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黒ねこのボスと恋人

作者: 和田喬助

   1


 長かった冬が終わり、ようやく暖かくなってきた。あれだけ寒さに震えていた日々がうそのようだ。道路のはしっこにうず高く積もっていた雪も、四月が終わろうとしている今ではすっかりなくなり、家の軒下にちょこんと残っているだけとなっている。

 おれはこの時期の道路を歩くのは好きではない。地面を踏みしめるたびに、ぐちょぐちょといやな感触がするからだ。

 それでもおれは、出かけなくてはならない。冬の間がまんしてきた空腹を満たすためなのだから。

 今おれが向かっているのは、小学校のすぐ近くにあるパン屋だ。その店の人は、たくさん食べ物をくれるので、外の世界で必死に生きているおれとしては、とてもありがたい。

 話を進める前に、一つ断りを入れておく。もしかしたら、さっきから突っ込みを入れたいと思っていたかもしれない。「よく冬を、ずっと外で過ごしていて乗り切れたな」と。

 しかし、その言葉はおれの姿を見てから言ってほしい。おれは、だれがどう見てもねこだ。人間だったら、とっくに凍死している。雪の上では、とても目立つ黒色をしているのが分かるはずだ。

 おれは冬の間、ずっと神社の床下にもぐりこんで過ごしていた。そこなら少しは寒さを防げる。

 しかし、雪が無くなると、楽に外を出られるようになった。今はそれがうれしい。

 話がいろんな方向へそれてしまったが、ここで元に戻す。

 とにかく、おれは今、朝日に目を細めながら、あのパン屋へ向かっているところだ。


 そのパン屋には、冬の間ずっと通い続けていた。神社からそこまでは二十分くらいかかるのだが、寒い外にわざわざ出てまで通っていたのにはもう一つ理由がある。

 それは、毎回えさをくれる千代子という女の子がとてもかわいいからだ。見た目は十歳くらいだ。

 ねこらしからぬ言葉だと思うかもしれないが、五十年以上生きていれば人間並みの知恵がつき、そして人を好きになってしまう。なぜ五十年も生きているのかというのは、今はどうでもいい話だ。

 なによりも、おれは千代子のお花のような匂いが好きだった。あの匂いは、おれを安らかな気分にさせる。

 また、千代子はよくねこじゃらしをおれの前で振りまわす。その時の千代子はとても楽しそうで、そんな千代子を見ていると、おれも楽しくなる。

 ようやく、パン屋に到着した。看板には「相沢ベーカリー」と書かれている。

 おれは裏口にまわり、一回誘うように鳴いた。すると中から千代子の母さんが現れ、

「千代子、黒ねこさんが来たよ!」

 と奥に向かって叫んだ。すぐに、

「はーい」

 と答える女の子の声が小さく聞こえてきた。三十秒くらいして、千代子が出てきた。

 千代子はまだパジャマ姿で、長い髪があちこちはねていた。皿と、ねこが描かれた袋を持っている。

「千代子、ねこにえさをあげたら、すぐに着替えるのよ」

 母さんはそう言うと、中に入って行った。

 千代子はしゃがんで皿を置くと、そこに袋からキャットフードを入れ始める。あっという間に山のようになってしまった。

「あ、入れすぎちゃった」

 千代子があわてたように言った。おれは、千代子がそれを袋に戻すひまも与えず皿に飛びこみ、味わいながらゆっくり食べる。もちろん彼女の顔をちらちらと見ながら。千代子は楽しそうにおれを見ている。

 三分の一くらい食べた時、千代子がくしゅん、と一回くしゃみをした。暖かくなってきたとは言っても、朝はまだ寒い日が多い。千代子のほっぺたが、寒さでぽっと赤くなっている。

 おれは食べるのをやめ、千代子の足にすり寄った。裸足にスリッパをはいているだけなので、足がとても冷たい。

「ねこさん、くすぐったいよ~」

 うれしそうに笑うと、手をおれの頭へ置き、なで始めた。

 おれはこれを待っていた。とても気持ちいいし、いつものいいにおいが、おれにいやしを与える。

 おれは一分くらいその時間を楽しんでいた。本当はもっとゆっくりしていたかったのだが、そうは言っていられない事件が起きてしまった。

 この店にはおれの仲間も通っているのだが、今おれの目の前にいるのは、よそ者のネコだ。全身真っ白な毛でおおわれている。おれは千代子から離れ、相手の目の前まで近づき言った。

「おまえ、何回も負けているのにまだ懲りてないのか。いい加減あきらめろよ」

 おれは正直あきれている。

「いえ、ここはあきらめきれない場所です。引くわけにはいきません」

 白ネコは落ち着いたように答えた。

「今までは傷つけないようにしてきたが、一回血を見ないとダメのようだな」

「そうですね。ただし、見るのはあなたの血です」

 こいつ、言葉づかいはていねいだが、言っていることはとてもムカつく。

「後で泣きべそかいてもしらねぇぞ」

「それはないですね。最後に勝つのは私ですから」

 おれは押さえつけていたバネが飛ぶように飛びかかった。お互いが相手を押さえつけ、ごろごろ転がる。おれは必死に相手ののどにかみつこうとする。相手はそうはさせまいとしながら、おれののどを狙っている。

 千代子がケンカをやめるように叫んでいるが、今中止するわけにはいかない。

 決着はすぐについた。おれが相手ののどに少しかみついたからだ。そこから血が出ていた。

 相手はギャーと鳴くと、逃げるようにして走って行った。

 おれはその場に座り、口を前足でぬぐった。少し血が付いている。前足を地面にこすりつけるとおれは、その場を立ち去った。これ以上食べる気が失せたからだ。

 

