したらいかんのだよ。残念なことに」
その時、住職は朗の眉間に深く皺が寄ったのを目撃した。
容易に解けえない難題に出くわした数学者のような面持ちだった。
若き剣士が凝視していたのは刀身だった。
肩ごしに覗き込むと、刃肌に刻まれた似つかわしくない紋様に釘付けになっているようだった。
それは獰猛な体躯の、そのくせ肉食獣に似つかわしくない暢気な表情をした四足の猛獣の紋様だった。何故か惹きつけられてならない魅力を有していることは明白であった。
そのまま住職も朗と同様に紋様に見せられることになった。
一見してわかる粗雑な造りの彫り物にも関わらず、芸術的ともいえる躍動感を備えた「それ」から、しばらくの間、青年と住職は目を離すことが出来なかった……。
2
突然轟いた奇怪な音に、男は眠りのふちから叩き起こされた。
目を覚ました直後は、自分が何処にいるかを思い出せなかったが、徐々に眼球の奥にわだかまっていた眠気が消えることでなんとか状況を把握することができる。
ここは、山梨県の北側の山奥にある寂れて腐った社跡だった。周囲を埋め尽くす雑草と誰も近よらなそうなオンボロさ加減に、丁度いいとばかりに潜り込んだのが昨夜のことだ。ところどころに隙間があるが、外から中は窺い知れない。
針状の月光が幾つか内部に侵入してきているが、男の他には誰も見当たらない。
枕元には、ハトロン紙とボロきれの塊が転がっている。
それが、男をこんな山奥に隠れさせた原因だった。掌で触れてみて、その中心の硬い感触を確認する。
安心した。
さっきまで見ていた悪夢の中で、その存在が特に重要だったような気がしていたからだ。
落ち着いてきたのか、ようやく自分がたまたま宿とした場所にどういう理由で辿りついたのかという記憶が、曖昧なものから段々と鮮明になっていく。
「くそっ」
男は舌打ちした。
つい数日前まで暖かい布団の中で寝ていたというのに、今日になったら木材が濡れて腐った臭いが溜まりまくったボロ神社で一休みかよ。
「これというのも、あのジジイが悪いんだよ……」
男は身を起こした。
眠気はとうに去ってしまっていた。
夏場であるし、こんな森の中だ。
飛び回る虫の類のせいで寝付くのも厄介だったのに、夢に目を覚まされるなんて、まったくついていない。
ふと、その耳に何かが届いた。
それは人の声―――いや、歌のような。
最初は、そんな馬鹿なという気持ちだったが、すぐに気のせいだとは思えなくなった。
時が経つに連れてはっきりとしてくるからだ。何を言っているかはわからないが、確かに人の放つ言語だった。
(やばい、警察か)
男は重みで軋む床の上を音を立てないように動き、社いある唯一の扉にすりよった。
よく観察してみると、一箇所だけ巨峰の一粒程度の穴が開いていた。
慎重に目を当てて覗きこむ。
第一印象は、何がなんだかわからないというものだった。
多少月の光で明るいのが逆に作用して、むしろ幻想的すぎたのだろう。彼を追ってくる警察や地元の消防団といった山狩り連中や、かがり火を持つ地元の住民だったというのなら、まだ救われたことだろう。
そこで繰り広げられていたのは、夢魔の世界の宴だった。
ああ楽しや
この楽しみを続けていくにゃ
信州信濃は善光寺
新太郎には知らせんな
新太郎には知らせんな……
上座に巨大な猿が牙をむき出して座り、そのまわりにたくさんの猿が群れをなしていた。
巨猿の前には通常のサイズよりも遥かに大きなまな板と包丁が置かれ、古臭いとっくりや白磁の瓶が多量に並べられていた。男は、その中に酒や調味料がつまっているだろうと勝手に納得してしまった。なぜなら、ちょうどそれは人間が鹿や猪の肉を料理して食べるシーンに酷似していたからだ。
つまりはデフォルメされた台所の風景なのだ。
にぎやかな太鼓の音と笛の音まで聞こえてくる。それを叩き奏でているのは、木の枝の上にぶら下がったり立っていたりする数匹の野猿たち。器用に人のための楽器を使いこなしている。あの奇妙に大時代的な歌は、この音にあわせて猿達が歌っているのだ。
不気味で戦慄の走る吐き気を催す非現実感だった。
男は息を呑んだ。
そもそも、それだけでも刺激的な光景だというのに、まるでわら人形でも投げ捨てるように無造作に、巨大な猿が何かを広場の中央に投げ捨てるのを目撃したからだ。
ちょうど男の正面に投げ捨てられたもの――それは一人の少女だった。
野良着のようなものを着ていて、多分、近隣の百姓の娘だろう。
だが、広場にこすりつけられ何度も回転したというのに、わずかさえも痛がるそぶりをみせない。
ぴくりともしない。
見開いた目が閉じることもない。
少女がすでに息絶えていることは確実であった。
巨大な猿がのっそりと立ち上がり包丁を取る。
続いて小さな猿達が立ち上がり、数匹がまな板を担いで、別グループが死んだ少女の頭を持ち上げるとその下に滑り込ませるように硬い板を敷いた。首だけがまな板の上に捧げられたのだ。
巨猿が何をするのかは、はっきりしすぎていて悪い冗談のようにさえ思われた。
男は目を離せない。
恐怖が理性を拒絶する。
包丁が月を刺した。
振り下ろされると、少女の身体は二つの大小に分かたれ、血潮が霧となりしぶいた。
嘔吐した。
音を立ててはまずいと知りながらも耐えられなかった。
人の首が切り離されたのだ。
吐くなというのが無理な話だ。
やむを得ずに発した吐瀉の音は思いがけず社の中に響き渡ってしまった。
「ナニカイルナ」
巨大な猿が鼻を鳴らした。
黄色い双眸が周囲を舐めるように睥睨し、一点で止まった。
それは男の潜む社の方角だった。
それどころか、男は自分の目と猿の動物にあらざる凶悪な視線が合致したことを本能的に察してしまった。
男は後ずさりをする。
床に転がっていた塊をとり、慌ててボロきれを乱暴に剥いだ。
現れたのは一本の包丁だった。
もちろん、巨猿の持つものに比べたら情けなくなるくらいに小さく貧相だ。
だが、男にとってすでにすがりつけるものはコレしか存在しなかった。
ほんの数時間前には、証拠隠滅のために捨てよう捨てようとしていたものが、こんなにも大切な心の支えになるとは。
お堂の扉が開かれた。
月を背景に、巨大な猿が威風堂々と直立し、彼を見下ろしていた。
「ひいい」
強奪されるものの脅えに支配された声が咽喉から迸る。
男は包丁を握り締めた。
「ミタナ、ニンゲン」
不明瞭だが、聞き取れる声だった。
(助けて!)
男は自分以外の誰かに助けを求めた。
だが、助けがこようはずがない。
神様仏様は危難に際し、手を差し伸べてなどくださらないのは、実は男自身が一番良く知っていることだった。
数日前に包丁を使って金を奪おうとした彼だって、助けを求める農家の夫婦の命乞いを聞き入れなかったのだから。
助けを求める相手を容易く踏みにじったのだから。
だから、彼は救われない。
意識が恐怖のあまり裏返った。
遠くから、あの陽気な太鼓と笛の音に乗った、不愉快な歌が漂い続けていた……。
◇◆◇
玄関でブーツの紐を結んでいると、後ろからやってきた夜浮子が隣に座り、パンプスを軽やかに履いた。
紐をちまちまと不器用に巻いている兄を妹は見下ろし、
「お兄ちゃん、そんなめんどくさそうな靴を買うから、時間がかかるんだよ」
と、身内らしい冷たい感想を述べた。
「うるさい。ポール・スミスの渋谷店でしか扱っていないブーツだぞ。たぶん山梨では、俺しか持っていない逸品だ」
「何言ってんの。直接に買いに行ったわけでなく、ネット通販で買っただけじゃない。ホントに本物かどうかも怪しいもんね」
崇は無視することにした。
男のロマンを解さない不感症には何を言っても無駄だ。男にしかわからないものが、この世にはあるのだ。
とはいっても、東京出身の朗も話に食いついてくれなかったので、男全体での普遍的なロマンとは言い難いのだが……。
「おまえは、どこに行くんだよ?」
「毛糸買いに行く」
「……毛糸?ああ、俺になんか編んでくれるのか?」
「―――冗談だよね?お兄ちゃんになんか、渡してどうするのさ。先生にプレゼント」
「おい、受験生だろ。編み物なんかしている暇あるのか?」
「いいの。勉強の合間に編み棒で指を動かすのは脳に刺激を与えるから、いいんだよ」
少し顔が赤いのは、恥ずかしいからだろう。
妹が家庭教師の先生に抱く好意を知っているから、むしろ微笑ましいくらいだった。
夜浮子は照れくさいのか、足早に玄関から出ていった。
そこまでは普通の家族の会話だった。
だが、後年、当時のことを回顧するたびに思い出すのは、このときからすべてが狂いだしたという始まりの場面ではなかったかということだった。
「今度はあんたの番だよ、本城の娘!」
外に出て庭にある車庫に近づくと、呪詛にも似た誰かをなじる声が聞こえてきた。
それはあまりにどぎつい断罪と弾劾の響きだった。
慌てて崇が門の外に出ると、そこには見慣れた妹の後ろ姿と、彼女と対面する一人の老婆の姿があった。
七十歳ぐらいのようだが、年齢よりも必要以上のしなくてもいい苦労をしたことによる皺が顔に刻まれている。
その双眸は、年齢に似つかわしくない気合と憎悪に満ちていた。膨れ上がるような憎しみの炎がたゆたっていた。
見覚えのある顔だった。
それは立花という家に暮らす老婆で、屋敷からかなり離れた所に住んでいる。夫は相当前に亡くなっているはずだ。
崇は面識があるという程度で話をしたこともない。それなのに街中で偶然出会ったら、今のような憎しみの目で睨まれるだけだった。物心ついてから、ずっとそうだったという記憶しかない。
それが何故、今になって妹に絡んでいるのか、崇には一つだけ心当たりがあった。
むしろ、それ以外にはないと断言できた。
「あたしの勝枝はいなくなった。『山ノ神』の生け贄になったのさ。あんたの母親が逃げだしたせいでね」
老婆は厳しく指を突きつける。
それは呪詛そのものだった。
「立花さん……」
「今度はあんたさ。川澄智子の娘! あいつらは絶対あんたのことを諦めないよ! あいつらは絶対にね!」
夜浮子の顔が遠目にもわかるほど青ざめていく。
手にしていたカバンが地面に落ちた。なのに、夜浮子は拾おうともしない。完全に老婆に呑まれてしまっているのだ。老婆の放つ憎悪に縛られているのだ。それは離れた場所にいる崇さえも同様だった。彼も川澄智子の子なのだから。
