2月15日の妖精譚
さて、事実確認をしよう。
「おめでとーございまーす!」
もらったチョコを開封したら、チョコの妖精を名乗る未確認生物が出てきた。
……………………
……………
……
「なんじゃこりゃあぁぁぁぁっ!?」
「だから、チョコの精だってば。お菓子の妖精って言った方が正しいけど、二月は仕事先がチョコばっかりになっちゃうしね」
目の前を浮遊する怪生物が、そうのたまう。
それの大きさはオレの手の平とほぼ、身長は二〇センチくらい? 虹でできたような不思議な光沢のミニ丈のワンピースを着て、光の粒子でできたような『羽のようなもの』をかすかに揺らめかして飛んでいる、お人形さんサイズの物体だった。ほら、ピーターパンに出てくる、あの妖精みたいな。顔の作りは十代半ばってくらいか? オレよりも若干年下の女の子に見える。
そんな物体が目の前にいる状況に、思わず親指と中指でこめかみを押さえて、視界を手のひらで閉じる。
「……やれやれ、オレは疲れてるんだな……幻覚を見るほどなのか」
「現実逃避は止めなよ」
「じゃあオレはいつの間にか寝てしまっているんだな。これは悪夢だ」
「だから、現実を見つめようよ」
「アブないおクスリはやったことないしなぁ」
「だから、正気なんだってば」
「……飲んだ記憶は無いが、酒だな。やっぱり未成年が酒を飲んではいかんな」
「まだ逃げるか」
オレのひとりごとに反応している……
認めなくちゃいけないのか、この不思議生命体の存在を……認めるとオレのアイデンティティーが崩壊しそうな気がするけど……
だけど視界を塞いでいた手を外すと。
「とゆーことで、おめでとう! イエーイ! キミの人生で一度あるかないかの出来事だよ!」
自称『チョコの精』が相変わらず浮かんで、しかも話しかけてくる。
「それでキミの名前は?」
嬉れしそうに話しかけてくるこんな未知の生命体に名乗るのは、ものすごーく抵抗があるのだが……
しかし話さないと、この幻覚(?)も終わってくれそうにない。
「……哲也だ。お前は?」
「ないよ。だから名前つけてよ」
名前がないぃ……? しかもオレが名付けろと?
そう言われてもネーミングセンスなんて自信はないけど……
「じゃあ……チョコ」
「安直過ぎ」
「じゃあ……ひとひねりしてカカオ」
「それも安直だってば」
不思議生命体のクセして注文が多いな……
「じゃあ……もうひとひねりして、オカカ」
「スイマセン。カカオでいいです……」
よし、固有名詞決定。
ようやく訊きたいことを聞ける。
「で、カカオ。お前は何者だ?」
「お菓子の妖精って言ったじゃない」
「だから、それって何だ? 菓子には全部妖精がいるとか恐ろしい事を言うんじゃないだろうな?」
「いるよ?」
この謎生物はとんでもない事をアッサリとのたまってくださるのだが……
……もう菓子が食えない。ポテチとか開封したら、こんなのが出てくるかと思うと……
「だけど、食べる人の事を考えて作った手作りのお菓子じゃないと、お菓子の妖精は宿らないよ」
「それを聞いて安心した……」
工場で作られた大量生産品をあけて、謎生物が大量出現という事態はないらしい。
だけど、カカオは実際に目の前にいるわけで……
って、さっきからオレは、この変な生物と普通に会話してないか?
身長二〇センチあまり、光って浮かんでる、どんな辞典を探しても載っていないだろう、超生命体との会話を普通にしているぞ?
……うん。もうどうでもいいや。
「それでカカオ? お前は手作りの菓子に宿る妖精だ、と。だから手作りのチョコから出てきたのは百歩譲っていいとして、なんでオレの前に現れたんだ?」
「キミと、そのチョコの作った人を結ぶために!」
「…………」
ちょっと待て。
コイツ、とんでもない事を言ってないか?