   2


「それで、かみついた後はどうなったんですか?」

 白い体に黒い斑点が付いている若いおすねこが、目を輝かせながら尋ねた。

「あぁ、そしたらギャーって叫んで、ものすごいスピードで逃げやがった。あいつからあんな悲鳴が聞けるとは思わなかったぜ」

 おれはクックッと笑った。ここはいつも集会場にしている神社だ。おれはその日の夕方にみんなを集め、己の武勇伝を語っていた。

 白斑点のねこが頭をペコ、と下げて、

「ぼくもその店に厄介になっているのに、いつもボスが進んで戦ってくれて申し訳ないです」

 と謝った。

「気にすんな。おれはただ、自分のためにあの店を守っているだけだからよ」

「それは、その女の子と他のねこが仲良くするのが、気に食わないからじゃろう?」

 かなり年寄りのおすの三毛ねこが話に割りこんできた。

「うるせー、そんなわけあるか! おれは千代子がくれる食い物がうまいだけだ」

 おれは度肝を抜かれた。

「そんな事では、いつか弱みをにぎられるぞ」

 じいさんはあきれたように言った。

 確かに敵にそのような情報が伝われば、おれは戦いにくくなるだろう。だから、たとえ仲間のねこであっても、おれが一匹でないときは、千代子に甘えないようにしている。

 おれはじいさんに近づき、小声で尋ねた。

「なんで、おれが千代子のことが好きだとわかった?」

「そんなの、話をしているおまえさんを見ていれば分かるわい」

 じいさんは、当然であるかのように答えた。

 正直、じいさんの観察力にはおどろかされる。おれのほとんどのうそは、すべて見抜かれてしまう。

 このじいさんは、きっと化け物に違いない。絶対そうだ。

「ちょっとよろしい?」

 黒い体に白い足をしているおばさんねこが、おれの前に出てきた。

「実は最近、私の所によそ者が攻めてくることが多くなっていますの。今までこんなにケンカしたことはありませんわ」

 おばさんねこが不思議そうに言った。このおばさんは、おれの隣の領地を支配しているねこだ。

「そう言えばわしの所にも、えさを荒らしに来るやつがよく来るのう。まあ、わしと若いやつらで追っ払ってやったがな」

 じいさんが思い出したように言った。じいさんの領地もおれの隣だが、おばさんの所より少し北にある。

「おい、おまえらの中で、最近よそ者におそわれたやつはいるか?」

 おれは、周りにいるやつらに向かって叫んだ。すると、あちこちから自分の所も襲われた、という声が上がった。

「じいさん、今まで同時にたくさんの場所が襲撃されることってあったか?」

 おれの記憶する限りでは、そのようなことは起きたことがない。

「いや、こんなのは初めてじゃ」

 じいさんがうなっている。

 どうやらこの町に、何か異変がが起きているようだ。

おれはいつも、自分の領地のえさ場を順番にまわっている。しかしこれからは毎日、あのパン屋へいって警戒する必要があるだろう。そうなると同時に、毎日千代子に会うことになる。

 おれは、一気にゆるんだ気持ちが表に出ないように気をつけながら、さい銭箱の上に飛び上がり、座り込んだ。


 次の日、おれは風邪をひいてしまった。風邪なんて、ほんの小さいころに一度ひいただけで、それ以降は何を食っても平気だと言われるほどピンピンしていた。

 いったい、おれはどうしてこんな事になってしまったのだろう。よりによって、こんな時に。

 人間が言うように、黒ねこは不幸を引き寄せてしまうのだろうか。

 体がとても熱く、鼻も全くきかない。頭が重く、食べ物を食いに行く気力もない。

 おれのこんな姿を見せるわけにはいかない。よそ者はもちろんだが、じいさんたちに気づかれると、きっとからかわれるだろう。だから、おれは神社の床下にもぐり、一匹で風邪と戦うことにした。

 これまで風邪をひいていなかったツケが回ってきたのかわからないが、結局一日や二日では治らず、全力で走れるようになるまで、四日もかかってしまった。

 おれは、引き寄せた不幸はすべて消費したと思った。しかし、それは半分くらいしか使われておらず、むしろ本当の不幸はこれから始まるのだ。それを知るのは、そんなに遠いことではなかった。


   3


 おれは、ゆっくりと目を開けた。今日はきのうほどの寒さは感じず、体がとても軽い。

 やっと治った。千代子のもとへ行く障害となっていたあの風邪が。

 おれは今、全力で飛び上がりたい気分だ。だがここでジャンプすると、頭を打って再び寝たきりになる可能性が高い。

 おれは、少しやせた自分の体や足を一通りなめると、ピッと立ちあがり、外へ出るために歩き始めた。やはり体はなまっていて、フラフラする。

 これまでの四日間でおれは、大好きな人に会いたくても会えないつらさを味わった。もう、こんな事はこりごりだ。だが、これでようやく千代子のくれる食べ物にありつける。

 おれの頭には今、千代子と会えるうれしさしかない。

 おれは久しぶりに外へ出た。お日様が朝からまぶしく、暖かい。

 境内では、ねこたちがさわがしくしている。

 おれはおや、と思った。いつも集会は夕方から始まって、夜中には終わるのだが、朝まで話し込んでいるとは、一体どういう話題で盛り上がっているのだろう。

 おれはやつらに駆け寄り、何を話しているのか聞こうとしたが、白斑点がこちらを向いて、おれの言葉をさえぎり、叫ぶようにしゃべり始めた。

「ボス、今までどこへ行っていたのですか! いま大変なことになっているんですよ?」

「おいおい、もう少し落ち着いて話せよ」

「落ち着けませんよ。きのう、よそ者が領地でとんでもないことをしたんですから!」

「とんでもないこと?」

 おれは顔をしかめた。

「そうです。あいつらが朝にあのパン屋をおそって食べ物をうばっていったんですよ」

 おれは自然と駆け出していた。後ろから、白斑点が何か叫んでいるが、それはおれの耳を貫通していき、脳みそには残らなかった。 頭には今、千代子の匂いと顔しか浮かんでこない。