ようやく我に返った崇が妹に助け船をだそうとしたとき、逆方向から声が届いた。
「……どうしたの、夜浮子ちゃん」
道の端に停めたタクシーから、苦心しながら鼓朗が降りてきた。
出会ったときにはまだついていた頬の肉が減り、以前よりも痩せこけた印象があるが、優しい双眸の光を昔と同じく讃えたままの彼らの家庭教師。
髪は短く、手入れといえば櫛をいれるだけの簡単さ、ファッションにも無頓着なくせに、垢抜けた洒脱な面もある崇の憧れだった。
「あの、彼女に何かあったんですか?」
朗は生徒としての兄妹を大事にしていた。その兄妹の片割れが路上で強く詰問されていれば、当然のこととして制止せずにはいられない。
「あんた……」
予想外の朗の登場は、老婆の勢いを激しく削いだ。
朗の身長は百七十五ほど、決して大きくはないが、まとっている自信に満ちた存在感というものは無視できるものではない。顔つきも病気の影響で痩せたことで鋭さを増している。そして、何より武術で鍛えた胆力というものが並ではない。
結果として、ただの老婆に太刀打ちできる相手ではなかった。
「立花の婆ちゃんも、もうやめろし」
「なんでえ」
次に割って入ったのは、朗を乗せていた個人タクシーの運転手だった。崇も何度か使っているが、意外と気のいい男だった。どうやら桃野町の出身らしく、崇同様に老婆の事情に通じているようだった。
制帽を脱いで、まあまあと両手をかざしながら、三人の間に割り込む。
「『山ノ神』の話なんて、ただの御伽噺じゃないか。かっちゃんが居なくなったのは残念だけど、お話と現実をごっちゃにしちゃ駄目だ」
「うるさい、おめえみてえなヨタボコに言われる筋合はないね!」
運転手はすでに初老といってもおかしくない年頃だが、老婆からすれば息子にしか見えないのだろう。糞餓鬼呼ばわりされてしまっている。
「婆ちゃんさ……」
「そうけ。ふん」
諦めたようにそう言い捨てると、老婆は去って行った。
「すいませんね、お客さん。あのお婆ちゃん、ちょっと大変なもんで」
朗に対してあえて明言は避けたが、老婆の異常な行動は町のものには周知のものらしい。
はっきり言って余所者の朗にはよくわからなかったが、コミュニティーの事情というものに口を挟むつもりは毛頭なかった。
運転手は頭を下げながら、老婆の後を追う。
なにやら言い渡すつもりらしいが、朗にはすでに関係のないことだった。
二人の姿が路地の角に消えるのを見届けてから、朗が地面に転がっていたカバンを拾い上げて、手で砂を払う。
それから夜浮子に手渡す。
助け出されたというのに、顔色は暗いままだった。
「大丈夫?」
朗が顔を覗き込む感じで様子を聞いても、依然として変わらない。
「先生、ありがとうございます」
「おーい、夜浮子」
「お兄ちゃん」
崇が近づいても、顔色は戻らなかった。
「で、どうしたんだい、あの人は?何か、夜浮子ちゃんを怒鳴り散らしているような感じだったけど……」
「なんでもありません」
「……ようには、見えないよ。ねえ、崇君」
その目を避けるように、夜浮子は立ち去った。朗の近くから一刻も早く逃げ出したい、そんな感じだった。
離れていく後ろ姿を、朗と崇は鏡像のように並んで見送った。
「……今のお婆さんのこと、興味ありますか、朗さん」
「あるよ。でも、僕はそう長生きできないから、知ったからといってどうにかできる問題なのかな」
老い先短い自分が関わることで事態が悪化しないかという心配からの言葉だったが、崇はそれを打ち消すように答えた。
「問題が起きるのは、だいたい一年後ぐらいです?―――実際に起きるかどうかはまったくわからないけど……」
「崇君は知っているんだね。さっきの運ちゃんは『山ノ神』が云々とか言っていたけど……。はぐらかされるのは、好きじゃあないな」
「朗さんに見ていただきたいものがあるんです」
家庭教師は怪訝そうな顔をした。
だが、それ以上は、路上では話せそうもなかったので、二人は無言で屋敷に戻った。
◇◆◇
昔の、その昔のお話。
桃野町が、桃野村という名前で、まだ甲斐の国の一村だったとき、山奥の森には『山ノ神』が住んでいて、村からは毎年人身御供をだすしきたりになっていた。
しきたりでは、かつては何の神を祭っていたのかもわからない森の古い社に、毎年夏祭りの準備か始まる前、『山ノ神』たちがやってきて、村の娘を一人だけ攫っていく。攫われていく娘がいないと、収穫の時期にひどい大暴風が起きて、田も畠も荒らされてしまい、実りが保証されなくなるというペナルティのような不幸が起きるのである。
そのため、祭りの数日前に家の棟に白羽の矢がたった家族は、娘を泣く泣く見捨てることになり、他の村人達はそれを無理矢理にでも強制させるという義務があった。
どれほど理不尽であり、どれだけ家族が泣き叫んだとしても、だ。
あるとき、上州からきた一人の旅の武士が道に迷って、例の廃社で一夜を過ごすという出来事があった。
武士はあまりの気味悪さに怯えながらも、夜風がしのげるのならと仕方なく廃社で眠っていると、異常な怪異が起こった。
夜が更けると、何か異形のものが社の広場に集まりだし、
ああ楽しや
この楽しみを続けていくにゃ
信州信濃は善光寺
新太郎には知らせんな
新太郎には知らせんな……
と歌い踊り狂いはじめたのだ。
それは醜悪で名状しがたい酸非極まりない宴だった。
なぜなら、どこから連れてこられたらしい娘が得体の知れないバケモノたちになぶり殺しにあい、終いには頭から食らわれるという最悪の地獄絵図だったからだ。
朝になって、武士がふもとの村に下り、たまたま寄った家でこのことを話した。
すると、その家は順番によれば次の夏祭り前に娘がさらわれる予定であり、家族は娘に訪れるであろう悲惨な運命に涙するのだった。
武士はその話を聞き、なぶり殺しにあうだろう娘を哀れに思い、バケモノたちが脅えるという『新太郎』という人物を探しに、信濃の国まで行くことを決意した。
家の者達はその武士を手を合わせて拝んだ。
村には「そんなことをしたらどんな祟りがあるかわからない」と反対するものもいたが、結局は「どこの馬の骨とも知れぬものに何が出来るものか」ということで放置されることになった。
そして、武士は信濃の国に向かって出発し、『新太郎』という人物を探して回ったが、尋ねられたものたちは誰も知らないという。
武士は精力的に歩き回ったが、まったく手がかりがなく、力尽きて道祖神の脇に倒れ伏してしまった。
そして、そのまま道端で腰を下ろしているとき、子牛のように大きな黒い尾をした犬がやってきた。犬は武士の手を舐め始めた。そのあと、飼い主らしい人がきて、「わしの新太郎に何か用かな」というので、はじめて、武士は『新太郎』というのが実はこの犬の名だとわかった。
力を取り戻した武士は飼い主に訳を話して、その犬を借りると村へ急ぎ戻った。
だが、一匹と一人は、途中で事故にあい、村にたどり着くことが出来ず、村の端の寺で息を引き取った。
武士の行動に感銘した村の人々が、彼と『新太郎』を盛大に祀ると、どういうわけかその年には娘が『山ノ神』にさらわれることはなく、それが何年か続いたことで、以来毎年の生け贄という風習は廃れていく。
だが、『山ノ神』は完全に現れなくなったというわけではなさそうで、三十の季節が過ぎるたびに、一人の娘がいずこへともなく消えてしまうことはあったらしい。
村人はそれを『山ノ神』の仕業だと疑ったが、それだけで終わった。
◇◆◇
「よく聞くタイプの物語だね」
自室で茶を飲みながら、朗は素直に感じたことを言った。
口調には重いものが混じっている。
崇の発する深刻な雰囲気が、軽薄な感想など許さないものをにじませていたからだ。
だが、まず始まったのは、この桃野町に伝わる昔話だったので、ある意味面食らっていた。
もっとも、どのような話がなされたとしても、朗は崇を信じることにしていた。
「ええ、以前ちょっと理由があって調べたことがあるんですが、物語としては日本全土でよくある話の形態みたいです。世界的にみると珍しいみたいなんですが、日本では普通に分布しているもののようです。朗さんが知っているみたいに。でも、うちの桃野町のものは、普通に伝わっているのとは、はっきりとした違いがあるんですよ……」
崇は折りたたんだコピーが何枚も挟まったノートを広げながら答える。
ちょっと調べただけにしては、コピーの枚数が多いし、ノートもかなり薄汚れている。
かなり熱心に調べを進めていたことが窺えた。
ノートの使い方はさすがに兄妹だけあって、夜浮子と良く似ている。
しかし、崇が生真面目な性格であることは承知していたが、それにしては真剣さの度合いが違う。
何かに憑かれているようでさえあった。
不審に思ったが、とにかく話を聞いてみることにする。
「信濃から連れてきた『新太郎』という犬による妖怪退治が、桃野町の中ではしょられているという点じゃないか? 僕が知っている限り、この手の話は最後に妖怪が倒されて終わるはずだ。その重要な部分が丸々なくなって、いつのまにかめでたしめでたしで終わっているのは変だ」
「その通りです。加えてですね、毎年の人身御供がなくなっても、伝承によると三十年単位での生け贄がどうやら続いていたらしいということです。これは、普通は見られない形態なんです」
崇が語るところでは、これらは「猿神退治」というカテゴリーに分類される話であった。
「猿神退治」には聞く者の興味を引く幾つかの特徴があり、その典型的なあらすじはモティーフごとに構成されている。
一、ある村里の神に毎年人身御供として娘あるいは稚児を捧げないと凶作などの災厄が起こるというので、しきたりを守っている(人身御供モティーフ)。
二、旅の者(僧、座頭、六部、猟師、武士など)が、この里へ通りがかり、その神とおぼしき怪物が、「……の国の……太郎に知らせるな」等と歌うのを聞く(神自身が弱点をもらす、秘密漏洩モティーフ)。
三、旅人は、歌にある国に……太郎という人を探しに行くと、それは人ではなくて犬の名だとわかり、その犬を借り受けて戻る(秘密の謎解きモティーフ)。
四、次の祭りに、旅人は生け贄の娘あるいは稚児に代わって犬と共に櫃に入り、神前に供えさせる(身代わりモティーフ)。
五、神が現われ、生け贄を食べようとすると、犬が飛び出し、神と戦って食い殺す。怪神の正体は猿(または狸、猫。ときに、狼、蛇、蜘蛛など)であった(犬による怪神退治モティーフ)。
