ただいま緊急で婚約破棄を望んでいます!
「……というわけで、今日中に婚約破棄されないとお前は死ぬ」
「え!? え。え。うそ。えー!! え? 本当に? え……えぇぇぇぇぇえええええ?!」
私は目の前に居る黒衣の魔法使いの発言を耳にして、大き過ぎる衝撃を受けていた。
なんなら驚き過ぎて開いた口を押さえて、言葉にならない言葉を繰り返すほかなかった。
……ええ。そうなの。
私は乙女ゲーム『私の推しは王子様』の中に転生した、アンネローゼ・ローゼンクイン。
ついさっき、私は乙女ゲームの悪役令嬢に生まれ変わったんだ! と、自分の顔を鏡に映して前世の記憶を取り戻し、転生者になったのねと自覚して驚いていたところに……公爵令嬢たるアンネローゼの自室へ、この怪しすぎるフードで顔を隠した黒衣の男が現れた!
そうして、悲鳴をあげる前に、私へ今のこの状況を伝えた。
『さっきお前に呪いを掛けたから、婚約者たる王太子クリストファー・ジェデオン殿下から、今日中に婚約破棄されなければ死ぬ』と、ここで宣告したのだ。
待って……待って! 乙女ゲームでの悪役令嬢が婚約破棄されるのって、ゲームのエンディング前……それも、色々とヒロインに仕掛けた悪事がバレて、王太子クリスに決定的に嫌われて……の流れではなかった!?
私の記憶によると、今は違いますよ! ゲーム開始直後のはずです!
確かに悪役令嬢として婚約者に近付く邪魔者として、聖女へ嫌がらせは何件かしている記憶はあるけど……うん。嫌がらせはしていたわ。
結構な、嫌がらせしているわね。仕方ないわよね。アンネローゼは、悪役令嬢なのだし。
「というか、私いま自分がアンネローゼ・ローゼンクインに、転生したことに、気が付いたばかりですけど?!」
これを目の前の男に訴えたところで、事態は何も変わらないと私も理解はしていた……していたけれど、頭が混乱していて、どうしても我慢出来なかったのだ。
「なんだ。転生者か、お前が異世界からの転生者だとしても、俺は別に驚かない」
「な、なんでです!?」
私は彼の言いようを聞いて、本当に驚いた。だって、普通転生者とか聞いたら、びっくりすると思う。おおよその人は、驚くと思う。
……いえいえ。公爵令嬢の自室にいきなり現れて宙に浮いている男は、そういう当然よりも別の存在かもしれないけど。
「ふむ……もし、これをしたらしなかったらという分岐が過去未来に無数に存在し、それだけの数の平行世界が存在しているのなら、異世界は異世界ではなく、ここはお前が居た世界の過去の大きな分岐が違う時間軸の、過去もしくは、未来ということになる。輪廻が存在するのなら、転生も可能で然るべきだ」
「……な、なるほど?!」
とりあえず、小難しくて何を言ってるかわからないけど、私が言いたいのはシンプルにこれよ!
「いえ。違います! そういうことではなくてですね。一旦死んで転生したばかりで、私はまた死にたくないんです! どうにかならないんですか!!」
私は必死に訴えた。婚約破棄を今日中に……ゲームはまだまだ始まったばかりなのに、死の呪いとか、難易度が高すぎる!
「そうか……運が悪かったな。今日中にどうにかして、婚約破棄を勝ち取ってくれ。そうしたら、明日も生きられる」
私はパッと壁掛け時計を見た。二本の針は、午後九時をさしている。
「あの、今日って……いつまでです?」
真夜中? それとも、朝日が来るまで? 今日の終わりの考え方は色々あるので、これは知っておきたいところ。
「真夜中の零時までだ」
あ、質問に答えてくれて、優しい……優しいわけないか! この人、私との出会い頭に、呪いかけなかった?!