 おれは一秒でも早く着くため、病み上がりとは思えない速さで走った。


 千代子の店は、いつもと変わらない光景だった。しかし、あちこちから知らないねこの臭いがしてくる。

 おれは急いで裏口へまわり、爪でドアをひっかきながら千代子を呼ぶ。

 すぐにドアが開いて千代子が出てきた。しかしいつものかわいい笑顔と打って変わって、とても怖い顔をしている。

「ひどい! なんでうちで暴れたりなんかしたの? エサはいつもあげてるじゃない。……もういい、二度とここに来ないで!」

 そう言うと千代子は、すぐに中へ入って行ってしまった。

 おれはしばらく動けなかった。あんなに大声を出した千代子を見たのは初めてだった。

 もう一度千代子を呼んでいると、またドアが開いた。今度は、目に涙を浮かべている。

「さっさと行って!」

 そう言って、おれに物を投げつけてきた。おれはあわててよける。それは一回高くはね、道路へ転がっていった。そうして千代子は中に入り、こわれそうな勢いでドアを閉めた。

 おれは、投げられたものを見た。それは、いつも千代子がキャットフードを入れている皿だった。

 

   4


 おれの目の前で何が起きたのか、全く理解できない。おれは必死に千代子を呼ぶが、まったく出てくる気配はない。

 おれは全力で走り、神社へ向かった。白斑点から詳しく話を聞かなければならない。

 神社へ着くと、大勢のねこの声が聞こえてきた。どうやら帰ったやつはいないようだ。

 皆の視線が一斉におれへ集まった。おれはそれをふり払い、さい銭箱のあたりまで歩いた。

「例のパン屋へ行ったのか?」

 左にいるじいさんが、落ち着いた声で言った。

「あぁ」

 じいさんにかまっている暇はない。やつを問いただすため、一声鳴いた。すると、ねこの間を白斑点が走ってきた。

「おい、千代子の様子がおかしかったぞ、どういうことだ。説明しろ!」

 おれは、白斑点に怒りをぶつけるように尋ねた。

「ボス、ちょっと落ち着いてください。ゆっくり話しますから」

 そいつは、あわてたように言った。

「ゆっくりだと? のんきなこと言ってんじゃねぇ。速く話せ!」

 するとそいつは、言葉を選びながら語り始めた。

「実はおとといから、よそ者に次々と、各地のえさ場がおそわれているんです。いずれも、ぼくたちがいないときだったので、防ぐことはできませんでした。人間の家もやられた所があって、中はめちゃくちゃになっていたそうです」

「待て、それが千代子と、どう関係があるんだ?」

「……自分の家がおそわれた人間たちが、ねこを家に入れず、えさもあげるな、と周りの人間たちに呼びかけたんです。それできのうから、食べ物をもらいに行っても、皆追い返されてしまうんです。ぼくなんか、おじさんにほうきをふり回されましたよ」

「でも、おそったのはおれたちじゃないだろうが」

 そのとき、じいさんがおれたちの間に割りこんできた。

「どうせ人間には、おそってきたネコとわしらとの区別なんてできないじゃろ」

「そうか……」

 ようやく納得した。おそらく千代子は母さんから、この事を聞かされたに違いない。だが、ここで一つの疑問が浮かび上がった。

「じいさん、そもそも最近来るよそ者は、どこからやってくるんだ?」

「わしの所に来たやつから、畑の土のにおいがしていたわい。おそらく、山や畑の近くに住んでいるねこじゃろう」

 この町のはずれに、畑がたくさんある場所がある。しかしそこはおれの領地ではなく、神社に集まってくるやつの中にも、あそこに住んでいるねこはいない。

「確かに、こっちのほうが食べ物を手に入れやすいですからね。ぼくには分かります」

 白斑点が感心したように言う。

「アホ、敵に同情するんじゃない。それより、これからどうするか考えなくてはいかんじゃろ。このまま暴れられると、この町のすべての人間を敵に回してしまうぞ」

「そんなの決まってんだろ。敵の領地に直接乗りこもうぜ」

 おれは、いますぐにでも走っていきたい。

「でも、山はとても広いですよ。あの森の中で敵を見つけるのは難しいと思います」

 じゃ、どうすりゃいいんだよ、と聞くと、

「……やはり、皆で協力して敵を追っぱらうしかないと思います」

 おれは顔をしかめた。

「なんで協力しなきゃいけないんだよ。おれだけで十分だ」

「敵は複数でおそってきたんですよ。いくらボスがケンカに強いと言っても、それは無茶です」

 おれが文句を言おうとすると、

「そうじゃな。わしらへの信頼を、確実に取り戻さなければいかんからのう。ここは協力して立ち向かうべきであろう」

 じいさんがそう言うと、それを聞いていた周りのねこたちから、賛成、やりましょう、という声が聞こえてきた。このままだと、話がどんどん進んで行ってしまう。

「待てよ! 勝手に話を進めるな。おれはなぁ、ケンカは一対一でやりたいんだ。それを破るなんてゆるさねぇぞ」

 すると、じいさんがあきれたような顔をして、

「誰が、ケンカを一対一でやらんと言った? わしらはただ、たった一匹で領地を守るなどと無茶をしようとしているおまえさんを、止めようとしているだけじゃ」

 え、どういうことだ?