六、結果として、人身御供の習慣が終わり、村人は安堵する(旧習廃止モティーフ)。
この型の話は日本に広く伝えられており、それぞれに名称などの差異は見受けられるが、たいていの場合、この六つのモティーフが備わっている。
だが、桃野町の伝説においては、この中から四と五までが欠損し、六も不完全な形に終わってしまっている。
崇が調べたところでは、非常に珍しい型といえた。
聞き終わったところで、朗は眉をひそめた。
話の途中でも不穏な気配を感じたが、それが形になると言い知れぬ寒気を感じてしまったからだ。
語り続ける崇の顔には、自分が浮かべているだろうものと同様の翳がさしている。
同じことを感じていると思うには充分だった。
「……それがこの町では今でも続いている。と、あの立花というお婆さんは信じこんでいると?」
あえて口に出した。
田舎の古臭い伝説。
しかし、ここは二十一世紀の日本の山梨県であり、甲府まで行けば都心まで特急なら二時間もかからない。
町並みだって、多少地味な要素はあるが、ごく平凡な最近の家ばかりだ。丈の低い桃や葡萄の木は森どころか林にも及ばない。
ここは、中世の黒き森の傍らに住む未開の地ではない。
あまりにも荒唐無稽だった。
ただ、夜になり、ほとんど街灯のない暗い道と、仰ぎ見る高すぎる山々の連なりを思い起こせば、不思議ではないかとも思えてくる。
いまだ夜は人の手で完全に支配された時間ではなく、山は人智のうかがい知れぬ恐怖が漂う暗黒の土地なのかもしれない。
それは、どれほど光瞬く都会に距離的に時間的に近づこうと意味はないのかもしれなかった。
「はい、三十年周期で、その夏祭りの前に白羽の矢が撃ち込まれた家の娘が連れて行かれると」
「深刻だね」
「現実に、三十年前に一人の女の子が行方不明になっています。当時十六歳でした」
「……ホントかい」
「それが、立花さんの娘さんだったんです。服を着替えた様子や財布も持たずに、深夜に忽然と姿を消して、それっきりだったそうです」
朗は目を瞑る。
あの老婆の必死の形相が目に焼きついていた。
実の娘を、誰かに奪われたと信じ続け、それが三十年にも渡れば、情の厚い人なら並々ならぬ苦節の皺を顔に刻みつけるだろう。
「でも、実際に白羽の矢が立っていたのは、立花の娘さんじゃなかった」
「……」
「その人は川澄智子。結婚後の名前は、本城智子。……俺と夜浮子の実の母親です。母は、その日の前日に交通事故で甲府の病院に入院していました。それで町にはいなかった。件の『山ノ神』は、そのかわりに立花の娘さんをさらったといわれています」
「それでか……。君らのお母さんの代わりに娘さんがさらわれた、とあのおばあさんは信じ、今でも呪い続けているという訳だな。……でも、実際に、山ノ神というのにさらわれたのかい。家出とか、別の事件に巻き込まれたとかはないのか」
「それはわかっていません。失踪時に、部屋の中から持ち出されたものはなくて、靴の一足さえもなくなっていないことから、誰か協力者でもいない限り不可能だろうとさえ言われています。そして、立花の娘さんはそれ以来見つかっていないし、行方不明になる原因もわかっていません。間近に楽しみにしていたという夏祭りがあり、あえて家出する理由があったとは思えません。もっとも、疑おうと思えば疑えるレベルでしたけど」
「じゃあ、六十年前はどうだったんだ? 同じように女の子がいなくなるという話はあったのか?」
「六十年前は戦後すぐでしたからね。十六歳の娘が一人居なくなってもニュースとして残っているとは限りません。調べてみましたが、まともな新聞記事なんかも少なくて、でも、国立図書館にいけばあるかもしれないそうです。当時のことを知ってそうな人もほとんど鬼籍に入っていますし……」
「確かにね。当時のことを知っている人がいても、もうかなりの高齢だし、証言としてはきついか。……三十年に一度ってのは、結構微妙な数値だ。昔なら、人生わずか五十年だし」
「でも、噂としては、町民みんながけっこう知っている話ですよ。郷土の昔話ですからね。都市伝説なんかと違って、真実だと思っている人はいませんが。竜善寺の住職なんか、法話に使ったりもしてますし」
「町に続く伝説か……。でも、あのお婆さんは信じているんだろ?」
「娘さんがいなくなったときに、彼女だけは何かを見たという話を聞いたことがあります。それが事実ならなおさらでしょう」
「何かを見たって。……それだけで、夜浮子ちゃんは八つ当たりされてるのか。気持ちはわからなくはないけど、辛い話だよな」
「ええ。でも、俺たちにとって一番の問題は、夜浮子がそれを事実として信じているということなのです」
「まさか?」
「昔から、夜浮子は母の身代わりに立花の娘さんがさらわれ、母がそのことを後悔していると信じていました。そして、三十年後にさらわれるのは、今度は母の娘である自分だと思っています」
「あの、聡明な娘がかい……」
脱力した。
自分の無力さが気に障った。
傍らに立てかけてあった木刀を手に取る。ただ、振り回すことはしなかった。
そんな体力が自分にはもうないことは百も承知だったが、握らずにはいられなかった。
圧し掛かる理不尽な運命に我慢ならなかった。
「―――僕は、これを振ってばかりいた人間だ。はっきり言って、これしか知らないかもしれない。だから、彼女の苦悩を止めてやれる術と言うものを思いつかないよ。こんなものが役に立てばいいんだが、人間関係に"武"は無力だな……」
「それがですね、実は朗さんへの相談って、まだあるんですよ」
押し殺したような声だった。
誰かに聞かれては困るという気配がありありだった。
「夜浮子が、この話を事実と信じていることには、確固たる理由があるんです」
そういって、差し出されたのは一冊の日記帳だった。
「夜浮子の部屋から黙って持ち出しました。あいつは、これを宝物同様に扱っていますが、俺が存在を知っていることは知りません。これを読んだ上で朗さんの意見を伺いたいのです。当時のことを、死ぬ前に母が記録に残したものです。おそらく夜浮子は幼いときにこれを読んでしまったのだと思います」
昭和五十年代に書かれたと思しきそれは、黄色く変色はしていたものの、大切に扱われているらしく汚れなどは見当たらない。
家族の秘密といっていいものを受け取っていいのだろうか。
好奇心がなかったといえば嘘になるが、むしろ教え子である少女の苦悩を取り除くことができるというのならそれを手にしたいという気持ちのほうが勝った。
日記帳を手に取った。
その表紙は冷えきった人の皮膚のようだ。
最悪の触り心地であった……
◇◆◇
最悪は突然に訪れる。
本城家の兄妹にとっても、それは変わらぬ類の真理だった。
洗面所で手を洗っていた崇は、ドタドタとした音と騒々しい人の叫び声を聞いた。
胸騒ぎがして、音の聞こえた中庭へと向かうと、縁側の脇に立つお手伝いさんの姿が見えた。
彼女らはおろおろしてどうみても様子が尋常ではない。
「どうした?」
ハンカチで手を拭きながら近づくと、
「崇さん。お客様が、鼓さんが……!」
年配のお手伝いの女性が声を上げて指差したのは、中庭に倒れ伏す青年の姿だった。
崇は無言で傍に駆け寄った。
どうやら姿勢から判断すると、廊下を歩行中に庭に偶然落ちてしまったらしい。
荒い息を吐き続け、その様子はただ事ではなかった。
朗が常々語っていた、最悪の日がついにやってきてしまったのだと、崇は動転した意識の中で確信した。
懐から携帯電話を取り出して、お手伝いさんの一人に投げ渡す。
「救急車を呼んで」
それから、残った使用人の手を借りて廊下に朗を抱え上げる。
成年男子にしては軽すぎる肉体だった。
50キロあるかないかといったところだろう。
崇の目元に涙がにじんだ。
彼らの幸せな時代はついに終わるのだ。
そして、救急車に運ばれる直前、夜浮子も家に戻ってきた。
「鼓先生!」
夜浮子も泣いていた。
崇は朗の病気の状況についてじかに聞いていたが、夜浮子はあまり深くは聞いていなかったようだ。
中学受験を控えた夜浮子のことを考えて、朗は出来ることなら県立高校の試験日までは黙っていたいと言っていたのが、裏目に出てしまったかもしれない。
家族の代理として救急車に乗り込んだ二人は、朗が再びこの本城家に戻ってこれるのかという希望を、哀しいぐらいに持てなかった。
◇◆◇
そのまま、鼓朗は入院することになる。
予定の一月下旬よりも一ヶ月早い、十二月の中頃のことだった。
本城家への帰宅はやはり叶わず、朗にとってそれだけが哀しい現実だった
入院後すぐに行われた夜浮子の入試がうまくいったことだけが、朗にとっての救いとなった。
病状が安定したのを見て、彼は主治医にリハビリをするように言われた。
運動をすることで脳を刺激し、硬化の進行を遅れさせようというのが目的だった。
紹介された理学療法士たちが行うリハビリ法の説明を受け、しばらくその指示通りに従順だった朗が、おもむろにとんでもないことを言った。
「居合いをしてもいいですか」
居並ぶ者たちの目が丸くなる。
今まで文句らしい文句や愚痴の類を吐かなかった患者が、突拍子もない提案をしたのだからそれも当然だろう。
リハビリに居合いなんて聞いたことがない。
それどころか、居合いというものに対して正確な知識を持ったものがおらず、なんと答えるべきか詰まるだけだった。
「居合いって、コレ?」
主治医は刀を抜く真似をする。
東京で彼の治療をしていた医師からの紹介状に、『居合いの達人』というフレーズがあったことを思い出した。
わざわざ記入する情報ではないのこともあり、そんなに重要なのかといぶかしんだ記憶がある。
「刀を使うの?」
「はい、でも使うのは刃を落とした模造刀です」
「駄目だ。刃が落としてあるといっても、病院でそんなものを使えば他の患者さんが怖がるかもしれないし、それで君が怪我でもしたら本末転倒だ」
正直な話、なにかあったときの責任を取りたくないというのが本音だった。
主治医は優秀な医者ではあったが、医は仁術という言葉はわかっていない男だった。
だが、朗は意に介さずに、カバンの中から崇が差し出した手紙を渡した。
「実は本城さんに一筆書いてもらいました」
こんなことがあろうかと最初から朗が用意していたものだった。