しかも、考えていた二択の短い側だったので、あまり良い情報でもなかった。
「だから、零時までに、婚約破棄出来なかったら……?」
頭ではわかっていたけれど、どうしても確認したくなって、私はおそるおそる聞いた。
「そうだ……残念ながらお前の行く末は、婚約破棄か死の二択しかない。頑張ってくれ。それと、この呪いを他言しても死ぬから、注意が必要だ」
「え……えー!!!」
そして、クリス様に事情を話して、婚約破棄をお願いすることも封じられた!?
クリス様は理想の王子様らしく理性的な人なので、私が事情を話して頼めば、おそらくは誠実な対応してくれるはずだ……はずだけど、これで私は三時間弱で彼に『婚約破棄だ!』と言って貰えるような自然な流れを作らないといけない……!
う、うそ!
取り急ぎ、この異世界は私の知っている乙女ゲーム『私の推しは王子様!』ではありますが、ゲームプレイした日が遠過ぎて、内容詳細が思い出せません! 記憶力? 何それ美味しいの!
だけど、そもそも迫り来る断罪フラグを折る前に、私の命へ危険が猛スピードで迫っているんだった……!
もー! 今日中に婚約破棄されて来いなんて、どんな不可能任務なの!
黒衣の男は私の絶望の表情を堪能して楽しんでいるようで、口元でにやっと笑い、現れた時と同様に唐突に消えた。
きっ……消えた!
それは、魔法のあるゲーム世界なので、そういうこともあるでしょうって感じなんだろうけど、こうして目の前で起こると驚くしかない。
ああああああ。そんなことを考えている時間も惜しかった!
私はもう一度時計を見た。さっきから、五分も経ってる!
駄目駄目駄目。早くクリス様に会って自然な流れで、私に婚約破棄をしてもらわないと!
◇◆◇
私は取り急ぎ準備させた城へと向かう馬車の中で、これから自分はどうするべきか悩んでいた。
……婚約破棄って、確か貴族令嬢にとって、かなり重いものなのよね……?
ええ。現代日本で生まれ育った私だって、そういう知識はございます。
王族や貴族同士の政略的な意味のある婚約だって洒落にならない悪事をしでかしたり、言い訳の利かないくらいの大罪人になったりして婚約を破棄されれば、婚約破棄された女性側が、再起不能なほどの致命的な社会的ダメージを負うことになる……らしい。
うん。けれど、私も悪役令嬢アンネローゼ。ちゃんとヒロインを虐めた記憶が既にある。
記憶の中にある悪事は、王太子との婚約破棄には十分のはずよ! 何の自慢にもならないけど!
ええ。これを自ら明かしてクリス様に希望すれば、婚約破棄してもらえるに違いないわ……それは、そうだわ。そうしてもらわないと困るわ。
一度死んでこうして転生してきてなんなのだけど、世界の中で自分の命が一番大事だわ。それはそうだわ。誰しもそうだも思うわ。
世界滅亡を救うとか、何らかの特殊な事情でもない限り。
だって、死んでしまえば人生は終わり。貴族令嬢としての不名誉など、別の人生を生きれば無関係で済むもの。
生きられるのならば、甘んじて婚約破棄の不名誉を受け入れるのみよ。
城に到着し婚約者たるクリス様を呼び出してもらえば、今は公務中ということで私は彼の住む離宮にある応接室へと通された。
代々王太子が使う特別な離宮なので、それはそれは豪華できらびやかな装飾がされて、あれは何これは何と説明されなくてもその場に居れば、とてつもない金額の調度なのだろうと理解出来るほどに室内全体には高級感が漂っていた。
公務が終わり次第、クリス様はここに来ますということで、私は応接室で婚約者たる彼を待つことにした……したんだけど。
もー! 遅いー!! もう残り時間が一時間を、切っておりますけど?!
そうなのよ。信じられないことに、今私の命の期限である時間が、なんとクリス様を待って居るだけで二時間も使ってしまった。
一瞬、公務中だと言うクリス様の元へ駆けつけようかと思った。けれど、それはグッと我慢した。とにかく、まだ一時間あるのだから、その間にどうにかしてもらったら良いのだわ。
零時十分前なら、誰と何をしていようが乱入していたかもしれないけれど……とにかく、先触れもなく予定もなく夜に会いに来た私の方がかなりおかしな行動をしているのだから、クリス様にご迷惑を掛けることは慎まなくては……。
それに悪事を白状して『お前とは婚約破棄だ』と、言ってもらったら良いのよ。私だって、悪役令嬢をしていたんだから、それなりにヒロインを虐めていたんだから……!