「つまりですね、皆であのパン屋へ行って、敵を待ち構えよう、ということです」

 白斑点が解説した。

「それにな、わしも一匹を相手に複数で戦うのは、好きでない。ケンカは正々堂々とやりたいものじゃ」

 ようやくじいさんたちが言いたいことが分かった。

「なんだ、そうならそうと早く言えよ。まぁ、敵がどれくらいの数か分からないから、少しくらい仲間がいてもいいかもな」

 すると、じいさんが鼻を鳴らした。

「どうせ、わしらが何も言わなかったら、一匹で山に突っこむつもりだったんじゃろ?」

「うるせー、おれをバカにしてんのか! ……そうだよ、そのとおりだ……」

 頼む、頼むからおれの心を読むのはやめてくれ。

「ところで、どの場所で敵を待つんですか?」

 白斑点が、おれに尋ねる。

「そんなの、千代子のパン屋に決まっているだろ」

 おれの言葉を聞くと白斑点は、やっぱり……、と言って笑った。こいつ、おれが千代子の所へ通っている目的を知っているのかもしれない。

 おれがその事を聞こうとすると、

「ぼく、ちょっと皆に、敵におそわれた回数を聞いてきますね」

 と言って、ねこの群れの中に入って行った。

 やつには後で聞くことにしよう。それよりも……

「じいさん、あんたもパン屋へ行くのか?」

 あのパン屋は、じいさんの領地とも重なっている。だが、こんなじいさんが戦力になるのだろうか。

「もちろんじゃ。わしがいないと、おまえさんは相手が死ぬまでケンカをやめないじゃろうからな」

 この前白ねことケンカしたときは、少し殺意が芽生えていた。ここは、話題を変えよう。

「じいさん、言っておくが『あの力』は使うんじゃねぇぞ」

「そんなの分かっているわい。そもそも、それをおまえさんに注意したのは、このわしじゃぞ」

 そのことを言い合っているとやがて、白斑点が戻ってきた。

「分かりましたよ。敵が一番来ているのは、あのパン屋の周辺だそうです」

 よし、これで千代子の所へ行く正当の理由ができた。

「それで、わしらと一緒に行くやつは誰じゃ?」

 おれは、近くにいた若いねこを二匹呼んだ。そいつらは双子で、灰色の体をしていて、兄は左目のあたりだけ黒い。妹のほうは、右目が黒い。

「「よろしくおねがいします!」」

 そう言って、双子は同時に頭を下げた。とても息が合っているコンビだ。

 おれは、さい銭箱の上へ飛び上がり、四匹のほうを向いた。

「よしおまえら、今から領地を賭けた戦いに向かうぞ。敵にあの場所は渡せねぇからな。実力の差を見せつけてやろうぜ。いいか、死に物狂いで立ち向かえ!」

 双子と白斑点は、おー、と叫んだが、じいさんはニヤついているだけだった。


   5


 妹ねこが、しげみから顔を出し、辺りを見回し始めた。おれはそいつに、首をひっこめろ、と指示する。するとおれの右にいる兄ねこが、大きなあくびをして体を伸ばし始めた。すかさず、ほっぺたにパンチを食らわす。おれはため息をついた。