菓子の妖精は手作りの菓子に宿る。
その妖精は、オレと、菓子を作ったヤツとを結びつけるために出現した?
思わず開けてしまったチョコを見てしまう。
特に飾り気もなく、ハート型に作られてるわけでもなく、ホワイトチョコでなんか文字が書かれてるってわけでもない、店で売られていても変哲のなさそうな……トリュフチョコっていうんだっけ? なんかずんぐりしたヤツ。
「……カカオ。ひとつ言っておく」
「ん?」
うわー、純真無垢な子供が小首を傾げるみたいなこの顔に、事実が言うのはすごく気が引けるんだが……
でも、これは言わないと。
だから必要以上に重々しい口調になってしまう。
「お前が来るべきところは、ここじゃない」
「へ?」
「このチョコは、オレが正式に貰ったものじゃない。おこぼれで貰ったものだ」
「………………………………………………ええぇぇぇぇっっ!?」
△▼△▼△▼△▼
本日、二月一四日の放課後。
バレンタインデーでどことなく校内が浮かれて、最近は友チョコとか言って女子同士で交換したりして、それを男どもが期待するような目で見ているような、そんな一日の終わり。
そういう催しに関係なく、委員会の都合で普段より下校が遅れたオレは、帰るために靴をはきかえようと昇降口に行ったら、アズサがいた。
一応クラスメイト。男も女も関係なく友人が多く、俺もなんやかんやで一緒にバカやって親しくしている、女を感じなくて済む明るくて突き抜けたヤツなんだが……
なぜかアズサは物陰から、様子を窺うように覗き見ていた。なんかアズサらしくない、可愛らしい感じの包装を胸に抱いて。
アズサがなにを見ているのだろうと思って視線の先をたどると、二人の生徒がいた。どちらも俺の……というか、アズサとも共通の知り合いだった。
一人は男子。その名を正人。
絵に描いたような優等生。勉強も学年トップクラス、運動もできてコイツの辞書には不可能はないんじゃないかと思える。
そして顔もイイ男。当然モテる。バレンタインの今日は、正人のスクールバッグが膨らんでいる。
言葉を並べればどんな完璧超人だと思うが、そう感じさせない気さくさが正人にあるのが……余計に完璧超人化してんな? 改めて考えてみたら、ヤツは人間か? 宇宙人か超能力者の方がしっくり来るような気がするんだが?
もう一人は女子。その名を由紀子。
この辺りでは古くからある割と有名な『地元の名士』って家の生まれで、性格は温厚で気さく、そして見た目も黒髪長髪美人と、絵に描いたような和風お嬢様。絵に描いたようなヤマトナデシコ。
正人も由紀子も今の学校に入学する前から、いや物心ついた時には知りあっていたという、家族同然の幼なじみなんだとか。
とはいえ、美男美女。一緒にいることも多いし、しかも二人が親しげに並んでいれば、普通は友人関係だなんて思わない。そしてそんな空気もない。あの二人の間はもう夫婦同然。『アレ持ってきてくれ』と言っただけで望みの物がわかるような、熟年夫婦的な。
も、付き合っちゃえばいいんじゃね? とオレは思うのだが、二人ともどうもそういう雰囲気はないらしい。近過ぎて逆にそれ以上の関係にはならないのか?
