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初めての宝物

 夜の暗闇が街を染める。その暗闇を人工の明かりが切り裂く。夜空に照らされるはずの星空のカーテンはかき消され、都会の街中からは星一つ見ることさえ叶わない。

 

 明かりのついてない部屋から一人の男が身体を起きあげる。先ほどまで寝ていたのだろう。部屋の中には脱ぎ散らかした衣服が転がっている。よく見ると、中には女性の下着もあるようだ。


 男の横で身じろぎする音がする。どうやらその下着の持主らしい。

 男は女を起こさないようにベッドから這い出ると、机の中の引き出しを開ける。そして、一枚の封筒を取り出した。


 おそらく何度も読み返したのだろう。所どころ、黄ばみや折り曲げた跡が浮き出ている。

その封筒を持ったまま、男はベランダに出た。空は変わらず暗いまま、そこにある。

 その時、男の後ろで音がした。彼は慌てて封筒を隠しつつ後ろを振り返る。どうやら女が寝返りをしただけのようだ。


 男はほっと一息入れた後、改めて封筒に目を通した。

 その無地の茶封筒には一言、「新堂義彦様」とだけ書かれている。

「あれからもう7年か……」

 宛名の男、新堂義彦は小さい声でそっと呟いた。








  10 years ago


 

 ――夜空の星が好きだ。暗い夜空を彩る星座は特に。

 幼いころ、僕は叔父さんに連れられてスキー場に行ったことがある。と言ってもシーズンではない。夏の避暑を兼ねての旅行としてだ。

 

 叔父さんが避暑地で旅館を経営しており、シーズン外で客が少ないということもあり僕の家族を招待したのだ。

 

 当時の僕はこの旅行に乗り気ではなかった。

 それは小学校の友達と遊んでいるほうが楽しいと思っていたからでもある。

 それに加えて、典型的なインドアなタイプでもあった僕は、わざわざこんな山の中に連れていかれる理由が分からなかった。

 

 簡単に言えばとっとと帰ってしまいたかったのだ。それでも行くことにしたのは僕自身が我侭をあまり言える性格じゃなかったことに起因している。

 そんな不貞腐れた気分のまま旅行の初日を旅館の中で過ごしていた僕は、その日の夜に叔父さんに外へ連れ出された。

 

 着いた先は小高い丘。とは言っても標高自体高いので夜だと少し寒かった。

 すると、叔父さんはここに来るまでずっと大切に背負っていた細長いケースを取り出すと、いそいそと組み立て始めた。

 それは望遠鏡だった。組み立て終え、少し調整らしきことをした後、叔父さんはニカっとこっちを向くと、


「ちょっと来てみろよ」


といって望遠鏡を覗かせようとした。その顔は悪戯をする子供のような、そんな無邪気な様子を見せている。

 

 別段、逆らう理由もなかったので、言われた通りに中を覗き込むと、そこには僕の知らない世界が広がっていた。

 光るだけだと思っていた星にも一つ一つ色があること、天の川は多くの星の集合体ということ、肉眼だと一つだけだと思っていた星が、実はそばに複数の星があること……。

 

 それは正に僕の知らない世界だった。家の中にいたのでは決して見ることが叶わないもの。そんなこと分かっていたはずなのに、僕にはとても新鮮な気持ちがした。

 その日の夜はずっと望遠鏡を覗き続けた。それは時間も忘れてしまうぐらいで、あまりに帰りが遅かったために両親が迎えに来るまで望遠鏡から目を離すことはなかった。

 

 旅行から帰ってすぐ、僕は両親に頼みこんだ。後にも先にもあんなに両親に頼みこんだことはない。欲しかったのはもちろん夢の世界への片道切符。

 母さんはあまり乗り気ではないのが顔に出ていた。彼女は僕を有名私立中学に進学させようと考えていたのだから、勉強の妨げになるのは排除したかったのだろう。

 

 僕は父さんのほうを向いてみた。母さんへは敗色が濃厚なら、もう一方から攻めてみるしかない。

 父さんは苦い顔をしていた。何かをじっくりと考えているように見えた。けれど、僕はその顔を見て半分諦めていた。

 

 それは今までの経験があったからだ。父さんはよく吟味してモノをいう分、こちらの願いは聞き入れられないことが多い。何度も目にしてきたからこそ、心に暗く、沈んだ気持ちに覆われそうになった。

 

 先に口を開いたのは母さんだった。


「義彦が私たちにこんなに頼むなんて、母さんとしても買ってあげたいのだけれど……。でもね、よく考えてみて。もうすぐにあなたは中学受験よ。あなたはすぐに熱中してしまうから、きっと勉強を疎かにしてしまう。私はあなたには幸せになって欲しいから……。それに望遠鏡はあなたの受験が終わってからでもいいでしょ?」

 

 そういって微笑んだ母さんをみると、決心が鈍りそうになる。それは僕自身があまり我が儘を言ったことがないから、頼まれると嫌と言えないからだ。

 

 母さんの言葉がわからないほど馬鹿じゃないつもりだ。でも、それでも今回だけは心が我慢という感情を拒否していた。僕はあの時に見た星空に見も心も囚われていたから。

 しばらく沈黙が部屋を覆った。母さんはこちらを見たままだったし、僕はそんな目を合わせずにして、うつ向いたままでいた。

 

 このまま話は平行線になるかと思った時、それまで黙っていた父さんが口を開いた。


「別にいいじゃないか」

 

 僕はあわてて父さんのほうに顔を向けた。それは信じられないような言葉だった。

 それは母さんのほうも同じようで、その顔を見ると明らかに動揺しているのが見て取れた。

 母さんは茫然としていたが、すぐに落ち着きを取り戻してさっきよりも幾分、大きい声で父さんにまくし立てた。


「あなた、分かっているの? この子にとって今の時期は受験に響くかもしれないのよ? 中学受験で失敗したとしたら、この子の将来にどんな影響が……」


「とは言ってもね。義彦の目を見てみろ。絶対にこちらが首を縦に振らない限り動く気がしないぞ。それに、この子はいままで自分から何か欲しいって口に出したことなんてなかったんだ。それが今回珍しく義彦から欲しいって言葉を聞いたんだ。子供の我侭を聞いてやるのも親の務めだと思うよ」

 

 そういって父さんは暖かい目で僕を見る。その目を逸らすことなく向き合った。


「望遠鏡を買ったことで、勉強が疎かになるなんてことは父さんも許さない。空を見すぎて寝不足になり、遅刻したり授業中に寝るなんてことは以ての外だ。もし、そんなことをしたら私はすぐに取り上げるだろう。それでもいいかな?」

 

 まっすぐ、信頼を求める視線に、僕は「絶対そんなことはしない」という力強く言葉を返すことで答えた。そんな僕の言葉に、父さんは満足気に、母さんは観念したかのような顔をした。

 

 次の週、僕は父さんと一緒に望遠鏡を買いに行った。叔父さんの持っていたものよりも若干、性能が劣るものの、そこから覗いた光景は相も変わらず美しいものだった。

 ピカピカの望遠鏡はその日、僕の宝物になった。

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