県議会議員の叔父を持つ本城家の当主は地元の名士であり、院長からも便宜を図るように求められていたことから、一勤務医としては聞かないわけにはいかない。
だから、幾つかの条件付ということで朗の希望は最後にはすんなりと通った。
それから、しばらくしてリハビリ室前を主治医が通りかかったとき、奇妙な光景が目に入った。
数人の理学療法士たちが入り口に溜まって病室の中を覗き込んでいるのだ。
病院内ではかなり珍しい光景だった。
まるで高校時代の一シーンのようだ。
「どうしたの?」
「ああ、先生。401号室の鼓さんがリハビリ中なんですけど……。見てください、凄いんですよ」
主治医も理学療法士たちに倣って同様に覗き込んでみる。
カーペットが敷かれ、幾つかの器具が並んだそう広くもないリハビリ室の中央に、やや変則的な座り方をした朗がいた。
専用の運動服を着ているが、通常のリハビリと違うのは、本来は理学療法士が付き添って行うものなのに一人で居る点だ。
それはそうだろう。
腰には刀の鞘。
手は柄を握り。
目と口は一文字に閉じている。
漂うのは殺伐とした空気。
すべてが余人を近づけない。
しゅっとかすれ声にも似た音が散る。
いつ抜かれたのかもわからない刀が朗の手の中で煌いていた。
見物していた全員が腰を抜かして、床にへたり込んでしまった。
「うへえ」
「なんだったのか」
それは剣気というものだった。
裂帛の気合というものを、初めて体験したものたちにはわからなかったに違いない。
ただの張り詰めた空気が破れたとしか感じられないのだ。
慣れた者でなければ、耐えられないほどの緊張感だった。
誰が知ろう。
それこそが、死に際を定めた才気溢れる剣士の、辞世の句にも似た別れのための準備行為だと。
一人の少女に何かがあったときに、その剣士としての責をまっとうするために、ただ一振りのために、動かぬ身体を突き動かす。
朗はかつて師に聞かされた故事を思い出していた。
◇◆◇
抜刀室賀流剣術は、紀州の徳川頼宣に仕えた田宮平兵衛業正の田宮流抜刀術の道場で学んだ室賀新左衛門を始祖とする流派である。
紀州藩は天領であったため、その剣術指南役は柳生の門人であったので、室賀新左衛門も剣は新陰流を学んだのだろう。
ただ、彼自身、居合のほうが性にあっていたのか、剣術の腕前より居合の達人という評判のほうが高かったようだ。
しかし、田宮流は別名、「美の田宮」「位の田宮」と称され、優雅繊細な技を誇る抜刀術であったのに、新左衛門はむしろ荒々しい剽悍とも呼べる剣士であった。
その彼が抜刀室賀流を創始したときのエピソードがある。
あるとき、室賀新左衛門は木の枝に登って、降りられなくなった子猫をみかけた。
助けてやろう、と手を伸ばしたとき、何か誤解したのか、子猫は身をよじった。
そうすると、バランスを崩して木の枝からおちる。慌てて手を出した新左衛門の手に痛みが走った。
地面に落ちゆく、子猫が落ちる際に、彼の手を引っかいたのだ。
そのとき、室賀新左衛門は開眼した。
どのような、態勢・状況でもっても抜刀できる居合という発想に。
そして、彼は居合そのものよりも、それを活かす体術の工夫に没頭した。
当然、その彼の発想は田宮流はもとより、抜刀術の全流派に受け入れられる工夫ではなかった。
異端なのだ。
時を経ずして、彼の行いを苦々しく思うものたちが現れた。
道場で彼に及ばなかった高い身分出身の兄弟弟子の中で、急先鋒に古賀某という人物がいた。古賀某は徒党を組み、町を練り歩き、辺りかまわず喧嘩を挑むと言う紀州藩でも有名な暴れものだった。
その古賀某が新左衛門に試合を挑んだ。
果し合いとなると、生き残っても切腹、運が悪ければ家がつぶれることになりかねないから、試合と言うことで話をすすめたのである。
新左衛門は当然に断った。
いくらなんでも無意味すぎる話だからだ。
しかも、きな臭い。
彼は古賀某に謀殺される恐れを感じていた。そして、それは事実であり、新左衛門の命は狙われていたのである。
だが、一度ならず試合を断りつづけた新左衛門をついに決意させた事件が起きた。
彼の家の近所に住む少女が、辻斬りにあったのだ。
下手人は上がらなかった。
目付は下手人の目星さえ付けられなかった。
だが、新左衛門は気がついていた。
これが古賀某による示威行為だということに。
新左衛門が何故、そのことに気がついたのかは不明であるが、事実なら武士としてあるまじき所業である。
そして、試合の日、新左衛門は同門の兄弟子を証人として、指定された場所へ訪れた。
二人は眼を見張った。
なんと、古賀某は切り立った崖を背にして、まるで戦陣を組むように20人もの人数を従わせていたのである。さながら、一の谷における平氏の陣容のようであった。
だが、その崖はほぼ絶壁で、馬に乗って降りる九郎判官のようにはいかない峻拒なものであった。
証人の兄弟子は退くように勧めた。
どう見ても、20人は助っ人だからである。
一対一の試合に20人の見届け人は無用以外の何物でもない。
これは合戦にも似た新左衛門殺害のための布陣である事は疑いがない。
だが、新左衛門はそれを聞き入れず、逆に兄弟子を連れて、古賀某の背後にある崖に登り、下を見下ろしてみるのだった。
そして、兄弟子に、
「柳生の剣は天下の剣、平和の剣と言いますね」
「うむ。大権現様に但馬守様がそう仰られたと言う話だ」
「ならば、私の剣……そうですね抜刀室賀流とでも名づけましょうか……は、それに倣い『偃武の剣』を目指すことにしましょう」
「剣の働きで平和を呼ぶなど、困難な業だぞ、新左」
「まあ、見ていてください」
そういうと、新左衛門は十間も下にいる古賀某の位置を確認した。
「……私は女童が死ぬのは嫌なんですよ」
そして、まるで自分の家の門から出かけるかのように、躊躇いなく崖に歩を進めた。
物理法則に従い、新左衛門は鉄砲で撃たれた鳥のように頭から落下していく。
古賀某の周りの者達が、背後から聞こえてきた大きすぎる物音に振りかえると、崖から落下して命を散らした室賀新左衛門の亡骸と、首を喉から半分まで断たれて絶命した古賀某の亡骸がさびしそうに並んでいた。
それは落下しながらの刹那の瞬間に、一文字に振るわれた新左衛門の抜き打ちによるものだった。
世間のものは、新左衛門のあまりに苛烈な死に様に驚嘆し、それ以来、室賀家に対し喧嘩を売ろうとするものは途絶えた。ここに争いはなくなった。
新左衛門のいう『偃武』が訪れたのである。
この勲をもって、彼の弟の継いだ抜刀室賀流は世に隠れなき、異端ではあるが畏怖される抜刀術の流派として認められたのである。
そして、朗はこの流派の真髄を受け継ぐ、本物の剣士だった。
◇◆◇
同じ頃……。
竜斐竜善寺は、桃野町唯一の寺院であり、町民の大多数が檀家という由緒正しい古刹である。境内は田舎の自社仏閣の類としては当然のごとく広く、敷地の外れには集会用の小屋や防災用の器具の保管所がある。
その境内を散歩すると、親子がいた。
まだ幼稚園児ぐらいの小さな女の子が、林の中を指差した。奥には墓場があるが、散歩コースからだと見通せない。
「どうしたの?」
「お猿さんがいた」
母親がそちらを凝視してみたが、そこには何も居なかった。
「いないじゃない。嘘ばっかり言って。お猿さんって、このあたりにはいないわよ。もっと寒い場所にいかないと」
「いたもん」
がさ。
藪が動いた。
反射的にそちらの方向を見た母親は、今度こそ娘の言うとおり黄色い一対の光を宿す顔を持った生き物を見た。実際に生きて動いている姿を見たことはなかったが、テレビなどでの記憶に従えばそれは確かに猿だった。
だが、猿という生き物はあれほど歪な表情を浮かべていただろうか。
猿という生物はあれほど濁りきった眼差しを持っていただろうか。
そんなはずはない。アレではまるで……。
再び、がさ、と大きな音がすると同時にその生き物は視界から藪の中に消えていた。
もしやこちらに襲いかかってくるのではと身構えていたが、けっきょくそのようなことはなく、拍子抜けに終わった。
日光などでは野生のサルに餌付けをしてしてしまい、それによる獣害などが増えているという。
また、ニホンザルを禁猟としている地方で、子供や老人が襲われるという被害もあるらしい。
幼子が母親を心配して覗き込んできた。目の高さが同じ位置だった。どうやら腰を抜かして座り込んでしまっていたらしい。
そして、娘のつま先が自分よりも前にあることに気がついた。彼女は、大切な母を守ろうと一歩を踏み出していたのだ。
守るつもりで守られていたのかしら……。
母親は娘を抱き締めることで感謝の意思表示に代えた。
子供の柔らかい温もりを肌で感じながら、母親は自分がさっき抱いた恐怖とその感想を幾度となく反芻していた。
さっきのサル、あれはまるで……
そう、アレはまるで女に欲情した人間の男のようではなかったか、と。
3
空気がさっきより静けさを増したように思えた。
居間にこもった熱気に耐えられなくなり、涼しさを求めて庭に降り立った直後は、春の昼間らしい穏やかな風景だった。
それなのに、どこからともなく響きだした奇妙な音に気づき、ほんのわずかだけ奥へと足を踏み入れた途端、何か異様な違和感を覚え、感覚が圧迫された。
きょろきょろと周囲を見渡す。
別段、なんの変化もない。
物心ついた頃から見慣れた場所だった。
しかし、異変は確かに存在した。さっきまで聞こえていた風の音さえも止み、静寂をしのぐ無音とも呼べる状態。庭の木々を休み場所とする鳥達のさえずりも聞こえず、うっとおしい羽虫の存在すら感じられない。
冬を越して生命に満ちるはずの春だと到底思えなかった。彼女の周りの空気だけが半年も時を逆行して再び凍てついたようだった。
林の中で何かが蠢く。
反射的に見やるが、そこには何もいない。
少し離れた位置でまた同じ音が繰り返された。
二度、三度、同じように視線を向ける。
だが、発生源を見つけることはできなかった。
同じ仕草を何度も再生し続け、ようやく自分の周りを生き物が囲むようにして走り回っているのだと理解した。
彼女の屋敷の庭の中ではところどころに人工の植え込みが配され、子供の頃はかくれんぼのための絶好の場所だったから死角も多い。
だから、犬や猫が走り回っても姿を捉え切れないこともある。
だが、そういった動物が、人間の周りを旋回するように、見えないように動き回るなんてことがあるだろうか?