「おまえ、昼間だからって緊張感が足りねぇぞ。今、おれらが何をしてるのかわかってんのか?」

 おれは声をひそめて言った。

「はいっす。敵が来ないか、見張っているんす」

 兄ねこが、元気よく答えた。

「バカ、大声出すやつがあるかよ。静かに話せ」

 おれは、兄ねこの向こう側にいる妹ねこを見た。彼女は、さっきから辺りをキョロキョロしていて、落ち着きがない。しかもそのたびに、ガサガサと音を立てる。

「おい、静かにしてろ。敵が来たら見つかっちまうだろうが」

「で、でも……敵に見つかったら怖いです……」

 彼女は、体を震わせている。おれは、もう一度ため息をついた。どうしてこんなやつらしかいないのだろう。こんなことで、勝てるのだろうか。

「それにしても、店の向かい側に、こんなにしげみがあってよかったですね。見張るのにちょうどいい場所じゃないですか」

 左にいる白斑点が、声を小さくしていった。

「そうだな、こいつらが静かにしていればな」

 おれは右を見た。今は二匹とも大人しくしているが、おれの気がゆるむといつ騒ぎだすか分からない。

 白斑点の向こうにいるじいさんは、ずっと何も話さない。寝ているのかと思い、立って見ると、ちゃんと目は開いていて、耳を動かして周囲を警戒している。頼もしい老兵だ。

 おれはというと、今は眠たくてしょうがない。いつもだったら、とっくに昼寝の時間だ。

 どうせ敵も昼間はおそってこないだろう。しかし、さっき兄ねこに注意したばかりなので、寝てしまうとおれのプライドが傷つく。


 しばらくして、だんだん腹が減ってくるようになった。このまま腹をすかしていると、戦う時に力が入らなくなってしまう。

「おいみんな、これから一匹ずつ交代で食い物をあさりに行こうぜ」

「あ、いいっすねぇ。ちょうど腹が減っていたところだったんすよ」

「言っとくが、おまえは最後だからな」

 おれは兄ねこに言い放ち、妹ねこを見た。緊張が解かれたのか、ホッとしたような顔をしている。

 兄ねこが文句を言っているが、おれはそれを無視して、近くのゴミ捨て場へと向かった。

 少しして元の場所へ戻ると、全員その場を動いていなかった。

「まだ、敵は来てないのか?」

 おれは白斑点に尋ねた。

「はい、敵がおそってくるとしたら、たぶん朝方だと思います」

「なんで、そんなことが分かるんだよ」

「人間は、夜は戸締まりをするので、家に入りにくいですからね。朝ドアを開けた時が一番狙いやすいんですよ」

「その言い方、まるで経験があるみたいだな」

「え、あ……、何回か家に忍びこんだことはありますけど、まだ小さい頃の話ですよ」

 白斑点があわてたように言った。

「ボスは、人間から何か盗んだことはないんですか?」

「あぁ、それは無い。おれは親の代から、触ると幸せになれると言われて人間に重宝されていて、姿を見せるたびに食べ物をくれるからな。だから、そんな事をする必要はないんだよ」

 白斑点は、うらやましいですねー、と言うと少しの間うつむいていた。そしておれを見て、

「ボスの親は、どんなねこなんですか?」

「さあな。おれと同じまっ黒な体をしていたのは覚えてるが、それ以外はしらねぇ。おれが小さい頃に突然消えうせたから、記憶がほとんどないんだ」

「ボス、ボスの親はどれくらい強かったんすか?」

 兄ねこが、興味しんしんという顔をしている。

「そんなのしらねぇよ。だいたい、おまえに言う筋合いはないだろうが」

 おれは声を荒らげて言った。兄ねこが落ちこんだように下を向く。

「おまえら、もっと静かにできんのか。敵が来たらどうするつもりじゃ」

 じいさんが怒ったように牙をだしている。

 何か言い返そうとしたが、バカバカしくてやめた。

 口ゲンかでじいさんに勝てるわけがないし、そもそもさっきに、兄ねこに緊張感が足りないと言って注意したばかりだ。おれのボスとしてのプライドが少し傷つく。


 結局、その日は朝になっても敵が来ることはなく、その翌日も何事もなく過ぎていった。

 もしかして敵はおそう場所を変えたのではないか、と思った。そうであればうれしいが、千代子の店をおそったことへの恨みを晴らせないのが残念だ。しかし、神様はちゃんと、その機会を与えてくれた。


   6


 今日は、見張りを初めて三日目だ。すっかり日が落ちて、空は雲におおわれている。しかし街灯があるので、辺りは明るい。まあ、明かりがなくてもよく見えるだろうが。

 おれたちは、相変わらずしげみの中で、敵が来るのを待ち構えている。

 さすがに夜になっただけあって、皆あくび一つせずにじっとパン屋を見つめている……というのはウソで、ただ一匹、落ち着きなくキョロキョロしているやつがいる。妹ねこだ。

「おい」

 おれは妹ねこを呼んだ。彼女は、はいっと言っておれにかけよる。

「おまえ、緊張しすぎだぞ。それじゃ戦えないだろ……、分かった。おまえは戦わなくてもいい。だから帰ってろ」

 彼女は困った顔をしている。すると、

「まて、お嬢さんには残ってもらったほうがよいじゃろ。わしらに何かあったら、すぐに応援を呼びに行けるからのう」

 じいさんがおれの所へやってきて静かに言った。

「おいおい、おれが負けるとでも思ってんのか?」

 ケンカに強いおれが、相手にぶちのめされるわけがない。

「そうではない。万が一のためじゃよ。おまえさんを止めるには大勢いたほうがよいじゃろ?」

 じいさんがニヤリと笑う。

「うるせー、おれだって加減って言うものは知ってんだよ。できれば、血は見たくないからな」

「そうかい、そうかい。まあ、がんばれ」

 しゃべり終わると、じいさんはもとの場所へしゃがみこんだ。

 あの言い方は、絶対おれの言葉を信頼していないだろう。


 夜が明けて太陽が顔を出してきたころ、おれは異変を感じた。知らないねこのにおいが風上からしてきたからだ。

 おれはそっとしげみから顔を出した。四匹のネコが右側からこちらに歩いてくるのが見える。

 しげみの中へ戻ると、おれはみんなに声をかけた。

「いいか、おまえら先に向こう側へ行って、ものかげに隠れてろ。やつらが近付いてきたら、おれがここから飛び出して、敵に突っ込む。やつらがおれに引き付けられているところで、おまえらが奇襲を仕掛けろ」

 おれが、分かったかと聞くと、全員うなずいた。

「駐車場に止められている、車の横に隠れるとしよう」

 じいさんが、白斑点と兄ねこに指示している。

(よし、さっそく始めようぜ。行動開始!)

 おれがささやくとじいさんたちは、飛ぶような速さで向こう側へ渡り、車の陰に隠れた。

 じいさん、なんて体力だ。あれだったら、くたばるのはまだまだ先だろう。

 おれは、いつでも飛びだせるようにして座った。隣を見ると、妹ねこが体を震わせていた。本当に、こいつを連れてきた意味がない気がする。今回は相手が四匹だからよかったが。

 敵が辺りを警戒しながら、店に近づいてきた。その中には、前に首にかみついてやった白ネコもいる。あいつ、まだこりてないのか。

 敵が駐車場へ足を踏み入れた。それと同時におれは猛ダッシュし、白ネコたちの前に姿を現した。

 とつぜんの出来事にびっくりしたのか、白ネコたちはすばやい動きで後ろへ下がった。

「おまえがここのボスか?」

 白ネコの右にいるやつが言った。おそらく、白ネコがしゃべったのだろう。

「ボスだとしたらどうするんだ?」

 おれは聞き返した。

「もちろん、おまえを倒してここをおれたちがもらうんだよ」

 おれは思わず笑ってしまった。

「きさま、何がおかしい?」

「おれに勝とうなんて本気で思っているのか? おまえらはおれ一人で十分だぜ」

 おれは挑発しながら、じいさんたちが隠れている所の反対側へ移動する。

「前回は私が負けてしまいましたが、この数で攻めればいくらあなたでも勝ち目はないでしょう」

 白ネコがそう言うと、敵が全員じいさんたちに背を向けた。今がチャンスだ!