そんな二人にしては珍しく、今は真剣な顔でなにやら話し合っている。
そして、だ。
二人の様子をアズサが物陰からじっと見ている。しかもチョコと思われる(というかそれしか思えない)包みも持ってだ。
しかも時折包みを見てため息なんかついたりして。
やはりそういうことなのかと、オレでも思ってしまう。
「よ。アズサ」
「!?」
オレが背中に呼びかけたら、アズサが猫みたいにビクッと肩を震わせて振り返った。
「哲也……! なんでここにいるのよ……!」
「失礼なヤツだな」
帰る途中だったのだから、オレも昇降口に来るに決まってるだろうに。
「で、こんなところでなにコソコソしてるんだ?」
推測はできるが、一応胸に抱えたチョコの包みに目を落として、アズサに訊いてみた。
すると。
「……なんでもない」
返ってきたのは、ふて腐れたようなお返事でした。視線はキョトキョトとあちこち彷徨って落ち着きない、子供みたいな反応でした。
「正人にチョコ渡したいんじゃないのか?」
今日はバレンタインデー。チョコレートを渡してそうとして、だけど正人の側には由紀子がいるから近づけないのだろうとしか思えない。
だから、気軽な気持ちでオレは続けて言えた。
「そりゃ、あの二人の空気には近づきづらいのもわかるけどな、今更だろう?」
そして空気を割って入っても気にする二人ではない。少なくともアズサ相手なら無碍な対応をしないと断言できる。
だってそういう二人だ。親密な空気を放っていても、付き合っているわけでもなく、『そういう関係』と納得するしかない。
オレはそう思っている。
「うん……まぁ、そうなんだけどさ……」
しかしアズサはそうでもないらしい。チラチラと向こうの二人と、オレの顔を見比べて、なぜか気まずそうな顔でハッキリしない返事をする。
アズサはそういう反応はまずしない。竹を割ったような性格をしているから、日頃ハッキリものを言うタイプなのに。
それはなぜか? と考えると――
「正人に本命チョコを渡す気か?」
「え!? 違う違う!?」
慌てて拒否られた。てっきり渡そうかどうしようか、アズサらしくない複雑な乙女心(これ言ったら蹴られるから口には出さないが)で悩んでいるのかと思いきや。
となると。
「由紀子に渡そうと悩んでる?」
「いや、なんで悩む必要があるのよ? とゆーか友チョコは今朝渡したし」
うん、やっぱり最近は女同士で交換する方が流行らしい。
それはさておき。となると、アズサがここでコソコソしている理由がハッキリしない。
「哲也……」
そんなことをオレが考えていると、アズサが何故か上目遣いに話しかけて来た。
「アンタさ、誰かからチョコ貰ったの?」
「任せろっ」
思わず強い調子でガッツポーズ。
「ゼロだ!」
「なんで意気込んでるの?」
それを訊かれても、オレも理解していない。特に理由も根拠もなく、勢いでやってみただけだから。
そりゃオレだって『チョコ欲しいか?』と訊かれたら『欲しい』って答えるさ?
でも現実問題もらえるとも思えないよ?
バレンタインが近づくと急に親切になる男が増えるけど、逆にそんなあざとい事したら引かれるだろなーと思ってしないし。仲良くしているアズサかあるいは由紀子がくれるかなー? なんて淡い期待を持ってなかったかというとウソだけど、でもアズサもそういう事はしないタイプ。女同士では平気でやるけど。そして由紀子は家が古いせいなのか、それとも誰かに男に渡すと混乱が起こると理解してるのか、この手のイベントには一切ノータッチ。一番仲のいい男であろう正人にも渡しているところを見たことがない。いや、オレが見てないだけで、後でコッソリという可能性もあるのだが。
なんて脳内言い訳をしていたら、アズサが哀れむような目を向けてきて。
「……これ、あげる」
「は?」
なぜか不機嫌そうにぶっきらぼうに、胸に抱いていた包みをオレに差し出してきた。
「これ、正人に渡すんだろ?」
「だから、違うってば」
「いや、違うって言われても」
二人の様子を覗き見している場面を見れば、誰でもそう思うだろ。
だから突っ返そうとしたが。
「それじゃ!」
アズサはチョコをオレに押し付けて、走り去ってしまった。
「…………」
その場に取り残されるオレ。
そして手渡された包みを見る。
ガサツなところが目立つアズサにしては、きれいなトッピングがされた箱で、義理にしては、包装は手が込んでいるような? 本命かどうかはなんとも言えないけれど……
ともかく、関係ないオレがもらったらマズイだろ?