自分にはそう言い聞かせつつも、時間は過ぎゆき、気が付けば三十分前になっていた。
駄目。生命の危機。
私はとにかくクリス様に会おうと意を決して立ち上がりかけたところで……ようやく扉が開いた。
「……アンネローゼ。悪い。外交官と会っていたんだ。君が緊急で来ていると聞いていたので、なるべく早めに切り上げたんだが……」
室内でもきらめく金髪に、清水を思わせる美しい青色の瞳。美麗な容姿を持つこのお方が、王太子クリストファー・ジェデオン殿下。
ゲーム画面だと落ち着いてまぁ美形だわ程度だけど、こうして、直接目にすると目に衝撃を感じたかと思うほどに整った容姿をしているわ。
「クリス様……あの」
「君が予定もなく、僕を訪ねてくるなど珍しいな……何かあったのか?」
そうなのです。アンネローゼは婚約者クリス様に嫌われるのが怖くて、品行方正で完璧な公爵令嬢を演じておりまして、もしかしたら失礼にあたるかもしれないことは、決して出来なかったんですよ!
いえいえ。それも命の危険の前では、なんでもないことだわ。
それに、私が緊急でお願いしなければならないことは、これよ!
「あの、私との婚約破棄をお願いします!」
婚約者らしく私の隣へ座ったクリス様は、口を開けてぽかんとした表情を整った顔に浮かべていた。
あら。こんな顔……初めて見るわね。なんだか、可愛い。
私がまじまじと見つめていたら、彼は数秒後我を取り戻してハッとなり大きく息をついた。
「……断る。婚約者に何も非がないのに、婚約破棄は出来ない。いきなり何を言ってるんだ。アンネローゼ。君らしくもない」
……ええ。私とてわかっております。
クリス様は理想の王子様で、そのような不名誉を、よほどのことがない限り、婚約者に着せるわけにはいかない……そう考えていることも。
しかし、一年後のアンネローゼは彼のそんな誠実な考えを乗り越えるほど、よほどのことを仕出かしてしまう訳だけど。
「ええ。わかっております。どうか、聞いて下さい。私はクリス様が最近後見人をされている聖女で転移人のセイラ様へ、嫌がらせをしました! 婚約破棄をしてください」
「……いや、断る。嫌がらせが事実としたら……確かにあまり良くはないが、婚約者の僕の身近な異性に嫉妬してしまった……そういうことであれば、誰もが許すはずだ。嫉妬しての嫌がらせで婚約者との長年の婚約を破棄すれば、まるで聖女と結ばれたいがためにそうするようではないか。そのような事実はないし、僕の信用が地に落ちる」
……近い未来そうなってしまうんだけど、確かにまだセイラへの好感度が低い状態のクリス様であれば、これを言うのも仕方ない……ああ。どうして、これが乙女ゲームが始まったばかりなの!?
ゲーム終盤に近い時なら、おそらくアンネローゼだって、もっと酷い悪事を積み上げているに違いないのに!
今すぐ婚約破棄して! 欲しいのに!
頑なな態度に見えるクリス様を前に、私は心の中で非常に慌てた。
だって、ここで大人しく帰されても、ローゼンクイン公爵邸でぽっくりと死んでしまうだけなのだ。
そんな人生の終わり方、絶対に嫌!
「もし……命が危なくなるような、悪質な嫌がらせもしていても?」
「何。一体……何をしたんだ? 聞こう」
そこで、クリス様は真剣な表情になっていた。私に対する軽蔑などは含んでいなくて、純粋に何をしたのかという話に興味があるように見える。
顔を近づけられて、私の身体は自然と後ずさった。近い近い。ええ。私たち男女ではありますけど、確かに婚約者同士ですけどね!