 その瞬間、おれは白ネコに正面から体当たりをした。白ねこは近くの花壇にぶつかって倒れ、ううっとうめいている。

すると、それを合図にして、じいさんたちが車の陰から飛び出し、一匹ずつ取っ組み合い始めた。

 突然の攻撃に、敵は皆びっくりしているようだ。

 花壇のほうを見ると、白ネコが立ちあがっているところだった。そいつがいるところから血のにおいがしてくる。

「どうやら、頭を打ったようです。もう戦えません。今回はあなたの勝ちということにしましょう。しかし、次は絶対に負けませんよ」

 白ネコはそう言うと、その場を去って行った。打ち所が悪かったのか、足取りがおぼつかない。

 おれは周りを見わたした。もう、とっくに敵の姿はなかった。

「まったく、最近の若いやつは根性がないわい。少し傷をつけたら騒いで逃げだしおったわ」

 じいさんが、あきれたように言う。

「少しケガしましたが、なんとか勝ててよかったです」

 じいさんの横で左の前足をなめていた白斑点が言った。すると、兄ねこが近付いてきて、

「ボス、おれはですね……」

「おまえはしゃべるな」

「えー、どうしてですか。ひどいっすよ」

 兄ねこが悲しそうに言う。

「おれはおまえの、最後に何でも“す”をつける話し方が気にくわねぇんだよ」

「そんなー、いまさら変えられないっすよ」

「おい、また言ったぞ」

 白斑点が笑った。

 おれはあきれて、話を続ける気が失せた。

 その時、店のほうから物音がした。千代子の母さんが、出てくるところだった。

おれは母さんのもとへ駆け寄った。母さんは、キャットフードを持っている。

「ねこの声がしたから、もしかしてと思ったけど、やっぱりあなただったのね」

 そういうと、かあさんはおれの前に、キャットフードをばらまいた。

 そのとたん、じいさんたちが走ってきて急いで食べ始めた。おれも負けないようにして食らいつく。

「千代子ったら、おそってきたのは黒ねこさんだと勘違いしたみたいね。ごめんね、いやな思いをさせて」

 母さんがおれの頭をなでた。千代子と同じような優しい匂いがする。

 おれは地面に落ちている食い物をすべて食べると、すぐにその場を離れ、神社へ向かった。

 千代子には会いたいが、他の場所ではどうなったかを知りたかったからだ。


   7


 その日の夕方、おれは神社で開かれた集会で、自分たちの領地がどうなったかを話し、そして逆に他の場所がどうなったかを聞いて回った。すると、全ての場所で戦いに勝ち、敵を追いはらえたことが分かった。

「やつらは普段、大自然の中で生きておるから、人間が多く住んでいる所での戦いには、慣れていなかったのじゃろうな」

 おれがさい銭箱の上に戻った時、じいさんがそう言った。すると、それをおれの足もとで聞いていた妹ねこが、

「また、さっきの場所が攻められたりはしませんか?」

 と不安そうにおれに尋ねた。

「それはねぇよ。あれだけ力の差を見せつけたんだ。あきらめて別の場所を探しに行くだろ」

 おれがそう言うと、彼女はすっかり安心したようだ。

 これで、今回の騒動のほとんどは解決した。後は、千代子の機嫌がいつなおるのかだ。一体全体、どうしたらいいものか……。

 おれはそれをしばらくの間考えていた。そして日がほとんど沈みかけた時、白斑点が息を弾ませながら走ってきた。白斑点には、もしものためにパン屋に残って見張りをするように言ってあったのだ。

 おれはさい銭箱から飛び下り、白斑点のもとへ歩きながら、

「おう、見張りのほうはどうだった?」

 と軽快に尋ねる。

 白斑点がおれの目の前に立ち止まった。つられておれも歩みを止める。

 白斑点は少しの間、息を整えていた。そして、

「ボス、千代子ちゃんがよそ者のネコたちに………連れて行かれました!」

 と、悔しそうに言った。

 おれは、何の事だかわからない。

「おい、そんな冗談はゆるさねぇぞ」

「冗談なんかじゃありません! 夕方頃千代子ちゃんが家に帰ってきたので出て行ったら、パンをくれたんです。ぼくがそれを食べていた時、突然二十匹くらいのネコが現れました。戦ったのですが、次から次へと攻めてきたので、とてもかないませんでした。その後敵がおおぜいで千代子ちゃんを脅しながら……」

 おれは最後まで聞くことができなかった。白斑点のわきをすりぬけ、階段を何段も飛ばしてかけ下りた。風が目に入り痛く、目を細める。いつもは耳にひびく車の走る音も、今はうるさく感じない。

 車のブレーキ音や通りがかりの人の悲鳴を尻目に、おれは千代子のもとへと急いだ。


   8


 おれは全速力でパン屋を目指していた。途中で白斑点が追いつき後ろを走りながら、千代子は小学校のほうへ行った、と話した。

 小学校は、千代子のパン屋からそれほど離れてはいない。

 おれはちらっと後ろを見た。白斑点が、おれに追い付こうと必死に走っていて、そのすぐ向こうにじいさんが見えた。本当に年寄りなのか疑いたくなる。

 ようやく小学校についた。大勢のネコのにおいに混じって、千代子の匂いがしてくる。おれは破れているフェンスの間を、いともかんたんに通りぬけ、ネコが集まっているグラウンドの真ん中まで走った。

