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婚約破棄されたので、荷物をすべて送り返します

作者: ふたーなる
掲載日:2026/11/09

 王宮の大広間に、王子の声が響いた。


「エレノア! お前との婚約を破棄する!」


 その瞬間、集まっていた貴族たちが一斉にざわめいた。


 私は手に持っていたグラスを置いた。


「そうですか」


「……何?」


「婚約破棄ですね。承知しました」


 王子は少しだけ拍子抜けしたような顔をした。


 もっと泣いたり、怒ったりすると思っていたのだろう。


 残念ながら、私は今朝からお腹が空いていた。


 婚約破棄よりも、先ほどからテーブルの端に置かれている焼き菓子の方が気になっている。


「お前は本当にそれでいいのか!」


「はい」


「私が他の女性を愛しているのだぞ!」


「そうなのですね」


「彼女こそが、私の運命の相手なのだ!」


「おめでとうございます」


「お前は悔しくないのか!」


「特には」


 王子の隣に立っている女性が、少し困ったように王子を見上げた。


 私はその女性に向かって軽く頭を下げる。


「これからは王子殿下をよろしくお願いいたします」


「え、ええ……」


「ところで、婚約破棄に伴って確認したいことがございます」


「何だ!」


 王子は勢いよく返事をした。


「殿下の私物についてです」


「私物?」


「はい。殿下が我が家に置いていかれたものが、かなりありますので」


「……それがどうした?」


「お返ししたいのです」


 王子は鼻で笑った。


「そんなもの、好きにすればいい!」


「ありがとうございます」


 私は笑顔で答えた。


 そのとき、王子はまだ知らなかった。


 私がどれほど律儀な人間であるかを。


 そして、我が家の倉庫にどれほど王子の荷物があるかを。


     *


 翌朝。


 王宮に一台の馬車が到着した。


 その後ろには、荷馬車が三台続いている。


「これは何だ?」


 王宮の門番が尋ねた。


「エレノア公爵令嬢からの返却物です」


 先頭の御者が答えた。


「返却物?」


「婚約破棄に伴う、王太子殿下の私物でございます」


 門番は荷馬車を見た。


 一台目には箱が積まれている。


 二台目にも箱が積まれている。


 三台目には、なぜか家具らしきものが見える。


「……多いな」


「まだ一部です」


「一部?」


「はい。残りは午後に届きます」


 門番は頭を抱えた。


     *


 その日の午後、私は王宮へ呼び出された。


 王子は執務室で待っていた。


「エレノア! あの荷物は何だ!」


「殿下の私物です」


「見ればわかる!」


「それならよかったです」


「よくない!」


 王子は机を叩いた。


「どうしてあんなに大量の荷物があるのだ!」


「婚約期間中に殿下がお持ちになったものです」


「私はあんなものを持ち込んでいない!」


「そうおっしゃられても、記録がございます」


 私は鞄から書類を取り出した。


「こちらが一覧です」


「一覧?」


「はい。確認いたしましたところ、全部で二百八十六点ございました」


「二百八十六!?」


「細かいものも含めておりますので」


「細かいものとは何だ!」


「靴下です」


「靴下!?」


「殿下が我が家でお休みになった際、脱いでいかれたものです」


「捨てればいいだろう!」


「殿下の所有物ですので、勝手に処分するわけにはまいりません」


「そんなものは捨てろ!」


「では、処分の許可をいただけますか?」


「許可する!」


「書面でお願いいたします」


「何故だ!」


「後日、殿下から返却を求められた場合に困りますので」


 王子は口を開けたまま固まった。


 私は書類を一枚差し出した。


「こちらに署名をお願いいたします」


「……わかった」


 王子は怒りながら署名した。


「これでよろしいでしょうか」


「もう帰れ!」


「承知しました」


 私は頭を下げて執務室を出た。


     *


 三日後。


 王宮に再び荷馬車がやってきた。


 今度は五台だった。


「またか!」


 門番が叫んだ。


「はい。前回の返却物に追加がございました」


「追加!?」


「殿下が我が家の庭に置いていかれた植木鉢が十二個ございます」


「植木鉢まで!?」


「それから、殿下が我が家の図書室に置いていかれた書籍が四十七冊」


「もういい!」


「それから、殿下が我が家の使用人に預けていた剣が一本」


「もういいと言っている!」


「こちらは貴重品ですので、直接殿下にお渡ししたいのですが」


「受け取る!」


 門番は半ば自棄になって叫んだ。


 その日の夕方、王子から手紙が届いた。


 内容は簡潔だった。


『もう何も送ってくるな』


 私はその手紙を読み、少し考えた。


 なるほど。


 王子はもう荷物を受け取りたくないらしい。


 それなら仕方がない。


 私は返事を書いた。


『承知いたしました。残りの荷物は保管しておきます。保管料につきましては、月末に請求書をお送りいたします』


 翌日、王宮から使者がやってきた。


「エレノア様! 王太子殿下がお呼びです!」


「何でしょう?」


「保管料とは何ですか!」


「殿下の荷物を保管するための費用です」


「そんなものは払わないとおっしゃっています!」


「では、荷物を引き取っていただけるのでしょうか?」


「それも嫌だと!」


「困りましたね」


 私は首を傾げた。


「では、どうすればよいのでしょう?」


「それを聞きに来たのです!」


「そうですね……」


 私は少し考えた。


「それなら、王宮の倉庫に置かせていただけませんか?」


「……は?」


「王宮は広いですから。殿下の荷物を保管する場所くらいあるでしょう」


「いや、しかし……」


「婚約破棄は成立したのですから、私の家に置いておく理由もございません」


 使者は何も言えなくなった。


 私は笑顔で書類を差し出した。


「こちら、荷物の移動に関する申請書です。王宮の担当部署に提出していただけますか?」


「……わかりました」


     *


 さらに一週間後。


 私は王宮の廊下を歩いていた。


 すると、向こうから王子がやってきた。


「エレノア!」


「殿下。ごきげんよう」


「お前のせいで王宮の倉庫がいっぱいになったぞ!」


「それは大変ですね」


「大変ですね、ではない!」


「では、荷物を引き取っていただけますか?」


「だから嫌だと言っている!」


「そうですか」


 私は頷いた。


「では、保管料の請求書をお送りいたします」


「お前は金のことしか考えていないのか!」


「いえ。殿下の荷物のことも考えております」


「もういい! 婚約破棄したのだから、私たちは他人だ!」


「はい」


「二度と私に関わるな!」


「承知しました」


 私は頭を下げて、その場を去った。


 その日の夜、私は父に手紙を書いた。


『王宮にある殿下の荷物についてですが、今後は一切関与しないことにいたしました。保管料の請求も停止いたします』


 翌朝、父から返事が届いた。


『よくやった。ところで、王宮から荷物を引き取るように連絡があったのだが、どうする?』


 私は返事を書いた。


『婚約破棄された相手の荷物ですので、私には関係ございません』


 それから三日後。


 王宮から、また手紙が届いた。


『王太子殿下の私物が多すぎて、倉庫が使用できなくなりました。至急、引き取りに来てください』


 私は手紙を読み、少し考えた。


 そして、こう返した。


『婚約破棄は成立しておりますので、そちらの荷物は王太子殿下ご本人にご確認ください』


 私は手紙を封筒に戻した。


 窓の外では、春の風が吹いていた。


 今日は天気がいい。


 焼き菓子でも買いに行こう。


 王子の荷物のことは、もう知らない。

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