王子様らしい美麗なお顔の攻撃力が高すぎて、近いととても平静では居られないのよ。
「っ……私はこの前、偶然を装って、セイラ様を階段から突き落とそうとしました!」
そうなのだ。私は悪役令嬢らしく、定番の嫌がらせだって、既に行っている。アンネローゼがどれだけクリス様のことを好きであるか、これでわかろうというものだ。
「それで、彼女は階段から落ちたのか?」
「いえ。通りがかりの騎士にすんでのところを助けて貰ってました」
なんだそんなことかと言わんばかりに、クリス様は小さく息をついた。
「それはあまり良い話ではないが、怪我がないのなら問題ない。もう二度としないように。彼女はこの国の安寧のために異世界より居らした存在なのだから」
子どもを窘めるように頭を撫でられ、私はまた慌てた。階段落とすって、大概な嫌がらせと思ってたのに! あくまで私はですけどね!
「……! それに、私はセイラ様が乗るはずの馬車の車輪に、細工しました!」
……どう!?
一歩間違えたら人が死ぬようなことだって、既にしてしまっているのだ!
得意そうに言った私に、クリス様は慎重な様子で尋ねた。
「それは、実際に、事故があったのか? 僕はまだ報告は聞いていないが」
「いえ。馬車が出発する前に目視で気が付かれて、すぐに車輪を取り替えられていました」
そうなのだ。悪役令嬢アンネローゼは変なところでプライドが高く、誰かに頼むということが出来ずに、自分で細工してしまったために、あまりに素人な細工過ぎて御者へすぐにバレてしまっていた……!
なんだか、可愛いところのある可愛い悪役令嬢アンネローゼ。ええ。それって、私のことだけど。
けど、けど! 聖女セイラは『私はもしかして、狙われている!?』と怯えたはずよ!
有罪!
「……大事故に繋がる話なので、この件は厳重注意だが、特に問題はない。反省文を僕に提出するように」
クリス様は裁判官のように厳かな口調で、車輪への細工を自白した私へと処分を伝えた。
「ででで、ですが!! 怪我したり、もしかしたら、最悪の場合……セイラ様は死んでしまったかもしれないんですよ?!」
どう!? これって、決して反省文で済む問題ではないよね?!
私の必死な訴えを聞いて、クリス様は呆れたように、大きく息をついた。
「なあ……アンネローゼ。未遂の犯罪行為に、どう罪を与えれば良いんだ。君の言っていることは、誰かを殺そうと思いナイフを買ったが、実際には刺してはいない。だが、そう思った事自体が罪なので、牢屋へと入れてくれと言っているようなものだぞ」
「そそそ! それは!」
確かにそうかも……婚約破棄されるには、まだまだ足りないっていうか。どうしたら良いの!?
「誰が何を言おうと、被害者に実害がないのだから、なんの問題もない。ただこうして自白したし、僕の立場からは、反省は必要だと思う。なので、この件に関しては後日、反省文を提出してくれ」
問題がない……罪がない?!
だから、クリス様は私とは婚約破棄出来ないって、そういうこと?!
「そっ……そんな……」
どどど! どうしよう~! 本当にこれ以外の嫌がらせが出来ていない! 出来ていないのよ! だって、まだゲームは開始されたばかりだから!
私は時計を見て、暗く絶望的な気持ちになった。
いろいろと話していたら、もう十分を切ろうとしている……ああ。どうにかして、クリス様に婚約破棄して貰わないと……私は死んでしまうのに!
「とにかく、いきなり……婚約破棄とはなんなんだ。幼い頃から続くアンネローゼとの婚約を、破棄せざるを得ない何らかの不都合は、現在存在しない。よって、僕は君と婚約破棄はしない。だが、そんなことを言い出したからには、何かあったのではないか? 詳しく話を聞いてやりたいが、時間も遅いし、君も興奮しているようだ……また、日を改めないか」
クリス様はまだ未婚の私の立場でここで居ることで生まれる誤解を思いやってか、時計を見てからそう言った。
……今日でないと、私の命が! と、叫びそうになりながらも、私ははっと思いとどまった。
だって、あの黒衣の男が言うには、ここでクリス様に事情を話しても、私の命が落ちてしまうのだ。
それに、ここまで言ったら何かあるかもしれない……と思うのは、普通のことなのに、頑なに婚約破棄してくれない。
感情が昂ぶった私はなんだか、だんだんと泣きそうになって来た。
なんて、わからず屋なの!
