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蝶の軌跡は綴られぬ ─記憶喪失冒険譚─  作者: 御門 厳寺
第一章 バタフライエフェクト
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第七話 「加速する」

「ファブリエルさん、少々お時間を頂けませんか」


 とある日の昼下がりのこと。私とエトナが食堂でムシャムシャと葉物野菜のサラダを食べていたときだった。黒いタキシードらしき、高価そうな服を着た男が私に声をかけてきた。彼の名はシャーレ。生徒会長シャリアの執事っぽい人だ。


「私ですか?」

「ええ。シャリアが呼んでこい、とのことですから」


 なんだろう、何かやらかしてしまっただろうか。先日のことがあるから不安だ。


「昼食を食べ終えたら、生徒会室に来てください。お待ちしています」 

 

 彼はそういうと、フッと消えていった。足を踏み出した様を見せることなく、フッと。まるで蜃気楼が風に吹き飛ばされたかのように。

 私は目の前にあるパンを一口含んで、向かう準備をした。


「エトナ、そういうわけですから、私は行ってきますね」

「あぁ……いってらっしゃい……」

「残りは食べて良いですから」

「……! いってらっしゃーい!!」


 これからエトナを説得するときは食べ物を置いておくことにしよう。そんなことを思いながら、石造りの廊下をまだ成長途上の足でトテトテと駆けた。


───────


 生徒会室は、思っていたよりもずっと厳かだった。自分の背丈の3倍……大人1.5人分くらいの大きさの門をもち、その両脇にはワクワクを刺激するような鎧が飾られている。


 ごくり、と重たい唾を飲み込み、私を拒絶するかのように佇む重厚な木製の扉を、恐る恐る叩いた。


「ファブリエル・フロントラインです。生徒会長に呼ばれて参上しました」

「どうぞ、お入りください」


 扉を開けた先は、外見とは裏腹にシンプルな内装だった。手前側に書棚や机などのワークスペース、その奥には大きな窓。そこから差す陽光に照らされているのが、生徒会長シャリア・パラディン・イスカ。