まるで彼女――夜浮子をからかっているかのごとく。
がさがさと何かが荒々しく駆け抜ける音が、今度は夜浮子の耳にはっきりと聞き取れた。
しかし、彼女の双眸ははっきりと庭の奥まで見通すことはできず、「何」がいるのかまでわからない。
ザン、と一つの大きな落下音と共に、庭がまた沈黙した。
今度こそ、風景が意思を持つもののごとく。
しいんと。
意味ありげに。
屋敷の中に引き返し、父や兄、または住み込みの女中さんを呼んで、調べてもらおうか。
それとも布団の中にもぐりこんで、朝まで膝を抱えて眠るべきか。
もし、ここにあの頼りになる優しい家庭教師がいたのなら、真っ先にその庇護を求めただろう。
夜浮子がここを立ち去るという選択肢を提示し、実行を検討したとき、しわがれた奇妙な声が聞こえてきた。
彼女は気がついた。
何かが彼女を見つめていることに。
植え込みの一角から、彼女を凝視しているものがいた。それは照明が反射したわけでもないのに、ぎらぎらと輝く、濁ったような濃い黄色い一対の目。
どこから忍び込んだものか、それは一匹の猿のものだった。
実のところ夜浮子は、動物園でも生きた猿を見たことがなかったが、その正体不明のものをとりあえず既知の分類に分けることができたことで落ち着くことができた
正体不明でさえなければ、恐怖というものはぐんと薄れていくものだからだ。
小さく安堵しかけた彼女だったが、次の瞬間に今度こそ震え上がった。
何故、こんなところに猿がいるのだ。
そして、あの奇妙な音は、もしや……。
その奇妙な疑問を裏打ちするように、彼女の心を潰すように、信じがたい怪異が捲き起こった。
『コトシノ娘ハオマエダ』
猿が、そう喋ったのだ。
人間のように。
口をぱくぱくと動かして。
腹話術かと疑う余地もなく、夜浮子はそれを現実だと受け止める。
なぜなら、そのあと、狂気を追い討ちするかのように、猿がにたりと口の端を歪めた行為は決して偽物ではなかったから。
『三十歳ノ年ノササゲモノハオマエニキマッタ』
そういって、猿は後ろ手にしていたらしい長いものを足元に放った。
それは白いもののついた棒だった。
粗末な鏃のついた、ただ長めの桑の枝に、白い鳥の羽を差しただけの品だったが、その言いたいことは暴力的なまでにはっきりしていた。粗雑すぎる出来とはいえ、人ならざるものが作ったにしてはわかりやすい。
これがあの『白羽の矢』なのだ。
『山ノ神』が攫うべき娘の家に放つ死を告げる合図。
用事が終わったのか、猿は振り向いて茂みの中に消えていった。
去り際にウインクのように、片目をつぶった。
それは吐き気を催すほどに、人に似た仕草だった。
夜浮子は呆然と立ち尽くした。
あまりのことに心がつぶれそうだった。
(お母さんの書いたことのままだ)
自分が物心ついたときから悩み、疑い、そして半ば認めていた覚書に書かれた母の悲鳴のような訴えと苦痛。
それが事実であると確信してしまったからだ。
少女は希望を捨てることを求められ、恐怖と諦観という双子の神の熱心な信者に成り下がった。
その神が求めるものは、絶対的な信仰。
そして、信者の殉教。
母の贖罪をしなければならない。
逃げればまた母の時の勝枝さんのように、誰かが死ぬ。
知らん振りして耐えられるほどに、私は厚顔ではいられない。
少女は事実を噛み締めた。
立花のお婆さんの憎悪から出た予言は的中したのだ。
三十年前、母をさらい損ねた『山ノ神』は意趣返しのように夜浮子に狙いを定めた。
それが今年の春、高校への進学が決まり、新しい生活への希望に満ちていたときの悪夢だった。
◇◆◇
玄関を出て行く兄の後ろ姿が見えた。
ヘルメットを小脇に抱えているので、父が昔乗っていたバイクを使ってどこかにいくのだろう。
田舎では車やバイクは交通の必需品だから、高校入学と同時に免許を取得しに行っていたらしい。バイク登校禁止の校則があるので通学には使っていないようで、完全にプライベートの脚としての活用だった。
声をかけようとしたが、思いとどまる。
しばらく前から、夜浮子と兄は家庭内で疎遠な関係になっていた。
その原因は全面的に彼女にある。彼女が不自然なまでに兄を避けるようになったからだ。
母が早くして亡くなったのを絆で克服しあった仲の良い兄妹だから、今までそんなことはなかったので最初は戸惑ったようだったが、兄は特に無理をして接触しようとしてくることはなかった。
あの春の日以来、彼女の周りにはおびただしい数の猿達が現れていた。まるで彼女を見張るように、三十年前の母の二の舞を踏まないようにだろうか。特に彼女が遠出しようとすると、何倍にも膨れ上がる。
ただその監視者は他の人の前にはあまり姿を晒す事はなく、猿の出没が噂になることはほとんどない。
そのことで妙な噂が立たないことはありがたかったが。
彼女の苦悩を兄は知っていたのかもしれない。
相手の気持ちを思いやれる心根の優しい少年だから。
最近の兄が、よく出かけるようになったのも、夜浮子を気遣ってのことかもしれない。顔を合わせて不満が噴出するのを避けるためだろうか。
春休みはほとんど家に寄り付かず、数日間、どこかに旅行にでかけていたりして、頻繁に外出している。
父だけは気にしていたのだが、家を継ぐことを問題なく承知していることであまり強く出られなかったようだ。
もっとも高校が始まってからは、外出といっても週末だけに納まった。そして、崇が毎週のようにでかけるのは、甲府にある国立病院であることを夜浮子はよく知っていた。
最初のうちは、崇から誘われていたのだが、彼女がそのたびに断るので、そのうちに声をかけられることもなくなった。
ただ、彼女が朗のことを心配していることはわかっているらしく、帰宅してから彼女の部屋に来て独り言のように様子を報告していく。
兄のオブラートに包んだ言葉からでも、少なくとも朗の病状が良くなるような印象はなかった。
少しずつだが、確実に、朗は死に近づいているのだ。
だが、夜浮子は病院に行くことが出来なかった。
自分を見張る猿のこともあったが、好意を持っていた憧れの先生が死ぬかもしれないという現実に向き合えないのだ。
それはすでに亡くなった母についても同様だった。
自分の部屋に戻り、イスに座る。日課のようになっている、机の引き出しから日記帳のような分厚いノートを取り出した。
ノートの前半分ほどを、丁寧な、だが苦悩に満ちた字が書き込まれている。
それは母の手記だった。
色々なことが書かれているが、冒頭の彼女の呻きのような文だけは特に何度も読んでいる。
それはこんな内容だった。
◇◆◇
私が、この文章を残すのは、ただ一点、懺悔のためである。
私の代わりにいなくなってしまった友達、立花勝枝さんへの謝罪のためである。
勝枝さんが行方不明になり、すでに十年の月日がたっているが、彼女の行方は依然としてしれない。
警察はまだ少しだけは捜査を続けてくれているようだし、勝枝さんのご両親は必死に探されているようだけど、私は彼女が二度と戻ってこないことを知っている。
なぜなら、私は彼女を連れ去って、おそらくは殺害したモノを知っているからだ。
モノといっていいかはわからない。
説明することは難しいからだ。
その代わりに、私と勝枝さんを襲った怪異について語ることにしよう。
事の発端は、桃野神社の夏祭りの始まる十日ほど前のことだ。
それを真っ先に見つけたのは、勝枝さんだった。
「あれ、何か刺さっているよ」
「ホントだ」
私の部屋の窓枠に、白い羽根のついた矢が強引に差し込まれていることに気づいた勝枝さんが、それを抜いて見せてくれた。
落ちないようにかなりの力をかけたらしく、勝枝さんは結構派手に呻いていた。
矢と称したが、それは桑の木に白い鳥の羽を挟んだだけの品で、子供の作ったもののように不細工な代物だった。
もっとも、だからこそ私はそれに恐怖を感じたのかもしれない。
「変なの?」
「……これ、あれじゃない、『新太郎』の」
勝枝さんの意見に私は思い当たることがあった。
桃野町ではよく聞かされる御伽話で、幼稚園の劇などの題材にもなることがある『新太郎』に出てくる『山ノ神』の生け贄を示す矢のことだった。桃野神社の夏祭りにも、これについての由来がある。
「誰かの嫌がらせかな?」
「怖いよ」
「なら、わたしが預かっておくよ」
「え、いいの?」
「きっと夏祭りが近いんで、お話を思い出した男子の誰かが、智子ちゃんを驚かせようとしてやったんだよ。智子ちゃん、怖がりだから。小林君辺りかもしれないよ。夏祭りであわよくば、怖がらせて抱きつかせようとしているのかもよ?」
「やめてったら。……男子といえば、本城君には連絡したよ。かっちゃん、一緒に夏祭りに行きたがっていたからさ」
「―――ありがとう、智子ちゃん!大好き!」
勝枝さんが、本城家の息子に好意を抱いているのはよく知っていた。彼女の主な相談相手は私だったからだ。彼女が行方不明になってしまった七年後に、私が本城家に嫁ぐことになると当時は夢にも思っていなかった。彼女と今の私の夫は、高校生の時、放っておいても結ばれるだろうお似合いの二人だったからだ。
今、もし彼女が生きていれば、私は彼女にとって絶対に許せない存在になっていただろう。
あの白羽の矢を勝枝さんが持って帰ったことも含めて、私にとって彼女は償っても償いきれない相手なのだ。
二日後、あたしは家の用事で出かけていた甲府で事故にあい、甲府の病院に入院することになった。
全治一ヶ月の診断。折れた骨が軽くくっつくまでは、入院ということだった。
その時は残念だった。
年に一度の夏祭りが入院している間に過ぎてしまうからだ。
だが、夏祭りに入る前にとんでもない知らせが耳に入ってきた。