ってことで振り返ったら、遠くで話していた相談(?)は終わったらしい。由紀子が挨拶をして歩き去り、それを正人が軽く手を振って見送る図があった。
だからオレも近づいて、声をかける。
「正人」
そして、手にした包みを差し出したのだが。
正人はなぜか怪訝そうにオレの手を見て、そして半眼になって顔を見てくる。二枚目はいいよなー? そんな顔も絵になって。
「……哲也? 最近じゃ男同士でも友チョコって渡すのか?」
とりあえず、言葉が足りてなかったらしい。
「違う。アズサからだ」
「アズサ?」
「正人がさっき、由紀子と話てただろ? それをアズサが気まずそうに覗き見してたから、オレが声かけたらコレ押し付けて逃げやがった」
「…………アズサが僕にチョコ?」
正人が更に怪訝そうに、オレが差し出したままの包みを見てきた。
「本当にアズサ、『僕に』って言ってたの?」
「いや、正直よくわからん。そう訊いたら否定してたけど、あの状況見たら他に考えられないし」
「…………」
正人がオレの顔をじっと見て、そしてため息を吐いた。『ヤレヤレ』って感じで。そしてそんな様も絵になる色男。
「その態度と事実がなんかムカツク」
「まぁ、哲也だし……それに今回は分からなくても仕方ないと思うし」
正人は『アズサもアズサだよね……』なんて一人でなにやら納得していらっしゃるのだが、オレにはさっぱり理解できない。
「それは哲也が食べないと」
「……は?」
「じゃね」
それだけ言い残して、正人は片手を上げて帰って行った。
当然、チョコの包みを所在無さげに持ったオレが取り残されることになる。
△▼△▼△▼△▼
「―――そんなこんなで手に入り、そして開けたら妖精の出現と相成ったわけだ」
「…………」
謎生命体は呆然とテーブルに座り込んで、『ガーン』って擬態語を背負った背中を見せている。
……いや、言わなければいけないことを伝えただけなんだが。
それでもなんだか哀れだな……
「ということで、明日にでも正人にチョコを渡す」
正人はチョコ大量にもらったから、その処理のためにオレに渡したのかとも考えたが。
手作りの菓子に宿るっていう妖精が出てきた事実から見ても、オレが食べてはいけないと思う。それくらいのデリカシーは持っている。
「だからカカオは、正人とアズサをくっつけてやれ」
だからオレは、どちらかというと親切のつもりで、ションボリしている小型生命体に説明したのだが。
「…………違う」
「は?」
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違ぁぁぁぁぁぁうっっ!」
カカオが振り向いて絶叫。つーかうるさい。
「アタシたちは誰にでも見えるってわけじゃないんだからね! 誰かのために作ったお菓子に宿る妖精なんだから! アタシが見えるのはお菓子を作った人と、お菓子を渡したい相手だけなんだからね!」
「……じゃあ、オレとアズサにしかお前は見えないってことなのか?」
「そのアズサって人の事を知らないけど、多分そう」
「なんで知らない?」
「あははー……気づいたら包装されてたから、誰がこのチョコ作ったのか知らないんだよねー……」
飛行小型人間はそう言って、ごまかし笑いを浮かべるのだが。
そもそも妖精が菓子に入り込むプロセスってどうなってるんだ? 料理の皿に入り込んだ羽虫みたいな感じで紛れ込むとか? いや、小さいって言っても二〇センチくらいはあるし、こんなナマモノが紛れ込んでわからないワケないだろうと思うし、そもそも箱に入らない。
そこは超ファンタジー理論ということで納得しよう。うん。なんかこの未知の生命体との会話にも違和感なくなった自分が少々怖いんだが。
「って事で! キミとアズサちゃんを結ぶんだよ!」
「ちょっと待て」
意気込むカカオを抑えて、少し考える。
① アズサがオレにチョコを渡した。
② そのチョコに妖精が入ってた。
③ その妖精は送り主を渡した相手の恋仲を結ぶのが役目。
結論 アズサはオレのことが好き?
「……間違いだろ?」
アズサがオレにぃ? いやいや、信じられない。
ホント『友達』って感じだからなぁ……いい意味で男っぽくて、あんまし女子だという意識がなくて付き合える仲だけど、そんな雰囲気はない。
そもそも本当にそんな感情があったら、渡された時のあの反応は違くないか? なんで正人の方を覗き見してたのかって話になるぞ?