ここまでして婚約破棄欲しいって、頼んでいるのに。『断る』の一点張りで……もー!! 頑固なんだから!
「クリス様! もう……お願いですから、私と婚約破棄してください!」
「……おい、泣きそうな顔で何を言ってるんだ。とにかく、言いたいことがあれば、また時間を取って聞くから、今日は勘弁してくれ」
クリス様は困ったように微笑み、私の背中を落ち着かせるように撫でた。
ここで私は彼と会話をして、婚約破棄をしてもらうことは諦めることにした。だって、命の期限がそこまで迫っていた。零時を越えれば、そこで私は死んでしまう。
それだけは、絶対に嫌だった。
けど、どうすれば良いの。彼に事情を話すことは、禁じられているし……。
「クリス様は……私と婚約したままで、結婚することになるんですが、良いんですか?! 私の事……本当に、好きなんですか?!」
私は涙目のままで、彼に訴えた。好きではないのなら、今すぐ、婚約者の身分から解放して欲しい。
そんな切ない想いも込めて。
……けど、クリス様の反応は、私が想像していたものとはまったく違っていた。
私の両肩を掴み、真剣な眼差しで見つめたのだ。
「それはそうだ。好ましく思っているし、好きだ。結婚するならば、アンナローゼが良い。そう思って、俺は君と婚約した。婚約破棄に相当するような罪を犯したなら王族として対応すべきだろうが、してないなら、別に僕は婚約破棄する必要はない」
ええ……えええ……!! そうだったんだ!!
クリス様は婚約者として、アンネローゼのことがちゃんと好きだったんだ……!!
えっ……王子様からの真剣な告白を聞いて、キュンとした。胸がキュンとしたけど、このままだと私……もうすぐ死にます!
とにかく、もう……なりふりは構っていられないわ。
もう一度壁掛け時計を見れば、零時はすぐそこまで迫っていた。
私は肩を持つクリス様を振り切り立ち上がって、応接室にある大きな出入り口を開いて、バルコニーへと出た。
「クリス様……! 婚約破棄してくれないのなら、私はここから飛び降ります!」
私は柵に手を掛けて、驚いて目を見開いている彼のことを見つめた。
どう!? 私はもうここから飛び降りる気、満々ですよ! 早く婚約破棄して!
「……アンネローゼ? 一体、どうしたんだ」
困惑した表情のクリス様。月光の下でも彫りが深くて美麗だわ……というか、そんなことはどうでも良くて!
ここで落ちて死んでも、婚約破棄されず死んでも、同じことなのだ。
ここで飛び降りて、死ななくても重症でも……すぐそこに死が迫りくる私にとってみれば、何が何だかまったくよくわからないけど、もう少しで婚約破棄されないと死ぬんだけど?!
ここで発覚した事実だけど、クリス様はアンネローゼを婚約者として好ましく思って居た……思っていたからこそ、彼女が聖女ヒロインセイラに仕出かした非人道的な行いを、嫌悪して嫌いになってしまったのかもしれない。
だって、人って好きでないとそこまで、嫌いにはなれないものね。無関心な婚約者なら、何をしようが無関心のままのはずだわ。
……そして、そんなクリス様に嫌い切ってもらうには、私はとんでもない悪事を働く必要があるけど、残り時間数分では、とても間に合わない!
「クリス様。お願いします! 私と婚約破棄してください!」
早く! こんなことする女と結婚するのは嫌だって、そう言って欲しいの!! 私だって、本当はこんなことやりたくないんだもの!
「待ってくれ……飛び降りると脅すのは、ルール違反のように思えるが。なんなんだ。何故、そこまで婚約破棄を望む。いや。待て。もしかして……他に誰か結婚したい男でも?」
そこで一気にクリス様の周囲に不穏な空気が満ちて、私は『これだ!』とひらめき何度か頷いた。
……そうよ。どうして、こんな単純な理由を思いつかなかったの?!