「そこにおかけください」

「失礼します」


 先日私に抱きつき、頭を撫で回してきた人物とは思えないほどの様相だ。なにやら深刻な面持ちである。私はシャリアと机を挟んで向かい合った。


「ここ王都では、最近人攫いが多発しています。それも、前年比約400%増、8月までに150人です」


 シャリアそう言うと、悔しそうに唇を噛み締めた。机の上の拳にも少し力が入っているように見える。


「それは酷いですね……目星はついているのですか?」


 シャリアは語ることなく金色のバッジを差し出した。ホオズキの象られた、親指の爪ほどの大きさのもの。ところどころが黒みがかっている。


「それは、被害者が最後に目撃された場所に落ちていたものだそうです。彼のものと思しき赤黒い液体が付着していました。犯人は何らかの凶器を用いて犯行に及んでいる」


 彼女は依然として私から目を逸らさない。その真っ直ぐな視線が私の関節を固定し、動くことを許さなかった。

 彼女の目線が怖いわけではない。ただそれが、曖昧とも言える私の7年間を、全て明るく照らしてきそうだった。私の知らない「私」を、見せつけるかのようだった。


「単刀直入に申し上げます。ファブリエルさん、貴方はこの事件に関与していますか?」

「そんなことはないです! 第一、私のこの小さな体でどうして人攫いが……!」

「その『(ガリアード)』を使えば可能なのでは?」


 私の首筋は、既にシャリアの言葉の射程圏内だった。


「まあ、これはあくまで形式的な尋問です。そんなことは思っていませんよ」

「はぁ……良かったです」


 緊張が解けると同時に、滝のように冷や汗が流れる。さすがは生徒会長というべきか、言葉の圧が桁違いだ。忘れていた呼吸を再開すると、体に温かみが戻ってくる。

 そんな私を見かねたのか、シャーレが話を続けた。


「ファブリエルさん、もしよろしければ捜査にご協力いただけませんか。生憎、私どもでは人手が足らず」

「治安維持も生徒会の業務なのですか?」

「いえ、これは私的なお願いです。勿論、お受けいただければそれ相応の謝礼をご用意していますので」

「私では力不足ではありませんか?」

「……お恥ずかしい話、私には友達と言える存在がシャーレと貴方くらいしかおらず……」


 シャリアはそう付け足した。

 私は別に優秀じゃない。ほんの少しだけ、指先から可愛らしい蝶々が出るだけだ。ナノのように力が強いわけでも、アリエのように誰かを勇気づけられるわけでもない。


 でももしそれが、彼女たち(友達)の役に立つのなら。私はそれに協力するべきだと思う。


「ファブリエル・フロントライン、謹んでお受けいたします」

「ありがとございます。では、放課後にまたお会いしましょう」


 その言葉を聞き届けると、私は踵を返そうとした。だが、まだ話は終わっていないようだった。


「それで……チーム名は『熾天の黒蝶』でいいでしょうか」

「シャリア、今は……いえ、なんでもありません」

「結束を高めるためには必要だと思うのです、 ファブリエルさんもそう思いますよね!?」

「え……はい」

「ならば決まりです! 放課後からこの場所で『熾天の黒蝶』の第一回会議を行います!」


 やはり、シャリア・パラディン・イスカは嵐のような人である。こうして、私は『熾天の黒蝶』へと入団した。


───────


 夕方は思ったよりも暖かかった。7月がもう終わり、これから本格的な夏に入る。足元から伸びる影を引きずりながら、私は集合場所へ向かった。


「シャリアさん!」

「先ほどぶりですね」


 ついさっきまで重かったドアは、簡単に開けることができた。同じ部屋なのに、少し落ち着く雰囲気を覚える


「それでは、会議を始めます。まずは議題の確認から。王都ランペで『特異点』以降に多発している人攫いについてです」

「……すみません、『特異点』とはいったい?」

「おや、ご存じだと思っておりましたが……」

「失礼、まだ学が足りないもので」


 入学時にヴァーザも言いかけていた、『特異点』という言葉。どうやらこの学校では重要ワードのようである。


「『特異点』とは、7年前──人理歴201年のことです。その年以降、世界の魔力密度が大幅に増加し、魔物の凶暴化、魔力災害の多発など、文字通り世界の均衡が変わりました」

「へ、へぇ……」


 不安が私の脳を支配する。ガタガタと足が震えて言うことを聞かない。呼吸がだんだんと浅く、早くなる。まだそうと決まったわけではない。落ち着け、落ち着け、落ち着け……!


 もし、私の転生が『特異点』だとしたら。

 もし、私のせいで世界が崩れかけたのなら。


「シャリア、貴方が言いたいのはそうではないでしょう」

「そう、ですね。貴方と『特異点』には密接な関係があるはずです。おそらく、それが貴方の魔法にも関与している」

「三魔界以外に……生命を生み出す魔法使いはいなかったという話ですよね」


 はい。とシャリアは強く頷いた。


 私の呼吸はだんだんと落ち着き始めている。よく考えれば、転生している時点で既に歯車は狂っていたに違いない。そう思ったほうが、きっと幸せである。


「シャリアさん、話を戻しましょう」


 シャリアは咳払いをすると、少しずつ話しだした。誰も信用してはならないと言い聞かせるような仕草だった。


「ファブリエルさんには、学校内の偵察をお願いしたいと思っています。特に、貴方の属する上級クラス。あそこには怪しい生徒を集めてありますから」


「つまり、私も怪しまれていたと」と言いそうになる口を慌てて塞ぐ。彼女は私を信用してくれている。それに応えなくては。


「わかりました。シャリアさんたちは何を?」

「私たちは王都の情報を集めておきます。いくつか心当たりがあるので」


 そこからも、詳しい分担を決めていった。

 シャリアは王都の東側、商業街や居住区を。

 シャーレは王都の西側、冒険者や貴族街を。

 そして私は、学校内をそれぞれ調査する。


「では最後に……戦闘になった際です。万が一犯人と戦闘になった場合、貴方はすぐに応援を呼んできてください。私とシャーレで応戦しますから」

「私も……!」


 戦えます。という言葉はシャーレの意思に遮られた。


「貴方の魔法は、決して殺傷能力があるわけではありません。我々にお任せください」

「わ、かりました」


 少しずつ、少しずつ、なにかが変わっていく。運命の歯車とかいうやつが、キィキィと歪な音を立てて回りだした気がした。

次回:第八話


「他称イケメンと口無し王女」

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