うん。違うと断言できる。
「やっぱり誤送だ誤送。本来の送り先のところに明日渡す」
「違うってばー!」
チョコの箱にフタをして、できるだけ元のように包装し直すが、妖精は再封入不可能らしい。オレの手を止めようと、必死にしがみついて来る。
それに構わず包装し直したチョコをカバンの中に放り込んで。
「もー! 話まだ終わってないってばー!」
カカオの声を無視して、オレはベッドに潜り込んだ。
△▼△▼△▼△▼
翌朝、二月一五日。
登校中のオレの鞄の中には、昨日のチョコが入っている。開封してしまったが、中身には手をつけていない。
これはやはり、アズサが正人に渡すために作ったチョコだと考えている。だからカカオがオレの前に現れたのも間違いだと。
だからこのチョコは正人に渡すべきものだ。
「やっぱり違うよー」
で、謎生物も何故かついてきて、オレの頭の上に座り込んで、昨夜の話をまだブツクサ続けてる。
見える人間はこの世で二人らしいし、まだいいようなものの……こんな状態を人に見られたら、どう言い訳すればいいんだか。
「あのな、カカオ? 絶対にオレじゃないって」
「テツヤこそ間違いだってば。そのマサトって人に渡すチョコだったら、アタシ達の存在が否定されるよ?」
「なんかの手違いじゃないのか?」
「そんなことない!」
なにを根拠に断言するのやら。
そんなことを頭の上と、あまり大声にならないよう(だって他人から見たら、見えない誰かと会話してるアブない人だし)に話していると。
「あ、哲也さん」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、由紀子がいた。
「おはよ、由紀子」
「おはよう……ございます?」
なぜ疑問形?
「…………?」
そしてなぜ目をこする? 眠いからとか、そんな表情ではない。
おしとやかに落ち着いていつも微笑を浮かべている由紀子らしからぬ表情を行動はなぜ?
「どうかしたのか?」
「いえ……?」
そう言いながらも由紀子、なんとも言えない変な表情を作っている。
そして視線は、オレの顔と……オレの頭の上を行き交いしているような……?
「……なにか変なものが見えるのか?」
まさかと思い、そう問いかけると。
「え!? いいえ!?」
由紀子はパタパタと慌てて手を振って否定する。その仕草もやっぱり由紀子らしくない。
そうとしか考えられないような……?
でも、そう考えるとおかしいような……?
「なぁ、由紀子。昨日、誰かにチョコ渡したのか?」
だから確認のために、訊くことにしよう。
「チョコレート、ですか?」
「アズサとは交換したらしいけど、そろそろ渡せる男でもできたのかなーと思って」
「あ、あはは……そういう事は、私はちょっと……」
「まぁ、由紀子はそういう性格でもないか。それとも最近の流行じゃないのか? チョコを渡して告白なんてのは」
「どうなんでしょう……? まぁ、私にはちょっと……」
ぎこちなーく笑う由紀子さん。内気というかなんというか、その手の話題はあまりしたがらないから、そういう笑みを浮かべるのもわからなくないのだが。
「それで哲也さんは、チョコをどなたかから……」
そう言いながら視線がオレの頭上に行っているような……?
「その……やっぱりいいです! 今日日直ですから、先に行きますね!」
「あ」
由紀子が小走りになって、先に行った。スカートの裾を押さえながら。
オレから逃げてませんか?
それとも逃げた理由が別にある……?
その確認のために、頭上に小声で話しかける。
「カカオ……由紀子はお前を見てなかったか?」
「アタシの気のせいじゃないよね……?」
あれー?
① 昨日、アズサがオレにチョコを渡した。
② 開封したらカカオ出現。
③ その妖精は送り主を渡した相手の恋仲を結ぶのが役目。
④ 妖精の姿が見えるのは、作り手と送り主のみ。
⑤ 由紀子にはカカオが見えているっぽい。
変じゃないか?