「そうです! 私好きな人が居て、クリス様とは、結婚できません!」
「……!!」
大きな衝撃を受けたクリス様のお顔。なんだか、それを見て、胸が痛むけど、仕方ない。命の方が大事なんです!
「お願いします! 私と婚約破棄してくださいぃぃぃいい!!」
悲鳴に似た高い叫びが出て、そこへ面白がる声がひとつ響いた。
「そういうことだ。婚約破棄してやれよ。王子様」
「お前……! 一体……悪魔か。どうやって城へ入りこんだ?」
クリス様は宙に浮いた黒衣の男を見て、非常に驚いたようだ。ええ。驚くよね。私も驚いたもの。
……ん? 悪魔?
「どうせ、お前はこの先いずれ婚約破棄して、別の女と結婚するんだ。早い方が良い。どうぞ早めに楽にしてやってくれ」
「僕はアンネローゼと婚約破棄などしない。もしセイラへの嫉妬が原因であれば、彼女の後見人は弟へと譲る……何を言い出したんだ……いや、悪魔。お前は誰に呼び出された?」
「さあな。誰だと思う?」
睨み合い緊迫感のある会話だけど、私には命の危険が迫っていた。だって、もうすぐ私、死ぬんですよ!
「早く……! クリス様、婚約破棄してください!」
必死に言い募る私の叫びに、クリス様はようやく覚悟を決めたかのように、大きく頷いた。
「わかった……私クリストファー・ジェデオンは、ローゼンクイン公爵令嬢アンネローゼとの婚約を破棄する」
その時、私の身体からぶわっと、黒い何かが霧散した。
わ。わわわ! これが、呪い?! というか、間一髪私は命が助かった!?
……良かった! 命が助かったわ!!
やけに響いた時計の音がカチリとして、日をまたいだ。私はほっと安心して、胸を押さえた。
「くくく。良かったな。助かって」
「誰が原因だと思って……その言い方、酷すぎます!」
口元だけ見える彼はてへっと舌を出して、私は怒りのあまり宙に浮く黒衣の魔法使いを引きずり下ろしたい衝動に駆られた。人の命を弄んで、何よ!
それに、私を窮地に追い込んだ悪魔たる彼の立ち回りが、少しだけ不思議だったのだ。
そう……まるで、死にゆく私を助けてくれたような……そんな言動。
「あの、どうして私を助けてくれるようなことを? 呼び出した人の願いを最優先に聞かないんですか?」
彼は悪魔でおそらくは、契約者に代償と引き換えに、私の命を奪うか婚約破棄させるように……と、命じられたのだろう。
だと言うのに、それが叶いそうな時に、どうして助けてくれたかわからない。
「ははは。あまりの必死で面白くて助けたくなったからだよ。ここまでして婚約破棄迫るとは面白すぎだろ。それに悪魔を使って誰かを呪った奴が、問題もなく幸せになれる訳がないだろう。これから、俺の契約者は契約の代償を払うことになる」
「……確かに僕は昨日婚約を破棄したが、本日、婚約破棄を撤回する。不名誉なことをした代償に、アンネローゼが望む何かを与えることにする……おい。そこのお前。僕の婚約者に何をした?」
あ。クリス様! 命が助かって、嬉しすぎて、存在を忘れていたわ……! そうですよね。この事態を知って驚かれましたよね。私も三時間前に、ものすごく驚きました!
「……この城の中にお前とこの女の婚約破棄、または、この女の死を望んだ者が居る。魔方陣で呼びだされた俺は、願いを叶えた。その後の婚約破棄の撤回は、想定外で俺の契約範疇外だ」
……悪魔の召喚……! そうだ。確か乙女ゲーム『私の推しは王子様!』の中には、そういうシーンがあった。
ただ、それを使うのは、悪役令嬢アンネローゼである、私の役回りのはずだった。
……そうよ。
だって、ゲームのクライマックスである一年後までには、まだまだ時間がある。
クリス様の好感度が日に日に増していく聖女ヒロインへの憎悪し、アンネローゼは彼女を悪魔を使い呪いたいとまで思い詰めるのだ。
……! そうだ。そうよ、そうよ。
アンネローゼとの婚約破棄の直接の原因は、悪魔召喚を行ったことだったわ。忘れてた。それは、この国では大罪にあたり、決して許されざる罪だった。
……けど、結局はこんな風にして、最後には悪魔に裏切られて全ての悪事が露見するんだ!