 たくさんのネコに囲まれて、千代子が横たわっていた。眠っているように目を閉じている。おれはその近くまでせまった。

「おまえら、千代子に何しやがった!」

 おれはもう、怒りが爆発しそうだ。

 すると、群れの中から一匹のネコが出てきた。黒のしま模様をしている。大きさはおれと同じくらいだ。

 おれは、目の前のネコが敵の親分であるとすぐ分かった。他のやつと雰囲気がちがい、立っている姿も堂々としている。ただ、それ以外にもう一つ、根本的に異なることがある。それは……

「おお、こんなところで出会えるとはな! だが、もっとおだやかな所であればよかった」

 敵の親分が、うれしそうに言った。

「だまれ、化け物が!」

「化け物は、きみも同じだろ? もっとも人間は、わがはい達の事を『妖怪』と呼ぶらしいがね」

「ふざけるな! 人間の女の子を人質にする奴と一緒にするんじゃねぇよ」

 おれの仲間から、とまどいの声が聞こえてくる。どうやら、かなりの数が、おれについてきたようだ。

 すると親分が、千代子の頭まで近寄った。

「おい、それ以上千代子に近づくと、ただじゃおかねぇぞ」

 おれは、いつでも親分に飛びかかれるような体勢をとる。

「きみがこの人間に夢中なのは本当のようだな。捕まえて正解だった」

「まさか、傷つけたんじゃねぇだろうな」

「それは安心したまえ。わがはいが少しおどかしたら、あっという間に気を失ったのでね」

「おどかしたってまさか……」

 変化を解いたのか?

「そう、きみの思っている通りだよ」

 親分はそう言うと、二、三歩前に出た。体を細かく震わせ、歯を食いしばっているその姿は、まるで力をため込んでいるように見える。

 おれは仲間に、

「もっと後ろへ下がれ!」

 と、注意した。

 おれも、五歩くらい後ずさる。

 すると親分の体が、だんだん大きくなってきた。

 白斑点たちから、悲鳴に近い声が上がる。

 そして、自らを妖怪だと言った親分は、おれが高く見上げるほど巨大化した。しっぽが二つに分かれている。

 この体のサイズをした生き物は、何回か見たことがある。

 今の親分は、大人のクマと同じ大きさだ。

「ふう、やはりこの姿のほうが気分がよい」

 親分が、体を伸ばしながら言った。

「ボス、これはいったいどうなっているんですか?」

 遠くから放たれた白斑点のその声は、震えているように聞こえる。

「うるせぇ! お前との話は後だ」

 おれは白斑点の言葉をはねのけた。今は他のやつにかまっているひまなどない。

「きみは、変化を解かないのか?」

 親分が笑いをふくみながら言った。

「ふん、おれは今の姿のほうが気に入ってんだよ」

 この姿でないと、女の子が怖がって仲良くしてくれない。

「それより聞かせろ。どうして千代子をさらったんだ」

 おれがきくと、親分はふっと笑い、答えた。

「この子と引き換えにして、この地をいただくつもりだったのだ」

 おれはカチンときた。

「ふざけんじゃねぇ! 千代子を道具みたいに言うな」

 親分は、その場に座りこむと、静かに話し始めた。

「まあ、話を最後まで聞きたまえ。確かに、最初はそうするつもりだった。そのほうが誰も傷つかないと思ったからな。だが、きみが妖怪とわかった時、わがはいは心がおどるようだった。きみは、わがはいが最初に出会った妖怪なのだよ。きみと全力で戦ってみたい、と思ったのだ。もう、その気持ちが抑えきれそうにないようだ」