「……どういうこと?」
「さぁ?」
一人と一匹で首を傾げる。妖精の数え方は匹で合ってるのか知らないが。
「……念のため確認しておくか」
前に正人の背中が見えたから、丁度いい。
「オス」
「やぁ、哲也、おはよう」
朝から笑顔で振り返る正人。小憎たらしいほど爽やかだな。白い歯が輝いているよ。
違う。今はそういうのはどうでもよくて。カバンの中から昨日アズサから渡されたチョコを取り出して見せる。
「正人。これ、昨日のアズサのチョコなんだけどな……」
「食べた? どうだった?」
「いや、実はまだなんだが……」
オレが答えると、正人はわざわざ足を止めて、重々しくため息をついた。
「哲也って結構モテるのに、ニブいよね」
「ニブいかどうかはさておいて、どこがモテる?」
昨日チョコもらってない……アズサのあれは違うよな? なんだか微妙な雲行きになってきたし。
オレとしては純粋な疑問だったのだけど、正人はそうは捉えなかったらしい。呆れ気味に言ってくれたのだが。
「昨日チョコ、二つはもらったでしょ?」
「…………は?」
サッパリ意味わからん。
二つって? どういうこと?
どう反応していいかわからなかったので、とりあえず。
「ちょっと!? 何するのよ!」
頭の上に座っていたカカオを掴み、正人の目の前に突き出してみた。ジタバタともがくが、力は当然オレの方が強いから逃れられない。
そして正人は突き出されたオレの手を怪訝そうに見ている。
「……この手、なに?」
「見えるか?」
「? 哲也の手が見えるけど?」
「それだけか?」
「……他になにがあるの?」
「いや……ならいい」
手を引っ込めて、カカオを解放。
「何すんのよー!」
カカオがオレの頭の高さで飛んで、小さなこぶしを叩きつけてくるが、全然痛くないので無視して考える。
正人にはこの謎生命体の姿は見えてない……?
じゃあ、本当にあのチョコはアズサがオレに?
いや、そう考えると由紀子がカカオの姿を見えていた理由はないよな?
それに正人、オレがチョコ二つもらったとか、なんか妙に確信めいたこと言ってるけど。
……どういうこと?
なんて事を考えていたら教室。
目につくのは既に自分の席に着いていたアズサの姿。
「おはよ」
オレの視線に気付いたのか、正人とオレに振り返って笑顔を浮かべて挨拶してくる。
「おはよう、アズサ」
「…………はよ」
正直、複雑な気持ち。
アズサの表情に、何の曇りもないように見える。正人に言わせればオレはニブいらしいから、あまりアテにならない目だろうけど。
「…………ん?」
「わ!?」
頭の上のカカオを掴んでみる。
コイツ、確かオレとアズサにしか見えないはずじゃ……?