勝枝さんが行方不明になったというものだった。
私が入院した次の日の晩、突然、どこかに消えてしまったというのだ。
財布や靴の一足も持って行かない、本当に神隠しのような事件だったという。
私はお見舞いに来た両親に聞いたし、友人として警察の訪問も受けたが、何も答えられなかった。
「……そうですか、何もご存知ない?」
「はい、私は入院してましたし……そもそも、かっちゃんに失踪するような悩みがあったなんて聞いたことがありません」
「あなたが一番、立花勝枝さんと親しいと聞いていましたが」
「お役に立てなくてすみません」
「いえいえ、実際、事件の役にたちそうな話は誰からも聞けてませんからね。面白かったのは、野生のニホンザルが大量発生していて、それに攫われたんじゃないかって奴なんですけどね」
「猿?」
「ええ、山梨で猿なんて滅多に見かけないのにね。そういえば、立花さんのお母さんも、娘は『山ノ神』に攫われたんだみたいなことを言って、大分精神的に参っちゃっているみたいなんです」
普通ならそんなヨタ話と聞き流すところだったろうが、私には引っかかるところがあった。
『山ノ神』というのは、アレだろう。『新太郎』の御伽噺の『山ノ神』だろう。
桃野町の伝説は、通常の『しっぺい太郎』等のそれと違い、最後に『山ノ神』がでてくるわけではないが、類似の物語では生け贄を要求するのはたいてい大猿や狒狒となっている。
それが引っかかった。
そういえばあの白羽の矢はどこにいっただろう。
あれは勝枝さんが持っていったはずだ。
もしかして、勝枝さんは私の代わりに……。
その後、退院した私は、勝枝さんの家に行ってお母さんに怒鳴られた。
彼女は知っていたのだ。
勝枝さんが私の身代わりになったことを。
そして、私は罪を背負ったのだ。
勝枝さんの好きだった相手と結婚し、可愛い子供たちまで産んでしまった。
私は、勝枝さんの人生を盗んだのだ。
いつか、私は罪を償わなければならないだろう。
だが、その機会は訪れないかもしれない。
私はどうすればいいのだろうか。
私の懺悔はここで終わる。
だが、償いは終わらない。
◇◆◇
夏休みになった。
朗が入院してから、初めて赴く国立病院は、町の診療所に比べれば遥かに大きく、入りづらさはさらに増していた。
入り口に入ると、きつい薬品臭が漂ってくるロビーが広がっている。
受付に訪問目的と名前を書き記して、リハビリ室に向かった。
崇の話では、リハビリ室のある棟は通常の個室のある棟とは異なり、比較的に元気な患者が多いので、少しだけ騒がしくて活気に溢れた棟だった。夜浮子自身ははじめてくるので普段の様子はわからないが。
朗の病室が401号室であることは知っていたが、リハビリ室の番号まではわからず、迷ってしまった。
しようがなく、近くにいた看護婦に声をかけた。
「……ああ、鼓さんなら、ご自分の病室ですよ」
「金曜の昼はリハビリ中だって、兄から聞いてたんですけど」
看護師が浮かべた表情に、なんとなく嫌なものを夜浮子は感じた。
「お兄さん?……あなた、崇君の妹さんなの」
「はい、崇は兄です」
今度こそ、看護師の顔が苦渋に満ちた様子に変わった。
悪い予感は事実に摩り替わった。
「なら、鼓さんの身内も同然よね。……知らなかったみたいだから、簡単に説明するけど鼓さんは、一ヶ月ぐらい前からほとんど歩くことが難しくなってね。もう、リハビリは中止されているの……」
意識が跳びそうになった。
信じられなかった。
兄はそんなことを一度も言っていない。
それからも、看護師の説明は続いていたが、ほとんど耳には残らず、簡単な礼をしただけで夜浮子は覚えていた朗の病室に向かった。
彼女の顔色はどれほど蒼白になっていただろう。
病室を覗くと、白い室内に三つのベッドが並んでいて、その内の一つに横になって眠る朗の姿があった。
見たこともない青い患者服を着て、家庭教師は死人のように動かない。
約二年前に、初めて出会ったときの快活さはどこにも見出せなかった。
夜浮子は声をかけることも出来ず、そこから立ち去った。
(あんな状態になった先生に話を聞いてもらおうなんて、私はなんて浅はかなんだろう。私なんかより、先生の方がもっと大変なのに……)
病院のロビーで、夜浮子は春からの出来事を思い出していた。
今日は、珍しく猿達が彼女の周囲に出てこなかった。
だからこそ、勇気を出してバスに乗りここに来たというのに、ただ絶望だけを倍化させることになった。
(もう、どうでもいいや)
私の代わりに誰かが立花勝枝さんのように生け贄になれば、私も母みたいに贖罪を抱えたまま生きることになる。
彼女の記憶の中の母は、いつもいつも悲しそうな顔をしていた。
生きることが辛くて辛くて仕方のなかったのだろう。
肺炎をこじらせて死ぬことになったことも、もしかしたら彼女にとっては救いだったのかも知れない。
他人を犠牲にして生きても、待っているのが不幸なら運命に従った方がマシなのかもしれない。
生とはそこまでして守るものではない。
そして、夜浮子は生存を諦めた。
◇◆◇
カツン。
窓のガラスに何かがぶつかった。
(やはり今日だったか)
母の手記の記述に寄れば、立花勝枝さんがいなくなったのは、夏祭りから一週間前の日。今日は今年の夏祭りの一週間前に一致する。
つまりは三十年前の今日だ。
夜浮子はおそるおそる窓を開けた。
声を上げそうになったが、なんとかこらえる。
なぜなら、数匹の猿が窓枠に遊んでいるかのようにぶらさがっていたからだ。
だが、それよりも遥かに夜浮子が恐怖を感じるものは、別に居た。
目前の木の枝に立つ巨大な猿の神。
何の重さも感じないのか、枝はわずかさえもしなっていない。
確かにそれは悪夢の中からの登場物にしか思えなかった。
神の使いとしてやってきたニホンザルの様子から、『山ノ神』というものは、猿やヒヒに似た生き物だと思い込んでいたが、どちらかというとゴリラに近い屈強な体型をしていた。そのあたり、実際に目撃していない母の手記はまちがっていたようだ。
しかし、それは一つの種に近いというものでなく、猿に分類される総ての種を寄せ集め、つぎはぎしたような無骨で複雑な生き物だった。
後部に出っ張った頭、黄色い邪悪な目、蟹バサミのような顎、鋭い歯、ごつごつした背中に長い腕、全身を包む剛い毛皮。まさしくそれはバケモノだった。
『山ノ神』は彼女を見つけ、ニッと邪悪に唇を曲げた。
以前に使いにきた猿のものよりも何倍も汚わいな、人以外のものが浮かべる人よりも不気味な感情表現。
バケモノは次の瞬間には、夜浮子の前に現れた。
夜浮子の目には止まらぬ、そして音一つしない動きだった。
ひっさらわれるように夜浮子は担ぎ上げられる。抵抗は無意味だったし、もうすでに彼女は意味のある行動をする心がなくなっていた。
『山ノ神』がゲヘヘと人のように笑うのだけが耳についた。
体重が五十キロに満たないとはいえ、夜浮子を軽々と担いだまま、何ら痛痒も感じず山ノ神は地面に降り立ち、遅滞なく走り出した。
まるで風のようだと思ったが、この風は死を運ぶ東風だ。決して清廉な美しいものではない。
「待て」
そんな声がした。
実際には聞こえていなかったのかもしれない。
だが、そんなかそけき声がきっかけとなったのか、『山ノ神』の疾走が雷撃に打たれたかのように止まった。
急ブレーキだったが、その衝撃はまったくやって来ず、夜浮子には止まった事さえ一瞬、わからなかった。
顔を無理に動かすと、ブドウ畑を縦に伸びる畦道に、崇のサイドカー付きのバイクが、『山ノ神』の行く手を阻むためように停まっていたのが見えた。
そして、心が甦った。
忘れていた何かがむくりと首を上げたようだった。
ハンドル・グリップに寄りかかるようにして立つ、一つの影。
病室から抜け出した姿のまま、鼓朗が立っていた。
最近では足が動かしづらいことから、ズボン型のパジャマは着れず、普段からまとっていた浴衣が着流しの浪人のようにさえ見える。
大きくない白色街灯と、バイクのヘッドライトだけのか細い灯かりが、立ち尽くす影を幽鬼のごとく綻ばす。
「朗先生……」
目の端に熱い何かが溜まっていく。
何故、彼が今、こんな場所にいるかについてまで考えは及ばなかった。それでも、最期と決めた瞬間に鼓朗の姿を拝めたことは純粋に嬉しかった。
対照的に、『山ノ神』は目を細める。
異界の法則に従う妖物の脳でも、夜浮子と同様に、今の状況がよく飲み込めなかった。
彼はここまで一直線に駆けてきた。
この先には人間達の神社があり、そのさらに先に彼の祭事場がある。
彼は自分の生け贄を手に入れると、誰も侵すことのできない祭事場で配下の猿達との宴を催し、まな板の上で捌いた人間を食べるのを習慣としていた。
人間は決してそれを邪魔できない。
異界の法則、妖魔の魔力、ある種の上位の力を持つ神の眷属たちは世界と契約することで自由を謳歌することが許される。
彼は自らの弱点を定めた歌を流すことで、それ以外では傷つけられない契約の妖魔だった。誰との間になした契約か、そんなことはどうでもよい。大切なのは、この何百年、彼は交わした契約に従い存在してきたということだ。
それが妖物としての彼の権利と義務だった。
『キサマ、ナンダ』
着物の影の左手が少し動いた。
影が掴んでいるものを見て、丸い黄色い目が見開かれた。
それは刀だった。
そして、刀の銘を妖物はよく知っていた。
『…シンタロウ』
◇◆◇
春休みに信濃の国――今では言う長野県に出掛けていた崇が、朗の病室にやってきて成果を報告していた。
旅の目的は、桃野町の歴史資料に残る『新太郎』という犬を見つけるためである。
それと同時に、ネット検索で見つけた、長野県に伝わる桃野町の物語に良く似た事例である『早太郎』についてしらべることであった。
