婚約破棄されたので、荷物をすべて送り返します
王宮の大広間に、王子の声が響いた。
「エレノア! お前との婚約を破棄する!」
その瞬間、集まっていた貴族たちが一斉にざわめいた。
私は手に持っていたグラスを置いた。
「そうですか」
「……何?」
「婚約破棄ですね。承知しました」
王子は少しだけ拍子抜けしたような顔をした。
もっと泣いたり、怒ったりすると思っていたのだろう。
残念ながら、私は今朝からお腹が空いていた。
婚約破棄よりも、先ほどからテーブルの端に置かれている焼き菓子の方が気になっている。
「お前は本当にそれでいいのか!」
「はい」
「私が他の女性を愛しているのだぞ!」
「そうなのですね」
「彼女こそが、私の運命の相手なのだ!」
「おめでとうございます」
「お前は悔しくないのか!」
「特には」
王子の隣に立っている女性が、少し困ったように王子を見上げた。
私はその女性に向かって軽く頭を下げる。
「これからは王子殿下をよろしくお願いいたします」
「え、ええ……」
「ところで、婚約破棄に伴って確認したいことがございます」
「何だ!」
王子は勢いよく返事をした。
「殿下の私物についてです」
「私物?」
「はい。殿下が我が家に置いていかれたものが、かなりありますので」
「……それがどうした?」
「お返ししたいのです」
王子は鼻で笑った。
「そんなもの、好きにすればいい!」
「ありがとうございます」
私は笑顔で答えた。
そのとき、王子はまだ知らなかった。
私がどれほど律儀な人間であるかを。
そして、我が家の倉庫にどれほど王子の荷物があるかを。
*
翌朝。
王宮に一台の馬車が到着した。
その後ろには、荷馬車が三台続いている。
「これは何だ?」
王宮の門番が尋ねた。
「エレノア公爵令嬢からの返却物です」
先頭の御者が答えた。
「返却物?」
「婚約破棄に伴う、王太子殿下の私物でございます」
門番は荷馬車を見た。
一台目には箱が積まれている。
二台目にも箱が積まれている。
三台目には、なぜか家具らしきものが見える。
「……多いな」
「まだ一部です」
「一部?」
「はい。残りは午後に届きます」
門番は頭を抱えた。
*
その日の午後、私は王宮へ呼び出された。
王子は執務室で待っていた。
「エレノア! あの荷物は何だ!」
「殿下の私物です」
「見ればわかる!」
「それならよかったです」
「よくない!」
王子は机を叩いた。
「どうしてあんなに大量の荷物があるのだ!」
「婚約期間中に殿下がお持ちになったものです」
「私はあんなものを持ち込んでいない!」
「そうおっしゃられても、記録がございます」
私は鞄から書類を取り出した。
「こちらが一覧です」
「一覧?」
「はい。確認いたしましたところ、全部で二百八十六点ございました」
「二百八十六!?」
「細かいものも含めておりますので」
「細かいものとは何だ!」
「靴下です」
「靴下!?」
「殿下が我が家でお休みになった際、脱いでいかれたものです」
「捨てればいいだろう!」
「殿下の所有物ですので、勝手に処分するわけにはまいりません」
「そんなものは捨てろ!」
「では、処分の許可をいただけますか?」
「許可する!」
「書面でお願いいたします」
「何故だ!」
「後日、殿下から返却を求められた場合に困りますので」
王子は口を開けたまま固まった。
私は書類を一枚差し出した。
「こちらに署名をお願いいたします」
「……わかった」
王子は怒りながら署名した。
「これでよろしいでしょうか」
「もう帰れ!」
「承知しました」
私は頭を下げて執務室を出た。
*
三日後。
王宮に再び荷馬車がやってきた。
今度は五台だった。
「またか!」
門番が叫んだ。
「はい。前回の返却物に追加がございました」
「追加!?」
「殿下が我が家の庭に置いていかれた植木鉢が十二個ございます」
「植木鉢まで!?」
「それから、殿下が我が家の図書室に置いていかれた書籍が四十七冊」
「もういい!」
「それから、殿下が我が家の使用人に預けていた剣が一本」
「もういいと言っている!」
「こちらは貴重品ですので、直接殿下にお渡ししたいのですが」
「受け取る!」
門番は半ば自棄になって叫んだ。
その日の夕方、王子から手紙が届いた。
内容は簡潔だった。
『もう何も送ってくるな』
私はその手紙を読み、少し考えた。
なるほど。
王子はもう荷物を受け取りたくないらしい。
それなら仕方がない。
私は返事を書いた。
『承知いたしました。残りの荷物は保管しておきます。保管料につきましては、月末に請求書をお送りいたします』
翌日、王宮から使者がやってきた。
「エレノア様! 王太子殿下がお呼びです!」
「何でしょう?」
「保管料とは何ですか!」
「殿下の荷物を保管するための費用です」
「そんなものは払わないとおっしゃっています!」
「では、荷物を引き取っていただけるのでしょうか?」
「それも嫌だと!」
「困りましたね」
私は首を傾げた。
「では、どうすればよいのでしょう?」
「それを聞きに来たのです!」
「そうですね……」
私は少し考えた。
「それなら、王宮の倉庫に置かせていただけませんか?」
「……は?」
「王宮は広いですから。殿下の荷物を保管する場所くらいあるでしょう」
「いや、しかし……」
「婚約破棄は成立したのですから、私の家に置いておく理由もございません」
使者は何も言えなくなった。
私は笑顔で書類を差し出した。
「こちら、荷物の移動に関する申請書です。王宮の担当部署に提出していただけますか?」
「……わかりました」
*
さらに一週間後。
私は王宮の廊下を歩いていた。
すると、向こうから王子がやってきた。
「エレノア!」
「殿下。ごきげんよう」
「お前のせいで王宮の倉庫がいっぱいになったぞ!」
「それは大変ですね」
「大変ですね、ではない!」
「では、荷物を引き取っていただけますか?」
「だから嫌だと言っている!」
「そうですか」
私は頷いた。
「では、保管料の請求書をお送りいたします」
「お前は金のことしか考えていないのか!」
「いえ。殿下の荷物のことも考えております」
「もういい! 婚約破棄したのだから、私たちは他人だ!」
「はい」
「二度と私に関わるな!」
「承知しました」
私は頭を下げて、その場を去った。
その日の夜、私は父に手紙を書いた。
『王宮にある殿下の荷物についてですが、今後は一切関与しないことにいたしました。保管料の請求も停止いたします』
翌朝、父から返事が届いた。
『よくやった。ところで、王宮から荷物を引き取るように連絡があったのだが、どうする?』
私は返事を書いた。
『婚約破棄された相手の荷物ですので、私には関係ございません』
それから三日後。
王宮から、また手紙が届いた。
『王太子殿下の私物が多すぎて、倉庫が使用できなくなりました。至急、引き取りに来てください』
私は手紙を読み、少し考えた。
そして、こう返した。
『婚約破棄は成立しておりますので、そちらの荷物は王太子殿下ご本人にご確認ください』
私は手紙を封筒に戻した。
窓の外では、春の風が吹いていた。
今日は天気がいい。
焼き菓子でも買いに行こう。
王子の荷物のことは、もう知らない。