「おれだってなぁ、お前をぶっ飛ばしたくて仕方がないんだよ。だから、たとえお前に戦う気がなくても、おれはお前ののど元を狙うぜ」

 親分はまた笑うと、ゆっくりと立ち上がった。

「それは好都合だ」

 そう言うと、親分は正面から飛びかかってきた。

 おれは全力で横へ跳び、それをよける。

 どうやら時が来たようだ。

 おれは覚悟を決めると、一瞬で変化を解いた。親分と、目線が同じ高さになる。そしておれも、、その場に座った。

「ふう、この姿になるのは久しぶりだぜ」

 おれがそう言うと、親分が、

「きみから、強いオーラを感じる。どうやら相当な実力者のようだ」

 と感心したように言った。

「当たり前だろ。この姿だったら、だれにも負ける気がしねぇんだよ」

 親分は少しの間、だまっていた。何か考え事をしているのだろうか。それとも……、

「おい、おれの姿を見てビビってんのか?」

 おれはニヤッと笑った。すぐにでもやつに、痛い目を合わせたい。

「そうではない。取引をしようではないか」

「取引?」

 おれは聞き返した。

「そうだ。今からわがはいとタイマン勝負をして、もしわがはいが勝ったら、この地をいただく。だが、きみが勝ったら、わがはい達はおとなしく出ていこう。これでよいか?」

「それじゃ足りねぇな。おれが勝ったら、ここに二度と攻めに来るな。そうでないと、だめだ」

 親分は、少し考えていた。そして、

「よいだろう。きみのその条件をのもうではないか」

 親分の目が、一瞬泳いで見えたのは気のせいだろうか。

「おい、決着はすばやくつけようぜ。それが俺の戦い方だからな」

「うむ、それがよい。わがはいも、長引く勝負は好きではない」

 そう言うと、親分が立ち上がった。おれも立って、いつでも攻撃をよけられるように構える。

 親分が、右足を一歩前へ出した。おれも一つ前に出る。

 おれたちはお互いをにらみ、毛を逆立てる。

 三十秒後、おれたちは正面からぶつかり合った。

 おれは、左足にかみつこうとしたが、右足で顔をおもいきり殴られ、そのまま右側へ五回くらい転がっていく。

 おれが体勢をたてなおす前に、親分がおれの首筋に向かってとびかかってきた。

 ここをかまれるわけにはいかない。左の前足で迫ってきた顔を押さえつけ、そして後ろ足を両方使い、親分をけり、引き離す。

 十分な距離ができると、おれはすぐに後ろへ飛び、相手をいかくする。

「さっさと負けたらどうだ? お前の仲間みたいにすぐ逃げたほうが、むだな体力を使わずに済むぜ」

「それは心外だな。わがはいは、きみのような若い者を傷つけたくはない。だから、先ほどから手加減してやっているというのに、きみはこの気持ちをわかってくれないようだ。残念でならないよ」

 親分は、あきれたようにそう言った。その言葉にイラっとする。

「おれをなめていて、結局負けたやつをおれは何回も見てるんだ。お前もそのうちの一匹というわけか」

 これ以上言いあってもムダだと分かった。もう、力で押すしかないだろう。それは、ヤツも気づいているはずだ。

 おれたちはギリギリまでお互いに近づき、はな先がくっつきそうな距離でうなる。

 親分の、毛を逆立てた姿は、クマを軽く超える大きさになっていた。

 おれたちはピタリと動きを止め、相手の様子をうかがう。少しでも体を動かすと、敵がおそいかかってくる。

 しかしそれは逆に、こうげきするつもりで動けば、確実に先手を取れるということだ。

 おれは今、そのタイミングを待っている。

 その時、倒れている千代子が、寝たままうーんとうなった。

 おれがその声に気を取られて、ちらっとそちらを見た時、親分は一瞬のうちに体を低くして飛び出し、おれを仰向けにひっくり返した。

 親分が、おれののど元めがけて牙をむいた。おれは、前足二本でヤツのあごを押し上げ、こうげきを防ぐ。

 しかし親分はすぐに、おれの足を振りほどき、おれの左側から首にかみつこうとする。

 おれは親分のその動きを利用し、そのままヤツを左に押し倒した。

 これで立場が逆転した。今度はおれが、親分ののど元を狙う。

 だが、親分もおれの動きを予想していたらしく、今度は親分がおれを右へ転がした。

 おれたちはそれを繰り返すことで、横にゴロゴロ転がっている。

 何回ローリングしたか分からない。やがて親分の背中がグラウンドのフェンスに激突し、フェンスが少しゆがんだ。

 親分が一瞬ひるむ。おれはその絶好の瞬間を見逃さなかった。ヤツの首にこうげきをしかける。しかし親分が体を動かしたため、照準が右へずれ、ヤツの左前足のつけ根あたりに、おれの牙が深々と突き刺さった。

 これが、結局親分にとって致命傷となった。


   9


 おれが、親分に深手を負わせた後、ヤツは左足を引きずるようにしてにげて行った。ケンカで決着がついたら、さっさと立ち去るのが、ねこの間にあるルールだ。

 その後、おれはいつもの大きさに戻り、千代子のもとへかけよった。彼女はまだ気を失っているらしい。

 おれは千代子のほっぺたをなめる。十秒くらいして、彼女の目がゆっくりと開いた。

 千代子は立ち上がりかけたが、すぐにペタッと尻もちをついた。かみの毛に砂がたくさん付いている。

「あれ、黒ねこさん……?」

 千代子が、目の前にいるおれに気づいた。そのとたん、彼女の目から涙があふれてきた。

 おれが千代子のひざへ飛びのると、千代子はおれを震える両手で持って抱きしめ、わんわん泣き始めた。

 おれは、千代子の目から出てきて止まらない涙をなめてあげたいが、彼女がおれをいつまでたっても放さない。

 結局、千代子が自分の家に着くまで、おれは抱かれたままだった。


 千代子がさらわれた事件から、一週間たつと彼女はすっかり元気を取り戻し、たびたび来るおれを毎回出迎えてくれる。

 千代子がくれる食べ物が、最近変化した。今ではキャットフードだけでなく、マグロの切り身ももらえる。

 初めてそれを食べた時、おれは舌がとろけそうになった。どうやら、大好物な食べ物が増えそうだ。

 ある時、千代子がおれを飼いたいと言ったことがある。だが、彼女の母さんはそれはできない、と話した。

 おれもそれは断った。千代子のことは好きだが、飼いねこになるのはごめんだ。

 やっぱり外で自由に食べて、ケンカして、寝て過ごしたい。それがおれに一番合っている気がする。


 今は、別の場所で敵と戦っている。いまだに懲りないやつが他にもたくさんいるようだ。

 領地を守るため、おれはいつまでも戦い続ける。それがおれの生き方だ。

 

 

 




 


 


 





 

 


 




 

 

 

 










ぼくの作品を読んでいただき、ありがとうございます。大切な人を守る強さを感じ取ってもらえれば、うれしいです。感想や意見をどんどん送ってください。

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[良い点]  『黒ねこのボスと想い人と決闘 』読ませて頂きました。 千代子がボスに対して勘違いによって酷い事を言ってしまった時のボスの気持ちが切なくて心にきました。 しかし、最終的には誤解も晴れ見事今…
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