『早太郎』の話は、猿神退治の物語の中でもかなり有名事例であり、駒ケ根市にある光前寺には現実に木像と墓がある。
藁をも掴む気持ちで、なんらかの共通項が見つかればという思いだった。
だが、全ては空振りに終わった。
そもそも物語の時代とは違い、こんな絵空事のような話を真面目に信じてくれる人はいないのだ。二人以外には相談することもできない。
文字通り、雲を掴むような話だった。
「……駄目でした。『新太郎』なんて犬は見つかんなかったよ。っていうか、長野だけで何万匹も犬は居るんだ。俺たちだけがバケモノの存在を信じていても、他に誰も信じてくれないんじゃ、話にならないよ」
「しかたない。そもそも、君のお母さんの手記を真実だと信じないとどうにもならない話だからな」
このとき、すでに朗は普通に会話が出来る状態ではなかった。まともな発声もままならない、意思の疎通どころか聞き取るだけにもそれなりの慣れが必要だった。
「ちょっと考えたんだ。例の歌にあったのは、信州の善光寺だろ?」
「ええ、そうです。『ああ楽しや この楽しみを続けていくにゃ 信州信濃は善光寺 新太郎には知らせんな 新太郎には知らせんな……』ですからね。ちなみにあの早太郎は、長野の光前寺でしたよ。一応、墓があるんで見てきましたが、結構大きかったです。中央道を通っていけばいいんで、意外と近く感じましたね。長野には、そういう物語が多いみたいで、猿神退治の本場って感じですかね」
「僕の記憶によれば、信濃善光寺と、『新太郎』。それと、ちょっとここで聞いたことのある話に共通点があるんだよ」
「共通点?」
「……その昔、ある放浪癖がある刀鍛冶が善光寺に行った事がある。そして、その刀鍛冶の幼名は五郎というんだが、あてのない旅をする時は異母弟の名前を借りて新太郎と名乗っていたそうだ」
「どういうことですか?」
「――その刀鍛冶の名前は初代正宗。あの桃野神社の御神刀も、僕の鑑定眼が正しければ正宗のものに良く似ていた。そして、旅の武士が持ち帰ったのは、犬じゃなくてあの刀なのかもしれないとは思えないか。そして、思い出せ。あの刀の峰に彫ってあった不細工な獣の彫金を」
「もしかして、あの獣のモティーフって、……犬なの?」
「ああ、『新太郎』というのは、魔物を抑える強い霊力を持った刀を打った鍛冶のことで、伝説の武士は魔物を討つための刀を求める旅だったのかもしれない。そして、武士は善光寺で初代正宗に出会い、刀を打ってもらった。その刀には、著名な魔物退治の霊犬『早太郎』を模した彫金がなされていた。それが回りまわって「猿神退治」の他の物語とごっちゃになり、今の形に落ち着いたと考えれば強引だけど辻褄は合う。著名な刀鍛冶が多い備前や豊後なら、もっと早く辿り着いたのかもしれない。もし僕の推理通りだったのなら、迂闊だったな」
崇は興奮して、つい立ち上がり朗の肩を掴んでしまった。
「凄い、凄いですよ、朗さん!」
「まだ僕の妄想の段階裏づけを集めてみないとわからないが、『山ノ神』を名乗るバケモノは、あの『新太郎』作の霊刀を恐れているんじゃないかな?ただ一振り、自分を殺せるかもしれない武器だからさ」
崇は今までに調べた内容と、今の朗の推理に煎ろう矛盾点がないかの計算を頭の中で開始した。
「崇。僕は、夜浮子ちゃんを救えるかもしれない」
久しぶりに、朗の顔が崩れた。
ただの筋肉の引きつりにしか見えないそれが、朗が数ヶ月ぶりに浮かべた笑みだと気づき、崇は様々な意味で泣きたくなった。
◇◆◇
「そうだ」
声を出したのは、オートバイの陰にいた派手なライダージャケットを着た崇だった。
父親の持ちものであるバイクにつけられたサイドカーで、朗はここまで運ばれてきたのだろう。
「気がつかなかったよ。『新太郎』が桃野神社の御神刀の名前だったなんて」
桃野町に伝わる昔話において、信濃の国から武士が連れてきたのは、伝わっている犬ではなく刀だったのだ。
犬というのは、寺の宝刀に刻まれた彫り物が誤まって伝えられたもので、妖物を拒む霊刀……それこそが『新太郎』の正体だったのだ。
崇が必死になって調べた結果は、まさに朗の推理を裏付けるものだった。
そして、その刀はあるべき剣士の手に握られ、何百年目にして天敵たる妖物に立ち塞がっている。
『キサマ』
妖物には妖物のための理がある。
この妖物は、ある特殊な条件を満たすことで、魔物として絶対的な能力を得ていた。それは、自分の弱点である霊刀の存在を歌の形で公表し、なおかつその刀を人間が持ってきた場合は決闘しなければならないというものだ。そのため『新太郎』がその眼前に現れた場合には否応なく向き直らなければならない。
そしてこれを打倒しなければならない。
魔の掟を守り続ける限り、妖物としての強い力を持ちつづけることができる。
それが掟なのだ。
妖魔は目を凝らした。
目の前の剣士は確かに『新太郎』を握っている。
だが、その顔には生気が足りない。鞘にかかった左手は、自力では握り続ける握力がないので、包帯とガムテープで厳重に固定され、肩にもテーピングが施されている。
何より明らかに死期が迫った、逃れられない死相を浮かべている。
漂い続ける濃厚な病魔の臭い。
この剣士は病に犯され、そして死にかけているのだ。
本来ならば、立っているのさえやっとだろう。
背中を支える人間どもの乗り物がなければ満足に立っていられない程度なのだ。
妖魔は舌なめずりをした。
何百年も、この村で生け贄をとってきたが、あの霊刀の放つ力のせいでここ何十年は生け贄に不自由してきた。
村に近づこうとするたびにあの霊力が、妖怪の力を奪うからだ。
三十年に一度だけ、その力が緩くなる時期を狙ってなんとか生け贄にありついてきたが、もうそんなものは願い下げだ。
かといって、霊的加護のある神社に祀られている刀には手が出せない。
誰かが社の外に持ち出してはじめて、妖魔は叩き折ることが出来る。
あの刀の力に何百年、苦汁を舐めてきたことか。
だが、ついに立ち塞がってきたときには、なんと死に掛けの病人の手にある。
ここであの刀を折れば、霊力を持って自分を抑えるものは皆無となる。
例え自らの弱点、唯一つの天敵である霊刀といえど、彼を恐れさせるだけで勝てないというわけではない。
今、この相手なら妖怪の方が勝つ要素が多いだろう。
恐れ続けた天敵の堕ちた現状は歓迎こそすれ、憂うべき要素ではない。ようやっと妖魔の宿願が敵うのだ。
にやっと笑った。
邪悪な笑みだった。
人の中で最も邪悪なものですら浮かべられそうもない、ましてや自然の生き物なら絶対にしない、悪の愉悦に満ち満ちた笑み。
様子を窺う。
相手は『新太郎』を抜刀して、振り下ろすことすらままならないかもしれない病人だ。
まして、例え完全な健康体であったとしても今生に妖怪を倒す力のある侍などはいやしない。人間などは妖魔にとってひ弱で太った家畜にすぎない。
彼の殺戮にも酷似した勝利は決まりきっている。
お荷物になりそうな生け贄を投げ捨てる。夜浮子はごつごつとした肩から無造作極まりなく濡れた地面に落とされ、猿のバケモノのような妖魔は距離をとった。
ふらふらの剣士の右手は柄にかかっていたが、巨猿の目には少しでも力が篭っているようにさえ見えなかった。
あのような半死人に抜けるはずもない。
朗を病人と見抜き、侮っていた。
崇は巨猿がバケモノのくせに知性を感じさせる行動をしていると捉えた。
いや、ズル賢さか。
わずかにバイクによりかかった朗に、本当に刀が抜けるのかわからない。
だが、崇は知っていた。
朗がこの日、このときのために費やしてきた時間を。
「抜刀室賀流、鼓朗。推して参る」
朗の口がそう告げるのをはっきり、二人と一匹は聞いた。
今の朗は、かすれるような小さな声でしか喋れない。喋れたとしても、マ行、パ行などの破裂音は空気が抜けてしまい、言語障害に近い状態になっていた。だから、本当ならばこれほど意味がはっきりした言葉は発せられないはずだった。
だが、その一言だけはやけにはっきりと聞こえた。
夜浮子は、それを朗の最後の挨拶だと思った。
だからこそ、あんなにもはっきりとしていたのだ。
戦いの興奮が、虫けらを嬲る快感が、巨大な猿の妖物の我を忘れさせた。
尖りきった爪を揃えて立てる。
触れただけで柔な肌なら血が吹きだしそうな凶悪な武装だった。
ゆっくりと、腰を屈めた。
一足飛びに首を刈るつもりだった。
嬲るのも面白いが、一瞬にしてかつての苛立ちを解消するのも気持ちいいかもしれないと思ったからだ。
そして、剣士めがけて飛びかかった。
◇◆◇
「今度はなんだい」
主治医が理学療法士たちと部屋の中を覗き込む。
師長が、お行儀が悪いですよ、と注意して去った。
「いや、お見舞いに来た本城くんが持ってきたビデオを見ているんですよ」
「中身は何だ?」
「えっと、何かのビデオです。崇君が持ってきたものらしいですけど、なんでしょうね。二時間ぐらいずっと見ているんですよ」
病室内では、ベッドに横になった朗が、脇にあるイスに座った崇とビデオを見ていた。
画面の中では、さほど広くない人工の庭をきままに歩き回るジャイアント・ゴリラの姿が映っていた。ホームビデオらしく、あまり構図や画質などはよくないが、一匹を集中的に効果的に撮影していた。
「どうですか?」
崇が画面から目を離さずに訊く。
「想像の余地があるね」
もうまともな言葉は聞き取れない。
七月に入って、明朗どころか、ちょっとしたセンテンスですら喋るのは困難になってきていた。
意思疎通は、ボードに書いた言葉を指差すことで行われていた。
だが、崇はまったく嫌な顔一つ見せず、朗に付き添っていた。