カカオを掴んだ手をアズサの目の前に突き出す。
「…………?」
アズサはキョトンとしている。
「見えるか?」
「何が?」
「日常生活を送る上で、見えてはいけないもの」
「…………は?」
……アズサが可哀想な人を見る目でオレの事を見てくる。
だけど、カカオが見えてないのは間違いない。
「いや、なんでもない」
それだけ言い残して、オレは自分の席に就く。
「おい……どういうことなんだ?」
他のクラスメイトに怪しまれないよう、掴んだままのカカオに、小さく声をかける。
「あの人が、アズサって人?」
「そうだけど、お前の姿、見えてないみたいだぞ……?」
「……そういう意味じゃ、昨日テツヤが言ってたのは本当だったってことだけど……」
「でも、オレの想像とも違う様子だぞ?」
整理してみよう。
① 昨日、アズサがオレにチョコを渡した。
② 開封したらカカオ出現。
③ その妖精は送り主を渡した相手の恋仲を結ぶのが役目。
④ 妖精の姿が見えるのは、作り手と送り主のみ。
⑤ 由紀子にはカカオが見えてるっぽい。
⑥ 正人にはカカオが見えていないっぽい。
⑦ アズサにはカカオが見えていないっぽい。
「……意味わからん」
△▼△▼△▼△▼
取り立てて何事もなく今日も授業は終了したが。
いつもと違ったのは……
「退屈だったよー……」
頭の上の謎生物の存在だ。
他に誰にも見えないとは言っても、あのチョコの作り主がアズサじゃなかった今、下手にカカオをうろつかせると騒ぎになる可能性があるから、ずっとオレの目の届く範囲にいさせたのだ。
いや、順当に考えれば、だ。
カカオが入っていたチョコを作った該当者は、一人しかいないんだ。
いないんだが……すると『なぜアズサ経由でオレの手元に?』ってところに問題が発生するわけだ。
それを聞こうにも、なんだか由紀子の様子が変だったから、訊くのが憚られたしな……
休憩時間だけでなく、授業の合間でも、チラチラとオレの方を見ていたし。それも恋愛的な要素なくて、奇異な物を見る目で。そこはオレの勘違いではなくて間違いない。誰が見てもあの目はそう思うだろう。正人やアズサも不審がっていたし。
「どうしたもんかな……」
「『どうしたもんかな』って、もう決まりでしょ?」
「決まりって」
「アタシはテツヤと、ユキコって人を結びつければいいんでしょ?」
「お気軽に言ってくれるな……?」
それはそれで別の疑問も出てくるわけで。
あの由紀子が、オレのことを好きぃ?
いやいやいや、それこそどうなんだという話になるぞ。
確かに仲はいいぞ? アズサとオレは馬鹿をやる仲、そして良識派の正人と由紀子が笑いながら、しかしやんわりと嗜めるって感じで、四人でいろいろやってる関係だから。
でも、そういう感情があるかっていうと……どうなんだ?
そんな悩みの不良消化で、他に誰もいなくなった教室で、昨日渡されたチョコの箱をいじりまわすしてると。
「なにブツクサひとりごと言ってるのよ」
「――っと」
突然かけられた言葉に、思わず箱を取り落とした。
声をかけてきたのはアズサだった。気が付いたらいなかったから、もう帰ったと思ってたんだが。
「なーにたそがれてるのよ……」
どうやら俺のひとりごとについては、スルーしてくれるらしい。アズサが近寄って、床に落ちた箱を拾って。
「……え? これ?」
一瞬固まった。
一瞬だ。注目してなかったらわからない程度の短時間だった。
だけどその理由までは推測できない。
顔を上げてオレの方を見た時には、いつものアズサの顔になっていたから。
「これ、昨日渡したチョコでしょ? まだ開けてなかったの?」
「いや、そもそもこれ、誰のだ?」
丁度いい。確認しておこう。
「アズサのかと思ったら、違うみたいだし。だから開けるに開けられなかったんだ」
本当は開けるだけは開けてしまったけど、そこはごまかして。
「あ、言ってなかったっけ……由紀子からだよ」
アズサのあっさりした返事に、内心頭を抱えたくなった。
やっぱりなのか……
だけどそんなオレの気持ちなんて知るはずないだろう、アズサは続ける。
「哲也、昨日委員会で遅くなってたでしょう? しかもタイミングが悪くて渡せなかったんだって。昨日中に渡したかったけど、無理っぽいからって、私が頼まれちゃって……」
「昨日正人と話してるのを見たんだけどな……というか、そもそも由紀子って、この手のイベントで男に渡さなかっただろ? なんで今年は?」
「……知らないよ、そんなの。気が変わったんじゃないの?」
アズサ、不機嫌に。なぜ?
いや、自分が言ってることは白々しいってのは自覚してるんだ。
だって由紀子にもらったチョコは手作りで、謎生命体が入ってて、どの程度かはともかくオレへの気持ちも込められてるって知ってて。
だけど妖精が出てきてそんなのオレが知ってるなんて、アズサが知ってるはずなんてなくて。
だから、なぜ不機嫌に?