王太子クリス様はだからこそ、幼い頃から婚約していた婚約者アンネローゼとの婚約破棄に踏み切ることになるんだ。
悪魔を使って人を呪えば呪い返されるって、そういうことなのかもしれない。誰かを不幸にしたいと思っても、自分が不幸になるしかない。
強大な力を持つ気まぐれな悪魔。呼びだせたからと、言うことを聞いてくれるはずがないのに。
少々の虐め行為がアンネローゼにあったとしても、政略婚の破棄に至るまでには足りない。だから、私との婚約は、悪魔を召喚しなければ破棄されることはない。
……ううん。そうよ。これに、私は気がついてしまった。
悪魔によると城の中には、おそらくは、私以外の転生者が居て、ゲームに関する前世知識を使ったということ……?
……それはヒロインが転生者で、クリス様が好きなのだろう。
そして、もしかしたら……私と同様にあまり詳細にはゲームの内容を覚えていないのかもしれない。
それはそれとして、今の時点ではクリス様の自分への好感度はまだ高くないから、早く悪役令嬢と婚約破棄して、自分と恋愛しろってことかもしれないけど、私は誰かが聞けば笑い事だけど笑えない状況で死ぬところだったんだけど~???
悪魔召喚を使って婚約破棄になる予定だったアンネローゼが、それを批難するのもおかしな話なんですがね!?
「それでは、契約は成された……クリストファー王子とのアンネローゼの婚約破棄、もしくは、アンネローゼの死……その後すぐに、婚約破棄が撤回されても、俺の知るところではない」
楽しげな笑い声を残して、悪魔はまるで煙のように消え去った。
そして、私は迫り来る死の危険も去ったことを実感していた。
はー、良かった~! 私、死ななくて良いんだ……!
ホッと安心したのもつかの間、私が対処しなければならないのは、いつのまにか間近に居た王子様だった。
クリス様は座り込んでいた私の手を取って、あっという間に横抱きにした。顔が近い……! 近いです!
いえ。もちろん。それは抗議する気はありませんけど!
「アンネローゼ……どうやら、僕たちは……いろいろと話し合うべきだな。そう思わないか?」
「は、はい」
「アンネローゼ。婚約破棄したいと言い出したのは、あの悪魔の呪いが原因か?」
「は、はい!」
「呼び出した奴は誰だ。絶対に、許さない……まあ、すぐにわかるだろう。悪魔は契約と同じだけの代償を契約者へと求めるからな」
「はい……」
私はクリス様の胸にぎゅっと抱きしめられながら、なんだか、不思議な気持ちだった。
確かに転生したものの、アンネローゼはこの王子様のことを愛していると言えるほどに大好きでだからこそ、近づく聖女ヒロインに嫌がらせをしたわけで……最終的には決して許されない罪、悪魔召喚にまでたどり着いてしまう。
何もしなければ、悪役令嬢のアンネローゼは卒業式で順当に婚約破棄されるはずだったのに……一年間を待ちきれずに、安易な悪魔召喚を使ったのかもしれないけど、それって、逆効果におわったみたいですよ……そして、うろ覚えの前世知識については、利用しない方が良いという学びを私は得た。
うん……急いては事を仕損じるって、このことなのかも。
「アンネローゼ。何があったら心配だから、早めに結婚式をするようにしようか?」
切なげに呟いたクリス様は、私の顎を持ち上げた。
キスするつもり……ですよね。私たち婚約者だけど……初めてのキス。
とりあえず、転生したばかりの悪役令嬢だったはずなのに、三時間後には無事に美形王子様とは即恋愛関係になれたようなので……私は悪魔を呼び出したその人に、本当にありがとうございますと伝えたいです。
Fin
どうも、お読み頂きありがとうございました。
もし良かったら最後に評価お願いします。
待鳥園子