二人は、立花の老婆と夜浮子の訴えを信じ、その呪縛から二人を救うことを決めていたのだ。
それは兄妹の母――智子の魂さえも救うことになる。
二人は桃野町に呪いを続ける『山ノ神』という妖魔の存在を確信し、崇は『新太郎』という霊刀についての朗の推理の裏づけを集め終わっていた。そして、二人は『山ノ神』を倒すために作戦を練ることに没頭した。
実行は朗、そのために『新太郎』を神社から持ち出すためのが崇の役割だった。
霊刀が本来、物語中の武士のためのものなら、剣が振るえず戦えないものでは役にたたない。
問題は、『山ノ神』の襲撃まで朗が動く事が出来るかというものだったが、徐々に動かなくなる身体を計算に入れて、朗は少しでも維持する努力を重ねた。
無理な試験薬の投与も受けた。
延命は考えない。このときすでに鼓朗は病気の患者ではなく、『鼓朗という機械』をいかに保全するか技術者と化していた。
技術者となった朗がもっとも努力したのは、刀を引くために動かす右手の可動だった。
最初のうちは、ほとんどの技ができたが、試行錯誤の結果、最終的には一つの技をこなすための筋肉の維持に全ての力を注いだ。
立てることが出来なくなっても、イメージトレーニングと上半身のリバビリを続けた。
この動物園で録画したゴリラのビデオも、『山ノ神』が巨大な猿という言い伝えを信じて、対策の一つとして用意してもらったものだった。
巨大な類人猿の様子を観察することで、人間相手の抜刀室賀流の技を対『山ノ神』用に修正をするために。
他にも、動けない朗の移動用のサイドカーの整備、病院脱走のためのルート確保、手記の分析で細かい内容の確認、様々な対策を立てた。
いざというとき、朗に代わって崇が動くことも考えた。
考えうる限り、すべての不足な事態に熱い情熱を持って備えた。
そうして、何ヶ月もかけて、二人は戦うための準備を推し進め……
◇◆◇
夜浮子はあまりの辛さに眼前の光景から目をそらした。
自分の生死そのものよりも、助けに来てくれたらしい朗のやつれ方に愕然とし、生の輝きが枯れ切っている憧れの人の存在を拒絶したくなっていた。
だから、目をそむけた。
だが、その夜浮子に対し兄の叱咤が届いた。
「夜浮子、朗さんを見ろ」
兄は必死の形相で何かに耐えていた。
「鼓朗は、俺とおまえだけの英雄だ。あの人を―――信じろ」
彼女は振り絞れるすべての渾身の力をこめて、弾かれたように面をあげた。
バケモノがその巨体には似合わぬ俊敏さを示して前に跳んだ。
夜浮子には見えない姿と動きは、スピード、敏捷性ともに野獣のものだ。獣の唸りをあげ、爪を立てて朗にむしゃぶりつくように襲いかかったのだ。
朗はわずかに腰を落とした。
居合い術とは腕力で刀を抜くのにあらず、腰の動きで抜くものである。
特に抜刀室賀流においては、抜刀とは決して普通の生活では使わない筋肉を伸ばして行うもので、斬撃とは刃で触れて撫でるものだ。
入院してからここまで半年間、徐々に動かなく筋肉と身体を計算に入れた上で、ただ一閃の剣の動きのために費やしてきた。
不謹慎かもしれなかったが、この数ヶ月、朗は楽しかった。
ただ動かぬ身体を抱えて死に向かうだけの人生で終わるだけだったはずなのに、身に染み付いた技を持って、愛すべき少女を守ることが出来る。目標のある人生。意義のある人生。甲斐のある人生。それを送ることが出来たのだ。
決して無駄なものではなく、積み重ねたものを誇らしく思える時間だった。
―――生涯ただ一度の抜刀のため。
流祖である室賀新左の、女童の死ぬの嫌がり、戦いを終わらすために死をかけて戦った男の故事に倣い。
偃武のため、
悲しみを終わらすため、
女の子を救うため、
光が走り。
剣の風が凪ぐとき。
引いて斬るのが日本刀、そして『新太郎』正宗という名匠が造った抗魔の利剣は、猿の首筋に触れた。
朗がこめたのは力ではなく、ただの願い。
死する力を生あるもののために活かしたいという去り行く者の心。
物言わぬ、魂宿らぬ、ただの無機物に意思が顕現したものか。
直径でいえば四十センチにもなる分厚い筋肉に守られた『山ノ神』の首が…………………………落ちた。
あっけなく、もう一つの月のように。
宙に舞った。
『抜刀室賀流剣術―――首落』
十数年前の彼が、最初に学んだ抜刀室賀流の基本の第一の業がこれだった。
そして、これこそが剣士の最期に相応しい技だったのだろう。
『山ノ神』を僭称する巨猿妖魔の人外の理に守られた生命もついに終焉を迎えた。
断たれた首の落ちる音が短く鳴った。
後を追うかのように朗がゆるやかに身体を前方に折り曲げていく。
崇が目に大玉の涙をためながら、朗に寄って行った。
兄に遅れて、のろのろと夜浮子もその傍に近づく。
闇の何処からか光が一条だけさしこんでいた。
すべてはここで終わったのである。
エピローグ
先祖伝来の町の住人のものとは異なり、ただ一人のために建立された墓はこじんまりとしたものだった。
数年ぶりに再会した先輩の墓の前で、青年は無言のままだった。
墓の主との直接の面識はまったくない連れの女も、素直に黙祷していた。
夜浮子は傍らの二人を気にすることなく、朗の墓と向かい合っていた。
あれから二年の月日が過ぎた。
兄の崇は、東京の大学へと進学した。
ほとんど通うことができず、卒業することさえもなかった朗の所属していた国立の大学だった。
一人暮らしは面倒くさいとか、山梨と違って肉や魚が妙にうまいとか、かなり頻繁にメールを送りつけてくるのはうっとうしかったが、一人でも家族が欠けるというのはとても寂しい気分になるのでまめにレスを返すことで紛らわしている。
ただし、月に数度は帰ってくるので、寂しすぎるというほどではない。
バイクをフルスロットルで飛ばすことができないというのが意外とストレスらしく、早く桃野町に帰りたいとよくこぼしている。
もっとも彼女自身、来年に迫った大学受験の支度に忙しいので兄のことばかり気にしている余裕はない。
自室で一人、黙々と受験勉強をしていると、朗とのことをよく思い出す。
優しかった家庭教師のことを。
勇気ある剣士のことを。
あの後、彼女と崇は、病院を抜け出した朗を探しに駆り出されていた町の青年団と、父親に発見された。
そして冷たくなりつつある青年の亡骸と、信じられないほどに巨大で気味の悪い猿の死骸に、誰しもが驚いた。
慌てて呼び出された住職と宮司、そして町の顔役との相談の結果、山ノ神の死骸のうち胴体は古い社の裏に埋められ、頭の方は竜善寺に塚を建立し本城家が永代供養することになった。
「……東京での先生は、どんな人でした?」
「優しい、いい兄貴分でしたね」
「朗さんは、変わらなかったんですね、病気になっても」
「そういう人でした」
青年が焦点のずれた視線を、何もない一点に向けた。自分と同じように、遠い記憶を遡って見ているのだろうと夜浮子は感じる。
「……こっちの山から直接切り出したような岩はなんですか?」
「……『山ノ神』様の首塚です」
それは、朗に首を落とされた『山ノ神』の首を、竜善寺の住職が供養したものだ。
町の者達は、あの巨猿の妖魔のことを昔話から熟知しており、すぐに焼き捨てるべきだと主張したのだが、住職は生前の朗とその扱いについて話し合っており、その亡骸を丁重に葬る方針に決めていたらしい。
例え、人を食らう妖魔といえど、旧きを経たものなのだ。死を嘆いてやるべきなのだ、と皆を説得した。
町の名士の言葉と、それこそが正しく町の最も新しい恩人の願いだとわかり、人々は納得し矛を収めた。
あまりに刺激的な事実が与える影響を慮り、町内には緘口令が敷かれた。
だから、町と関係ない住人にはこの事件のことはほとんど知られていない。
もっともいつか誰かが嗅ぎつけて変な噂を広めるかもしれないが、それはそのときに考えればいいだけのことだった。
だから、この町の外から来た二人組は、『山ノ神』と剣士の壮絶な戦いをまったく知らない。
仲良く寄り添うかのごとき二つの墓石が、実は命を懸けた死闘を演じた勇者と怪物のものだということも。
それはそれでいいかもしれない。
鼓朗は、ひっそりと死ぬことだけを望んでいたもの静かな男だったのだから。
死後にいろいろと騒がれることは好まないはずだ。
その意に反して、何百年もの間、町を狂わせていたバケモノを退治して亡くなった青年は、町の隠れた英雄となってしまっていたが。
青年をよく知る兄妹はそのことをあまり快くは思えなかったが、彼らの家庭教師がどのような形であれ皆の記憶に残るということだけは嬉しく思った。
事情を聞いた町の人が、彼の墓の建立を提案し、実行してくれたことも純粋に嬉しかった。
もう親類縁者もいないと言っていた彼のお墓に、こうして知人が尋ねてきてくれて、線香をあげ花を供えてくれたことも嬉しかった。
今、彼女は、ただ生きているということが素晴らしく大切な喜ばしいことだと信じていた。
そして、その大切なことを教えてくれた人は、死に向かう際にも諦めずに粘り強く抗い続け、結果として夜浮子の命を救ってくれたのだ。
夜浮子は手を合わせる。
彼女はお参りのたびに色々なことを鼓朗に報告している。
兄の台詞を思い出した。
(鼓先生、あなたは私達兄妹にとっての本当の英雄でした)
一日一日低下していく身体機能、衰弱し奮い立つこともできなくなる心を抱え、勝算もなく無駄になるかもしれないのに戦うことを決して諦めなかった剣士。
人前では泣きもせず、誰かにすがりもしない。
贖罪を気取り諦めきった自分とは違う道を活きた人。
(…私もいつか、あなたみたいな人になりたい)
夜浮子は空を見上げた。
今年の夏は二年前よりも暑かったが、夏祭りはもうすぐまたやってくる。
あの素晴らしい日々のように。