「そう言えば哲也、昨日のチョコの戦果は?」
「それ一個だ。正人じゃないんだから、そんなバカスカもらえるわけないだろ」
「そ」
アズサが自分のカバンを漁ったと思いきや。
「っとぉ!?」
オレの顔になにか投げつけて来た。それも二つ。
かろうじて左右それぞれの手で受け取り、確認すると。
ひとつはさっき落としてアズサが拾った、由紀子のチョコ。もうひとつは別の、包装された箱だった。
「一日遅れたけど、私からもあげるよ」
「って事は、これもチョコか? というかアズサもこの手のイベントで渡すタイプじゃなかっただろ?」
「うるさいなぁ! 気が変わったの!」
それだけ言って、昨日と同じようにアズサは走り去ってしまった。
「…………」
その場に残されたのはオレとチョコ。昨日と同じ状況だ。
「……なんか、イヤな予感」
あ、訂正。
頭の上にチョコの妖精がいた。
△▼△▼△▼△▼
そして帰って開封したら。
「おめでとうございます」
またも不思議生命体が出現しました。
今度のは元気っぽいカカオとは違って大人しそうな感じの。妖精ってよりは喋る人形ってイメージの方がピッタリなの。
由紀子の作ったチョコからは、本人とは真逆と言っていいような性格のカカオが出てきて。
アズサが作ったチョコからは、本人とは真逆と言っていいような性格のが出てきた。
……本人の性格と妖精の性格は関係ないのか?
「私はお菓子の妖精。差し詰めチョコの妖精です。私の使命は貴方と、貴方の事を考えながらこのチョコレートを作った人を結ばせること―――」
「ちょええぇぇぇぇっっ!」
「へぶぉ――!?」
あ、見事にカカオの飛び蹴りが新参妖精に決まって吹っ飛んだ。
「アタシがテツヤはユキコと結ばせるの! アンタの出番はない!」
「な! なんですか貴女は!」
……妖精の仲って悪いんだろうか。
今回はお互いの役目がカブってるからなぁ……顧客を取り合う営業マンみたいなもんか? うん、到底仲良くやれるとは思えない。
「ユキコには悪いけど手を引いてもらうー!」
「テツヤ……様? あの方とアズサ様を結ぶのは私です!」
妖精同士の喧嘩は放っておいて、目の前に置かれた二つのチョコを見る。
性格がよく現れている、店に置いても遜色ないような、由紀子のチョコ。
慌てて作ったような、どこか無骨な感じがする、アズサのチョコ。
そしてどっちにも妖精入りってことは……手作りで、そして……
「はぁ……」
思わずため息が出た。
正人が言ってた『チョコは二つもらえる』ってのは、こういう事だったのか……
アイツは二人の気持ちを知ってたんだな……
だけどきっと、全部は知らなかったんだ。
ここから先はオレの想像だ。
正人はなんとなく察していても、由紀子とアズサはお互いの考えを知らなかったんじゃないか?
だから由紀子はオレにチョコを渡すのを、アズサに頼んだんじゃないかと思う。
それでアズサは由紀子の気持ちを知って、対抗するような形で今日になってチョコを渡してきた気がする。チョコの急造感からして。
そしてそんな事になってるなんて、いくら正人でも知らなかっただろう。
「どうする……?」
幸い、告白を受けたわけじゃない。メッセージカードも入っていない。
だから表向き、このチョコは義理として通る。
そして多分だけど、本人たちもどの程度の気持ちか、なんて理解してないと思う。
……でも、妖精入りと分かって二人の気持ちをオれが知ってしまった今、無視する事はできるはずない。
本気で返事を考えよう。ホワイトデーには結論を出そう。
その時は、お菓子の妖精が入れるくらいの気持ちを込めて、クッキーでも焼こう。作った事はないけれど、一ヶ月もあるのだからなんとかしよう。
それを渡して、オレの返事としよう。
「アンタの出番なんてない!」
「貴女こそ引っ込んでなさい!」
……それまで、このうるさい妖精たちのケンカが続きそうだけど。